第70話 商人
迷宮の中を、大翔は駆けていた。
左右の幅は四メートル程度。上下はおおよそ五メートル。過度に狭くもなく、広くもない。中途半端な通路。
機械的なほど正確に敷き詰められた石畳に、灰色の石壁。
所々に備え付けられてある照明。
一見すると、この階層は下層と何ら変わらないダンジョン構造に見えるかもしれない。
だが、違う。下層とは決定的に仕組みが異なっているのだ。
『ゴォアァアア……ッ!』
その証拠に、駆ける大翔の背中を追う魔物は、異様に強靱だ。
筋骨隆々の上半身に、牛の頭。下半身は鉛の如き重厚な金属で重ねられた鎧姿。右手に携えるのは、鈍色の刃を持つ手斧。巨大すぎず、この通路でも思いきり振ることが可能な一品だ。
ダンジョンから与えられた名前は、ミノタウロス。
数多の世界の神話、寓話に登場する『迷宮の怪物』である。
『ゴフッ!』
ミノタウロスは鼻息荒く手斧を構えると、そのまま大翔の背中に向けて投擲。
音速には到達せずとも、下手な弓矢よりも遥かに速いその一撃はしかし、大翔の背中に刺さらない。鈍色の刃が突き刺さったのは灰色の石壁だ。
「おっとと」
ノールックで余裕の回避。
大翔は前転するような形で背後からの投擲を避け、そのままスピードを落とすことなく駆けていく。
『ゴルルル』
大翔の動きに、ミノタウロスは警戒を示した。
故に、投げた手斧を拾うことなく、油断なく大翔を追走する。
ミノタウロスの能力ならば、手斧は何度でも生成可能。右手に魔力を集中されれば、ミノタウロスの手にはまたたく間に手斧が生成されるのだ。
「やっぱり、馬鹿じゃないよね、君は」
大翔は壁に突き刺さった手斧――それに仕掛けた罠が不発であったことを確認すると、更に加速して通路を駆け抜ける。
ミノタウロスという魔物は、明らかに通路に出現するような強さの魔物ではなかった。
怪力にして、賢明。
手斧を何度も手元に召喚し、遠近どちらの距離でも戦える猛者。
もちろん、このミノタウロスが中層に於ける『ただのエネミー』であるわけがない。
上層ならばともかく、中層ではこのレベルの魔物が道中の量産型エネミーとして出てくるわけではない。
「流石は、ボスエネミー。一筋縄では片付けられそうにない」
当然の如く、ミノタウロスはボスエネミーだ。
しかし、場所は下層の広間のような場所ではない。ボスと冒険者、両方が戦いやすいように整えられた場所ではない。
中層では、ボスエネミーが居る階層は、ボスエネミーが戦いやすいような構造になっているのだ。
それは、この第45階層でも変わらない。
この階層の通路は、ミノタウロスの大きさに合わせて作っており――ミノタウロスの横を、人間大の冒険者では、すり抜けて逃げることができないようになっている。
つまり、通路でミノタウロスと出会ってしまえば、正面から戦うか、あるいは大翔のように背を向けて逃げるしかないのだ。
「だからさ、油断なく片付けて行こうぜ、二人とも」
けれども、それは冒険者たちの知略が通じないという意味ではない。
調整された通路でも、策略を仕掛けることはできる。
「――――」
『ゴファ!?』
無音の気合と共に、透明化状態のまま前衛戦士――アレスが奇襲を仕掛けたように。
「アレス、ダメージが浅い! 物理耐性! 魔術に切り替え!」
「――――了解っ!」
だが、ミノタウロスはボスエネミー。この程度では倒れない。
魔術による透明化。その状態で大翔が駆け抜ける先で待ち構えていたアレスだが、彼女の奇襲はミノタウロスの命には届かなかった。
完璧なタイミングで上半身の右肩から左腰に掛けて斬りつけてなお、ミノタウロスには薄皮一枚切り裂かれる程度のダメージしか与えられていない。
