第75話 屍使い
空から『槍』が降って来る。
塔と見まがうほどの巨大な『槍』が、雷の如く降って来る。
それは雲を貫き、大地を突き刺し、惑星の表皮を消し飛ばすほどの災害だ。
法則は不明。
回避は不能。
防御は無意味。
迎撃は不可能。
解明は未達成。
ある日、空から『槍』が降ってきて全てが台無しになる。
そんな世界に、屍使いの少女は生きていたのだった。
屍使い、と聞くと不吉なイメージがあるかもしれないが、少なくとも、その世界にとって屍使いはメジャーな職業だった。
ある日突然、何もかも消し飛ばされるような世界では、物資は貴重だ。
食料も。燃料も。金属も。
そして、人材も貴重であるが故に、その世界の人類は死霊術を求めた。
たった一度の死で、貴重な人材を失わないために。
既に失われてしまった物を、無駄にしないために。
死が行き止まりではない世界。
屍使いの少女はそこで、天才と呼ばれる才能の持ち主だった。
封印都市に住む長命種族には到底及ばないが、屍を用いたアーティファクトの制作では、その世界ではダントツで一番。他の追随を許さない。
屍使いの少女はそのことを誇りに思い、誰かの笑顔のために才能を使えることを喜びとしていた。
だからだろう。
屍使いの少女が、世界から勇者の資格を与えられたのは。
空から降って来る『槍』はやがて、世界を滅ぼす。
宇宙という概念がある世界であっても、それは関係ない。
例え、壊れかけの惑星を見捨てて、違う惑星に移り住んだとしても。
空から降って来る『槍』は止まることはない。
何故ならばそれは、惑星でも人類でもなく、『世界』を攻撃する現象なのだから。
どこへ逃げても。人類すべてがバラバラに逃げたとしても。
その『世界』に居る限りは、決して逃れることはできない。
だからこそ、屍使いの少女に求められたのは、この謎の解明と対策だ。
どうして、この世界に『槍』が降って来るのか?
どうすれば、この世界を『槍』から守ることができるのか?
最悪、超越存在すら関わっているかもしれない、この現象への対抗策を導き出すこと。
それが勇者に課せられた使命だった。
「わ、私が……私が頑張ることで、誰かが救われるのなら……わ、私は……勇者に、なって、その、頑張ります……」
屍使いの少女は、その使命を受け取ることを選んだ。
身近な誰かだけではない。
名前も知らない誰かも救うために。
そして、今まで『槍』によって失われた命に報いるために。
屍使いの少女は、勇者となったのだ。
屍使いの勇者にとって、最初の敵は偏見だった。
世界観のギャップ。すれ違い。
地元の世界では敬われる立場だった屍使いという職業は、他の世界では『死者を冒涜している』と非難されることが多かった。
動物はともかく、人間の死体を使ってアーティファクトを制作することも、他の世界では禁忌と呼ばれることが多かった。
屍使いの勇者は『何とも贅沢な価値観だろう』とその価値観を羨みはしたものの、挫けることはない。
伊達で勇者に選ばれていない。
屍使いの勇者は、忌み嫌われながらも善行を重ねて。少しずつ、少しずつ、時間をかけて周囲の信頼を積み上げていった。
多くの人間に尽くし、多くの人間を救えば、必ず因果は良い結果を返してくれる。
ただの屍使いだった頃からの信念を貫き通し、屍使いの勇者は次第に、多数の世界で信頼を向けられるような存在になった。
そんな時である。
天涯魔塔と呼ばれる、試練の塔の存在を知ったのは。
黄金時代。
屍使いの勇者にそのようなものがあるとすれば、それは天涯魔塔に挑む冒険者だった頃だろう。
集まった仲間たちと共に、一心不乱にダンジョンに挑んでいた時のことだろう。
己が最強だと証明したい、若武者の剣士。
魔術の深淵を覗きたい、偏屈な賢者。
滅びかけの世界を救いたい、元木こりの寡黙な勇者。
そして、同じく滅びかけの世界を救いたい、屍使いの――陰気な勇者。
英雄クラスが二人。
勇者が二人。
合計四人で結成されたパーティーは、紛れもなく当時の迷宮都市では最強だった。
