第68話 愚者でいい
魔術を戦闘で使うためには、マルチタスクの才能が必要となる。
基本的に、魔術の行使には精神が平静であることに越したことはない。従って、走りながらの行使に向いていない。敵の攻撃を回避しながらの行使なんて論外。そもそも戦闘という精神が乱れやすい状況で魔術を行使する方がおかしい。
故に、だからこそ戦闘と並行して魔術を行使できる、マルチタスクに秀でた才能の持ち主は貴重なのだ。
極限の緊張状態でも、焦ることなく魔術の行使を成功させる精神力。
油断なく相手を見据え、魔術を的中させるだけの戦闘勘。
肉体を動かしながらも、魔術を組み上げることが可能な技術。
これらを満たしていない限り、戦闘で魔術師が役立つことはない。
それは例え、前衛に守られている後衛という条件であっても、だ。
その点から考えれば、ニコラスは子供ながらに、優秀な戦闘向きの魔術師だった。
ただし、常人の範疇では、という前置きは付くが。
「火竜の――」
「遅いよ、ニコラス」
魔術の発動よりも早く、ソルが振るう『木の枝』が、強かにニコラスを打ち据えた。
「ごふっ!?」
護符の防御を貫く一撃は、ニコラスの腹部から背中を伝うような衝撃を生む。
当然、魔術師見習いであるニコラス程度の耐久では、耐えることはできない。
ただ魔力強化しただけの『木の枝』による一振りだけで、内臓が破壊され、血反吐をまき散らしてしまう。
「ギブアップ?」
地面に這いつくばって、苦悶するニコラス。
その頭上から、淡々としたソルの問いかけが降って来た。
「――だ、れが! リセット、リスタートだ!」
ソルの問いかけに、ニコラスは即座に啖呵を返す。
すると、ニコラスが与えられた損傷は即座に回復――否、リセットされる。先ほどまで、森林地帯だったはずの周囲も、一度、真っ白な空間に切り替わった後、再び森林地帯へと様子を変えた。
しかし、切り替わった後の周囲には、ソルの姿は見えない。
それもそのはず。この場はリーン魔法学園の訓練場。それによって展開された特殊空間の内部なのだから。
周囲の光景も、先ほどの攻撃も全てシミュレーター内部の仮想的なものに過ぎない。
故に、損傷を無かったことにするのも、ソルを初期位置へと戻すことも自由自在なのだ。
「くそ、無詠唱じゃねーと辛いか」
ただ、ニコラスとソルの意向により、この訓練場内の痛みは本物と遜色ないものとなっている。状況をリセットし、損傷が無かったことになったニコラスでも、思わず今も腹部を擦ってしまう程度には。
「いや、威力は下がるが『一発当てればいい』って条件なら、無詠唱でもいいか。問題は、雷属性の魔術でも平然と避けやがるからなぁ、ソルの奴……っと、緑の衣、我が罪を静謐な闇に沈めろ」
ニコラスは隠形の魔術を発動させつつ、姿勢を低くして移動を開始する。
正直、魔術も隠密移動もソルの前では気休め程度の効果しかもたらさない。けれども、これをやらないと、『はい、失格』と言わんばかりに、淡々と遠距離攻撃でニコラスの肉体を両断してくるので、やらざるを得ないのだ。
「速度重視というよりも、範囲と罠で攻めるか」
短い思考時間で作戦を立てると、ニコラスは探知の魔術を発動させる。
微弱な魔力を波のように放ち、エコーロケーションの如く相手の居場所を探るための魔術。
長所としては、認識を操るタイプの隠形に対しても『物体が存在する』と感知ができるため、対応が可能であること。
短所としては――――微弱な魔力の波すら察知し、発動した魔術師の居場所を逆探知してくる可能性があること。
「ニコラス。その魔術は安定性があるけど、格上との戦いには向いていないよ」
そして、当然の如くソルは実力者だった。
世界最強クラス相手では、探知の魔術など居場所を知らせるようなものである。
探知の魔術の発動から、数秒も経たない間に、ソルは悠々とニコラスの前へと現れていた。
「はっ、知ってんだよ!」
「ほほう?」
だが、ニコラスの顔に浮かぶ笑みは虚勢ではない。
