第8話 灰色教会
薄暗い路地を走っている時、大翔はつくづく自分が運動部でよかったと思っていた。
中学生の頃、友達との付き合いで始めたバドミントン。適当に体を動かしてサボれる印象を抱いていたスポーツはけれども、予想以上に体力の使う代物だった。おまけに、中学校の頃に所属していたバドミントン部は県内でも一二を争うほどの強豪。放課後の練習はもちろん、夜も体育館を借りて練習を続けるというハードスケジュールをこなす羽目になったのだ。
そして、友達付き合いの良い大翔は結局、中学校を卒業してからもバドミトンを続けている。サボりてぇ、と口に出しながらも、毎日真面目に部活動に励んでいた。
「そこを右に曲がれ! その後は行き止まりまで真っ直ぐ!」
「行き止まりの後は!?」
「その壁に杭を打ち付けてあるから、上手く使って乗り越えろ!」
「このナビゲーター、要求難易度が地味に高いぞ!?」
そのおかげか、現在、大翔は一人分の重みを背負いながらの移動が可能となっていた。
無論、全てが全て大翔の体力と筋力によるものではない。シラノが護符と共に、コートの裏に張り付けた札。それに込められた魔術により、一時的に肉体が強化されているのだ。
「乗り越えたらあと少しだ……マジで頑張れ……あー、止血が甘かったわ、血が足りない」
「はぁ!? ここまで来て死ぬの!? 馬鹿なの!?」
「死にたくないから急げよ……」
「クソがよぉ! 竜からの攻撃が無くなったかと思えば、これだよぉ!」
とはいえ、肉体が強化されていようとも運動量自体は変わりない。筋力を補助し、体力を補ったとしても、後々運動した分のツケは回っている。
従って、大翔がナビゲート通りに目的地に辿り着いた頃には、既に疲労困憊という有様になっていた。
「ゴールだおらぁ! 誰か出てこいこらぁ! なんかお仲間が死にかかっているぞぉ!」
「…………あー、ギリギリセーフ……って、感じ……か……」
大翔が子供を背負って辿り着いたのは、廃墟のような教会だった。
いや、正確に言うのであれば『教会の廃墟』だった。
かつて白亜だっただろう壁は、時の流れによって灰色に。聖堂の扉は脆く、大翔が蹴り飛ばしただけで壊れかけ。聖堂内に置かれた長椅子は、どれもが朽ちかけていた。
天井の一部であるステンドグラスは大半が割れて、雨が降れば確実に水漏れが起こるだろう。聖堂の奥に置かれた石像も、ほとんどが欠けていて元の造形を連想できない。
とてもではないが、人が住んでいるようには見えない場所だ。
「え、誰の声?」
「また隣の奴ら? 懲りないなぁ」
「ソルが帰って来たの? でも、いつも『扉は優しく開けなさい』って言っているし」
「あれ、違うよ、ソルじゃない……ニコラス!?」
「それと、誰!?」
だが、だからこそ隠れ場として適しているらしい。
聖堂の奥。比較的形を保ったドアが開くと、無数の声と足音が聞こえて来た。それらの音源たちは、大翔と子供――ニコラスを見つけると、慌てて駆け寄ってくる。
「あーもう。ニコラス、しくじったの? 馬鹿だなぁ……はい、回復」
「塩漬け肉を持ってきた方がいいかもね。後、サプリ。血がちょっと流れ過ぎているみたい」
「ほら、ニコラス。起きろー、起きて食べないと死ぬぞー」
男女問わず、ニコラス同世代の子供たち。粗末な服を纏った彼らは、まずはニコラスを取り囲むと、手際よく治療を施していく。集まった子供たちの一人。灰色の髪を持つ少女が手をかざすと、柔らかな光が発生し、それがニコラスの傷を塞いだ。
その様子を眺めていた大翔は、そっと安堵の息を吐く。
どうやら、先ほどまでの努力は無駄ではなかったようだ、と。
「よし、食べたわ……これで一安心。後の問題は、と」
「この人誰?」
「誰だろうね?」
「カモ?」
「んー、でも、ほら、ニコラスを背負ってここまで来たみたいだし」
「そだねぇ。仲間を助けた相手を襲うのは流石に」
ただ、問題はその後である。
