第80話 勇者同盟
『錆びた聖剣』のメンバーに、嵐の如き知らせが届いた。
頭領であるゴライ・スーアルドの世界が、無事に救われたという知らせだ。
そして、それには大翔という権能使いの勇者が関わっていることも含まれている。
この朗報により、『錆びた聖剣』のメンバーの反応はいくつかに分かれることになった。
「ううっ、ゴライさん! ついに成し遂げたんっすね!!」
一つ、素直にゴライの使命が果たされたことを祝う反応。
メンバーの中ではこの反応が一番多く、八割程度はこの反応をしている者たちだった。
「やはり、権能使いは恐ろしい……あの世界樹を滅ぼすなんて」
二つ、大翔が持つ権能に戦慄する反応。
メンバーのほとんどが祝福を叫ぶ中、冷静に権能の脅威を見定める者たちも居た。
「…………どうして」
三つ、世界を救えたという事実に嫉妬する反応。
メンバーの中で、実際に口に出した者は少ないだろう。しかし、それでもこの呟きは祝福を叫ぶ者の中にもあるものだった。
どうして、自分たちの世界は救われないのだろう?
どうして、ゴライだけがそんな幸運を掴めたのだろう?
情けないと自覚しつつも、勇者たちの心にそういう感情の種子がばら撒かれたのは、確かなことだった。
「ゴライさんを手伝ってくれたなら、もしかして、俺たちのことも……」
そして、そんな感情よりも更に伝播するのが早かったのが、希望的観測だ。
もしかしたら、自分たちの世界も大翔は救ってくれるのではないか? という都合のいい妄想。希望。勇者としてはあるまじき、諦観交じりの願望。
ただ、勇者たちはそれを胸に抱いた瞬間、その全てが強く自戒した。
それだけは言ってはならない、と。
勇者同士が協力して、他の世界の危機を救う。
この試みは、今まで全くなされなかったというわけではない。実際、過去に何度かはそういうケースがあったのも事実だ。
しかし、それでも積極的に協力し合う習慣が残っていないのは、世界の危機というものはそんなに簡単ではないからだろう。
自分以外の勇者の異能。
あるいは、異世界の文化、技術。
そういったものが上手く噛み合わされば、『運よく』世界が救われることもある。
そう、あくまでも『幸運だった場合』に限られるのだ。
勇者が背負う使命は、どれもが世界崩壊クラス。
一つの世界が『どうしようもない』と絶望したが故に、背負わされたものだ。
いかに選ばれた勇者同士とはいえ、協力したからと言って簡単に解決するわけでもない。
――――だが、権能使いならばあるいは?
それでも、『錆びた聖剣』の勇者たちが希望を持ったのは、大翔が持つ権能によるものだ。
権能。
超越存在が与える、絶対的な権限。反則的な能力。
ただの残滓とは比べ物にならない、正真正銘のチート。世界の法則よりも強いもの。
従って、権能を扱える存在は勇者よりも更に稀な存在だ。
『錆びた聖剣』のメンバーの中でも、大翔以外の権能使いを見たものは数人程度しか居ない。それも、大規模な破壊が為された戦場や、世界全土に及ぶ儀式を行っている最中など、ほとんど『見かけた』程度に過ぎない。実際に縁を持てたのは、大翔が初めてなのだ。
だからこそ、大翔に希望を抱いてしまったのだろう。
肝心の大翔からすれば、凄いのは自分の異能ではなく、対抗策を見つけたシラノや、それまで頑張って世界を維持し続けていたゴライだと答えるだろうが。
「いやぁ、めでたい、めでたい」
「あの頭領がついになぁ」
「でも、世界を救ったとなると、このクランはどうなるんだろうな?」
「別にいいでしょ? 続けても続けなくても。元々、あの人が始めたことだもの」
「…………あー、故郷の皆のことを思い出してきちゃったなぁ」
「そろそろ、俺の世界も救わないとな」
「まぁ、救おうと思って救えるのなら苦労はしないんだが」
ゴライの世界が救われた。
