第76話 躊躇いは最悪を呼ぶ
勇者に毒は通じない。
世界から与えられる勇者の資格によって加護を受けているため、毒は通じず、環境変化によるダメージも受けない。
けれども、それは勇者を知る者にとっては大前提だ。
当然、かつて勇者だった屍使いの悪党も、そこは織り込み済み。多種多様な毒による攻撃は屍使いの悪党の得意技だったが、無駄な試みはしない。
きちんと勇者にも有効な、別の手段を使う。
悪党らしい、実に嫌らしい手段を。
「四神四欠」
屍使いの悪党が召喚したのは、四体の呪法兵器。
丹寧に乾燥させた、ミイラが四体。
純白の包帯に巻かれた彼らはけれども、それぞれ四肢の一つずつが欠損している。
「縛り付けろ」
四体のミイラが放つ呪法は、自らの欠損を対象と共有するというもの。
即ち、欠損している部位の感覚を対象から奪い取るのだ。加えて、ミイラの呪法は四体による重ね掛け。疑似的な結界に取り込み、対象に回避を許さないものだ。仮に、何らかの方法によってこの呪法を耐えたとしても、四重に呪い合うミイラたちの呪法は疑似的にではあるが、無尽蔵。一時は耐えたとしても、やがては物量によって削り取られるという仕組みだった。
ゴライという、強力なタンク役を少しでも削るための秘策だった。
「なるほどね」
その秘策が、一瞬にして焼き払われる。
聖火という権能が、呪法に汚染された空間を焼き清めて、ミイラ四体を火葬する。
どれだけ強力な呪法によって縛り付けていようとも、抗うことは無意味だ。
陽光の乙女が聖女に授け、大翔が継承した聖火の前では、ありとあらゆる呪いは浄化されてしまうのだから。
「どうやら俺は、君にとっての天敵らしい」
不敵に大翔が笑みを浮かべると、次の瞬間、その姿が消え去る。
高速移動。
音速にも迫る勢いで大翔が移動する姿を、屍使いの悪党は視認できない。ただ、屍使いの悪党は歴戦だ。感覚よりも先に直感が体を動かし、回避行動を取るのは慣れている。
「ちっ」
大翔の舌打ちが聞こえたのは、ワイヤーが空を切るような音が聞こえた後。
屍使いの悪党を縛り上げ、動きを封じようという魂胆だったらしい。
――――何故、行動阻害?
屍使いの悪党は高速で回避行動を取りながらも、それよりも早い思考で考察。
大翔の速度ならば、ワイヤーによる行動阻害よりも、攻勢に転じた方が有利だ。例え回避しようとも、高速で攻撃してくるアタッカーの存在は、敵対者にプレッシャーをかけるには十分な存在である。
事実、屍使いの悪党は大翔から攻撃を受けていたら、とても面倒だと感じていた。
だというのに、それをしない理由。
「貴様の攻撃は、警戒しなくていい」
屍使いの悪党が呟いた言葉に、大翔は露骨に顔を歪めた。
バレるのが早すぎるだろうが! とでも言いたげな表情の大翔に、屍使いの悪党は自分の予想が正しかったことを確信する。
「そして、権能は恐ろしいが――攻撃には使えないのなら、問題ない。つまり、こういうことだろう?」
次いで、収納空間から呪い、死霊術を使わぬ兵器――とっておきの物を召喚した。
それは、屍使いの悪党が新たなるコンセプトで作り上げた、『人造魂魄』を使った機械生命体である。
肉ではなく、有機物ではなく、鉄や鋼、無機物で構成された生命。
頭部は竜。胴体は人。四肢は獣。本来は異なる生命体の形なれども、最初からそのようにデザインした機体、魂であるのならば何ら不都合はない。
模造品ではあるが、生命体だ。
呪いではなく、創造。
故に、大翔の聖火は通じない。
『目標を補足。生命活動の停止を求めます』
機械音声による言葉を告げ、跳躍する機械生命体。
その速度は英雄クラスの上澄みにも匹敵するほど。つまり、音速は軽々と超えている。
肉の体よりも優れた機械。
機械でありながら生命体であるが故に、己に『強化魔術』を施せるという、科学と魔術のコラボレーション。
その相乗効果は確かに、高速で逃げ回る大翔を捉えるには十分な速度を持っていたらしい。
合金によって造られた爪。竜種のそれにも勝る鋭利な武器を、大翔の肉体に突き刺そうと、機械生命体は攻撃態勢をとって。