大翔は先ほどまでの無茶のツケが回ってきた所為か、全身が疲労困憊の状態。ボロボロの床板に仰向けに倒れていて、指先一つ動かすのも億劫なぐらいだ。
大翔を見下ろす子供たちに対して、抵抗する気力も湧かない。
その癖、シラノによって大翔の肉体及び所持品は、厳重に守護されている。従って、下手に手を出した場合、折角助けたニコラスの仲間が、自動迎撃によって死ぬ可能性があるのだ。
大翔としては、そんな最悪な結末は御免である。メンタルが致命傷を負ってしまう。
「……あー、皆。そいつは一応、俺の命の恩人だ。客人のようにもてなせ、とは言わないが、手を出すのは止めとけ……なんか嫌な予感がするし」
そんな大翔の機微を読み取ったのか、復活したニコラスが仲間たちを制する。
まだ顔色は青白く、明らかに体調不良という様子であるが、仲間たちはそんなニコラスを馬鹿にしない。むしろ、『ニコラスが言うならそれが正しいんだろうな』と納得すらした様子で、あっさりと引き下がっていた。
「……それで、恩人殿。俺はニコラス。見ての通り、ここら辺一体のガキのグループを取り仕切る顔役だ。まぁ、偉そうにできるほどの地位も実力もないが、この通り仲間がいる。恩人に礼をしたい気持ちはあるが、『怪しい奴』をホームには入れたくない」
ニコラスはよろよろと立ち上がると、大翔を観察するように見下ろす。
「だから、嘘は言わないでくれ。騙そうとしないでくれ。そうしない限りは、俺がお前の安全は保障する。わかったな? じゃあ、改めて聞くぞ?」
大翔よりも年下であるのに、桁違いの人生経験を窺わせるその瞳は、荒みながらも光を失っていない。強かで、けれども子供らしい情動を込めて、ニコラスは問いかける。
「――――アンタは一体、何者だ?」
嘘を言ってはならない。
大翔は警告からではなく、ニコラスから向けられる期待に対して、そう思った。
こいつだったら嘘を言わない。きちんと信頼に値する答えを返してくれる。そんな期待に対して、大翔は嘘をつくことなどできなかった。
例え、後々不利になるとしても、嘘を言ってはいけない場面があるのだと、察していたが故に。
「俺は佐藤大翔。ご覧の通りの平和ボケした馬鹿野郎で――」
大翔は無理やりにでも体を動かして立ち上がり、ニコラスと目線を合わせて答える。
「自分の世界を終わらせないために、旅をしている勇者だよ」
誇るようでもなく、卑屈になるようでもなく、当たり前に告げられた大翔の言葉。
ニコラスはそれを受け取ると、静かに笑みを浮かべて頷いた。
「お前、嘘を吐くならもうちょっとまともな嘘にしろ」
そう、完全にまったく信じていない顔だった。
「見るからに高級な魔法道具頼りで、ろくに戦った経験もなさそうなお前が勇者なわけがないだろ、ふざけるな」
「ふざけてませんんんっ! 俺は勇者なんですけどぉ!?」
欠片も信じていない言葉に、大翔は抗議の声を上げるが、ニコラスとしても『そうだったのか!』と納得することはできない。
何故ならば、ニコラスは他の勇者を知っており――その勇者は大翔とは比べ物にならないほど強いのだ。従って、子供一人抱えて全力疾走した程度で、満身創痍になっている奴が勇者だとは到底認められない。
「そんなに弱そうな勇者が居てたまるか! 早く本当の理由を言え! 仲間を納得させるにも、色々と手順が必要なんだよ!」
「本当ですぅ! 勇者の資格もありますぅ!」
「じゃあ、見せてみろよぉ!」
「いいだろう! 猛毒もってこぉい!!」
「なんで、猛毒!!?」
互いの胸倉を掴み合ったニコラスと大翔は、それからしばらく罵り合うように会話する。
「なんか、ニコラス楽しそうだね?」
「血が足りなくて明らかにふらふらしているけど」
「ニコラスが素で罵り合える相手か…………まぁ、悪い奴ではなさそう」
「間違いなく勇者じゃないけど」
「自分を勇者だと思っている精神異常者」
「でも、悪い奴じゃなければ、それでいいんじゃない?」
二人が罵り合う様子を眺めていたニコラスの仲間たちは、段々と警戒心を解いていった。
