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第77話 首狩り

 一体、何を間違えたのだろうか?


「はぁ、はぁっ! う、うううっ!」


 嗚咽を堪えながら、屍使いの悪党――少女は考える。

 ほぼ全ての手札を失い、屍の鎧も捨て去り、下着同然の姿で逃げ回りながら。

 もはや、勇者でも悪党でもない、敗残者の姿で呻きながら。


「まだ、しなないっ! わたしは、わたしは、しんじゃ、いけないんだ!」


 屍使いの少女は、必死に石畳の通路を走っていた。

 とっさに転移して冬の権能を避けたのだが、あれは本当にギリギリの判断。魔力の大半を使った緊急脱出が間に合ったからこそ、何とか逃れられたに過ぎない。

 また戦うことがあれば、今度こそ死を免れないだろう。

 少なくとも、屍使いの少女はそう思っている。

 だからこそ、非効率的だと頭では理解しつつも、恐怖によって体が駆け出しているのだ。少しでも長く、あの恐ろしい権能使いから逃れるために。


『グルル――』

「じゃまっ!」


 逃走の途中、襲い掛かる魔物を片手で排除して。

 ドロップアイテムも取らず、死体を有効利用することもなく。

 少しでも早く、第51階層の石碑に触れようと屍使いの少女は足を動かす。

 補給ポイントはまだある。

 屍使いの少女は、第89階層まで攻略済み。石碑に触れさえすれば、好きな階層に転移することも可能だ。

 今の装備では第80階層以上を進むのは難しいが、それまでに屍使いとして戦力を補給できるポイントは幾つもある。

 そう、幾つもあるが――――万全の状態であっても、屍使いの少女では大翔には勝てない。


「…………っ!」


 その事実から逃れるように、少女は更に足を動かす。

 もはや、全力疾走にも近い動きで、現実から逃げていく。


「はっ、はっ、ぐぅううううう!」


 歯を食いしばって、涙を流しながら。

 屍使いの少女は無様に逃げていた。

 けれども、逃げたところで何があるのだろうか?


「う、うううっ!」


 猶予はある。

 だが、それは起死回生の手段があることには繋がらない。

 大翔には勝てない。

 ダンジョンの外に出て逃げようにも、世界最強クラスが追ってくる。

 そもそも、仮に全てが上手く行き、無事に他の世界に逃げたところでどうするのだろうか? 『墓標の剣』という闇クランを育て上げるのは随分と苦労した。また同じことをするのは骨が折れることだ。

 でも、問題なのはそこじゃない。

 どれだけ苦労しようとも、目的のためになるなら屍使いの少女は苦労を惜しまない。

 問題があるとすれば、それは一つ。


「わたしは、まちがって、ない!」


 どれだけ悪に染まり、外道を行こうとも、まるで目的に近づく気配もしないということ。

 暗闇の中を必死に走っているのに、実は目的地とはまったく別の方向を走っているような、そんな虚無感を抱いてしまうほど、研究はまるで上手く行っていない。

 一つの世界で、他の追随を許さぬほどの天才であったとしても、既に滅んでしまった世界を救う方法は見つけられない。

 なんとか博打染みた方法は見つけ出せたが、それすら実行するには何もかもが足りない。後、五百年ほど心血を注いで研究を続ければ、実行できるかもしれないが、所詮は博打だ。確実に世界を救えるという手段ではない。それどころか、勝算は那由他の彼方にしか存在せず、今のところ、多数の世界を巻き添えにして自滅するのが関の山だ。


「わ、わたしは、わたしは……」


 一体、何を間違えたのだろうか?

 屍使いの少女は、自らに問いかける。

 現実に絶望し、仲間たちを捨てて悪に走った時から?

 だが、あのままだと諦めてしまっていた。仲間たちの中で慰めを受ければ、諦めて、納得してしまっていたかもしれない。救うべき世界を諦めることを、認めてしまっていたのかもしれない。

 では、天涯魔塔に挑んだことが間違いなのか?

