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第61話 新米勇者

 兆候があったとすれば、それはとある漁港からだった。

 いつもよりも獲れる魚の量が少ない。

 そんな些細なことが始まり。


 その次は、夏が冷たい風を運んできて。

 その次は、秋が実りを拒絶して。

 その次は、冬が雪を降らせなかった。

 その次から、春はもう来なかった。

 四季があった国全てから、季節が失われていた。


 気づけば、人々は飢えていた。

 気づけば、大地から草木が芽吹かなくなっていた。

 一年間の内に、その世界は枯渇していた。

 誰もが飢えていた。

 誰もが渇いていた。

 あらゆる国の賢者たちが集まって議論を交わし合ったが、導き出された推論は『人類は次の一年を越えられない』という無情なもの。


 逃げ出せる者は、他の世界へ逃げ出した。

 未来に絶望した者は、自ら命を絶った。

 親たちは飢えた子供を食べさせるために、あらゆる非道を行うようになった。

 人々の心がやせ細り、絶望が人類に浸透していく――――そんな時である。


「大丈夫だ、皆! アタシが――『オレ』が! 世界を救ってみせる!!」


 世界に選ばれた勇者が、姿を現したのは。


 かくして、世界の滅びを救うための英雄譚が始まる。

 ぴかぴかに磨かれた白銀の鎧を身に着けて。

 無理やり長さを調整した黄金の剣を腰に下げて。

 ただの村娘だった少女は、アレスという名の勇者として、異世界へと旅立ったのである。

 ――――天涯魔塔。

 空の果てに続くダンジョンを踏破し、世界を救う宝物を手に入れるために。




「これで、終わりだっ!」


 黄金の刃が、巨大なコボルド――犬鬼の首を斬り落とした。

 どっ、と実の詰まった果実が落ちたような音が、石畳から響く。


「はぁ、はぁっ、ふぅ、ふっ」


 黄金の剣を振り、血しぶきを飛ばすアレス。

 荒く息を吐きながらも、残心は忘れない。注意深く周囲を見回して、伏兵や何かのギミックが発動されないか確認する。


 天涯魔塔、第10階層。

 通路も無く、ただ広間があるだけの空間は、いわゆるボス部屋という奴だった。

 出現したボスの名称は『コボルド四兄弟』。

 四体のコボルドが、絶妙な連携で襲い掛かってくるという、今までの魔物たちとは異なる、『数の有利』を押し出してくるボスだ。

 しかも、一体を倒すごとに残りのコボルドが強化されていくギミックがあり、最終的には全長四メートルを超す体躯に変貌するのだ。

 天井が高い広間でなければ、確実に迷宮内では持て余す巨大さであるが、ボス部屋の中では思う存分活かすことができる。

 その脅威たるや、並大抵の戦士では力負けしてしまい、そのまま床か壁のシミになるのが関の山だろう。


「ふっ、ふっ――ふぅ、大丈夫、と」


 だが、アレスは並大抵の戦士ではない。

 世界に選ばれた勇者だ。

 肉体こそ華奢ではあるが、隅々まできちんと魔力で強化してある。

 そう、巨大なコボルドの猛攻を掻い潜り、その首を一振りで斬り落とせるほどに。


「うん、大丈夫。これぐらいなら、オレ一人でも……まだ、大丈夫」


 アレスは安全を確認すると、収納空間から疲労回復のポーションを取り出す。

 ポーションは果物の果汁と薬草の苦さが混ざったような、ややケミカルな味わいだ。それでも過去の経験との対比から、アレスはそれを難なく飲み干した。

 冒険者にはあまり人気ではない味のポーションだが、アレスからすれば十分美味しい。

 少なくとも、獣の血で水分補給することに比べたら何でもないのだ。


「さて、と」


 ポーションを飲み終えたアレスは、自分のコンディションを確認する。

 疲労は回復済み。後、三時間は全力で行動しても問題ない。

 魔力の生成量も鈍っていない。

 肉体に傷は負っていない。

 鎧には僅かに傷はあるが、防御力が落ちるほどではない。

 モチベーションは、まだまだ尽きていない。むしろ、ボスの撃破によって気力は充実しているぐらいだ。


「……よし」


 小さく頷き、アレスは収納空間からメモを取り出す。

 それはダンジョン突入前に、迷宮都市の情報屋から買い取っておいた『攻略情報』だ。

 もちろん、このメモはあくまで参考程度。複数の情報屋を回ることによって、情報を照らし合わせて正確性を上げたものの、実際に戦ってみるまで真実はわからない。

 そもそも、情報通りの魔物だったとしても、実際に戦ってみると思わぬ点で苦戦するかもしれないのだ。

 だからこそ、アレスは『あくまで参考程度』と何度も口に出しつつ、メモの情報を確認していた。


「毒蛾は、オレは毒無効だから大丈夫。クラッシュマウスと、狂った妖精もオレの防御を突破できるほどの火力はないし……一番注意すべきなのは、キラーアントだ。力は強いし、群れるし、堅い。でも、魔法に弱いから……」


