第67話 勇者と相棒の関係性
薄暗い地下工房。
ファンタジーよりも、SFに寄っている空間。
さながら化学工場のような一室で、大翔はエメラルドグリーンに輝く液体と向き合っていた。
「んー、もう少し岩塩と口裂けレモンの果汁。後は尻尾だらけ蜥蜴の血液」
エメラルドグリーンの液体が入っているのは、浴槽の如き器だった。
人間一人ぐらいなら、悠々と入るスペースのある器――錬金術に使う大釜へと、大翔は次々に材料を入れていく。
「ん、んんんー? まぁ、こんなもん、かな?」
エメラルドグリーンの液体を大きな木べらでかき混ぜながら、首を傾げる大翔。
不安になるような言動であるが、これでも調合は間違っていない。むしろ、大翔の隣で見守っている最高位の魔導技師――ロスティアが何も口を出さない程度には完璧だ。
しかし、大翔自身は自分の才能にあまり実感が無いため、このような見る者を不安にさせるような言動になっているのだろう。
「緑林の花。贖いの果実。天から零れ落ちる陽光。柔らかな新芽」
材料の調合を終えると、大翔は魔術の使用を始める。
それは魔術の中でも錬金術に分類されるものだ。
複数の材料を合成し、新たなる物体を作り出す技術。
魔導技師の必須技術の一つを、大翔は軽々と扱ってみせる。
気負いもなく、間違いもない姿で。
「最後に、我が聖火の祝福を」
そして、最後に一滴。
大翔は己の親指を風魔術で軽く傷つけて、そこから血液を垂らす。エメラルドグリーンの液体に混ざるように一滴。聖火の祝福を込めて。
さながら、それはフランベの如き光景。
大翔の垂らした血液は、エメラルドグリーンの液体に触れると着火。
暖色系の聖火が煌々と燃え上がり、けれどもそれは、大翔が指を振るうだけで跡形もなく消え去ったのだ。
残ったのは、エメラルドグリーンから無色透明へと変化した液体だ。
「よいしょ、と」
その液体へ、大翔は収納空間から取り出した布を漬ける。
上等な反物であろうそれを、惜しげもなく、あるいは乱雑に液体の中でかき混ぜる。それはもう、木べらでぐいぐいと回し続けるのだ。
「まぁ、こんなもの、かな?」
二分三十二秒、きっちりとかき混ぜた後、大翔はざぱっと布を取り上げた。
そして、やはり首を傾げながら、魔術を用いて乾燥させていく。
「……それで、横から見ていただけで結局、何一つアドバイスもしてくださらなかった師匠。未熟なる弟子の仕事に、何か改善点はありますか?」
「もっと自信を持って行動しろ」
「技術面での改善点を教えて欲しいんですが?」
笑顔で抗議する弟子と、ぶっきらぼうな態度で溜息を吐く師匠。
この場合、完璧な仕事をしているのに改善点を教えろ、と要求してくる弟子。完璧な仕事をしているんだから、今のところ改善点は無いけれど、それはそれとして完璧だと満足してしまった瞬間、技術の成長が鈍化する可能性があるから褒めるに褒められない師匠。
どちらにも問題があるやり取りであることを、様子を見守っていたシラノだけはわかっていたという。
●●●
大翔たちは現在、一時的に天涯魔塔を離れて封印都市を訪れていた。
目的は、休養と戦力強化。
第30階層を越えれば、その先にあるのは中層である。
今までよりも難易度が段違いに上昇すると噂されているダンジョンエリアだ。
従って、大翔たちはラインキーパーを倒した勢いのまま中層に駆け上がるのではなく、英気を養い、十分な準備を整えることを選んだのだった。
ソルとニコラスは、修行と研究。
単独での戦闘力が足りないニコラスを、ソルが一対一でみっちりと鍛え上げる予定なのである。その上、ニコラスは自分の魔術の威力に不満があるらしく、修行の合間を縫って、新しい魔術の習得しようとしていた。
リーンとアレスは、修行と観光。
剣での接近戦だけではなく、弓矢による遠距離攻撃も鍛えるため、アレスはリーンと共に森林地帯での修行を行うことになった。ただ、今回のメインはどちらかといえば、修行ではなく観光。四六時中、『世界を背負っている』という重荷に向き合っているアレスの精神を休ませるため、今回はリーンが付き添いとして封印都市を満喫させる予定なのである。