 いいや、間違いではない。少なくとも、暗中模索の状態から抜け出すための正答だった。仮に、天涯魔塔に挑まなかったとしても、結局は何もできずにタイムリミットを迎えていただろう。

 流石に、そこを否定して『突然、どんな問題もすぐに解決してくれる救世主』の存在を妄想するほど、少女は夢見がちでもなければ愚かでもない。


 ――――ならば、何が間違いだったのか?


「うう、うぐっ、わ、わたしが……わたしが……えらばれ、なければ……」


 屍使いの少女は考える。

 もしも、自分が勇者でなかったのならば。

 もっと適任が勇者であったのならば。

 あの滅びかけの世界は救えたのだろうか? などと己の存在を否定するような考えを感情が導き出して、けれども冷静な理性はそれを否定する。

 あの時、あの世界で、自分以上の適任は見つからなかっただろうと。


「は、ははは、あはははっ!」


 だから、屍使いの少女は答えを見つけてしまう。

 その答えのあまりの無慈悲さに、足を止めてしまう。


「だめ、だったんだね」


 よろよろと石壁にもたれかかり、屍使いの少女は虚ろな笑みを浮かべた。


「さいしょから、わたしたちのせかいは、だめで……ておくれで……むだで……でも、そっか。そうかぁ……あはははっ、そっかぁ」



 焦点も会わない瞳からは、ぼろぼろと涙が零れていた。

 だが、それは悲しみの感情が込められたものではない。


「わたしの――私の運が、悪かっただけ。それが、世界が滅んだ理由なんて。まったく、本当に救えない。何もかも、救えない」


 絶望。

 自分の全てに絶望した者だけが流せる、空虚な涙が頬を伝う。

 もはや、屍使いの少女は抜け殻も同然の状態になっていた。

 権能使いという絶対的な理不尽と対峙することにより、死の恐怖を間近で味わったことにより、正気に戻ってしまったのである。

 最悪なことに、現実を直視してしまったのである。


 ――――だから、屍使いの少女の冒険はここまでだ。


「私は、今まで、何を……」


 嘆く屍使いの少女は気づかない。

 からからと鳴る、乾いた音が近くに迫って来るのを。

 魔物ではなく、勇者たちでもなく、もっと恐ろしい何かが迫って来るのを。


「…………」


 からからと、堅い何かが石畳を擦るような音が近づいていく。

 しかし、少女はもう何も反応しない。

 近づく者が何者であろうとも、どれだけ恐ろしいものであろうとも、もはや何もかもがどうでもよくなってしまった。



『【――――悪徳】』


 故に、既に最悪の末路に辿り着いてしまった屍使いの少女にとっては、それはある意味で救いだった。

 もうこれ以上、最悪を続けることなく、ゆっくりと休むことができるのだから。



◆◆◆



 大翔はその瞬間、内臓をひっくり返されたような違和感を覚えた。


「――――っぐ」


 屍使いの少女を追っている最中だった。

 もうじき、屍使いの少女を補足できるというところで、千里眼が何の脈絡も無しに、『その光景』を映し出したのだ。


「…………そんな、馬鹿な」

『マスター?』


 慄く様子に、イフから心配そうな声をかけられるが、大翔には応答している余裕などは無かった。

 千里眼の異能を最大限に使い、この場を三人で無事に切り抜けられるような未来を探し求めて――そして、次の瞬間、大翔に頭が割れんばかりの激痛が襲う。


「――――が、あぁあああああ!!?」

『マスター!? うそっ、攻撃!? でも、そんな気配は無かったのに!』

「亡霊騎士! ガキをとにかく下がらせろ! 儂が緊急帰還用の魔法道具を使う!」


 頭を抱えて叫び出す大翔に、仲間が取った行動はほぼ最善だった。

 イフが大翔を守りながら後退、ゴライが脱出のために魔法道具を発動させる。

 最速にして最善。

 ターゲットである屍使いの少女に執着しない行動は、いっそ潔いほどの即断即決だっただろう。


「だ、駄目、だ」


 しかし、最速だろうとも、最善だろうとも、『どうしようもないこと』は存在する。

 そのことを三人の内、大翔だけが深く思い知っていた。