物理耐性。
この場合はミノタウロスの肉体が強靱過ぎて、アレスの刃が通りにくかったのだ。
そう、既に、達人の一刀にも迫るほどの技量を持つ、アレスの剣技が。
「焼き、貫け」
ただ、その事実にアレスは衝撃を受けない。
こんなものは織り込み済みだとばかりに、即座に次の行動――無詠唱による簡易な攻撃魔術を放った。
『ゴガァガアアア!?』
すると、効果は抜群。
アレスの左手から放たれた炎の矢は、ミノタウロスの頭部に当たって爆散。しかし、物理的な攻撃とは違い、簡易魔術でもミノタウロスの表皮を焼き焦がしている。ダメージを与えている。
思わず、アレスに向かって振り下ろそうとしていた手斧の勢いが緩むほどに。
「有効確認! 魔術、火属性!」
「了解! アレスは俺と一緒に時間稼ぎ。ニコラスは上級火属性を!」
アレスと大翔は即座に意思疎通。
言葉で状況を確認しながら、ダメージによる混乱から回復していないミノタウロスの足止めを図る。
『ゴフッ! ゴグガァアアアアアアアアアアアアッ!』
当然、知性を持つミノタウロスは大翔とアレスの意図を看破。
即座に斧を振り回し、巨体とは思えぬ機敏さで駆け抜けていく。
焼け焦げたミノタウロスの表皮は、即座に再生。
牛の鼻によって感知したのは、空気が焦げるような魔力の気配だ。
だからこそ、ミノタウロスはその気配に向かって、全力で手斧を投擲した。
『ゴルッ!』
投げた当人であるミノタウロスが会心の笑みを浮かべるほどの勢い。
加えて、ミノタウロスによって付与された『追尾式』の手斧は、数秒にも満たない間に、標的へと到来する。
本来、前衛に守られるべき魔術師へ、通路の曲がり角越しの投擲という、驚愕すべき一撃が襲い掛かったのだ。
『おせぇよ』
しかし、その手斧は粉砕される。
後衛の魔術師見習い――否、機械化魔術兵の装いのニコラスによって。
重厚な特殊合金で組み上げられた、魔導機械式のアーム。魔力を込めれば、子供でも手斧を砕くほどの怪力を発揮する装備が、半自動的に攻撃を防いだのだ。
『ストック解放――火竜の砲撃』
次いで、ニコラスがヘルメット越しに魔術の行使を宣言。
手斧を砕いた方とは別、左手に構える木製の杖から、火属性の上級魔術が放たれる。
今までよりも遥かに早く組み上がり、強力となったニコラスの魔術が。
『ゴアッ――ガ!?』
本能的な恐怖により、ミノタウロスはニコラスの一撃を避けようとするが、体が動かない。
よく見れば、細いワイヤーのような何かがミノタウロスの全身に絡まっていて。
「やぁ、力比べでもどうだい?」
「ほんの一瞬だけどな!」
最後に、ミノタウロスの視界に映ったのは、ワイヤーの先を掴む、大翔とアレスの姿だ。
二人の冒険者に悪態か、あるいは『吠える声』による攻撃を試みようとしたのか。ミノタウロスは大きく口を開けて――――砲弾の如き火球の着弾により、全身が消し飛んだ。
ベテランの冒険者でも苦戦すると言われているミノタウロス。
恐るべきボスエネミーは、今日この時、新進気鋭の冒険者パーティーによって討伐されたのだった。
●●●
封印都市から帰還してから一週間後。
大翔たちパーティーは好調に天涯魔塔の攻略を進めていた。
下層から中層に上がったばかりだというのに、一週間の内に一気に第45階層まで攻略してしまう様は、まさしく期待の新星。
迷宮都市の冒険者たちの間でも名前が通り、いつか自称していた通りの『新進気鋭』として認識されるようになっていたのだ。
「ドロップアイテムは『百鬼手斧』って奴だね。効果は百回までは魔力で、即座に手斧が所有者の下に生成されること。便利といえば便利だけど……んー、欲しい人ぉー?」