 ぶつぶつと独り言を呟きつつ、何度も脳内でシミュレーションを重ねるアレス。

 二度の死を許容するダンジョンだからと言って、油断は禁物だ。そもそも、本当に最上階まで突破するのであれば、こんな下層でストックを消費してはならない。

 慎重に、慎重に。

 何度も自分なりに作戦を見直して。


「……行こう。進める内に、進んでおかないと」


 アレスは第11階層の攻略を開始することにした。

 だが、この時もしも――あり得ない過程ではあるが、アレスに経験か知識があったのならば。

 ダンジョン攻略者としての経験、あるいは卓上遊戯の知識があったのならば、アレスは先に進むという選択をしなかっただろう。


 まだ行けるはもう危ない。

 この有名な訓戒は、まさしく今のアレスの状況そのものだったのだから。



●●●



 アレスに問題があるとすれば、それは精神的な疲労を軽視したことだ。

 あるいは、その自覚すらなかったことが問題だったのかもしれない。


「ぜぇ、ぜぇっ! げほっ!」


 天涯魔塔、第14階層。

 第10階層よりも入り組んだ通路の中を、アレスは息を荒くしながら走っていた。

 ――――否、逃げていた。

 黄金の剣を捨てて。

 白銀の鎧をひしゃげさせて。

 左腕から流れる血を、右手で抑え付けながら。


「くそ、くそくそっ! 馬鹿だ、『アタシ』は!」


 悪態を吐きながら、アレスは必死に第14階層の入り口を目指す。

 チェックポイントである石碑に触れて、この階層から撤退するために。

 一体、何故? なんて疑問は、このアレスの有様を見れば必要ないだろう。

 失敗したのだ、アレスは。


「くそったれ」


 アレスは自分への怒りで理性を沸騰させながらも、『どうしてこうなったのか?』と、現実逃避のように思考を重ねていた。

 間違いなく、調子は良かったのだ。

 勇者に毒は通じない。

 そのため、本来であれば冒険者たちが二の足を踏む、毒蛾の鱗粉に構わず進むことができた。

 クラッシュマウスという、『自爆する鼠』も、しっかりと両足で踏ん張れば問題ない。少し強めに体を押された程度の衝撃では、アレスは揺るがず、傷つかない。

 キラーアントの大群だって、黄金の剣に魔力を込めて振るえば、軽々と切り裂けた。

 だから、アレスが自身の『鈍り』に気づいたのは、第14階層の攻略を進めていた途中だった。

 そう、つい先ほど――クラッシュマウスの衝撃で、黄金の剣を取り落とすなんて初歩的なミスを犯した時に。

 ようやく、自らの失敗を悟ったのである。


「馬鹿が、馬鹿が、馬鹿がっ!」


 自分を罵るアレスの脳内では、何度も失敗した時の光景がリフレインしていた。

 武器を取りこぼした瞬間、畳みかけるように殺到するキラーアントの群れ。予備の武器を取り出そうとするアレスを阻害する、狂った妖精。なんとか体勢を立て直そうとしても、クラッシュマウスによる自爆突進によって、何度も石畳の上を転がされる。