「させんわぁっ!」
歴戦のタンクがそれを防いだ。
分厚い盾よりも更に頼もしい、ゴライの肉体。
魔力強化に満ちたゴライの肉体は、機械生命体の速度に追いつき、爪による攻撃を弾いていた。無論、肉が弾いたのではなく、ゴライが振るった斧によるパリィであるが、機械生命体に取り付けられた疑似的感情回路は驚きを出力する。
『予定外の障害を発見――これを排除します』
「やってみろやぁ!」
冷静な機械音声と、威勢のいいゴライの啖呵。
二つの声がぶつかり合い、息もつかせぬ高速の攻防が始まった。
生まれながらの兵器にして戦士である、機械生命体。
歴戦の勇者として、今まで戦い続けて来たゴライ。
一体と一人の戦いは拮抗している……故に、すぐに決着がつくことはないだろう。
「これで厄介な盾は封じた」
そして、この拮抗を作り出すことこそが、屍使いの悪党の目的だった。
「権能使い。貴様の力は確かに脅威だ――だが、恐ろしくはない。どれだけの力を持っていようが、相手を殺そうとする覚悟の無い者は、弱い」
大翔との一対一。
この状況こそが、屍使いの悪党が望んでいたものだ。
権能を使う者は脅威であるが、殺意が乗らない攻撃は恐ろしくない。ましてや、強気の言動で自分を誤魔化そうとする新米勇者など、どうとでもできる。
それが屍使いの考えだった。
「悪だろうが、正義だろうが、殺さぬ覚悟を持たぬ者は弱い。弱いから、死ぬ。それを今から証明してやろう」
事実、屍使いの悪党が推察したことは間違いではなかった。
ほとんど当たっていると言ってもいい。
大翔は新米勇者であり、殺す覚悟を持つことも難しい。
優しくて、甘くて、弱い勇者である。
「――――はっ、語るねぇ。悪党風情が」
ただし、それ以上に理不尽の権化であることを、理解していなかった。
『炎華繚乱』
少女の声が必殺を告げる。
しかし、少女――イフという名の眷属騎士が炎の軌跡を描いたのは、屍使いに対してではない。ゴライとの攻防に処理能力を使い切り、隙が丸見えだった機械生命体に対してだ。
「英雄クラスの、召喚!? 馬鹿な、いつの間に!?」
驚愕の声を上げる屍使いの悪党には構わず、必殺は遂行される。
イフが振るう炎の剣は、対魔力用の特殊配合をされた合金の機体さえも易々と切り裂く。さながら、熱したナイフでバターを切り分けるように。
『行動不能、行動不能――』
『燃え尽きなさい』
ファイヤーアートの如く炎の軌跡を描く、イフの剣閃。
それは機械生命体を切り刻み、焼き焦がし、あらゆる蘇生、復活、再起動を封じる。
「ぐ、まず――」
「いいぜ、悪党」
形勢逆転を察した屍使いの悪党は、即座に逃げの一手を打とうとする。
だが、遅い。
遅すぎる。
この瞬間を、『戦いの前から視ていた』大翔に比べれば、何もかもが遅すぎる。
「見せてやるよ、殺す覚悟って奴」
今まで制限していた『銀灰のコート』による強化を最大まで引き上げ、大翔は駆け抜けた。
屍使いの懐まで、雷の如き速さで。
――――確かなる殺意を込めて。
◆◆◆
全ては大翔の予定通りだった。
シラノから借り受けている異能、千里眼は過去、現在、未来を見通す力だ。
大翔はシラノほど広く使いこなせないが、狭い範囲でならばシラノが及ばない領域も観測することができる。
つまり、シラノよりも格上の能力を持つ、屍使いの悪党の情報を観測することも可能なのだ。
そう、例えば――屍使いの悪党が意識を向けていない空間へ、予めイフを召喚して隠しておくことも造作ではない。
「(深く、深く、読み取れ)」
従って、この状況は戦いが始まる前に定まっていたようなものだった。
大翔が行使する千里眼により、屍使いの悪党がどのように行動をするのか? 大翔に対してどのような印象を抱いているのか? どれだけの手札を隠しているのか? その全てを見抜いた上で、未来の行動を予測していたのだから。
「(もっと、もっと、油断なく――)」
しかし、これだけのアドバンテージがありながら、大翔の余裕は皆無だった。
