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第58話 天涯魔塔

 少女は髪を切った。

 自慢の黒髪だった。

 男勝りな少女が、唯一女性らしい物として誇っていた、黒く艶やかな長髪。それを無骨なハサミで躊躇うことなく切り捨てた。

 じょき、じょき、と耳の近くで聞こえる音は、自分の半生を切り捨てる音に等しい。

 けれども、これはやらなければならない通過儀礼だった。

 ――――世界を救うために、少女は未練を切り捨てるのだ。


「世界に選ばれし者よ、汝に始祖アレスの名を授けよう。数多の呪いを退け、試練を乗り越えるための守護を与えよう」


 少女――アレスは偽りの名前を受け入れ、己の髪の長さも受け入れる。

 男子の如き髪の長さ。

 華奢な体に無理やり合わせた、白銀の鎧。

 過度な装飾の鞘に収まった、黄金の長剣。

 まるでお遊戯会のような有様だ、とアレスは笑いたくなってしまったが、生憎、周囲は真剣そのものだ。


「この偉大なる名に誓い、必ずや世界を救う術を見つけ出しましょう」


 アレスの言葉に、周囲から盛大な歓声が沸き上がる。

 それも無理はないだろう。

 何故ならば、この場は祭壇。国一番の大きさを誇る大神殿の祭壇なのだ。

 そして、アレスに仰々しく祝福を授けたのは、世界で三人しか居ない聖人の一人。真っ白な神と髭が特徴的な痩身の老人だ。

 どれだけアレスがこの状況を荒唐無稽に思おうが、その権威は変わらない。


「勇者として、民の期待に応えられるように」


 アレスは勇者だ。

 世界に選ばれ、勇者の資格を与えられた者だ。

 例え、つい一か月前までは『どこにでもいるただの村娘』に過ぎなかったとしても、もう事実は変わらない。

 ――――アレスが試練を踏破しなければ、世界が滅ぶという事実は。



 天涯魔塔と呼ばれる迷宮都市がある。

 元々、天涯魔塔は首無しの王という超越存在が作り出した『試練の塔』――ダンジョンの名前だったが、いつしかその名前は、ダンジョン周囲の都市も含めた名前となった。


 大地と空の果てを繋ぐような、どこまでも伸びる灰色の塔。

 その内部には、首無しの王が作り上げたダンジョンが構造を無視して広大に展開しており、数多の魔物たちが待ち受けている。

 ただし、首無しの王は困難だけを与える理不尽な存在ではない。

 ダンジョンの内部を徘徊する魔物を倒せば、その強さに準じたドロップアイテムが。

 各階層には、それぞれ困難に比例するように、素晴らしい宝物が配置されている。

 そして、魔物も宝物も無尽蔵だ。どれだけの冒険者が塔の中へ入り込もうとも、その資源は尽きることは無い。


 塔を登って行けば行くほど、その攻略難易度は跳ね上がっていくが、得られる宝物の質も向上していく。

 その最果て。塔の最上階を踏破した者には、首無しの王から『望む物』を与えられるのだ。

 世界を滅ぼす兵器だろうが。

 世界を救える神器だろうが。

 踏破した人数分だけ、首無しの王は褒美を与える。

 だからこそ、『試練の塔』には数多の異世界から人が集まり――天涯魔塔と呼ばれる迷宮都市が造られることになったのだ。

 そして今、アレスという勇者もまた、『試練の塔』へ挑むため、天涯魔塔へと足を踏み入れようとしていた。




「ありがとうございました」


 アレスは天涯魔塔の門まで連れて来てくれた行商人へ、礼儀正しく頭を下げる。


「頑張れよ、嬢ちゃん」


 行商人はアレスへと陽気に励ましの言葉を返すと、そのまま街の奥へと消えていった。

 恐らく、これから仕事を始めるのだろう。

 何の変哲もない中年の男性の如き姿の行商人であるが、その正体は数多の世界を渡り歩く貿易商だ。異世界を渡る術を持たないアレスが、無事に天涯魔塔に辿り着くことができたのも、全ては彼とのコネクションを偶然結ぶことができたおかげである。

