第71話 情報と定番イベント
「あー、ウチはですねぇ。武器や防具、消耗品などをアーティファクトも含めて取り扱っています。後は、天涯魔塔の情報ぐらいです。残念ながらエロ本は取り扱っていませんので」
大翔とシラノのやり取りを経て、リリーは完全に毒気を抜かれていた。
登場時に纏っていた不穏の気配は既に無い。その代わりに、どうしようもない馬鹿を見るような目を大翔に向けていた。
『《構いません。むしろ、こちらの馬鹿が失礼しました。今後はこのような真似をさせないよう、きちんと定期的にエロ本を共に買いに行く予定です》』
「エロ本を選ぶ時間ぐらい、切実に一人で在りたい」
『《大翔》』
「はい……いや、いやいや、こればかりはね? というか、今は止めよう、この話」
事実、大翔はシラノも含めた仲間たちからも馬鹿を見るような目を向けられているが、完全にノリだけで質問したわけではない。
確認したのだ。
リリーという商人の在庫には『品揃え』という概念が存在しており、ポイントに応じて冒険者たちの欲しい物を作り出すようなシステムめいた存在ではないことを。
NPCと名乗っている癖に、マクガフィンズよりも遥かに、人間らしい感情を持っている存在であることを。
「リリー。確か、君は天涯魔塔の情報を取り扱っているんだったね?」
「ええ、ウチが知っていることならば」
「だったら、そうだな……お詫びの品は、君から俺たちに対して『お勧めの情報』を紹介してくれるって言うのは?」
「ほほう」
大翔の言葉に、リリーは興味を取り戻したように声のトーンが上がった。
「今なら、上層でも通用する伝説の武器や、外の世界に持ち込めば一生働かずに済むような宝玉などもサービスさせてもらいますが、それでもその情報を求めますか?」
「ははは、そのフリで撤回する奴とかいるのかな?」
「いたとしたら、本物の間抜けですねぇ」
先ほどまでの馬鹿みたいな質問に対する反応とは異なり、リリーの表情は実に楽しげである。
『《大翔、一応訊ねますが……私の情報が信頼できませんか?》』
「わかっている癖に。シラノのことは信頼している――それでも、足りない。ここは天涯魔塔。超越存在が管理するダンジョンだ。シラノの異能では把握しきれない」
『《ふふふっ、よくできました。これで下手に私への信頼で感性を鈍らせているようなら、この場では言えないお仕置きを考えるところでしたよ?》』
「それは一生考えないで」
シラノもまた、大翔の判断には異議を唱えない。
ニコラス、アレスの仲間たちも黙して、大翔に交渉を任せている。
この場に居るパーティー全員――否、ダンジョンの外で待つ世界最強クラスの二人も理解しているのだ。
この手のことに関する大翔の弁舌と直感に、間違いはないのだと。
「というわけで、お勧めの情報をよろしく」
「了解いたしました。ではでは、商人としてのプライドに誓いまして、とっておきの商品(情報)をご紹介しましょう」
リリーはチェシャ猫の如く歯を剥き出しにして、にんまりと笑みを浮かべた。
「一つ目、天涯魔塔の真実。首無しの王がどうして、このような試練の塔を作り上げたのか?」
そして、これ見よがしに指を立てながら、商品名を紹介していく。
「二つ目、即死存在の回避方法。今の貴方様たちでも、確実に誰かが死ぬ存在からどうすれば逃げられるのか?」
大翔の予想通り、千里眼を持つシラノですら知らぬ情報を。
「この二つの商品、どちらも貴方様たちパーティーが持つ、総合ポイントの半分となっております。そして、これらの情報を取り扱うのは今回が最後です」
「なるほどね。値段が高いとは言わないよ……君が虚偽を語っていないのであれば、の話だけど?」
「くくっ、お戯れを。ウチがこのダンジョンに、天涯魔塔の法則に縛り付けられているのはお見通しなのでしょう? 契約に虚偽は挟めませんとも」
「ま、だろうね」
大翔は一呼吸分間を置くと、躊躇うことなく選択する。
「まず、即死存在の回避方法を」
何よりも先に、死を逃れる未来を選択する。
例え、臆病と言われようとも、大翔はこの情報が提示された瞬間、ポイントが全損するとしても購入することを決めていた。
