第72話 錆びた聖剣
天涯魔塔を見つけられた勇者は幸運だ。
勇者とは、世界の滅びに抗う者。
その世界ではどうしようもない問題を、他の世界へ移動して解決方法を探すために選ばれた存在だ。
異常なほどの環境適応能力を付与するのも、勇者がより多くの世界を渡り歩けるようにするためである。
しかし、そんな勇者の資格を持っていてもなお、世界を救うための旅は暗中模索だ。
千里眼を持つ道先案内人でも居なければ、他の世界に転移するだけでも命がけ。
転移先の世界を正しく観測できなければ、世界間の転移は思わぬ失敗を呼び起こす。
単なる空間制御の失敗で、半身が消し飛ぶぐらいならば幸運である。
転移後に、記憶を失ってしまうこと。
転移した先が、明らかに人間が社会を構築していない、未知なる世界番号の場所。
転移することすらできず、全身が消し飛ばされる事故。
そんな危険を冒してもなお、転移した先で世界を救う手段が見つかるという保証はない。むしろ、九分九厘見つからない。
優秀な道先案内人が居ない多数世界の旅とは、本来そういうものなのだ。
黒剣の勇者が、故郷を救い出す手段をいつまでも見つけられなかったように。
だからこそ、天涯魔塔を見つけられた勇者は幸運だ。
試練の塔を踏破すれば、褒美が与えられる。世界解決の手段が見つかる。
目に見える希望は、暗中模索に比べれば余りにも眩しい。
故に、勇者たちは冒険者として、希望を手にするために日々試練に挑み続けるのだろう。
――――絶望という名の壁にぶつかるまでは。
下層は余裕だ。
中層は少し辛いかもしれない。
上層は困難だが、仲間が居れば耐えられる。
けれども、第90階層。
上層と『最後の十階層』の境界を敷くラインキーパーを踏破できる者は、ほぼ皆無だ。
数多の流派を極めた達人であっても。
魔獣のスタンピードをたった一人で壊滅させた、一騎当千の英雄であっても。
第90階層は突破できない。一度目の死と共に、絶望を刻まれて心を折られてしまう。
心を折られた勇者たちの末路は二つ。
一つは、天涯魔塔を諦めて暗中模索の日々に戻ること。
どれだけ輝かしく見えようとも、地上から星は掴めないと弁えるように。
もう一つは、諦めないこと。
惨めに這いつくばって、何度も何度も挑戦すること。
折れた心が砕けて、もう二度と戻らなくなる、その時まで。
彼らは、諦めない敗北者たちの集団。
メンバー全員が勇者で構成された、迷宮都市でも有数の実力を持つ冒険者クラン。
その名は『錆びた聖剣』。
守るべき世界が滅ぶまで、輝かしい希望に手を伸ばし続ける愚者の群れだ。
●●●
『錆びた聖剣』のメンバーは、窮地に陥っていた。
始まりは、数人の仲間たちとの連絡が途絶えたこと。
闇クランと通じている可能性がある、新進気鋭の冒険者たち。異常なほどの速さで中層を攻略する冒険者たちと接触することが、彼らの任務だった。
戦闘は可能な限り避けて。
闇クランがばら撒く、呪いのアーティファクトを感知したのならば、すぐに退却するはずだったのである。
念には念を入れて、攻略の最前線級ではないにせよ、上層に到達した腕利きである彼ら三人が派遣されたのだ。
しかし、その連絡は数分前に市街地で途絶えている。
『錆びた聖剣』の拠点から連絡を入れても、まったく通じない。
これは明らかに異常事態だ。だからこそ、『錆びた聖剣』は選りすぐった精鋭のメンバーによる救出作戦を実行したのだった。
油断は無かった。
メンバーたちの装備も、警戒も十分だった。
従って、救出に向かった『錆びた聖剣』のメンバーが窮地に陥った理由は一つ。
「やぁ、彼らのお仲間かな?」
「ちょっと、お時間を貰ってもいいかしらぁ?」
単純に、敵対した相手が強すぎたのだ。
勇者たちをして、理不尽を感じるほどに。
黒衣の剣士は、何もかもを切り払う。
邪竜すら切り裂いた魔剣の一撃。
不死身の怪物の心臓を貫いた魔弾。
一国を死者の夢に落とす夢魔すら浄化した、塩の槍。
その他、魔術、科学、武術を問わずに『錆びた聖剣』のメンバーは、各々の必殺の全てを、黒衣の剣士によって切り払われた。
「うんうん、こういうのだよ。肌がひりつくような戦場――これぐらいの方が、腕ならしにはちょうどいい」