どうやら、皮肉にもニコラスが大翔の素性を疑うやり取りこそが、仲間たちにとってはこれ以上にない『納得』になっていたらしい。
「猛毒を飲んでもノーダメージ! 毒も環境ダメージも通じない! それ即ち勇者!」
「毒を分解する能力の持ち主だった場合もあるだろうが!」
「じゃあもう、何をすれば勇者だって認めるんだよ!?」
「俺と一緒に、竜から無様に逃げていた奴を勇者とは認めたくないんだよ!」
その後、二人のやり取りは、互いに疲れ果てて会話不可能になるまで続くのだった。
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話し合いは互いの妥協によって片が付いた。
「わかった、ヒロト。お前が何者であれ、とりあえずは故郷が危機に陥っていて、その打開のために旅をしているってことはわかった」
「ああうん、もうそれでいいよ。元々、勇者って柄じゃあないし」
「それで、その大量の高価な魔法道具は、滅びかけた世界から調達した魔術触媒による一攫千金によるものだと?」
「まぁね。ちなみに、俺の故郷に行くことはお勧めしない。相棒曰く、夜と冬の影響を受けて、大抵の人間はあっさりと存在が融解してしまうんだって」
「…………まるで、神話の出来事だな。でも、それなら一応の筋は通る、か?」
互いに主義主張を通すにも体力が必要だ。
ニコラスは物理的に血が足りておらず、大翔は先ほどまでの逃走で満身創痍。よって、誤解やすれ違いは覚悟の上で、それぞれが納得できるように大翔の素性を落ち着けたらしい。
そのために、持っている情報を全部吐いてしまった大翔だが、そこに後悔は無かった。
むしろ、この場で出し惜しむほどの情報を持っていなかった、という方が正確ではあるが。
「傭兵を探しているってのは、本当なのか?」
「本当だよ、御覧の通りに俺は貧弱だからね。俺の代わりに戦ってくれる戦力を求めているらしい。でもまぁ、信頼できる傭兵なんて、早々居るもんじゃないってことぐらいは理解しているけどね」
「確かに。この悪徳の街で『信頼』なんて高価な代物は中々手に入らない。それが、つい最近、こっちに来たばかりの異邦人じゃ尚更だ」
子供には似合わない、達観した笑みを浮かべるニコラス。
堂々とした語りは、外見よりも精神年齢が上であることを窺わせる。例え、それが虚勢だったとしても、外見通りの年齢で、ここまで見事に虚勢を張れるのならば十分逸材だろう。
「ふーん……なぁ、ヒロト。もしも、俺が……俺たちがそっちの望むものを提供できるとしたら、どれだけの金を出せる?」
だから、ニコラスから油断ならない視線を向けられた時、大翔が得た感想は『強いな』だった。先ほどまで命を賭けたやり取りが終わったばかりなのに、もう未来を見据えている。
貪欲なほどにポジティブ。それが環境によって生まれた気質なのか、はたまた生まれながらの性質かは不明であるが、平凡な男子高校生に出せる答えなんて一つだけ。
「生憎、資金の全ては相棒が握っていてね? 資金を預けている口座の暗証番号は、相棒しか覚えていない」
身の程を弁えた保留。
そもそも、交渉の立場に乗らないというのが大翔の判断だ。
「それに、相棒が求めている傭兵は、物語の英雄みたいな凄腕だからね。俺と君を追い回していたドラゴンぐらい、あっさりと殺す力がないと」
だから、ついでとして付け加えた言葉は、商談ではなく気遣い。無駄な期待はさせないようにとニコラスたちに配慮して、あえて情報を公開したのである。
「あのな? 俺がどうして、お前をここに案内したと思う? こんなオンボロ教会なんて、竜の息吹どころか、余波で吹き飛んでしまいそうな場所に」
「――――む」
呆れたように言うニコラスの反応に、大翔は少し考えこむ。
あの時、大翔はニコラスに、安全な場所に案内することを求めたのだ。道中に竜の脅威はひとまず消え去ったように見えたが、再度、襲い掛かって来る可能性は十分にある。ならば、ニコラスという少年がわざわざ、仲間を巻き込む場所に案内するだろうか?
