第66話 先輩勇者
戦いに於いて、肝心なことはパワーだ。力だ。筋力だ。総合的なエネルギー量だ。
物語では柔よく剛を制す、という形式が好まれるが、それはつまり、『現実ではあまり適用されない例外だからこそ物語になる』ということに他ならない。
現実では体格が大きく、力が強い者が圧倒するからこそ、華奢な存在が絶技を駆使してそれを凌駕するシーンが映えるのだ。
従って、とてもつまらない結論であるが、戦いはパワーだ。
だからこそ、『竜騎士』のモデルとなったリザードマンは肉体を鍛え上げた。
技よりも。
心よりも。
肉体を鍛え上げ、更に身体強化の魔術で他を凌駕する領域まで辿り着いたのである。
しかし、その程度では達人クラスには到達しない。
その程度の『常識的な理論』に縛られている存在では、達人とは呼べない。
現に、リザードマンは極限まで鍛え上げた肉体をもってしても、勝てない相手に出会ったのだから。
それは騎士だった。
枯れ木の如き肉体の騎士だった。
黒鉄の鎧を纏う、ただの人間だった。亜人でもなく、獣人でも竜人でもなく、単に数が多いだけの人間。
その黒鉄の騎士が振るう斧槍は、明らかにパワーで勝るはずのリザードマンを圧倒した。
旋風の如く。
早く、捉えられず、気づけば倒されている。
力こそ全て、という戦いの理論を凌駕する技の冴えに、リザードマンは魅了された。
さながら、英雄譚に焦がれる少年のように。
かくして、『竜騎士』のモデルとなった達人クラスは誕生した。
首無しの王が記録し、ラインキーパーのモデルとして相応しいと認めた強者が。
●●●
旋風が第30階層に吹き荒れていた。
斧槍の舞踏。
突く。
振るう。
薙ぐ。
たった三つの動作から派生する、幾つもの技。
それは柔らかく、けれども、剛力にて振るわれる。
さながら、旋風の如く。
風の化身が、自然の猛威を振るっているかの如く。
「ははっ」
けれども、当たらない。
大翔には当たらない。
振るわれる斧槍の刃は、吹き荒れる旋風は、大翔の髪一本すら切り裂けない。
「ソル以外との組手は新鮮だなぁ」
暢気な言葉と共に、回避を続ける大翔の動作は、さながら羽毛の如く。
一見すると、旋風に翻弄されるだけの塵芥だ。振るわれる斧槍の動きに沿うように、右から左、上下と動き回るだけの『とても軽い動き』だ。
目を見張るほどの速いわけでも、動きが洗練されているわけでもない。
ただ、振るわれる斧槍と寄り添うように近い距離を保ちながら、常にその先手を取り続ける動きは、見る者に一つの確信を与えるだろう。
『竜騎士』の動きを、完全に見切っているのだと。
『――――』
その事実に、疑似的に再現された『竜騎士』の思考が驚愕した。
動きは素人同然である癖に、見切りだけは異常というアンバランスさに。
歪のまま鍛え上げられた、大翔の回避術に。
『お、おおおおおっ!』
「へぇ、喋れたんだ、君」
沈黙を破り、雄たけびと共に斧槍を振るうのは本気の証。
この場に存在する『竜騎士』は、首無しの王による再現物に過ぎない。だが、それでも、達人クラスの武人として、敗北は認められなかった。
自分以上の達人に敗北するのはいい。
圧倒的な理不尽に屈するのも耐えられる。
しかし、このような『訳の分からない何か』に翻弄されるのは、認められないと。
「なるほど、なるほどねぇ。そういう動きか」
もっとも、『竜騎士』が何を思おうとも、戦いには何も関係ない。
大翔は最低限の身体強化のみを使用し、あくまでも『新鮮な訓練』として、『竜騎士』を翻弄し続ける。
この場にソルが居たのならば、大翔がまるで本気ではないことを易々と悟っただろう。
何故ならば、戦闘に於ける大翔の本領は『外付けのアーティファクト』である。
見切りによる回避術などは、それに比べればおまけに過ぎない。
そもそも、『銀灰のコート』による魂魄強化を使用していない時点で、大翔の性能は八割以上が低下しているようなものだ。
「うん、大体わかった」
それでもなお、大翔の回避術は『竜騎士』を圧倒している。
素人臭い動きで、飄々と斧槍の脅威を避けて。