黒衣の剣士は、何か特別なことをしたわけでは無かった。
特別な異能や、権能を用いた防御によって勇者たちの攻撃を阻んだわけではない。
単に、強すぎるだけなのだ。
斬る。
踏み込む。
避ける。
弾く。
受け流す。
基本的な動作を誰よりも極めて、『夜の剣』という権能クラスの武器を振るっただけ。
さながら、限界まで鍛え上げたRPGのキャラクターが、『たたかう』のコマンドのみで敵を全滅させるかのように。
黒衣の剣士には、何もかもが通じなかった。
無影の狩人は誰にも捕えられない。
黒衣の剣士とは異なり、無影の狩人は気づけば姿を消していた。
障害物の多い市街地とはいえども、迷宮都市は『錆びた聖剣』のメンバーたちにとっては庭も同然の場所だ。斥候の技術に通じている者も、魔術による追跡術を習得している者もいる。
従って、無影の狩人は黒衣の剣士とは違い、『見つければ勝てる相手』と判断している者も多かった。
それが勘違いであると理解したのは、無影の狩人がその姿を現した時。
「んー、こちらはハズレだったかもしれないわぁ。それとも、こういうゲリラ戦闘は苦手なタイプだったとか? でも確かに、ダンジョン攻略に慣れ切っているのなら、それも仕方がないことでしょうけれども」
――――無影の狩人を探していたメンバー全てが、無力化されてしまった後だった。
無力化の方法は多種多様。
毒の矢による行動不能。
罠による拘束。
魔術、呪術の遠隔発動。
純粋なる矢の一撃に負け、戦闘続行不可能なダメージを受けた者も居た。
だが、あくまで無力化だ。
命までは取っていない。命のやり取りをするほどの接戦では無かったが故に。
結局、狩人の影を踏むこともできず、勇者たちは倒れることになったのだ。
勇者たちは敗北した。
かつて、『錆びた聖剣』に加入することになった各々の絶望よりも遥かに理不尽で、遥かに強大な敵対者によって。
黒衣の剣士。
無影の狩人。
世界最強クラスという理不尽の権化が相手では、勇者たちの知恵も勇気も絆も、何もかもが踏みにじられた。
圧倒的な力の前では、何もかもが零に等しいとばかりに。
従って、敗北した勇者たちに命が残されていたとしても、心はもう限界だった。かつての挫折を上回る絶望によって精神は砕かれ、二度と立ち上がることはできない。
そのはずだったのである。
「はーい、調子に乗った馬鹿二人を回収に来ましたぁ」
「うぐっ!?」
「ひゃうっ!?」
自分たちよりも遥かに弱いはずの少年が、世界最強クラスの二人を小突く姿を目にすることが無ければ。
◆◆◆
状況を整理すると、以下のような流れになる。
まず、『錆びた聖剣』のメンバーが、大翔たちを闇クランの関係者と勘違いして接触。多少、強い口調を使ってでも、子供である大翔たちパーティーを闇クランから救い出そうとしたのが、間違いの始まり。
外見がゴロツキのように見えた三人は、あれでも勇者。その中でも、精鋭と呼んでも過言ではない実力者である。
当然、その精神性も一級品だ。
世界最強クラスの力を持っていたとしても、拷問を専門とする職業ではない以上、ソルでは勇者たちの口を割らせることはできなかった。
これにより、ソルとリーンが『錆びた聖剣』に対して強い警戒心を持ってしまったのである。
大翔たちを狙っている、英雄クラスの実力者たち。
しかも、捕縛された後でも、たった一人すら自分の情報を吐こうとしない、鉄の精神性。
こんな面子を派遣する組織が、まだまだ実力的に未熟な大翔たちを狙っている可能性がある。
この事実に、ソルとリーンの危機感が暴走したのだ。
大翔たちの身に何かが起こる前に、背後の組織を潰しておかなければ、と。
かくして、世界最強クラスの護衛と、『錆びた聖剣』の戦端が開かれたのである。
結果は、悲惨を通り越して無惨なもの。
一人一人が勇者。
誰もが英雄クラス。
そんな『錆びた聖剣』の精鋭たちが――世界を救える素質を持つ者たちが、数十人がかりでも、たった二人にも勝てない。
それは、彼らにとって絶望を更新するには十分過ぎるほどの出来事だった。