「斧はあんまり得意じゃないからなぁ」
『これでも魔術師だぞ』
「あーい、了解。じゃあ、この手斧は店で売る用にするってことで」
大翔たちは第45階層を攻略した後、慣れた様子でドロップアイテムの分配を行っていた。
もっとも、封印都市のバックアップにより。物資に困ることが無いので、ほとんどの場合、ドロップアイテムは迷宮都市で売り払い、ポイントに変えてしまうのだが。
「んじゃ、後はコンディション確認をしまぁーす。俺は余裕だけど、精神的にだるくなって来たのでそろそろ帰りたい」
『馬鹿に同じく。肉体的には疲れてないが、上級魔術を使った後は精神がささくれる』
「えー、二人ともテンション低くないかぁー? オレはまだまだ余裕なんですけど?」
「そう言って失敗するのがアレスだよね?」
『学習しろ、間抜け』
「二人とも酷くない!?」
ボスエネミーを倒した後の大翔たちに、浮足立つような雰囲気はない。
気安く言葉を交わし合っているが、その精神は平常。緊張感を保ちつつも、ダンジョン攻略を日常の一部として捉えているという、冒険者に適した在り方へと変化しつつある。
ただ、それは明らかに『早すぎる変化』だった。
大翔たちがパーティーを組んでから、まだ一か月も経っていない。いかに、生死のかかったダンジョン攻略を共に過ごした者同士とはいえ、精神性が円熟するのは不自然だ。
『《…………》』
この不自然さを認識しているのは、大翔たちパーティーから一線を引いた立場に居るシラノだけ。
中層の段階で【攻略本】の仕事をすると、大翔の成長に繋がらないからこそ沈黙していたが、この不自然に関しては口を出した方が良いかもしれない。
『《――大翔、警戒を》』
そんなシラノの考えを中断させるように、第45階層に来訪者が現れた。
『《私の異能が通じず、探知魔術に引っかかった相手です。あえて、こちらに居場所を知らせながら歩いてきているのかもしれませんが、ご用心を》』
「了解、今はソルとリーンが居ないからね。俺が先行して対話する」
『《…………性能的には間違っていませんが》』
「はははっ、心配してくれるのは素直に嬉しいよ、シラノ」
シラノの探知魔術に引っかかったのは、こつこつとわざとらしく足音を響かせながら大翔たちへ近づいてくる。
通路が入り組んであるため、察知できるのは足音のみ。
同業者を狩る冒険者ならば、こんなにわざとらしく足音は立てない。
もっとも、一人分の足音をわざとらしく響かせて、残りの仲間が隠密で隙を狙っているというパターンもあるので油断はできないが、少なくとも大翔の勘は闘争の気配を感じ取っていない。それでも、大翔は警戒して仲間たちを下がらせた。
何か不測の事態があったとしても、『銀灰のコート』を持つ大翔こそが、この場では群を抜いて防御に優れた体制を持つが故に。
「――――いやはや、そんなに警戒なさらずとも」
そして、来訪者は暢気な声と共に、曲がり角から姿を現す。
「ウチはこれでも『王の配下』……まぁ、マクガフィンズの同僚ってわけでして。皆さんを害するつもりはございませんよぉ」
通路に響く声は、軽薄。
纏う気配は、不穏。
頭からすっぽりと枯草色のローブを被った、小柄な人間。獣人やリザードマンなどの特徴もなく、フードの端からは黒い髪の束が幾つか見え隠れしている。
だが、顔つきはマクガフィンズのそれは異なっていた。マクガフィンズは大翔の故郷で言うところの北欧系の顔立ちだが、この人物はアジア系――日本人に近しい顔立ちだ。
狐目で、口元は紅の如く色鮮やかに整っている。間違いなく美形だろう。しかし、美形であっても、それを台無しにするような軽薄な笑みと、詐欺師の如き雰囲気がある。
