第78話 千里眼の代償
大翔は夢を見ていた。
「我らが同胞に滅びぬ誓いを。我らが同胞に再起の肉体を」
生まれながらの天才。
死を恐れながらも、死を尊ぶ死霊術師の少女。
空から『槍』が降る世界でも、賢明に誰かの死を拾い集める少女は、いつも誰かのためを思って行動していた。
笑えるほどの善性。
気弱で、ヘタレで、根暗で、誰かと面と向かって話すことが苦手な癖に、死者の無念を癒すためにはそれを躊躇わない。
本当は勇者になるのも嫌だと思っていたけれども。
本当は他の世界の人々に迫害されるのも怖かったけれども。
世界を救うために、下手くそな笑顔で誤魔化す。
そんな、馬鹿が付くほどお人好しな少女の夢を見ていた。
夢が切り替わる。
「彼に集る有象無象どもが」
怒りの仮面を被った少女の夢。
振るう刃は、命を刈り取る大鎌のもの。
少女の周囲には、無数の屍。
その屍はどれも、首から上を刈り取られている。
しかし、それでもまだ尽きない。
少女に――否、少女が守る『誰か』に縋ろうと手を伸ばす者たちが溢れている。
だから、少女は殺した。
殺して、殺して、殺して、呼吸するよりも殺す回数が多くなるほど絶え間なく殺し続けて。
気づけば、一つの世界の人類は滅んでいた。
そんな、馬鹿が付くほど――――たった一人を愛し、守ろうとした少女の夢だった。
「…………気持ち悪い」
ぎしり、とベッドが軋む音で大翔は目を覚ました。
見覚えのある天井は、迷宮都市にある公営の宿の物。ビジネスホテルのような内装の宿であり、素泊まりする程度ならば何ら問題ない設備が揃っている場所。
そして何より、迷宮都市では有数の安全地帯。
首無しの王の配下であるマクガフィンズによって、保護されている場所だ。
今まで大翔たちは世界最強クラスの護衛が居ることにより、安全面は保証されていたのでこの宿は使っていなかった。体力の回復を重視し、快適で治安の良い高級宿に泊まっていたのだが、大翔が起きた場所はこの公営の宿である。
つまり、ここで眠ることを選んだ時点で大翔は理解していたのだ。
もはや、世界最強クラスの護衛に守られていようとも、これまでと同様に安全を感じることはできなくなってしまったのだと。
『《おはようございます、大翔。体調はいかがですか?》』
大翔が陰鬱な気分で呻いていると、枕元から聞きなれたシラノの機械音声が流れてくる。
たったそれだけのことで、いくらか気分がマシになって、ベッドから体を起こそうと思えるのだから、人間の体とは不思議なものだ。
「問題ない、絶好調」
『《青い顔で言っても無理がありますよ?》』
もっとも、そんな大翔の虚勢は相棒のシラノからはお見通しだったのだが。
『《もう少し体を横にして休んでいてください》』
「いいや、これ以上横になると一生起きたくないような気分になるから遠慮しておく。多分、こういう時は無理やりにでも起きていた方が良いんだ」
『《…………それほどまでに、千里眼の代償は辛かったですか?》』
どこか申し訳なさそうに訊ねるシラノへ、大翔は努めて明るく答える。
「問題ない、超余裕」
『《大翔》』
「…………闇クランのオーナーに関しては、ただの感傷。深く読み込み過ぎて、勝手に悪党に同情してしまっただけだから問題ない。こっちはどうとでもなる。でも、流石に超越存在に近い奴を見通そうとしたのは身の程知らずだったらしい」
『《大翔が倒れる前に報告していた、首狩りのことですか》』
「そう、あれは本当にやばい。戦ったら駄目な相手だと思う」
思い出そうとするだけで、じくじくと頭の奥が痛みだすような相手。
灰色の巨人よりも、超越存在が作り出した化身よりも、超越存在に近い怪物。
首狩り。
それと出会った時の絶望を、大翔は今でも鮮明に思い出せる。
どうしようもない。何もできない。抵抗すら無意味。
弱音ではなく、紛れもない事実としてそれを理解できてしまったのは、千里眼によって首狩りを視てしまった所為もあるのだろう。
結局、あの後は精魂尽き果てて、応急処置を済ませたゴライを背負ってダンジョン外へと帰還するのが関の山だったのだから。
本来であれば、即座にシラノや仲間たちと相談し、首狩りに対する今後の相談をしなければならない状態だったのだが、意識を保ちきれなかったのだ。