「かしこまりました。では、説明させていただきます。ウチが知る限り、この天涯魔塔で最も恐ろしい存在は、ボスエネミーでも、最上階を守護する黒竜でもありません」
そして、大翔の選択は間違いではない。
恭しい一礼と共に、リリーが語り始めた内容は、大翔が予想していたよりも遥かに最悪な物だったのだから。
「ダンジョンの法則すら貫通し、冒険者たちへと逃れられぬ死を与える『首狩り』という放浪者でございます」
「どんな外見?」
「その姿を見た者は、悉く死んだらしいですね」
「……強さのランクは?」
「権能を持つ貴方様以外は、瞬きするほどの時間も耐えられぬことでしょう」
「最低でも世界最強クラスってことか。まったく、入場制限はどうしたんだよ?」
そう、冒険者に一度の死も許さない、理不尽な死神についての情報だったのだから。
「くくく、むしろ『首狩り』が居るからこその入場制限なのですが、これはまた別の情報ですので、ご勘弁を」
「……出現する階層は?」
「下層で出現したという話もありますし、上層で出現したという話もあります」
「…………出現する条件は?」
「一説によれば、悪党を好んで殺すのだとか。しかし、善人だけのパーティーを皆殺しにしたという情報もありますので、善良でも安心できません」
「――――回避方法は?」
鋭く問いかける大翔へ、リリーはご機嫌な笑顔で背負子から木箱を下ろした。
次いで、その木箱から三つ。神社で購入できるようなお守りにも似た、幾何学的な模様が施された布袋を取り出して見せる。
「とっておきの魔除けがございます。ああ、袋の中身を見ると効力が失われますので、ご注意ください」
「お値段は?」
「三つ合わせて、貴方様たちのポイント残り全てでございます。ああ、もちろん、もう片方の情報とは違い、このお守りはこの場限りの取り扱いではないので、ご安心を。きちんと今回以降の取引でも扱わせていただきます……値段は変動しますがね?」
リリーの言葉に、やはり大翔は迷わない。
「いや、この場で三つとも買おう」
選択を躊躇わない。
「次回までに、その恐ろしい存在と出会わないとは限らないからね。何より、そもそも次回があるかどうかも怪しいんじゃない?」
リリーの説明に仕掛けられた、幾つもの罠を掻い潜り、その場での最善を導き出す。
元々の勘の良さ。そして、何度も苦境を乗り越え、死線を潜り抜けた経験が、大翔を惑わせない。
正しく、肝心なものを選び取っている。
「く、くくくっ――ご明察。ですが、ウチは貴方様となら、またこうして話してみたいですがねぇ?」
「そうかい。俺は君との会話は疲れるから、是非とも遠慮したいところだね」
ただ、それでも大翔は不安にも似た奇妙な違和感を拭いきれなかった。
無事に取引を終えても。
リリーが立ち去るその時になっても。
「では、よい冒険を。貴方様が彼の下に辿り着くことを、ウチは祈っていますよ」
瞬きの内に、煙の如き消え去った後でも。
大翔は、リリーが存在していた場所を、ずっと見つめ続けていた。
●●●
打ち上げである。
最後にリリーという正体不明の存在との接触があったが、何はともあれ、打ち上げである。
冒険者たちは過酷なダンジョン攻略を乗り越えるため、冒険の区切りには打ち上げが必要なのである。
それは大翔たちパーティーでも変わらない。
第45階層でのボス戦を終えた大翔たちには、打ち上げが必要とされているのだ。
ただ、ここで問題が一つ。
――――ポイントが無い。
大翔たちはリリーとの取引に全てのポイントを消費してしまったため、ほぼ無一文の状態だったのである。
ドロップアイテムを売り払えば、ある程度のランクの食事は得られるだろうが、元々予定していた高級レストランでの打ち上げは不可能だった。
手元の物資をある程度売り払えば、それも可能ではあるだろうが、わざわざダンジョン攻略用に揃えた一流の物資を売り払うのは明らかに悪手だ。
シラノの転移によって、封印都市に向かえば易々と高級な食事にありつけるだろうが、折角の好調に一区切りがついてしまうような気分の問題がある。
そもそも、冒険者たちの共通事項であるが、冒険から帰って来た後は難しいことを考えずに、さっさと飯を腹の中に入れたくなるのだ。
ならば、どうするのか?