そして、大翔ももちろん勇者としての修行――ではなく、今回は魔導技師見習いとしての修行が優先されることになった。
理由としては二つ。
まず、アレスが大翔に装備を作って欲しいと頼み込んできたこと。
大翔の当初の予定としては、ミシェルにアレスの装備を見立ててもらう計画だった。しかし、シラノから大翔の相棒としてのマウント――もとい、情報説明をしたところ、最高峰の魔導技師が認めた大翔の才能を試してみたくなったらしい。
大翔としては、そんな不確定なものよりも、経験に裏打ちされたミシェルの作品をお勧めしたいところだが、『とある事情』を考慮して、大翔が装備を作ることになったのだ。
次に、大翔の師匠であるロスティアが盛大に拗ねていたこと。
最初に断っておくが、ロスティアは大人である。単に二千年以上生きているという年齢的な意味だけではなく、仕方ない事情を飲み込むだけの精神性は持ち合わせているのだ。
故に、勇者として行動中の大翔に文句なんて言わない。
本当に大切なことをしている人間の足を引くような真似はしない。
ただ、それはそれとして、それなりに会えない時間が空いてしまった所為で、感情としては『面白くない』という不機嫌が積もっているのは事実。
その不機嫌が周囲にまき散らされる前に、解消しなければならない。
何よりも、仲間であるリーンから『折角の休暇だから、ロスティアちゃんに構ってあげてほしいの』などと頼まれれば、大翔が断る理由は無かった。
かくして、大翔はこの休暇中、師匠であるロスティアとみっちり魔導技師としての研鑽を積むことになったのである。
『《……一応、護衛が離れている分、今回は私が大翔を守ります。ええ、ありとあらゆるトラブルから》』
――――やけに不機嫌そうなシラノと共に。
「ふぃー、疲れた」
大翔は寝間着姿で、ベッドへ仰向けに倒れ込んだ。
場所は、今はもう懐かしさすら感じる従者部屋。
どうやら、大翔が居ない間も、いつ帰って来てもいいようにと使用人たちが掃除をしてくれたらしい。
『《お疲れさまです、大翔。作業の進み具合はどうですか?》』
「小物や衣類は何とか誤魔化せるけど、武器や防具は難しいね。一応、師匠の工房を借りて、機械的に造りながらエンチャントに集中って方法もあるんだけど、それは魔導技師ではなくて付与術師だって師匠から怒られそうだからさ。とりあえずは衣類に集中しつつ、後は暇を見て鍛冶の練習って感じ」
『《ふふふっ、一端の魔導技師見習いみたいなことを言いますね?》』
「ほんとにね? つい最近まで、普通の男子高校生だった俺が、異世界でこんな真似をすることになるとは思わなかったよ……まぁ、それもあと少しだ」
大翔は仰向けに倒れたまま、自分の右手を掲げて見る。
右手の中指には、『アマテラス』が。
右手の薬指には、『人界の指輪』が。
そして、ちらりと視線を横に向ければ、『銀灰のコート』が部屋の窓際に吊るされている。
「あと少しで、超越存在との対話が待っている」
『《怖いですか、大翔?》』
「怖いね。ああ、とても怖い。夜中に、自分の死について考えてしまった子供時代ぐらいに不安で怖い――――なんて、少し前の俺なら言ったんだろうけどね」
シラノの問いかけに、大翔は苦笑を浮かべて答える。
「今は、そうでもないんだ。多分、俺が超越存在に近づいた所為だと思う。怖いよりも、最近は親近感が勝って来るようになっているんだ。多分、他にも感性が人間離れしている部分もあるだろうし…………『人界の指輪』も、絶対の保証をくれるわけじゃない。権能に万能性がある分、一つ一つの分野では恐らく、首無しの王は他の超越存在に劣る。だから、もしかしたら、俺はもう――」
『《大翔、そういうことを言うのは止めてください。弱音ならいくらでも聞きますが、貴方のそれは不吉な予言になってしまいます》』
「……ああ、ごめん、シラノ」
『《まったく、反省してくださいね? というか、未来のことを話すのならば、もっと楽しい話題にしましょう》』
大翔の笑みは、子供の我が侭に困ったような顔を浮かべる老人のようだった。