 そう、以前にシラノが言っていた『頭がぱぁん』となってしまいそうな過負荷の状態。千里眼に適応せず、千里眼の情報量に耐えられない場合の反動。

 その激痛を『人間を超越している存在』である大翔が感じてしまうほど、圧倒的な存在を視てしまったが故に。

 知ってしまったのだ。

 この先に居るのは、『どうしようもない』怪物なのだと。


「ちぃ! 魔法道具が発動せん! だが、これは不備というより――」

『マスター、もっと後退するわ! 何か、とても嫌な予感がする――』


 そして、仲間二人の言葉の途中――――それは現れた。


『【…………】』


 ごとん、と石畳に落ちて転がるのは、人の生首。

 諦めきった絶望の表情のまま、命を刈り取られた屍使いの少女の生首。

 からからと、石畳を擦るのは大鎌。

 この通路には不似合いで、明らかに振り切れないほどの大鎌を引きずりながら、それは大翔たちの目の前に現れた。


 ――――赤。

 腰まで伸びた真っ赤な長髪に、鮮血で染まったような真っ赤な貫頭衣。

 そして、血で描かれたような道化の仮面。無貌の仮面に子供が落書きしたような、『怒る道化』の顔が描かれてある仮面を、それは被っていた。

 すらりと伸びた手足と、体の起伏から女性であることは察せるが、それ以外の情報は外見から読み取ることはできない。


「…………っ! イフ、強制退去!」


 しかし、千里眼でそれの情報を僅かでも読み取ってしまった大翔は、真っ先にイフを退去させることを選んだ。有無を言わさず強制的に、自分の内部へと帰還させる。

 大翔の行動は傍目から見れば、愚行かもしれない。

 未知なる存在を前にして、相談も無しに英雄クラスの前衛を戻すという選択は、仲間から咎められても仕方がないものだ。

 しかし、ゴライは抗議の声を上げなかった。


「…………な、あ?」


 そんな余裕などはなかった。

 突如としてそれが眼前に現れた瞬間、ゴライの頭はそれに対する恐怖で敷き詰められてしまったのだから。

 そう、因縁の相手の生首が転がって来たことにすら反応できないほど、ゴライはそれに恐怖していた。


「下がれ! 動いて、逃げてくれ、ゴライさん! 駄目だ! あれは駄目なんだ!」


 激痛に頭が苛まれながらも、大翔は必死にゴライへ呼びかける。

 今、自分たちが置かれている絶体絶命を、必死の形相で伝える。



「あれは、超越存在の成りかけだ! それもかなりヤバい! もう、ほとんど超越存在と同じになっている!」



 冬の女王や夜鯨よりは、確実に劣るだろう。

 しかし、陽光の乙女が作り出す化身よりも上。

 かつて滅ぼした灰色の巨人とは、比べ物にならないほど超越存在に近い。

 そう、仮に――――この場に世界最強クラスの二人が駆けつけても、何一つ絶望は薄れないと確信するほどに、それは『超越的に怪物』だった。


『【…………無謀】』


 そして、それは大翔の喚き声に構わず、すっとゴライを指さした。

 大鎌を引きずっている方とは異なる右手。その人差し指でゴライの姿を指さして。


「っだぁ!!」

『【…………】』


 次の瞬間、瞬きにも満たない刹那に、いくつもの攻防があった。

 過程を飛ばしたような超越的な動き。瞬間移動や空間移動ではなく、首を狩ったという因果を押し付けるような大鎌の一撃。

 それを何とか大翔が冬の権能で押しとどめ、僅かに動きが静止したその時に、最大強化の脚力で大鎌を蹴り上げたのだ。


「はぁ、はっ、はぁ…………ぐ、ぐぅう」


 ただし、そんな奇跡を成し遂げた代償は安くない。

 大翔が蹴り上げた右足は、その瞬間に砕け、破裂した。冬の権能を『銀灰のコート』が補助してくれる以上に力を引き出したので、その反動で魂が半分ほど凍り付いて、生命が停止しかけているのだ。


『【…………】』


 そのような代償の果てに奇跡を起こしても、それに傷を与えることはできない。

 左ひざをつき、必死に己を睨みつける大翔の眼前に、ゆらゆらと大鎌の刃を突きつけている。明らかに、それにとって必要のない予備行程を見せつけるように、大鎌を構えていた。