情報を引き出せないのなら、手当たり次第に襲ってくる奴を全員生け捕りにしよう、そんな雑な考えで突っ込んで来た二人に、勇者たちは心を折られるところだったのだ。
しかし、大翔は何とか間に合った。
打ち上げの途中、護衛二人も食事に誘おうとしたところで、今回の暴走に関して知ることができたのだ。
後は、ダンジョン攻略中も滅多に使わない『銀灰のコート』の最大強化により、なんとかギリギリ駆け付けたというわけである。
「この度は、私どもの護衛が大変失礼しました」
そして現在。
大翔は単独で『錆びた聖剣』の拠点に出向き、土下座をしていた。
世界最強クラスの護衛も、威圧に繋がる可能性もあるので外で待機させて。
一人称も『俺』から『私』へと改めて。
たった一人で、床に額を付けるように謝罪している。
「…………」
ただ、大翔と対峙している者も、また一人だった。
『錆びた聖剣』の拠点――『飛び跳ねる獅子の尻尾亭』という酒場には、現在二人しかいない。本来、喧騒で満ちているはずの酒場が、この時限りは静寂に満ちていた。
「男が、軽々しく頭を下げるんじゃねぇ」
その静寂を破ったのは、重低音の声だ。
声の主は、勇者という言葉が全く似合わない巨漢だった。
獅子のたてがみの如き、茶色の髪。
針金のように強靱な髭。
猛禽類の如き鋭さを持つ、黒色の双眼。
獣の爪痕の如き傷が幾つも刻まれた顔は、豪快にして凶悪。
筋骨隆々の肉体が纏う革鎧も、激闘の痕跡が荒々しく刻まれていて。
そして何より、巨漢の隣にはむき身の斧が――どうやっても酒場の扉を通過することができないような巨斧が、無造作に床へ放り出されている。
――――山賊の王様。
『錆びた聖剣』を率いるクランオーナーは、そんな言葉が似合うような勇者だった。
「強い男が、自分よりも弱い奴に頭を下げるんじゃねぇ」
それほどの男が、大翔に対して『格上』への苦言を吐いていた。
「いえ、強いのは私たちの護衛です。私はこの通りの弱者でして」
「薄気味悪い謙遜を止めんか。お前がその気になれば、儂らなぞ相手にもならんわ。少なくとも、『その末恐ろしいもん』を着ている限りはな」
「……謝意を表したいのは事実ですが、私も死ぬわけにはいかない身の上でして」
「別にそれを着ていることを責めているわけじゃねぇ。つーか、強い奴が弱い奴に下手に出るな。いい加減、頭を上げて、その薄気味悪い一人称を止めろ――――誰も死んでねぇなら、喧嘩の範疇だ」
巨漢の言葉に、大翔はようやく顔を上げる。
けれども、座した体勢は変えず。真剣な表情で巨漢を見上げていた。
「そう言っていただけるのなら、私……いえ、『俺』も助かります」
「ふん。元々は儂らの早とちりが原因だからな。自分らが突っかかった癖に、返り討ちにした相手を謝らせるなんざ、気持ち悪くして仕方ねぇ。むしろ、お前が儂を叩きのめしてくれた方がマシだった」
「ご冗談を。そうなれば、俺たちと貴方たちの間に、あまりよろしくない不和の種が埋められたことでしょう」
「…………ちっ。これだから、責任のある頭領なんて立場は気に入らんのだ」
「ははっ、気が合いますね! 実は俺もですよ!」
苦々しく言葉を吐き捨てる巨漢と、軽やかに笑う大翔。
二人はたったそれだけの交流で、互いの肩に圧し掛かる重圧を察し合えた。
「儂はゴライ。ゴライ・スーアルド……元木こりの勇者だ。今は『錆びた聖剣』っつー、負け犬共の頭領をやっている」
「俺は大翔。佐藤大翔……元一般人の勇者です。今は二体の超越存在に立ち退き要求するために、天涯魔塔の完全攻略を目指しています」
巨漢――ゴライが手を差し伸べて、大翔がそれを掴み、立ち上がる。
文字通り、大人と子供ほどに体格差のある二人であるが、この場においては謝罪を経て対等の関係になっていた。
「で、そろそろ外が騒がしくなってきやがったな……待ってろ、殴ってくる」
「いや、一緒に行きましょう。多分、色々とフラストレーションが溜まっているうちの護衛二人が、笑顔で挑発したような感じなので」
そして、規模の違いはあれども、仲間たちを率いるリーダーである二人は、揃って苦労が滲む表情を浮かべていた。
どうやら、外見の相違はあれども、意外とこの二人は似た者同士の苦労性らしい。