全て承知の上で探知の魔術を発動させたのだと証明するために、ニコラスは作戦を始める。
「目にもの見せてやる!」
啖呵と共に発動させるのは、水と炎、二つの属性。
水球と炎の矢。
それぞれが異なる攻撃形状で、ソルの下へと放たれる。
「ふんふん、なるほど」
ソルは向かってくる攻撃魔術を、あっさりと『木の枝』で叩き落とした。
魔術見習い程度が放った攻撃魔術程度、ソルならば回避は余裕であるが、これはあくまでも訓練。ニコラスがどのような作戦で来るのか試すために、あえて受けに回っている。
「――揺らげ」
故に、ソルの望み通り、ニコラスの策略が発動した。
水と炎。異なる属性はソルの切り払いにより、攻撃性を失っている。だが、魔力で生成した物体までは消滅しない。
水と炎、二つはニコラスが放った風の魔術により混ざり合い、蒸気となってソルの視界を一瞬だけ塞ぐ。
「ナメクジの道、雷蛇の牙」
その一瞬の間に、ニコラスは罠を発動させていた。
攻撃魔術と共に、地面からソルの足元に向かって這わせていた一筋の水流。さながら、ナメクジが這った後のような小さな魔術の痕跡。けれども、その水流には電気を通しやすくするため、不純物を含ませてあるものだ。
鬱蒼とした草によって確認はできないが、踏んでいれば儲けもの。
踏んでいなくとも、足元から走る紫電の魔術の対応は難しいだろうと考えて。
「悪くない。でも、合格には足りない」
そんな小細工は、ソルが魔力を込めた『足踏み』によって消し飛ばされた。周囲の地面ごと、踏み込んだ衝撃で仕掛けが吹き飛んだのである。
強引で、力づく。
けれども、それは『踏み砕ける程度の障害でしかなかった』という指摘だ。
戦士相手に策を練るのであれば、それは最低限、足止めにならなければ話にならないのだと、伝えるための強引な突破だった。
「地力が足りていない」
ニコラスが何か言葉を吐き出すよりも前に、ソルが『木の枝』を振るう。
たったそれだけの動作で、ニコラスの胴体はあっさりと両断された。
「ギブアップ?」
「――――リセット、リスタートだ!」
そして、ニコラスの敗北から、状況はまたリセットされる。
●●●
魔術師にとって、瞑想は日常の中に取り入れなければならない必須項目だ。
魔術とは、精神に強く関わる技術である。
そのため、精神が乱れていれば――乱れていることも自覚できなければ、思わぬ失敗で命を失うこともあるのだ。
故に、魔術師は一日に最低一回は瞑想によって精神を整えなければならない。
それは、魔術師見習いであるニコラスも同じだった。
『(地力が足りない、か……知ってんだよ、それぐらい)』
魔術師によって瞑想の方法は異なるが、ニコラスの瞑想方法は割と一般的なものである。
禊ぎ。
水、可能であれば冷水で体を清めることにより、思考の熱を取り払うという行為だ。
本来は神事に於ける『前提行動』であり、精霊や神を名乗る存在などと交信する際に用いられる行程だが、ニコラスは生憎、その手の契約魔術とは相性が悪い。
従って、ニコラスは純粋に瞑想のために、禊ぎを行っていた。
『(俺がパーティーの中で一番弱いことぐらい、わかっているさ)』
場所はホテルの浴室。
孤児の時には無かった広々とした浴槽。そこにたっぷりと氷水を張って、体を沈めているのである。
すっぽりと、頭まで、全部。
『(学校では上澄み扱いでも、世界レベルでは常人の範疇。勇者が関わる世界崩壊級の事件や、超越存在の試練なんて乗り越えられる器じゃない)』
呼吸は水中でも魔術で代用できる。
体温は魔術で維持できる。
ただ、瞑想に集中しすぎてどれか一つ疎かにすれば、死の危険が及ぶ可能性がある禊ぎ。
もちろん、ニコラスは狂人でも無謀でもないので、幾つもセーフティを用意した上での行為である。最悪に最悪が重なっても、精々物凄く苦しい思いをする程度で済む。
そんな中途半端なリスクを許容しつつ、ニコラスは思考を深く沈めていた。