 逃げるしかなかった。

 そうしなければ、間違いなくアレスはあの場で殺されていただろう。


「――――あ」


 もっとも、逃げたからといって失敗がその場で終わるわけではない。

 アレスの失敗は続いている。

 具体的に言えば、『血をまき散らしながら、悪態を叫ぶ』なんて真似をすれば当然、魔物たちは寄って来るのだ。

 その失敗の代償を支払わせるために。


 ガチガチガチ。

 ガチガチガチガチ。

 キラーアント。巨大な蟻は、威嚇するように自らの顎を鳴らす。

 アレスの前方と、後方。

 逃がす余地を失くした挟み撃ちの上で、油断なくアレスを殺すために。


「……っづ」


 キラーアントの群れに挟まれたアレスは、思わず息を詰まらせた。

 今の自分では逃げ切れない。

 魔力が足りない。先ほど、逃げるために無理やり魔術で魔物を吹き飛ばしたが故に。

 武器が無い。先ほど、頼れる黄金の剣を捨てて、逃げていたために。


「……ふ、う、あ」


 死ぬ。

 自分はここで一度目の死を迎える。

 その事実を理解してしまった瞬間、アレスの精神が恐怖に囚われた。

 ダンジョンは二度の死を許容する。

 この場で失敗するのは痛恨であるが、取り返せないほどではない。この失敗を糧に、次から頑張ればいい――そんな理性的な言い訳では、感情は誤魔化せない。


「う、あ……いや、いやっ!」


 死ぬのは怖い。

 痛いのは嫌だ。

 それは当たり前の話だ。

 何十年も戦場を渡った傭兵ですら、同じ感想を抱くだろう。

 ましてや、『数か月前までただの村娘だった』アレスにとっては、今までの鍍金が剥がれる程度には絶望的だ。


「いやだぁっ! こんなの、こんなのいや!」


 そう、魔物に全身を噛み砕かれ、解体されて死んでいくような死にざまを経て、なおも立ち上がれるほど、アレスの精神は異常ではない。


「やだ、やだよっ! 誰か助けてっ!」


 ガチガチガチ。

 悲鳴の声を、キラーアントの威嚇音が掻き消していく。

 嘆きの声は届かない。

 冒険者の新規加入は限られている。その上、大抵の冒険者は準備を重ねた実力者であるが故に、下層程度では躓かない。あっという間に第14階層なんて超えていく。

 従って、アレスの窮地を都合よく助けてくれる実力者がいる可能性なんて、奇跡に等しい。


「誰か、誰か――」


 つまりは、古今東西の冒険者と同じく。

 勇者アレスを名乗る少女の冒険は、ここで無情にも終わりを告げる。

 どこまでもありきたりな、無慈悲な現実によって。



「やぁ、呼んだ?」



 だが、その現実を砕き、絶望を笑い飛ばすからこその『勇者』だ。

 無慈悲など鼻で嗤い、窮地など虚勢の笑みで乗り越えて、助けを求める誰かの手を取る。

 そんな勇者は確かに居るのだ。

 少なくとも、アレスの目の前に一人。

 キラーアントの群れを風の如く掻い潜り、颯爽とアレスの体を抱きかかえた少年が。


「わ、ひゃっ!?」

「口を閉じるように」


 見覚えのある顔だった。

 黒髪で平凡な顔立ちの、けれども異彩なる気配を纏う少年。

 ダンジョンに挑む前、アレスが密かにコンプレックスを抱いた『怪物』の一人が今、自身の窮地を救おうとしていた。


「ははっ、デカくなっても蟻は蟻だなぁ――踏みつけてやろう」


 アレスを小脇に抱えながら、黒髪の少年は軽々と跳躍を繰り返す。

 キラーアントの群れの間を縫うように動き、時に、その体を足場として。

 さながら、アレスがいつか見たサーカス団に軽業師の如く、あっさりと挟み撃ちの状況を突破したのだった。


「お待たせ、ニコラス」

「お人よしのクソ馬鹿野郎が」


 そして、黒髪の少年が辿り着いたのは、悪態を吐く赤茶けた髪の少年――ニコラスの隣。

 既に、強力な攻撃魔術の詠唱を終えてある、魔術師見習いの隣だ。


「火竜の息吹よ、小さきもの共を消し飛ばせ」


 ニコラスはしかめっ面のまま、魔術の発動を宣言する。

 すると、ニコラスの視線の先。キラーアントの群れへ、灼熱を伴う突風が吹き荒れる。基本的な攻撃魔術。その中でも特に攻撃力が高い火属性の魔術は、キラーアントの群れを軽々と焼き払った。

 つまり、アレスの窮地は瞬く間に覆されたのである。

 黒髪の少年と、その仲間であるニコラスによって。


「…………あ、あの」

「うん? ああ、ごめんね。緊急事態ということで、無断で君の体を抱きかかえたのは許して欲しい」

「い、いや、そんな許すとか、許さないとかじゃなくて!」


 黒髪の少年に石畳の床へ優しく下ろされると、アレスは顔を真っ赤に染めて恐縮する。

 何が起こったのかは、未だに分からない。

 この黒髪の少年が何を目的としているのか、今のアレスには察するだけの余裕はない。

 だが、例えこの後、良からぬことを企んでいようとも、アレスは今、黒髪の少年へと言わなければならないことがあった。


「ありがとう、ございます。おかげでアタ……オレは、まだ冒険を続けられる」


 それはとても当たり前のこと。

 助けられたらお礼を言う。

 たったそれだけの当たり前を、けれども真っ直ぐな視線で告げるアレスに、大翔は朗らかな笑みで応えた。


「どうしたしまして…………ところでさ、君」

「はい?」


 そして、その朗らかな笑みに冷や汗を一つ。

 黒髪の少年――大翔は、アレスに対して妙に良い声で言葉を重ねた。


「ひょっとして、前衛職だったりするのかな?」

「えっ?」


 そう、待望の『同期の新入り冒険者』に対して、勧誘の言葉を。

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