その知らせを受け取った勇者たちは、様々な想いを抱えながら、『飛び跳ねる獅子の尻尾亭』でたむろしていた。
それぞれのテーブルには、酔いもできないのに強い度数の酒瓶が何本も。
舌が痺れそうな酒精の液体を、まるで水のように勇者たちは飲み干しておく。
このまま、自分の醜い感情も体の奥に流し込めるように、と。
「はぁい! 『錆びた聖剣』のみなさぁあああん! ちゅうもぉーく!!!」
しかし、そんなしみったれた空気を吹き飛ばすように、大翔が酒場のドアを蹴り破った。
それはもう豪快に。
けれども、完全に壊したら怒られそうだから絶妙に威力は加減して。
破天荒ながらも小市民的な動きで、大翔は勇者たちの前に現れる。
そして、ちまちまと靴を脱ぐと、手ごろなテーブルの上へと飛び乗った。
「えー、食事中に申し訳ありませんが、一つお知らせがあります。ワタクシ、佐藤大翔は諸事情により、『勇者同盟』なるものを始めさせていただきました。これはですね、勇者同士が互いに協力し合い、それぞれの世界の危機を――あー、うん。駄目だね、やっぱりこういう説明は柄じゃない。後でシラノに任せよう」
テーブルの上に立つ大翔は、驚いた様子の勇者たちを見回すと、不敵な笑みを浮かべる。
にぃ、と頬が吊り上がるような、不敵な笑みを。
「世界を救いたいか?」
テーブルの上から問いかけられるのは、答える必要すらない愚問。
何故ならば、この場に居るのは全てが勇者。
誰もが、救いたいに決まっている。
「俺たちの力が必要か?」
けれども、次に重ねられた問いかけは難しい。
気遣いや、優しさ、あるいは誇り、意地。あらゆるものが邪魔をして、答えるのが難しい。
だから、勇者たちから何か言葉が返される前に、大翔は言葉を続けた。
「もちろん、俺たちだって全知全能じゃない。万能であるかどうかも怪しい。でも、俺たちの力を使えば、ある程度の問題は解決できるのは事実だ。何かしらのブレイクスルーを生み出せる可能性は大いにあるだろう」
希望の言葉を。
甘い蜜を。
あえて、勇者たちを唆す悪党の如く、悪い顔で告げる。
「ただし、俺たちの力を借りたいのなら――――その対価は、命だ」
これは慈善行為ではないのだと。
単なる自己満足の延長線上で、その上でなお、利益を求める傲慢な行いなのだと。
「もしも、俺たちの力を借りて世界を救えたのなら、命を貰う。勇者としての残りの人生を貰う。契約でがんじがらめにして、俺の使命を手伝ってもらう。時には、その命を犠牲にするような命令を遂行してもらうことになるだろう」
とはいえ、悪い顔で傲慢に告げようとも、大翔が告げるほとんどの言葉はフェイク。
ただの虚勢に過ぎない。
シラノとの相談により、『手伝うのならば最低限、これぐらいの覚悟を決めて欲しい』と定めた条件に過ぎない。
実際に手伝ってもらうことはあるだろうが、そのために命を犠牲にされると大翔自身のメンタルが危ないので、言葉通りの過酷な状況にはならないだろう。
「それでも、それでもなお、俺たちの力を借りたいと願うのならば!」
しかし、それでも何が起こるかはわからない。
大翔にそのつもりがなくとも、超越存在への対策の過程で、実際に命を落とすこともあるかもしれない。
故に、大翔の問いかけは薄っぺらではなく、芯のあるものとなった。
「命を賭けて、俺の下に来い!」
酒場に響く大翔の問いかけに、一瞬、勇者たちは静まり返る。
そう、一瞬。
たった一瞬の猶予だけで、勇者たちには十分だったのである。
「「「なんだ、そんなことでいいのか」」」
苦笑と共に、勇者たちは一斉に立ち上がった。
誰しも迷いなどなく、すぐさま大翔の下に集まって跪く。
さながら、忠誠を誓う騎士の如く。
『錆びた聖剣』の勇者たちは、一人の例外もなく、大翔の下に集ったのだった。
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結局のところ、これは大翔の自己満足に過ぎない。