それは今、必殺の一撃を撃ち込む時だろうとも変わらない。
当たれば確実に相手を殺せる攻撃。
世界最強クラスだろうとも、まともに抗うことは不可能な権能。
それを念入りに、回避不可能な位置で行おうと近づいているのだ。しかも、『銀灰のコート』により、世界最強クラスの速度を得て。
故に、そもそもこの思考も瞬きに満ちないほど短い。
脳内ではなく、強化された魂魄の思考領域で行っていることだ。
「(確実に、殺すんだ)」
視認している屍使いの悪党の動きは鈍い。
千里眼による未来予測でも、この状況を覆すのは不可能だという結果が出ている。
それでもなお、大翔が余裕なく千里眼の力を行使するのは、殺人という行為が大翔にとってまるで向いていないことだからだ。
戦いに対する才能が皆無で、極端に向いていない大翔がまともに攻撃を当てるには、『戦いにすらならないほど戦力差が圧倒的』という条件を前もって整えておくこと。
これに関しては、装備と権能、シラノから借り受けた千里眼によって整えられている。
何も問題ない。
今もなお油断なく屍使いの情報を深く読み込み、徹底的に逃げ道を防ぐ余裕の無さにより、大翔の勝利はほぼ確実となっていた。
間違いなく、大翔は屍使いの悪党を殺せるはずだったのだ。
――――【「みんなを、救わないと……だって、私は勇者だから……」】
「――――っづ!!」
だからこそ、この状況で万が一の事態が起こったとすれば、大翔が躊躇ってしまったということ。
雷の速度で距離を詰め、接触と共に発動した冬の権能。
それは確かに、屍使いの悪党を停止させたはずだった。屍の鎧に何重にも仕掛けられた魔術防御すら容易く貫通し、守られた本体の命を停止させるはずだったのだ。
屍使いの悪党――かつて勇者と呼ばれた少女の過去を深く読み込んでしまった所為で、大翔が躊躇ってしまわなければ。
「馬鹿か……馬鹿か、俺は!」
大翔は苛立ちを込めて、屍使いの悪党が纏っていた鎧を殴り砕く。
だが、そこに本体は居ない。堅牢な鎧で身を守っていた本体は、大翔が躊躇った僅かな瞬間で、転移による緊急脱出に成功していたのだ。
「何を同情しているんだ!? 殺さなきゃ、仲間が死ぬ可能性だってあるんだぞ!? そんな未来も予測しただろう!? だったら! だったら、躊躇わずに殺すべきだったんだ! 相手の過去に同情している暇があったなら、そうするべきだった!」
自分で自分が許せない。
真の意味で大翔がこのような激情を抱いたことは、この時が初めてだった。
一般人だった頃。単なる普通の男子高校生だった頃。バトル漫画やファンタジーアニメで、敵に同情した所為で殺すのを躊躇うキャラクターを『ヘタレ』と笑っていた癖に。
千里眼で、決して許せない悪行も読み取った癖に。
たかが、悲しい過去を――自分と同じような境遇だった少女に同情して、手が鈍ってしまうなんて。
なんて間抜けで役立たずなんだ、と大翔は再度己を苛む。
「くそっ! 違う、違う! そうじゃない! 失敗したなら、取り返せ! 大丈夫、まだ視える。まだ天涯魔塔の中に居る! 追えるんだ! 今度は、今度は余計なことを考えずに――」
「おい、ガキ」
『ちょっと、マスター』
しかし、そんな大翔の肩を、左右それぞれ掴む者が二人。
ゴライは仏頂面のままで。
イフは兜を脱いで、可憐な笑顔をみせた状態で。
「『落ち着け』」
「ごぶぉ!?」
たっぷりと手加減した拳を、大翔の顔面に叩きつけた。
「い、いたぁ!?」
無論、現在の大翔は『銀灰のコート』に守護されているので、二人に殴られようともダメージは無い。驚きと痛みで倒れてしまったが、それだけだ。
「ガキ、テメェは何か勘違いしてやがるな?」
「え、あ、ゴライさん?」
『シリアスな顔をしていたから遠慮していたけど、そういう思い違いをしているようなら、遠慮なく言わせてもらうわ』
「い、イフ? えっと、二人とも、俺が何か悪いことでも――」
「『顔が悪い!』」
「この状況で容姿を否定された!?」
しかし、大翔は立ち上がれない。
仁王立ちするゴライと、物理的に炎を背負っているイフに見下ろされているために。