『(諦めるか? 今更? いや、今だからこそ、だろうが。引き際があるとしたら今だ。ヒロトもアレスも強くなっている。探せば俺以上の魔術師なんてすぐに見つかる。むしろ、俺がそう言いだすのを待っているんじゃないか? 俺は、足手纏いなんじゃないか?)』
ニコラスは水中から、光が揺らめく水面を眺める。
がらがらと、水中の氷同士がぶつかる音に耳を澄ませる。
思考の熱を、弱音を、ノイズを取り除いていく。
『(足手纏いは承知の上だったはずだ。元々、俺よりも最適な人材は、いくらでもいるはずだった。それでも、ソルに頼み込んで仲間に推薦して貰ったのは、何のためだ? 借りを返すため? ああ、そのはずだ。間違いない……でも、それだけじゃないはずだ)』
冷たい水中は、魔力と共にニコラスからあらゆる余分を削ぎ落す。
瞑想に至るために。
たった一つの答えを得るために。
『(俺は弱い。ソルに訓練を受けても、成長速度には限界がある。その内、攻略速度に実力が追い付かなくなって、自分の魔術よりも魔法道具を消費して魔術を発動させる方が効率良くなるだろう。禁忌や伝説の武器に縋っても無意味だ。俺は常人だ。ヒロトと似ている――『選ばれない側』の人間だ。都合のいい覚醒なんてあり得ない。そんなことは最初から分かっていたはずだ。なのに、ヒロトの仲間になったのは、どうしてだ?)』
思考に没頭するあまり、段々とニコラスは魔術の維持が疎かになってしまう。
酸素は減少し、体温は低下。
もう少し死に近づけば、セーフティによって強制的に禊ぎが中断される。
『(どうして、どうして、俺は…………)』
繰り返す自問自答は、やがて冷たさの中で薄れていく。
肉体的な制限により、極限まで思考能力が低下していく。
だが、皮肉なことに思考能力が低下したからこそ、ニコラスは自身の根底にある感情に気づいてしまった。
――――悔しい、という感情に。
「げほっ、ごほ――うおぇっ! おがっ! は、はははっ! ははははっ!」
答えを得た瞬間。
セーフティが起動する寸前。
ニコラスは浴槽から立ち上がった。
魔術で全身を賦活させて、血液中に酸素を補給して。
「はははっ! 馬鹿らしい、ガキかよ! ああ、ガキだったなぁ、俺は!」
目を見開き、ニコラスは笑う。
歓喜ではない。
自己理解と、自身に対する呆れによる解放感で笑っているのだ。
「負けたくないって、思ってたのか! ヒロトに負けたくないって! あいつができるなら、俺もできるって思ってたのか! はははっ! 馬鹿だ、本当に! 現実を理解している振りをしていた癖に、よりにもよって動機が『憧れと悔しさ』だって!?」
ニコラスの晴れ晴れとした自虐は、浴室内に反響する。
だが、反響する言葉は自戒ではない。
この悪童に、そんな殊勝な行動は似合わない。
「俺は救いようもない大馬鹿野郎だ! でも、でも――それでいい」
ニコラスの目には、諦めではなく決意が。
口元には生意気な笑みが。
「救いようもない大馬鹿野郎だから、諦めずに済んだ。エゴイストのクソ野郎だから、遠慮なんて賢しい真似をせずに済んだ」
声には覚悟が。
「あいつの隣で、意地を張ろうと思えたんだ!」
実にニコラスらしい、ありとあらゆる要素が復活する。
もはや、ここには賢しく未来を思い悩む子供なんて存在しない。
「だったらもう、やることは決まっているだろう? そうとも、そうさ! どうせなら、くだらねぇプライドなんて犬に食わせて――――もっと馬鹿になってやる!」
ここに居るのは、裸一貫で喚き散らす、一人の愚者だけだ。
「頼むっ! 俺を、お前たちに負けないぐらい強くしてくれ! 可能な限り、どんな地獄も改造も飲み込むつもりだ!」
『《はい、馬鹿ぁ。私たちに負けないために、私たちに頼み込む時点で大馬鹿ぁ》』
「いやでも、シラノ。俺はこういう思いきりが良い提案とか大好きだよ?」
そして、決意から三十分後。
ニコラスは大翔とシラノの前で土下座を決めていた。
それはもう、日本人である大翔が思わず感心してしまうほど、綺麗な所作での土下座だったという。