屍使いの少女の過去を読み取り過ぎてしまった結果、『救える奴は救える時に救っておけばいいんじゃないかな!?』とやけくそ気味に開き直っただけ。
無論、大翔は全ての人間を救おうと思えるほど聖人君主ではない。
あくまでも、助けるのは手の届く範囲。縁が繋がった相手のみに限られる。
その中でも特に、『錆びた聖剣』の勇者たちは、大翔が強く共感する相手だったので、積極的に助けて行くことにしたのである。
ただ、大翔としても自分の世界を救わなければいけない立場だ。
費やせるリソースはあくまでも、自分の負担になり過ぎない程度。
求める対価も、勇者たちの命――残りの人生と、大翔としてはかなり重めに設定したのだ。
あくまでも、優先するべきは自分たちの世界。
この重い対価を受け入れて、大翔たちの利益になってくれる奴だけを助ける。
これが、大翔がシラノと共に考えた『勇者同盟』に於けるルールだった。
もっとも、勇者全員が即座に命を賭ける選択をしたのは、流石に二人も予想外だったのだが。
「勇者たち、覚悟決めすぎぃ! もっと自分の命を大切にして!」
『《大翔、貴方は人のことを言えませんよね?》』
ともあれ、既に約束したことを翻すことなど大翔にできるわけもなく。
大翔とシラノは当分の間、勇者たちの世界を救うため、異世界を渡り歩くことになったのだった。
そう、少なくとも――――仲間たちの準備が整うまでは。
大翔が世界救済の旅に出ている間、仲間たちがどこに居るかというと、それは封印都市だった。
首狩りという、超越存在にも匹敵するエネミーの発見により、保護者たちが『とりあえず安全な場所に移動しよっか!』と避難させたのである。
一応、対処法はあるにはあるが、それも原理が不明であるため、リーダーである大翔が戻って来るまでは休止期間――という名の説得タイムを作ったのである。
なお、どちら側に対する説得なのかは、休止期間が終わった後に判明するだろう。
「認めないよ。僕は絶対に認めない」
「はぁ!? 今更なんでだよ、ソル!」
「いや、だってね? 許可を出したのはあくまでも、ダンジョン内で二回ぐらいは死んでも大丈夫という保証があったからでね? それが超越存在にも匹敵するエネミーが出て来て、保証をぶち抜く攻撃をしてくるとなったらもう……辞めさせるしかないよね?」
「魔よけがあるだろうが!」
「……それもそれで怪しいんだよね」
「つーか、ここまでやらせておいて、今更俺だけ逃げるなんざ、ダサすぎるだろうが! 死ぬ死なない以前に、俺の尊厳が死ぬわ!」
「生きていてこそ、生きていてこそだよ?」
「死んだように生きるなんざ、ごめんだね! 大体、生き死になんざ、少し前までは――」
「いや、だから僕は君たちのそういう状況が嫌で――」
ソルとニコラスの会話は、今のところ平行線。
少なくとも、ニコラスがソルを認めさせるだけの何かを示さない限り、天涯魔塔への復帰は難しいだろう。
「あのね、ロスティア」
「駄目だ」
「でも、恩返しをするためについて行ったのだから、ね?」
「駄目だ。そもそも、リーンお姉ちゃんはあまり役に立ってないだろうが」
「ひどいっ!? お姉ちゃんもちゃんと役に立っているんだからぁ! そ、その……護衛とか、修行相手とか……」
「護衛は魔剣使いで十分。修行はシラノが居るのだから、こちらの世界に転移させてからやればいいだけの話だろう?」
「いや、でも、それだと恩返しが……」
「リーンお姉ちゃん」
「…………はい」
リーンとロスティアの会話は、今のところ妹が優勢。
ロスティアとしては、長い時間をかけて復活した姉が危ないところに行くのを何としても阻止したいのだろう。これに関しては、大翔も含めた仲間たち全員が認めていることなので、遠からず、リーンは封印都市で離脱する結果になるかもしれない。