「違うわ、阿呆! なんじゃその、思い上がった新米兵士みたいな顔は!? 人を殺さないと生きる価値が無い、みたいな顔をしおって!」
「いや、だって! さっきのタイミングで殺し損ねるのは、明らかに駄目な――」
「殺したくないなら、殺すな」
「――――っ!」
大翔は奥歯を噛みしめ、黙り込む。
交渉ではいつでも言葉を並びたてられるというのに、今は何一つそれらしい言葉が思い浮かばなかった。
「悪党を殺す。外道を殺す。これは間違っとらん。人を殺すのが間違いだなんて思わん。それを肯定せねば、やっていけん職業もあるだろう――だが、儂らは勇者だ。世界を救うのが仕事だ。殺す覚悟だのなんだの、『そんな程度のこと』で情けねぇ顔をするんじゃねぇよ」
「…………だ、だってさ。やりたくなくても、他の仲間に任せるような真似は……」
『私は構わないわ、マスター』
それでも、何とか絞り出した言い訳を、イフが両断する。
『私は騎士。私は亡霊。私は貴方の刃――貴方の為せないことを為すための存在』
熱意と信念が込められた言葉は、大翔の言い訳を容易く両断し、焼き払う。
『戦いにも、殺しにも向いていない貴方の代わりをするために、私が居るの。まったく、勝手に私の領分に踏み込まないでほしいわね』
「で、でも、それじゃあ、イフだけに背負わせることに――」
『は? 何を言っているの、馬鹿マスター。背負わせるだの、なんだの……私はとっくの昔に、貴方とは運命共同体だと思っているのだけれど? それとも、人を殺した奴とは一緒に居たくない? だったら、悲しいことね。何せ私は生前、家族を守るために人を殺した経験もそれなりにあるのだから』
「――――っ」
イフの言葉に、大翔は息を飲んだ。
自分で殺すことだけが、重荷を背負うことだと考えていた浅はかさに。
苛烈なほどの言葉で、自らを奮い立たせてくれる従者の献身に。
今更ながら大翔は、自分が一人じゃないことを再確認したのだ。
「わかったか、ガキ? わかったのなら、さっさと立て。何時までも甘えているんじゃねぇ」
そして、荒々しくも背中を押すようなゴライの言葉に、思わず笑ってしまう。
まったく、随分と『らしくない真似』をしていたものだと。
「そうだね、イフ、ゴライさん。シリアスでまともな顔はもうやめよう――――こんな顔をしていたら、女の子にモテないからね!」
『普段だったらモテるのかしら?』
「おっとぉ、立ち直ろうとしている矢先にメンタルを殴って来たぞ、この騎士!」
大翔は立ち上がる。
仲間たちと言葉を交わしながら、歪みそうだった自らの精神を蹴飛ばして、勇者として再起する。
『安心しなさい、マスター。私は好きよ、いつもの馬鹿面』
「そうかい。俺もイフのことは好きだよ、頼りにしている」
『人殺しでも?』
「え、何それ、嫌いになる条件に入っているの? 人殺し程度で仲間を、誰かを守るために戦った騎士を軽蔑する趣味は無いんだけど?」
『ふふふっ。その調子で、さっさとシラノを口説けばいいのに』
「ねぇ、さっきから変な方向に辛辣じゃない!?」
「女を待たせるのは男としてどうかと思うぞ」
「ゴライさん!!?」
馬鹿みたいに騒がしく。
不謹慎に、場所にそぐわず、空気なんかまるで読まずに。
大翔という勇者は、また一つ成長を遂げた。
「あーもう! この話は後で! 屍使いの悪党をボコボコにしてからにします! そいつを殺すかどうかも、そのついでに相談するんでよろしくね!」
『稀代の悪党の価値が随分と暴落したわね』
「まぁ、あの根暗女の扱いはそれぐらいが妥当だわい」
仲間が居る限り、誰かと絆を結び続けている限り、大翔が最悪に堕ちることはないだろう。
誰かに助けられながら、誰かを助けながら前に進んでいくことだろう。
だから、大翔の躊躇いによって、最悪の状況に陥るのは大翔自身ではない。
「いやだ、いやだっ! わた、わたしは、しなな、い! しなない!!」
かつての戦友に見送られながら死ぬという、『まだマシな末路』から逃げてしまった、屍使いの悪党の方だ。