ニコラスは賢く、前向きだ。寂しさ故の無謀な行動はしないだろうし、誰かを巻き添えにすることなんて望まない。
だとすれば、答えは一つ。
「俺たちのホームに、あんな空飛ぶ蜥蜴野郎ぐらい、あっさり殺せる奴が居るからに決まっているだろうが」
にやり、と不敵にニコラスが笑った後、聖堂の扉が軋む音が響く。
それは来客ではなく、帰還を示す物音。
ニコラスほどの少年が、信頼を向ける守護者が戻ってきたことを告げる物だ。
「ほら、噂をすれば…………おーい、ソル!」
呼びかける声に、扉から入って来た人物は柔らかく微笑む。
ニコラスの声を筆頭に、その人物に対して、子供たちは「お帰りー!」やら「お土産はあるの?」など、気さくに声を掛けている。
「――――っ」
しかし、大翔は子供たちが何故、そんなに気さくに声を掛けられるのかわからなかった。
まず、目につくのは身に纏う黒だ。闇を形にしたような漆黒のマントに、大翔は目を奪われた。次に、腰に下げている長剣。特に装飾も無い普通の鞘に収まっているそれは、けれども大翔の全身が震えるほどに恐ろしい予感を抱かせた。
その恐ろしさから逃げるように視線を上に向ければ、優しい微笑が一つ。
外見年齢は二十代前半といったところだろう。短く切りそろえられた黒の短髪。細められた目から覗くのは、金色の瞳。浮かべる微笑はまさしく、人の好い好青年そのものだ。あまりにもテンプレの好青年過ぎて、逆に疑いを向けたくなるほどに。
ただ、マントの下から覗く革の鎧は確かに、使い込まれている。紛れもなく戦う者の装いだった。人の好い笑顔とは裏腹に、顔から下は紛れもなく剣士だった。
「おや、お客さんかい?」
黒衣の剣士――ソルと呼ばれた青年は、ニコラスへと訊ねる。
油断なく視線を大翔に向けたまま、両手は戦意が無いことを示すためにフリーハンドで。
「おうよ、お前に客だぜ。なんでも、できる限り強くて、信頼できる傭兵を探しているらしい。だったらもう、俺はお前以外の奴は思い浮かばないからな。精々、憐れな俺たちのために、お金持ちのこいつから報酬を搾り取って来てくれ」
「へぇ、なるほどね」
浮かれるでもなく、品定めするでもなく、あるがままの視線を大翔は向けられていた。
先ほどのニコラスとの問答とは比べ物にならない。ソルからの視線は、ただ見られるだけで心臓を鷲掴みにされるような緊張感があった。
けれども、ここで退くようでは勇者ではない。勇者らしい強さは無くとも、せめて勇者らしい行動をしようと、圧倒的強者のような空気を纏うソルへと問いかける。
「初めまして、傭兵さん。俺は佐藤大翔――――世界の滅びに抗えるような、強い人を探しています。貴方には、その自信がありますか?」
丁寧な口調で、挑むように問いかける大翔。
そんな大翔に対して、ソルは一切変わることのない声色で答えた。
「いや、自信はないね。だって僕は弱いから、そういうのは無理」
「…………へ?」
それはもう、冗談ですらなく、本気でそう信じ切っているような言葉で。
「よし、お前らぁ! ソルの臆病風が始まったから、今から説得するぞ!」
「「「おーっ!」」」
その言動に慣れ切っている子供たちは、あっという間にソルを囲み、四方八方から罵声を浴びせ始めた。
どうにも間抜けな出会いであるが、紛れもなくこれがファーストコンタクト。
後々、大翔と共に滅びに抗う者たちの一人。
最強の傭兵である、ソルとの出会いだった。