「ウチは役割に従って、皆さん相手に『商売』するために来た訳なのです。ほら、この通りの手ぶら。背中にあるのは、商品だけ……ね? 憐れぐらい、無力な商人でしょう?」
そして、背中にあるのは背負子に乗った木箱。
箪笥にも似た、無数の引き出しのついたそれには一見、物騒な気配はない。
武装を収納空間にしまい込んでいなければ。
『《大翔、マクガフィンズと似た魔力の気配はあります。ですが、明らかに別個体です。首無しの王は理性的な超越存在ですが――油断はしないように。何があるかわかりません》』
商人と対峙した大翔の脳内に、シラノからの念話が警告する。
もちろん、大翔に油断はない。
そんな贅沢が出来るほど、大翔は強くなった覚えはないのだから。
「ええと、商人さん。これでも俺たちはボス戦を終えたばっかりだから、その……控えめに言っても、『真打登場!』みたいなノリで近づかれたら、手ぶらでも無力でも警戒しちゃうんだけど?」
「おおっと、これはすみません。ウチの営業スマイルはどうも、昔から不評でして」
「いや、営業スマイルというか、ダンジョン内でいきなりエンカウントは心臓に悪い」
「それはご勘弁を。何せ、ウチは『ダンジョン内から外に出られない』という制限を付けられているものでして」
「はい、怪しい。もうなんか、裏ボスみたいな設定しているじゃん。絶対、全階層を攻略した後に、秘密の抜け道でしか行けない謎の場所で戦う相手じゃん」
「ははは、そんなまさか」
愛想笑いと胡散臭い笑み。
大翔と商人は互いに、会話的なジャブを撃ち合いながら交流を始める。
「ウチなんてただのNPCに過ぎませんよぉ」
「ただのNPCさん、お名前は? それとも、設定されていませんか?」
「リリーとお呼びください、佐藤大翔様」
「こっちの自己紹介前に名前を言い当てるのは、不穏キャラにとって挨拶代わりなの? それとも、マウントを取らないと挨拶できないタイプ?」
「おっと、これは失礼を。ええ、言った通り、これでもマクガフィンズの同僚でして。この塔に挑む冒険者の情報はある程度入って来るのですよ。何のトリックもございません」
商人――リリーは大翔の指摘を、不穏な笑顔のまま受け流す。
「ですが、大翔様を御不快にさせてしまったのは事実。どうでしょう? お詫びの品がてら、何か一つ、貴方様が望む物をウチがプレゼントするのは?」
「無料の善意ほど怖いものは無いと思うんだよね、俺」
「では、安心ですね。これはあくまでも『お詫び』ですので」
「……ああ言えばこう言う」
「お互い様では?」
大翔はしばらくリリーと言葉を交わした後、呆れたように笑みを崩した。
「はぁ、わかったよ。それじゃあ――」
このままではキリがないと判断したのだろう。
ため息混じりに、ある程度の『試し』も含めて。けれども、割と今、本気で自分の欲しい物をリリーへと告げる。
「エロ本が欲しい」
「えっ?」
そう、そろそろ本気で思春期の男子として必要な物を。
何かの間違いを犯さないために、割と切実に必要な物を。
「エロ本が欲しい」
「…………えっと、街の娼館に行けばいいのでは?」
「相棒の機嫌を凄まじく損なう可能性があるから、エロ本がギリギリ――」
『《大翔》』
「はい」
けれども、大翔とリリーの会話の途中、お約束のようにシラノからのインターセプト。
釈明を言う暇もなく、『《私がそこまで狭量に見えますか?》』からのお説教が始まり、大翔は静かに石畳に正座した。
「えぇ……」
そして、そんな二人のやり取りに、先ほどまで不穏な気配を纏っていたリリーは、胡散臭い笑みを崩してドン引きしていたという。