 彼に助けてもらわなければ今頃、アレスは天涯魔塔にはどうやって行けばいいのかと、他の世界で頭を悩ませていたことだろう。


「なんかアタシ、全然勇者っぽくないな……」


 アレスはその幸運と他者からの温情に感謝を覚えつつも、自らの無力に頭を悩ませていた。

 世界に選ばれた勇者といえでも、アレスはまだまだ子供。十代前半ぐらいの少女である。いくら立派な鎧を着ていたとしても、中身は未熟極まりないのだ。


 本来であれば、アレスの行動を補佐する人間を故郷の世界から連れてくるべきだろうが、しかし、『異世界転移』の適性を持っている者は誰も居なかったのだから仕方がない。

 勇者の資格によって守護されているアレスは問題ないが、手段によっては世界間の転移は人体に甚大な負荷がかかってしまうこともある。

 そして、アレスの世界の転移手段では、アレス一人だけを送り出すのが精一杯だったのだ。

 だからこそ、送り出された世界で偶然、異世界を渡る行商人と出会い、協力して貰えたことは奇跡に等しい。


「…………頑張るかぁ」


 なので、アレスは自分の境遇を嘆くことはせず、前向きに行動を始める。

 ややテンション低めで、ため息を何度も繰り返しているが、それでも自分は勇者なのだと奮い立たせて。



「これで登録完了だ。後はマクガフィンズ……あー、そこら辺に居る『同じ顔の奴ら』の指示に従え。公営の宿に案内された後、当面の生活費を支給してくれる。言っておくが、冒険者ギルドはあくまでも『冒険者同士の互助組合』だ。王の配下であるマクガフィンズには逆らえんから、滅多な真似をして怒らせるんじゃないぞ」

「あ、はい――じゃなくて、おう!」


 アレスは都市の中にある冒険者ギルドを訊ね、無事に『冒険者登録』をすることができた。

 地元では冒険者ギルドと言ったら、荒くれ者のたまり場という印象だったが、意外にも迷宮都市の冒険者ギルドは上品というか――役所のようなものだった。

 酒場でもなければ、宿でもなく、当然、料理も出さない。

 受付に居るのは綺麗なお姉さんでも、強面の偉丈夫でもなく、単なるくたびれた顔のオッサンだ。覇気は全く感じない。

 しかも肝心の冒険者登録は、普通に用紙――アレスにとってはとても上等な紙――に公開可能なプロフィールを書くだけで終わってしまったのである。

 明らかに子供という容姿のアレスに絡む者も無く、逆に親切心からアドバイスをしようとする者もいない。アレスと同様に武装した戦士でも、大人しく受付ロビーの前で整理券を受け取り、時間までお行儀よく待っている始末だ。


「なんか、思っていたのと違う」


 アレスは登録を終えた後、素直に受付の男性の言葉に従う。

 内心では想像とのギャップに戸惑いながらも、動揺を見せないように仏頂面で表情を固めて。マクガフィンズ――街の中で見かける、平凡な顔立ちで、深緑の髪色の少年たち。どう見ても同一人物にしか見えない彼らに声をかける。

 すると、アレスは拍子抜けするほどあっさりと公営の宿に案内された。特に何のやり取りも、世間話も無しの事務的な道案内だった。


「公営の宿は無料となっております。ただし、食事は出しませんので悪しからず。初回サービスとしてある程度の生活費は提供しますが、今後はご自分で稼いでください。お勧めはダンジョンです。生活費程度ならば、下層を探索するだけでも十分な利益が出るでしょう」


 マクガフィンズは最後に、あからさまな愛想笑いと定型文の如き勧誘の言葉を残して去っていく。

 アレスがマクガフィンズから渡されたのは、一枚のカード。

 未だ、文明が円熟を迎えていないアレスの世界では知らないことだが、それはクレジットカ―ドと呼ばれる物と同様の仕組みの『財布』らしい。

 迷宮都市内部では貨幣ではなく、常に『ポイント』によって経済的な取引が行われる。

 そのために必要なのが、マクガフィンズから渡されたカードなのだ。


「失くしたら怒られる奴だ、これ……収納空間にしまっておこう」


 アレスはそのカードを大事にしまい込むと、公営の宿へと足を踏み入れる。

 公営の宿は、外観こそはアレスの世界によくあるレンガ造りの平屋建てだったが、内部はさながらビジネスホテルのような造りになっていた。もちろん、外観とは内装が噛み合っていない。それどころか、内部に入ると七階建てまで部屋があるので、明らかに内部の空間が弄られている建物だ。