パーティーのリーダーである大翔が選んだ答えは一つ。
「そうだ、焼き肉屋に行こう」
リーズナブルなお値段の奴で、すぐに肉が運ばれてくる店に行く。
とにかく、肉が出てくる店に行く。
この決断は、パーティーの仲間たちから即座に支持された。
「焼肉かぁ……なぁなぁ、ヒロト兄ちゃん! 鹿の肉とか置いているかな!? オレさ、焼き肉なんて、痩せた鹿を狩った後に食べた奴が最後でさぁ!」
アレスは基本的に、何でも美味しく食べられる人間である。
元々の世界の食生活が悲惨だったので、何だったらコンビニで打ち上げということになっても喜ぶ舌の持ち主だ。
味が濃くて、肉がたくさん出てくる店ならば文句はないだろう。
「もう何でもいいから、さっさと食おうぜ。飯なんて塩気と油があれば大体いけるんだよ」
ニコラスは舌が鈍感というわけではなかったが、好みが雑な人間である。
ストリート暮らしの時代が長く、ソルのお陰で食生活が改善された後でも、食事は基本的に『質よりも量。できれば栄養も取りたい』という主義だ。
肉が出て来て、野菜も取れる焼き肉屋であるのならば問題ない。
『《費用がさほどかからないのであれば、私からは何も》』
シラノは食事を取らないので、冒険の費用が減り過ぎないのであればこだわらない。
今はそれよりも、リリーに関する考察で思考リソースを割いていた。
どうやら、リリーからもたらされた情報というのは、シラノの天涯魔塔に対する考えを変えるに値する情報だったらしい。
「いよっし! 皆で焼肉だ!」
だが、それについて大翔が考察するのは焼肉の後だ。
人間、腹が減っていたり、疲れていたりするとろくな考えが浮かばない。まずは仲間たちと共に英気を養い、自分たちの実績を認め合うことが大切なのだと大翔は理解していた。
不安はあれども、まずは食事。
美味しいご飯を食べるのだと、意気揚々と焼き肉屋に向かっていたのである。
「おい、そこのテメェら」
「ガキどもだけで集まった、新進気鋭の冒険者ってのはお前たちだな?」
「ちょっと話がある。ついてきてもらおうか」
従って、見るからに屈強な男たちが三人、道中で立ち塞がった時、大翔は軽く苛立ちを覚えた。
笑顔のまま、冬の権能をぶちかましてやろうかと思ったが、それは傲慢な考えだと自制。外付けの力に溺れないために、まずは一呼吸。
次に、空腹で苛立っている仲間たちを宥めて。
後はいつも通り、交渉担当の役割を果たすのだ――と、ここまで考えたところで、シラノからの警告が入る。
『《大翔、油断なさらずに。この荒くれ者ども、三人とも私の異能が通じません》』
「……なるほどね、了解」
見るからに屈強な男たち。
三人とも、山賊やゴロツキにしか見えない風貌であるが、その力量はシラノの異能が通らない何かがある。
大翔は、先ほどまでとは異なる理由で、権能の使用を真剣に検討して。
「この瞬間を」
「待ってたわぁ!」
次の瞬間、活躍と仕事に飢えていた世界最強クラスの護衛たちが、屈強な男たちを無力化した。それはもう、黒剣と雨のように降る矢によって、屈強な男たちが抵抗する暇もなく、一瞬の無力化だった。
「さぁて、傭兵時代に培った僕の尋問術の出番だね」
「じゃあ私は、周囲に仲間が居ないか探って来るから」
護衛二人は、大翔たちが何かを言う暇もなく、次の行動を起こしていく。
そこに無駄は無く、とても合理的な動きなのだが、二人とも妙に生き生きとした表情をしているのが逆にホラーである。
「……久しぶりに実感したけど、俺たちってまだまだ雑魚だよね?」
「雑魚はお前一人だ……って言いたいところだけど、今ばかりは同感だぜ、ヒロト」
「オレたちが戦えば確実に苦戦する相手だったのに、師匠たちでは戦いにもならないとか」
『《世界最強クラスってそんなものですよ?》』
この後、世界最強クラスの頼もしさを再確認したパーティー一行は、自分たちの成果と比較したりしながら、微妙な気分で打ち上げを始めたのだった。