最強の冒険者パーティーだった。
下層、中層では躓くこと無く駆け抜けて。
上層すらも、苦戦しながらも着実に攻略を進めていく。
迷宮都市の中では、誰もが憧れる最強の冒険者たち。
それが、屍使いの勇者が所属していたパーティーだった。
「勇猛なる冒険者たちよ、無明の泥に沈むがいい」
天涯魔塔、第90階層。
最後の十階と上層の境界を敷く、ラインキーパー。
夜鯨の眷属を殺し、その力を我が物とした『常闇の魔王』に敗北するまでは。
「あんなのはもう嫌だ」
敗北の後、一度目の死に怯えて、偏屈な賢者はパーティーを去った。
本来、生物にとって死は一度だけ。例え、ダンジョンの保護により、魂が輪廻に還ることなく、修復された肉体に戻ったとしても、耐えられない者の方が多い。
偏屈な賢者も、その内の一人だった。
「くははは、面白れぇ! あの魔王は絶対、俺が斬り殺す!」
若武者の剣士は、敗北をきっかけにタガが外れてしまった。
死の経験に苦しむ他のパーティーを置いて、魔王に挑み続けてしまったのである。
勝算が無かったわけではないのだろう。何か、勝利を掴むだけの秘策があったのかもしれない。だが、結果として若武者の剣士は『三度目の死』によって帰らぬ人となった。
死体も、魂も、屍使いの勇者の下には帰ってこなかった。
「…………強い、強い仲間が、たくさん必要だ……これは、逃げかもしれねぇ。だが、儂は仲間を増やすことを選ぶ」
「わ、私も、ゴライさんに、賛成、です……それに、もう、仲間を失うのは……」
元木こりと、屍使い。
二人の勇者が選んだのは、クランを結成することによって総合戦力を増やすことだった。
自分たちのような勇者をスカウトし、第90階層を突破するために育て上げる。
例え、遠回りでも、時間がかかっても、それは堅実な手段だった。
自嘲するように『錆びた聖剣』などと名付けたクランでも、勇者の仲間たちが増えていくごとに、第90階層の攻略が現実味を帯びていった。
元木こりのクランオーナー。
屍使いのサブオーナー。
二人の勇者が居る限り、『錆びた聖剣』の栄光は約束されたようなものだっただろう。
黄金時代の終わりは、一つの連絡から。
屍使いの勇者の故郷。
守るべき世界が、『槍』に貫かれて、ついに消滅してしまったという連絡が、凋落の始まりだった。
「嘘……嘘、だよ。だって、だったら、私は、今まで、何のために……何のために!」
死でも壊れることのなかった勇者の心は、一つの事実によって容易く壊れた。
何とか慰めようとする仲間の言葉を振り切って、屍使いの勇者は失踪してしまう。
もちろん、木こりの勇者を筆頭とした仲間たちは、全力で屍使いの勇者を探したのだが、その足取りを追うことはできなかった。
なまじ、戦いに特化した者ばかりを集め、それ以外の部分を屍使いの勇者が補佐していたが故の弊害だった。
結局、仲間たちが屍使いの勇者と再会するのは、それから数年後。
屍使いの勇者が、『墓標の剣』という闇クランと共に、迷宮都市に舞い戻った時だった。
もっとも、その時は既に、勇者ではなく――屍使いの悪党と呼ぶに相応しい悪行を重ねた後だったのだが。
屍使いの悪党。
闇クラン『墓標の剣』を組織し、強力なアーティファクトを数多にばら撒き、粗製なれども戦力を確保し続けるフィクサー。
彼女の目的は、第90階層の突破――ではない。
「時間は戻せない。首無しの王の権能でも、そこまで力が及んでいない。疑似的な時間逆行なら可能だけれども、それじゃあ意味が無い。何もかもをやり直すためには、既存の軸とは違うコンセプトの挑戦が必要だ」
彼女は既に知っている。
マクガフィンズに対する度重なる質問で、既に理解している。
首無しの王という超越存在でさえ、自分の望みを叶えることはできないのだと。
だからこそ、彼女が望んだのはもっと異なることだ。
もっと、もっと、冒涜的で途方もない愚行だ。
「最低でも一体、新規の超越存在を生み出さなくては」
悲惨な末路が約束された、身の程知らずの願望。