常人離れした観察眼で、『竜騎士』の性能、技、それら全てを見極めていく。
『――――』
故に、『竜騎士』が早々に奥義を放つ覚悟を決めたのは英断だろう。
攻撃を見切っている癖に、反撃の一つも寄越さない――こちらを小馬鹿にしてくる何か。そいつを排除するためには、業腹でも奥義を使うしかないのだと。
例え、どれだけ見切っていても関係がない。
どんな回避術だろうとも、絶対必中である奥義の前では意味がない。
そう、達人クラスの本領。
極めた技術による、世界の法則すら瞬間的に凌駕する一撃を放とうとして。
「おっと」
とん、と軽く肩を押された。
攻撃ではない。
大翔の右手が、『竜騎士』の左肩に触れただけ。
さながら、仲間内で励ますように。日常動作の一部としてカウントされるような、優しい接触だ。
通常の状態であれば、『竜騎士』も意に介さないだろう。
『ぐ、う』
だが、奥義を放つ直前であるのならば。
己の力を高め、繊細なる技の極致を放とうとする直前であるのならば。
その接触は、奥義を潰す最上の一手となる。
「危ない、危ない」
あるいは、左肩ではなく、他の部位への接触であったのならば、例え槍が突き刺さろうとも、砲弾が撃ち込まれようとも意にも介さなかったかもしれない。
そう、奥義の要となる部位でなければ。
「さっきの技が発動していたら、護符が起動しちゃうからね。訓練としては失敗になる」
『お、ぎ、が、ぐぐ、ぐぐがが』
――――屈辱。
飄然とした大翔の態度に、『竜騎士』の再現された理性が沸騰する。
技が乱れる。
洗練された旋風が、荒々しい暴風へと変わる。
達人から、『ただ力の強い竜人』まで落ちていく。
「さて、と」
それは、全て大翔の計算の内にあった。
達人クラス。
その本領と戦うには、まだニコラスとアレスは早すぎる。
だからこそ、わざわざ挑発を繰り返し、『竜騎士』の調子を崩し、実力を低下させるために工夫を重ねたのだ。
そして、今こそ大翔は仲間たちに呼びかける。
「はぁーい! それじゃあ、ここからどうやって倒せばいいのか、意見を募集しまぁーす!」
攻撃力がクソザコである自分の代わりに、『竜騎士』を倒してもらうために。
◆◆◆
アレスは大翔の戦いを見て、絶句していた。
文字通り、言葉を失っていた。
何故ならば、その動きは異能による産物ではないと気づいてしまったから。
アレスのように、異能の補助を受けた粗製ではない。
素人臭くても、不格好でも、『竜騎士』を翻弄する姿は、経験と研鑽によって生み出されたものだ。
――――素人が想像を絶する地獄を越えたからこそ、身に付けられた動きだ。
一体、自分はどれだけ苦しめば、あの領域に辿り着ける?
異能とか、修行とか、そういう問題じゃない。
どれだけ下積みを重ねても、本当に死ぬ寸前――あるいは、本当に死んでしまうほどの地獄を体験しなければ、大翔には追い付けない。
そんな確信がアレスを苛み、言葉を失わせているのだ。
「はぁーい! それじゃあ、ここからどうやって倒せばいいのか、意見を募集しまぁーす!」
だから、唐突に大翔がそんな宣言をした時、アレスは本当に困惑した。
一体、何を言っているのかと。
明らかに圧倒していたじゃないかと。
自分を馬鹿にしているのかと、怒りすら抱いたかもしれない。
「く、くくくっ。まったくよぉ、あのクソ馬鹿らしいぜ」
だが、そんな不可解は自分の隣で固まっていた同類――ニコラスの声によって、解消されることになる。
「おい、アレス。男装をしているつもりでも、色々と無防備を晒して、大翔が目のやり場に困っているようなエロハプニングを何度も起こしている馬鹿女」
「はぁ? いや、はぁ!? え、なにそれ!? 待って、情報量が多い! え、バレて……いや、それよりもエロハプニング!?」
「おいおい、戦闘中だぞ? 余計なことに気を取られるんじゃねーよ」
実に楽しそうに言葉を告げるニコラスの口元は、強い決意によって笑みが浮かべていた。
「いいか? あの馬鹿は弱い。だから、俺たちの助けが必要なんだ」
「……今、色んな意味で凄く釈然としない」
「からかったのは悪かったよ。でも、助けが必要なのはマジだ。俺たちが、あいつの代わりに蜥蜴頭をぶち殺さないといけねぇ」