 明らかに余裕の態度。

 けれども、だからこそ『無駄』を感じるそれの動作に、大翔は呻きながらも違和感を覚えていた。

 ――――超越存在に限りなく近いが、まだ人の情緒を感じられる、と。


「ぬぅううううううんっ!!」


 しかし、その理由を探るよりも前に、ゴライが動いた。

 魂を屈服させるような圧倒的な恐怖。

 それを一握りの勇気によって克服し、大翔に突きつけられた大鎌を体当たりで弾き飛ばしたのだ。

 当然、代償は大きい。

 大翔は蹴りを決めた代償で、骨が折れ、肉が弾けたのだ。

 ゴライの肉体もまた、半身の骨が砕け、肉は潰れ、一瞬にして死にかけの状態となった。


「貴様ァ! 殺すなら儂からにしろぉい!!」

「ゴライさん!?」


 それでも吠えるゴライの姿に、大翔は驚愕する。

 明らかに死にかけだ。

 明らかに無謀だ。

 大翔のように権能という、多少なりとも対抗できる手段があるわけでもない。

 それでも、ゴライは吠えたのだ。

 子供を守るという、己の信念を貫き通すために。


『【…………】』


 無論、想いや信念で力の差は覆らない。

 吠えたゴライであるが、次の瞬間にはそれに頭を撫でられた衝撃で、石畳に付して気を失ってしまっている。

 ――――そう、殺していない。

 最初は明らかにゴライを殺す気だったそれは、不殺に留めていた。殺すよりも、手加減する方が面倒なほどの力量差があるというのに。


『【補填】』

「…………っ!?」


 そして、もはや何が何だかわからない様子でそれを睨みつける大翔へ、短く言葉を告げた。

 すると不思議なことに、巻き戻りのように大翔の右足が修復される。手間なく壊したのだから、手間なく治せるのは当然だ、とでも言わんばかりに。


「君は、何だ?」


 ゴライへ殺すつもりで攻撃し、けれども気が変わったように殺さない。大翔の傷もついでとばかりに修復する。

 その不可解さと理不尽さは、まさしく超越存在に相応しいものだろうが、大翔はあえてそれに問いかけていた。

 答えが返って来ることは期待していない。

 ただ、どうしても問わなければならない気がして、つい口が動いてしまったのである。

 まるで、本能や直感によって体が突き動かされたかのように。


『【…………首狩り】』


 けれども、それは大翔の問いに答えを返した。

 律儀なのか、気まぐれなのかはわからない。

 大翔がその理由を考察する前に、どこか聞き覚えのあるような少女の声で、それは言葉を続けた。


『【貴方には、期待している】』


 今までのような単語のみの言葉ではなく、文章として紡がれた言葉。

 その意味を、大翔は理解できない。意味不明だ。

 それでも、何か反応を示そうと頭を悩ませたところで、それは大翔に背中を向けた。


『【…………】』


 そのまま、からからと大鎌を引きずって立ち去っていく。

 警戒をまるで感じない、無防備なように見える背中だが、大翔はそこに攻撃を仕掛けようなどとは思えなかった。

 煮えたぎるマグマの中に拳を突き出すのは、攻撃ではなく自殺行為だと理解していたから。それには触れない。触らぬ神に祟りなし、と己に言い聞かせて、気配が完全に消え去る時までひたすらに待つ。


「…………ふぅううう」


 そして、完全にそれ――首狩りの脅威が過ぎ去ったことを確認すると、大翔はようやく息を吐いた。

 長く長く、息を吐いて。

 深く深く、呼吸を繰り返して。

 恐る恐る、聖火で凍り付いた己の魂を溶かして。


「ああ、そうか」


 ここでようやく、大翔は『銀灰のコート』の内側にしまい込んでいた、魔よけの効果を思い出す。


「あれが、首狩りか」


 出会ったら即死する存在。

 リリーという商人が告げていたことに何一つ間違いはなく、買い取った魔よけはきちんとその効果を発揮していた。

 ――――都合が良すぎるほどに。

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