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第63話 抜き打ち修行

 世界番号【B:738】番。

 座標――――暗夜緑林。

 そこは弱肉強食が極まった、永劫の夜だ。

 鬱蒼を生える木々の枝は、陽の光をほとんど遮り、恩恵を奪っている。

 代わりに、その木々は実を星のように輝かせて、緑林に住まう生物へ光と栄養を与えていた。枯渇した大地よりは、生物の死骸によって肥えた大地の方が都合良いために。


 木々の下に住まう生物は、虫から獣まで全てが夜行性。

 果実からもたらされる僅かな光を逃さず、その恩恵を奪い合い、時に格上を食らうための生存戦略として、何もかもが暗闇の中で生活することを前提としている。

 己の種族以外は敵対者。

 豆粒程度の虫でさえも、状況によっては熊よりも巨大な獣を狩る。

 植物でさえも、光の代用として他者の肉を食らおうとする。

 用意の無い人間では、入った直後に白骨化。

 念入りに準備を重ねたプロであっても、半日も居ることはできない領域。

 歪な自然の体現。

 食らい合う円環が、高速で回り続ける地獄。

 それこそが、暗夜緑林なのである。


「…………」


 そんな地獄の如き自然の中を、大翔は単独で歩いていた。

 無防備に見えるほど気軽に。

 けれども、その足取りは淀みなく。散々繰り返された修行によって、大翔は足元を見ずとも、乱れた地面を平然と歩けるようになっていた。


『ゴルルル……』


 緑林を歩く大翔を、一匹の獣が見つけた。

 二本足の獲物。異なる皮を纏う肉。山猫の如きしなやかな肉体を持つ獣にとっては、小腹を満たすためにはちょうどいい獲物。

 そういう認識だったのだ。


「……なんだ」


 気配を隠していた獣を、大翔があっさりと見つけるまでは。

 本来、捕食者であるはずの獣と目が合った癖に、『ハズレか』とでも言いたげな失望の視線を向けられるまでは。


『――――ゴ、ル』


 直後、獣は理解する。

 野生の本能が今更に警鐘を鳴らす。

 あれは駄目だと。

 この緑林内で一切の虫がたかることなく、むしろ逃げるように退いている様子を確認して、直感が確信に変わる。

 今すぐ逃げなければならない。

 それが、獣にとって最後の思考となった。


 ――――ぱぁんっ。


 緑林の中で、空気の破裂音が響く。

 破裂音の後に、後を追うように幾つもの木々が裂ける音、倒れる音が鳴り始める。

 この暗夜緑林の中で、一体、どれだけの生命体が理解しただろうか?