「…………オレは、ヒロト兄ちゃんが今更、助けが必要なんて――」
「あいつは甘すぎるんだよ」
自虐を含んだアレスの言葉は、ニコラスの一言によって遮られる。
「優しい、なんて言ってやらねぇ。あいつは敵に攻撃するのが怖くて仕方がないヘタレだ。誰かを傷つけるのが嫌なだけの甘ちゃんだ。でも、あいつは勇者なんだ。そんなクソ弱い有様でも、あいつは勇者をやっているんだよ。それで今、あいつは俺たちに助けを求めているんだ」
「助けを、求めている?」
「ああ、そうだ。そりゃあ本当のところ、色々我慢してやろうと思えば、あれぐらいどうってことないだろうさ、ヒロトの奴なら。でも、それじゃあ、あまりに寂しいだろ。あいつだけが一人で先に行って、誰も付いていけないなんて、寂しすぎるだろうが」
言葉を紡ぎながら、ニコラスは魔力を練り上げる。
「だから、俺はあいつと一緒に行くんだ。あいつの嫌なことを代わりにやってやる。あいつが寂しくないように、血反吐を吐いても隣を歩いてやる――――それぐらいしないと、俺は『あの夜の借り』が返せねぇ!」
最後の言葉は、アレスではなく自分自身に言い聞かせているようなものだった。
ニコラスはただの孤児だ。
魔術の才能があるだけの子供だ。
勇者ではない。
本来、大翔たちの戦いについていけるような性能ではないのだ。
それでも、ニコラスはこの場に立っていた。
自分の意志で、大翔に恩義を返すために――何より、大翔に負けたくないという子供らしい意地のために。
今、ニコラスは恐ろしい敵と戦うための勇気を振り絞っているのだ。
「……そっか」
その勇気に、ニコラスが見せた覚悟に、アレスは敗北を認めた。
正直、アレスはニコラスのことをただの足手纏い、あるいは自分よりも遥かに格下の相手だと思っていた。何かの義理によって大翔のパーティーに入っているが、その内、ついて来られなくなる程度の相手。
世界に選ばれていない、ただの子供に過ぎないと。
けれども、違うと気づけた。
ニコラスは選ばれたのではない、選んだのだ。
自ら、大翔の隣に立つのだと。
世界から押し付けられた理由ではなく、自分が選んだ理由で戦場に立っているのだ。
「だったら、勇者であるオレがビビっている暇はないな」
そんなニコラスの姿に、理由に、アレスは『負けたくない』と感じた。
勇者としての使命ではなく、単なる負けず嫌いの子供として、アレスは剣を構える。
「ニコラス。オレの剣にエンチャントはできる?」
「馬鹿にするな、余裕だ」
「じゃあ、速度重視の雷エンチャントでよろしく」
「おう…………そろそろ、ヒロトの奴が『ねぇ、まだぁ!? こいつの動きを止めるのしんどいんですけどぉ!?』みたいな顔でこっちを見ているから、マジでやるぞ」
「実はさっきから、『遅い』とか『ねぇ、遅くない?』みたいに、地味に小声でオレたちを急かしていたしなぁ」
負けず嫌いの子供二人は、自分を急かす年上の馬鹿の下へと急ぐ。
恐ろしい『竜騎士』という敵は健在。
これから、攻撃がクソザコの勇者の代わりに、敵を倒せなければならない。
間違いなく、とても大変な戦いになるだろう。
「「待たせたな、ヒロト!」」
「おっそい! 本当に遅かったんですけどぉ!?」
けれども、その戦いの内容は語るに及ばない。
何故ならば、勇者の下に頼れる仲間が駆け付けた後の顛末なんて、古今東西、決まり切っているものだからだ。
それでも、強いて何かの結末を語るのであれば。
「あ、あのさ、ヒロト兄ちゃん……オレが女の子って気づいたのはいつ?」
「え、あー、それは…………初対面の時?」
「そんなに!? え、そんな時から、ヒロト兄ちゃんはエッチな視線をオレに!?」
「エッチな視線は向けてませんがぁ!!? 誰だよ、そんなデマ流したの!?」
「ニコラスだけど」
「はーい、これからあの馬鹿の尻を蹴り飛ばしにいきまぁす!」
「攻撃は苦手じゃないの!?」
「ツッコミは別ぅ!!」
打ち上げの際、勇者は子供たち二人によって、散々からかわれた。
そんな、ありきたりの日常描写で十分だろう。