「ま、魔術師の工房だぁ」


 当然、アレスにとっては異国情緒どころか、未知の空間である。

 割り当てられた部屋に備え付けられた水道やら、ドライヤー。各種科学による産物などは取り扱えない。

 そのため、深緑の髪の少女――少女型のマクガフィンズによって使い方のレクチャーを受けることになった。

 どうやら、マクガフィンズは事務的ではあるが、業務の範囲内であればアレスのような文明レベルの低い者相手への説明でも根気よく付き合ってくれるらしい。


「…………つかれたー」


 やがて、全ての説明を受けた頃には、アレスは精神的に疲労困憊の状態になっていた。

 魔物との殺し合いぐらいならば、日常の一環として軽々とこなせるアレスであるが、文明レベルのギャップを受け続けることは、それ以上の疲労があったようだ。

 それこそ、鎧を着ていなければそのまま、柔らかな――アレス基準で――ベッドに倒れ込み、そのまま一休みしたいぐらいに。


「ご飯、食べないと」


 ただ、それよりも空腹がアレスの体を動かしていた。

 アレスが持つ収納空間には、日持ちのする保存食が幾つも備蓄してあるが、今日は記念すべき迷宮都市生活の初日である。

 英気を養うためには、相応に美味しい物を食べなければならない。

 そのような言い訳で自分を説得しつつ、アレスは宿の外へと出ていく。


「可能なら肉……とても良いお肉が食べたい」


 宿の外に出たアレスは、ふらふらと己の嗅覚を頼りに路地をさ迷う。

 未だに、知らない場所での一人歩きは躊躇うが、今の自分は男子。始祖の名を冠する勇者だと言い聞かせて、美味しい肉を提供してくれる屋台や、料理店を探していた。


「…………あ」


 そんな時である。

 アレスが『彼ら』とすれ違ったのは。



「ダンジョンに挑戦するのは久しぶりだなぁ」


 思わず身を竦ませてしまうほど恐ろしい、黒衣を纏う青年剣士。


「遠距離攻撃だったら私に任せて欲しいわぁ」


 美しくも強大な獣を連想させる、藍色の髪の美少女。


『《我々の力なら問題ありません。本日中に全階層を踏破しましょう》』


 厚顔不遜な――けれども、確信を伴った声を発する、機械仕掛けのラジオ

 そして、何よりもアレスはその機械仕掛けの箱の持ち主である、銀灰色のコートの少年にこそ、戦慄を覚えた。


「よし、それじゃあ悪いけど、今回の攻略は二人に任せるね。前に出ると死んじゃうと思うから、俺は後方支援に徹するわ」


 自信なさげの発言とは裏腹に、その少年が漂わせる気配は悍ましくも恐ろしい。

 一見、人の形をしてはいるが、あれはもはや人ではない。災害が人の形を取っているだけの、『超越的な何か』だと判断していた。

 従って、アレスは彼ら一行――怪物集団を刺激しないように、平静を装ってすれ違ったのである。

 余計な行動で気分を害させないように。

 路傍の石のように徹して、すれ違った後も冷や汗を流しながら歩いていく。


「…………ああいう怪物たちも、試練に挑むのかぁ」


 やがて、完全に気配が消え去った後、アレスは言葉と共に大きく息を吐き出した。

 天涯魔塔。

 超越存在が管理し、数多の世界から冒険者が集まる異郷。

 覚悟はしていたが、あんな怪物が集団で挑むような場所だとは思っていなかったのだ。


「うう、ダンジョンの中では遭いませんように! 絶対に遭いませんように!」


 アレスは祈りに似た弱音を吐きながら、今度こそ美味しい肉を求めて歩いていく。


 この時のアレスは知るよりもなかった。

 その遭いたくない怪物たちと自分が、途轍もなく厄介な縁によって結ばれてしまったことを。



◆◆◆



 一方、アレスに恐れられている怪物たち――大翔たち勇者一行であるが。


「申し訳ございません。ソル様、リーン様。お二人にはダンジョンへの入場はご遠慮したく願います」

「「えっ?」」


 ダンジョン入り口にて早速、その戦力の大半が離脱することになっていた。

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