 鬱蒼とした自然の天蓋を切り裂く一撃は、とある狩人が放った、たった一本の弓矢にとって為された破壊であることに。


「派手過ぎる……となると、フェイントか。あるいは、無駄な情報を与えるための雑音か」


 けれども、その破壊を向けられた対象である大翔は、まったく動じていない。

 圧倒的な破壊を伴いながら到来した矢を、平然と避けている。その上、意識は破壊の痕跡ではなく、それを為した狩人の意図へと向けられていた。


「ほら、やっぱり」


 圧倒的破壊の後、生物の悲鳴が鳴りやまない中、突如として大翔の手がぶれた。

 音すら超え、雷に迫るほどの高速動作。

 もはや、人体の限界を軽々と超越しているその動きは、魔法装備による強化によって為されたもの。

 しかし、その手の中にある数本の矢を――無音で到来した狩人の必殺を掴み取ったのは、紛れもなく大翔自身の技量によるものだ。


「ふ、う、ぅうううう」


 浅く、長く、大翔は呼吸を伸ばして、己の感覚を研ぎ澄ませていく。


 無音無数の矢の到来――――素手での突破。

 雷音轟火の矢の直撃――――魔法道具による防御。

 大量分裂の矢の殺到――――音声魔術による吹き飛ばし。


 外付けのアーティファクトの性能による対応。

 だが、『銀灰のコート』の権能も、聖火も用いない、大翔自身による対応だ。

 それだけでも、現在のコンディションならば、大翔は世界最強クラスの狩人の猛攻だって凌ぐことができる。


「ふ、ふ、ふぅー」


 もっとも、大翔は己の偉業に酔いしれない。

 そんな暇などはない。

 五感を研ぎ澄ませて、今にも叫び出したくなるような焦燥を抑え込みながら、対処を続けている。


「…………どこだ?」


 狩人の攻勢は苛烈だ。

 暗夜緑林の三分の一が消し飛び、陽が差し込むような地形になってしまうほどの破壊をもたらしている。

 だというのに、大翔は狩人の姿を全く見つけられない。

 これほどの破壊を起こす攻撃を繰り返しているというのに、気配はまるで感じないのだ。

 そもそもの話、大翔はこの攻撃に疑問を持っていた。

 明らかに、フェイント。派手な破壊音と無音の矢を交互に繰り返すことによって、獲物の油断を誘う攻撃……そういう判断で、本当にいいのか? と。

 もっと何か違う意図があるのではないか?


「がう」


 大翔がその思考に至った時には、もう手遅れだった。

 いつの間にか大翔の背後に忍び寄った影により、大翔は抱きしめられてしまっている。その首筋へ、がぶりと甘噛みをされてしまっている。

 権能を使うのであれば、ここからでも逆転は可能だろうが、それでは修行ではなく殺し合いだ。この世界最強クラスの狩人――リーンを害するような選択肢なんてあり得ない。

 もっとも、そうなったらなったで、リーンは平然と対応するかもしれないが。


「参りました」

「…………がうがう」

「あの、リーン?」

「がぶー」

「人の首筋を味わうのは止めてください」


 リーンによる抜き打ち修行。

 わざわざ、シラノによって異なる世界に転移した上での、試合形式での修行。


「うふふふ、ごめんねぇ。でも、ちょっとだけの意趣返し。ヒロト様ったら、私の矢を平然と掴むんだもん」

「掴まないと付与された魔術で追尾してくるでしょうが」

「んー、そこまで見破るとは、流石ヒロト様ね! うん、軽く狩人のプライドが削れるぐらい、見事な回避と防御だったわぁ…………がぶ」

「だから、何故甘噛みするの?」


 その結果は、大翔の敗北であり、合格。

 現在の大翔は、外付けの力だろうとも――最高のアーティファクトを使いこなし、世界最強クラス相手に、時間稼ぎができる程度には成長していた。



●●●



 天涯魔塔には訓練場がある。

 マクガフィンズが管理する公営の訓練場から、冒険者クランが各自所有する訓練場など、数多存在するが、基本的に新入りが使うのは公営の物である。

 単純に、冒険者クランが所有する訓練場は、そのクランに加入していなければ使用できないということもあるが、公営の訓練場は基本的に無料で利用できるのだ。


 その上、予め使用許可を取っておけば、マクガフィンズに他の冒険者と隔離した空間へと転移してもらうことも可能。

 武器や防具も、レンタル可能。どれだけ手荒に扱おうとも、マクガフィンズによってすぐに復元されるように設定してあるので問題はない。

 唯一、利用規約を守らない場合は、何度かの警告の後、出禁にされるというデメリットはあるが、普通に使う分は何も問題ない。

 大翔とリーンのような変則的かつ、周辺被害が酷くなりそうな訓練を行うのならばともかく、新入り二人を鍛えるのならば、公営の訓練場で十分なのである。

 少なくとも、ソルはそのように判断したらしい。


「…………ひっ、は、ぜぇ、げほっ」

「ふむ。何度も叩きのめされても、即座に武器を構える根性は悪くない。でも、武器を構えるのであれば、ちゃんと敵を見据えるべきだ」


 周囲を灰色の壁で覆われ、床の代わりに地面があるだけの簡素な訓練場。

 そこで、アレスはソルと向き合っていた。

 鎧も剣もレンタル品であるが、アレスがかつて使っていた物と遜色ない性能の物。修行の前には、きちんと魔力を全快まで回復させた。美味しい肉をたくさん食べたおかげで、気力も十分に充実している。