従って大翔は今、心理的な安らぎを得るために、迷宮都市では最大限に安全が保障される公営の宿で休息しているのである。
「正直、リリーの魔よけがなかったら、俺はあの場で殺されていたと思う。そう確信できるほどの力……存在としての格差があった」
『《…………魔よけ、ですか? あれは私も調べましたが、本当に何の変哲もないただの『お守り』でしたよ? 袋の中に特別な何かが入っているような気配もありません》』
「そうだね。でも、明らかに攻撃対象として俺を最初から除外していた。殺すつもりなら、最初からゴライさんごと俺も殺せただろうに。だから、例え何の魔術的効果も付与されていないとしても、その魔よけは効果があったと考えるべきだろう」
信じすぎてもいけないが、疑い過ぎてもいけない。
大翔はシラノと言葉を交わしつつ、慎重に首狩りに対する情報を整理する。
「もちろん、過信するつもりはないさ。でも、魔よけを持って歩けば、もしも首狩りに遭遇してもどうにかなるっていう事実は確認できた。これでどうにか、ダンジョン攻略に二の足を踏まずに済む」
『《やはり、続けるつもりなので?》』
「時間に余裕があると言っても、流石にこの好条件を逃して都合よく目的を果たせるような場所はあるのかな?」
『《……難しい、と言わざるを得ません》』
「うん。だから俺はこのままダンジョンを攻略しようと思う。ただ、アレスとニコラスの二人には説明と相談が必要だと思うけどね。特に、ニコラス」
『《ええ、保護者のソルが凄い難色を示しそうですね》』
「まぁ、仮に俺一人になったとしても、イフと一緒に権能を使いまくってごり押し攻略するから問題ないさ。確実に実戦経験は積めない、作業の如き攻略になりそうだけど」
首狩りの出現により、命の保証は消えた。
超越存在に限りなく近い首狩りの一撃は、ダンジョンのルールすら無視して、確実な死を与えるだろう。
だが、それは大翔にとって元の立ち位置に戻ったに過ぎない。いや、魔よけという回避手段があるだけ、無力な一般人だった頃と比べればかなり優遇されているだろう。
故に、大翔自身が危険を賭してダンジョンに挑むのは何も問題ないのだ。
恐らく、アレスも同様のことを言って覚悟を決めるだろうが、それでも相談は必要だろう。
前提条件が変わったのならば、仲間たちときっちりと話し合わなければならない。互いの覚悟を確認し合う意味でも。
ともあれ、どんな危険があろうとも大翔は進むしかない。
そもそも、この迷宮都市は首無しの王という超越存在の腹の中みたいな場所だ。
気を引き締め直すにはちょうどいい、と大翔は虚勢の笑みを浮かべる。
「後は、マクガフィンズにも聞き込みが必要だな。冒険者同士のトラブルには対応していないらしいが、こういうダンジョン内でのアクシデントを『仕様』かどうか聞くぐらいはできるかもしれない」
『《それで首狩りが排除できれば最善なのですが》』
「多分、駄目だろうね。なんとなくそんな予感はしている」
大翔のやることは多い。
闇クランのオーナーと思わぬ戦いになったが、今後待っているのは、それ以上の理不尽かもしれない。
ならば、休んでいる時間すら惜しいと、大翔はベッドから降りる。
「でも、やらないよりはやった方がマシだ」
『《私も千里眼で首狩りの情報を可能な限り集めてみましょう》』
「頼りにしているよ、シラノ。それじゃあ、まずは仲間たちと話し合いを――」
『《大翔》』
そして、いざ動き始めようと大翔が一歩踏み出したところで、シラノから言葉がかけられた。
『《首狩りの他にも、まだ何か懸念があるのでは?》』
「…………気のせいじゃない?」
『《前回はそれで見逃したので、今回はとことん疑っていくことにしたのです》』
淡々としていながらも、大翔の身を案じる言葉。
しかも、大翔は超越存在化に関することを隠していた前科があるので、今更沈黙が通じるとは思えない。
「別に、俺の身に何か危険が迫っているわけじゃないよ?」
『《そうでしょうね》』
「ダンジョン攻略に関することじゃない。放置しても問題ない。むしろ、気にすればダンジョン攻略が遅れるかもしれない」
『《そうでしょうね》』