しかし、屍使いの悪党となった彼女はもう、それを叶えることだけが存在理由である。
故に、これから彼女に与えられる結末は、いつか来る因果を先取りしたに過ぎない。
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天涯魔塔、第50階層。
そこは死霊使いのリッチーがボスエネミーを務めるフロアだった。
森林に映える木々の如く、十字架が立ち並ぶ墓地。
本来であれば、無尽蔵に湧く死霊を操るリッチーという、非常に面倒な戦いを強いられる場所である。
しかし、屍使いの悪党にとっては、単なる補給ポイントの一つに過ぎない。
「やはり、再現物では効率が悪いか……だが、贅沢は言ってられん」
この階層に逃げ込んだ屍使いの悪党は、即座にリッチーを排除。
無尽蔵に湧き出る死霊――首無しの王によって造られた魂の再現物――を用いて、魔力の補給を済ませていた。
「私は、こんなところで死ぬわけにはいかないのだから」
屍使いの悪党は、決意と共に自らの戦力を確認する。
様々な『皮』を継ぎ接ぎして作り上げた、魔力防御特化のローブは健在。
死肉を固めて、体の周りにコーティングした『死霊術式のパワーアシストアーマー』の駆動も問題ない。
収納空間には、魔術兵器が七つ。呪術兵器が十三。とっておきが一つ。
最低でも逃亡可能。最高なら、『錆びた聖剣』に痛手を与えられる。
そういう目算ができる戦力だ。
――――イレギュラーである、世界最強クラスと出くわさなければ。
「……問題ない。世界最強クラスは入場制限だ。マクガフィンズの説明に、嘘はない」
けれども、屍使いの悪党には焦りはない。
多少は緊張しているが、きちんとこのダンジョンに於けるルールを熟知している。
マクガフィンズから冒険者に話しかけることは稀だが、彼らは冒険者からの質問に嘘は言わない。答えられない質問に対しては拒否をするだけで、虚偽の答えは出さない。
だからこそ、屍使いの悪党はマクガフィンズに多くの質問をぶつけ、迷宮都市の誰よりも天涯魔塔に詳しくなっていた。
当然、入場制限を食らう冒険者が居ることも知っている。
世界最強クラスのように強すぎる存在は、天涯魔塔に入れないことを。
「ダンジョン内で戦力を強化しながら、追手を殺す。殺した追手を利用して、相手の士気を削ぐ。相手に隙が出来たら、ダンジョン外で他の世界に転移する。問題ない。何も問題ない。私なら実行可能な計画だ」
自分に言い聞かせるように、何度も『問題ない』と繰り返す屍使いの悪党。
既に魔力は補充済み。
中層にはもう用事はない。
戦いが始まるとすれば、それはこれから向かう上層の中での話になるだろう。
「やぁ、悪党。懺悔はもう済ませてあるかい?」
もっとも、それはあくまでも屍使いの悪党が思い描く、都合のいい計画に過ぎない。
そのような未来を、勇者が許すわけがない。
借り受けた千里眼の異能により、屍使いの悪党のありとあらゆる逃走ルートは予想済み。
もちろん、第50階層で魔力の補充を済ませることも、既に知っていることだ。
「まだ済ませていないのなら、悪いね。君にはもう、そんな時間はないよ」
従って、この場に大翔が居ることに、なんら不自然なことは無い。
ご都合主義にもならない、当然の結果に過ぎない。
「…………久しぶりじゃねぇか、根暗女」
そう、屍使いの悪党にとって、因縁の相手――ゴライ・スーアルドが、大翔の隣に立っていることも同じく。
全ては、因果応報。
こうなるべくして、こうなっただけの話だった。
「斥候が一人。タンクが一人か」
そして、因果応報だからこそ屍使いの悪党も慌てない。
いつかこんな日が来ると、ずっと心の底では覚悟していたが故に。圧倒的に不利な状況だと悟っていても、今更三下のように喚き散らすような真似はしない。
「問題ない」
死肉の鎧の中から、静かに敵対者二人を見据えて、宣言する。
「死体にすれば、十分採算は取れる」
屍使いの悪党にしては、シンプル過ぎるほどに。
お前たち勇者を殺すと、啖呵を切ったのだった。