 それでもなお、アレスはソルに対して手も足も出ない状況だった。


「視覚以外の感覚。あるいは、第六感で敵を察知するなんて方法もあるけど、基本的には視覚で十分なんだよ。それが使えない時に、他の感覚に頼ればいい。それに、情報量が多ければいいってもんじゃないんだ」


 ソルは語りながら、アレスと同じレンタル品の剣を振るう。

 大翔との訓練の時とは違い、ゆっくりと。

 とても分かりやすく。

 けれども、新米冒険者のアレスでは対応できないほどの速さで。


「ぐ、が、ぬぅううっ!」


 しかし、新米冒険者ではあるものの、アレスは勇者だ。

 先ほどまで、ボコボコに打ちのめされていようとも、明らかに手加減されていること屈辱を覚えようとも、立ち向かう気力が萎えることはない。

 歯を食いしばり、言われた通りにソルを見据え、睨みつけ、剣を振るう。

 ソルの剣さばきを予測し、弾くのではなく、受け入れて流すようなイメージで突破しようとして。


「悪くない」


 アレスは突如として、腹部に衝撃を受けて吹き飛んだ。


「ごばぁっ」


 吐しゃ物をまき散らしながら、地面を転がるアレス。

 その頭の中は疑問に満ちていて、やがて、壁に激突して止まった後でも、痛みよりも疑問の解消を望んだ。

 一体、何がどうしてこうなったのか? と。


「だけど視野狭窄だね、アレス。お行儀の良い試合じゃないんだからさ。剣だけじゃなくて、足技。足元から蹴り飛ばされた石礫。口から吐き出される暗器。そういうものにも注意していかないと」


 そして、その答えはソルから告げられる。

 故郷の世界では、教えを受ける猶予が無かったが故に、習得できなかった実戦的な戦い方。勝てばいい、という傭兵らしく荒々しい流儀の戦場剣術を。


「でも、今日は頑張ったからここまでにしよう。あ、吐いた分の食事は、回復魔術で内臓を癒した後に補充し直すこと。食べることも修行の一環だからね」


 ソルは如何にも『穏やかな優男らしい笑顔』で教導を終えると、そのまま訓練場から立ち去った。

 どうやら、後は勝手に立ち上がって後片付けをしろ、という暗黙の指示らしい。


「う、ぐぐぐ……ば、化物めぇ」


 ソルが訓練場を立ち去ってから三分後、アレスはようやく立ち上がれるぐらいには回復していた。

 まさしく満身創痍。

 体中の至る所は打撲。骨にはヒビが入っている個所もある。回復魔術が無ければ、虐待を疑うような修行だった。

 しかし、立ち上がったアレスの顔に浮かぶ表情は、苦痛に歪んだものではない。


「ぐ、う、は、ははははっ! そうだ、化物だ! 化物が、オレを指導してくれる! だったら、オレはもっと、もっと強くなれる!」


 希望と歓喜。

 世界の命運を背負った勇者にとって、本当の苦痛は体から与えられるものではない。

 無力感こそが、勇者の心を折ろうとする痛みなのだ。であるのならば、アレスにとっては体の痛みなどは大した問題ではなかった。

 少なくとも、強くなれる喜びに比べたら些末もいいところだ。


「いよっし! げほ、げほっ! …………あー、まずは内臓を癒して。次に外傷を癒して。その後に、ご飯…………その前に、と」


 アレスはにやけた表情のまま、ぶつぶつ独り言を呟いていたが、ふと真顔になる。

 そして、真顔になったアレスの視線は、灰色の壁の上方――――そこにめり込む形で気絶している、ニコラスへと向けられていた。


「お仲間を……ええと、ニコラス? を回収しないと、うん。でも、あの壁の損傷も、レンタル品と同じく、自動復元される奴でよかったなぁ」



 ソルは基本的に優しい人格の持ち主だ。

 庇護すべき子供を見捨てることはないし、無暗に武力を振るおうとしない。

 けれども、『実戦で死ぬよりは修行で死ぬ思いをした方がまだマシだろう』というポリシーの持ち主である。

 従って、後衛の魔術師見習いだろうとも。

 かつて、共に過ごしたことのある大切な相手だろうとも。

 修行の際は、一切の容赦はしないのだった。

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