そして、保護者の居ないアレスはというと。
「んんーっ! 美味い!」
封印都市のファミリーレストランで、リンゴパイに舌鼓を打っていた。
「このさくさくのパイ生地! さくりと程よい歯ごたえのリンゴ! そして、間を埋める滑らかな舌触りのクリーム! 美味しい! とても美味しい!」
それはもう、完全に食事を楽しんでいた。
このファミリーレストラン自体は、封印都市にはどこにでもあるようなリーズナブルな価格で食事を提供する店であるが、アレスにとっては間違いなくご馳走だ。
何せ、地元の世界ではこのように素晴らしい料理を食べるにはどれだけの大金があっても足りないのだから。
「ぱくぱく、もぐもぐ……ごっくん。ふぅ、美味しかった…………おかわり、いやいや、流石にそれは贅沢が……でもお金を使う当ては他にないし……折角の休暇……」
以前は、地元の世界の人たちが苦しんでいる時に、自分だけご馳走を食べることに躊躇いを覚えていたが、今は既にそのようなものは皆無だった。
守るべき人たちが望んでいるのは、勇者であるアレスが苦しむことではない。
ましてや、守るべき人たちに遠慮して、精神の回復を怠らせることでもない。
世界を救うこと。
それが勇者にとっての至上使命だ。
そのためには、心苦しくあろうとも美味しい物を食べて、しっかりと英気を養う。
――――というのが、アレスの考えた言い訳であり、内心としては『世界を救うために頑張っているんだから、これぐらいの役得がないとやってられないよね!』という身も蓋も無いものである。
『《アレスは随分とリラックスしていますね?》』
そんなアレスの様子に、シラノは呆れたように声をかけた。
機械音声の発生元は、アレスがテーブルの上に置いている携帯端末から。
端末を増産できるようになったシラノは守護と警戒のため、仲間や関係者一人一人に端末を配っていたのである。
アレスが持っているのも、その内の一つだ。
「まー、休暇の間も気を張り詰めるのは悪手だからな! ヒロト兄ちゃんが戻って来るまで、心身の回復は済ませておくぜ!」
『《その心がけは立派ですが……いいのですか? 魔よけはあるにせよ、首狩りというイレギュラーな存在が出現したのは事実。貴方も保身……いえ、世界を守るという使命を達成するため、時にリスクを避けるのは必要では?》』
とはいえ、シラノからの通信が入って来ることは稀だ。
シラノはほとんどの時間を大翔と共に過ごしているため、何かの用事がある場合にしか、通信しない。
今回の場合、保護者が居ないアレスのメンタルを気遣って欲しいと大翔から頼まれたのだろう。言葉こそは素っ気ないものの、シラノの言葉には確かに、僅かなりとも優しさの成分が含まれているようだった。
「そうだなぁ」
そして、アレスもそのことはお見通しだ。
如何にも恋愛の機微に疎いような男装少女、といった外見のアレスであるが、その実、そういうことに関しては仲間たちの誰よりも聡い。
少なくとも、シラノが抱えている想いを見抜くことぐらいは朝飯前だった。
「シラノさん。オレ……いいや、『アタシ』はね? アンタたちが最初で最後の希望だと思っている。アンタたちの仲間でいることこそが、『アタシ』が世界を救える唯一の可能性なんだ。だから、今更死ぬ程度のことでビビって逃げ出すわけないよ」
『《なるほど、理解しました……まったく、勇者という人種はどいつもこいつも》』
「ふふふっ、その様子だとヒロト兄ちゃんはまた無茶してんの?」
『《ええ、聞いてください、アレス。あの馬鹿はまた――》』
だから、アレスはささやかながら応援していた。
この不器用で可愛らしい恋心を抱える人が、その想いを遂げられるように。
大翔とシラノの旅の終わりが、幸福であるように。
今のところ、それぐらいしかできる恩返しはなかったのだから。