ずっと死なないで欲しい、なんて幼子の我が侭を告げられた時、なんと答えたらいいのか戸惑う人の顔だった。
だからこそ、シラノはそんな不吉な予想を振り払うかのように、努めて明るい口調で話題を切り替える。
『《そう、例えば――私から大翔に紹介する美少女の話題です》』
「おっと、そういう話をするとなると、俺もベッドで横になっては居られないわけだが?」
大翔もシラノのそんな気持ちを読み取ったのか、あえてお道化た様子でベッドから起き上がる。どこにでも居るような、普通の男子高校生を演じて。
『《正直、現状だと既に、私から大翔に美少女を紹介する理由が薄れている気がしますが、約束は約束ですからね》』
「え、なんでそんなひどいこと言うの? 約束は守って欲しい。非モテの俺に、手を差し伸べて欲しい」
『《……大翔の場合、気づいているにせよ、気づいていないにせよ、不穏なんですよねぇ》』
シラノでは大翔の真意まではわからない。
同期によってそこまで読み取らない誠実さがあるからこそ、わからない。
リーンやロスティアからの好意に、本当に大翔が気づいていないのかも、わからないのだ。
そして、シラノは世界を救うまではそれでいいと思っている。どちらにせよ、モラトリアムが大翔に必要なことだけは、紛れもない真実なのだから。
『《ともあれ、紹介できる美少女について、ですが。大翔としても、紹介されて困るタイプも居ると思いますので、どこまで性格に難があってもオッケーなのかを確かめて行きましょう》』
「いやいや、シラノ。俺としてはね? 美少女である時点で、性格なんて多少は――」
『《まず、協力者である白樺志乃みたいなタイプはどうですか?》』
「すみません、あの人だけは勘弁してください」
大翔とシラノは、ベッドの上で言葉を交わす。
いつも通りに、ラジオ越しに心を触れ合わせる。
『《そうですね、流石にそれは私も横着し過ぎたと思います。では、意思疎通が難しい怪物であるタイプと、人類の敵を自称する悪党であるタイプ。どちらの方が大翔の好みですか?》』
「どっちも地獄に繋がっている選択肢は止めてください」
『《我が侭ですね、まったく。では、私の千里眼でちょっとフリーな美少女を見つけて、そこから【攻略本】で大翔に心身を依存させるコースを――》』
「思春期の欲望を凌駕する罪悪感が生まれちゃうコースは止めてください」
馬鹿みたいな話をしながら、二人は互いの重荷を預け合う。
『《もう、我が侭ばかりですね、大翔は。物語の主人公なんかは、厄ネタを持っている美少女でもアイラブユーで突っ切るぐらいの漢気があるからこそ、モテモテになれるんですよ?》』
「俺自身が厄ネタの真っ最中だから、そういのはいいや」
『《まったく……じゃあ、そうですね。嫉妬深くてもいいですか?》』
「具体的には?」
『《ハーレムは認めません。ええ、絶対に認めません》』
「現代日本で認める方が少ないと思うけど?」
『《後、他の人からよく偉そうって言われます。上から目線で物を言う時があります》』
「そういうのは慣れているから大丈夫」
『《身長はあまり高くありません》』
「こだわらない」
『《胸もあまり大きくありません》』
「胸は大きさじゃないさ」
『《…………大翔よりも年下です》』
「うーん、程度にもよるなぁ。でも、まぁ中学生ぐらいなら?」
『《セーフ!》』
「セーフ?」
『《いえ、こちらの話です》』
澄まして言うシラノと、とぼけたように首を傾げる大翔。
どちらがどれだけ理解しているのか、それを今更二人は知ろうとは思わない。例え、このやり取りが茶番であっても、内容を確認するのは世界を救った後になるのだから。
そう、だから二人は曖昧なままで約束するのだ。
『《大翔。その条件で良ければ、一人ぐらいは紹介できるかもしれません》』
「そっか。それは楽しみだね……今のうちに、体とか鍛えた方がいいと思う?」
『《大翔の肉体、既に『銀灰のコート』の影響で最適化しているじゃないですか》』
「段々と人類の範疇を越えた肉体性能になっているから、びっくりしたよね」
いつの日か、世界の危機なんて関係ない、ありきたりで他愛ない日常を共に過ごすために。