「正直、俺が何かをする義理なんてどこにもないんだ。俺自身だって、そこまで余裕があるわけじゃないし」
『《そうでしょうね》』
淡々と大翔の言葉を肯定した後、シラノは呆れたように言う。
『《それでも、大翔が気になることなのでしょう? 無駄かもしれない、無意味かもしれない。ただの自己満足かもしれない。それでも、大翔がそれを気にしすぎて勇者としての仕事が滞るぐらいなら、私はある程度の寄り道も許容したいと思っています》』
呆れたように、けれども嬉しそうに言う。
『《お人よしの大翔。余計なことを気にせず、素直にやりたいことを言ってください。私は貴方の道先案内人として、最善を尽くしましょう》』
好きにやっていいのだと。
それが佐藤大翔という勇者のやり方だろうと、言っているのだ。
だからこそ、大翔はこういう時、つくづく思い知る。
「……わかった、シラノ」
佐藤大翔という元一般人は、シラノが隣に居てくれるからこそ勇者として虚勢を張れるのだと。
「寄り道をしよう。断られるかもしれないし、余計なお世話かもしれないけど――俺はもう、勇者だった誰かが、どうしようもない絶望に潰される姿は見たくない」
かくして、大翔はまた、自ら厄介事に首を突っ込むことにしたのだった。
◆◆◆
天涯魔塔には、墓地がある。
ただし、墓地に鎮座する墓標は一つだけ。
オベリスクの如き、巨大な墓石。
誰の名前も刻まれていない無名墓地こそ、冒険者たちに手向けられた唯一の墓標だった。
「阿呆が」
その墓標の前で、酷くつまらなそうな顔をした巨漢――ゴライが一人。
右手には酒瓶を。
左手には写真を。
かつて、黄金時代と呼んでも良いほどに輝いていた『旧友との冒険者時代』の感傷に浸り、涙も流さずに罵倒の言葉を呟いていた。
「根暗女……貴様は天才の癖に、馬鹿すぎるのだ」
闇クランのオーナーにして、ゴライの旧友だった少女。
少女の末路は、理不尽な存在と遭遇して殺されるという、冒険者にはありがちなものだった。
ただ他の冒険者と違うのは、少女は怪物に首を狩られるよりもずっと前から、もう『終わってしまっていた』ということ。
「馬鹿で、諦めが悪すぎる」
自分が守るべき世界が滅んだ時、既に少女は終わっていたのだ。
肉体はあったとしても、精神的にあの時に死んでいたのだ。故に、後の物語は全て蛇足。死にぞこないが醜態を晒し、ゾンビの如くさ迷って、その果てにくたばっただけ。
だが、ゴライはその末路を笑えなかった。
「…………そして、仲間一人救えんかった儂は、勇者失格だな」
守るべき世界を失った時、果たして自分は旧友のようにならないと言えるのだろうか?
いや、それ以前に――――旧友のように、諦めずに世界を救うと言えるだろうか?
第90階層の魔王に破れ、未だに再戦する勇気も持てない『でくの坊』に。
「図体ばかりデカくて、肝心の中身はどこにあるんだ?」
仏頂面を崩し、ゴライは苦々しく表情を歪める。
勇気も根性もあるつもりだった。
しかし、旧友が理不尽に殺される姿を見せられておいて、怒りや悲しみよりも恐怖が先行した記憶が、ゴライ自身を苛む。
まだまだガキである勇者を守ろうとは奮起していたのだ。
権能を使える末恐ろしい存在でも、中身はガキだ。年上で図体がデカい自分が盾に成ろうと勇んでいた。
だというのに、その結果がガキの勇者――大翔に庇われた末、ダンジョンを出る時には気絶した状態で背負われていた。
ゴライという戦士の価値観からすれば、屈辱を感じるよりも先に、己の情けなさに死にたくなってくるような出来事である。
「儂は……今も、勇者なのか?」
首狩りとの遭遇で、ゴライの精神はひび割れていた。
肉体は完全に修復されてあるが、精神に刻まれた傷は消えない。
旧友を救えなかった、過去の後悔。
怪物に蹂躙された、現在の無力感。
世界を救えないかもしれない、という未来への不安。
様々なネガティブな感情が重なり、ゴライの顔が段々と俯いていく。
「…………儂は」
先を見るべき勇者の視線は、何もない足元へと向けられようとして。
「やぁ、ゴライさん! 突然だけど世界を救いに行かない!?」
「――――は???」
思わず二度見するような発言を噛ましてくれた馬鹿――大翔の所為で、強制的に前を向かされた。




