第57話 道先案内人は希望を照らす
そもそもの話、志乃は大翔と二人きりで密談するつもりなんてなかった。
志乃はあくまでも『シラノの協力者』である。大翔のことを勇者と認めてはいても、そこに信頼は向けていない。むしろ、『シラノが信頼している』という一点に於いて、志乃は大翔に対して敵意すら抱いている。
従って、志乃は大翔から相談を持ちかけられた時、了承の返事を出す前にシラノへ次のように提案したのだ。
『信頼とは疑いを重ねた先にあるものだよ、シラノ。無条件に信じることは相棒としてはやってはいけないことの第一位だ。例え気が進まなくとも、泥を被る気分で見守ってあげなければならない。そうだろう?』
つまりは、盗み聞きしちゃおうぜ、と言葉巧みに誘ったのである。
もちろん、シラノは生真面目な人間だ。大翔のプライベートには配慮しているし、大翔から『志乃と二人きりで話したい』と頼まれれば、その意志を尊重するつもりだった。
けれども、悪事を誘う相手は志乃だ。
――――シラノのことを、誰よりも詳しく知っているという自負がある志乃なのだ。
『わかるとも、シラノ。理屈としてはわかっていても、大翔君を裏切るような気がして辛いんだろう? だったら、こうしよう。もしも、相談内容が他愛もない話題だったら、即座に君は通信を遮断する。けれど、大翔君が君たちに何か重大な隠し事――ああ、もちろん、彼が悪事を働いているとか、そういうことではなくてね? 『シラノや仲間たちを大切に想っているからこそ、秘密にしていること』があったのなら、むしろ彼のために話を聞いてあげなくてはいけないんじゃないかな?』
もっともらしい言葉を並び立て、柔軟に妥協も重ねられた提案。
それは確かに、シラノの生真面目さを揺るがすには十分な説得だったのだ。
『まぁ、流石にこの状況で私に対して愛の告白とか、惚れてしまったとか、そういう報告ではないと思うけれどね? いや、万が一に付き合って欲しいとか言われたら、上手いこと世界を救うまで、私がモチベーションを管理するのも効果的かな?』
ただ、最後の一押しは説得している志乃も予想外の冗談だった。
そんなことはあり得ないだろうけど、という前置きの下、シラノから『真面目にやってください』と叱られたいが故に、志乃が語り出した冗談だった。
『《…………わかりました。志乃、私はあえて泥を被りましょう。大翔が――勇者が、悪の道に進んでしまわないように!》』
けれどもシラノとっては、そのあり得ない過程こそが最後の一押しになったのである。
そんなのは絶対に嫌だ、という感情面での後押しに。
『あの、シラノ? あくまでも告白は冗談というか、私と付き合うのが悪の道なのはどういうことなのかとか、聞きたいことはたくさんあるけど、でも、いや、あの…………その反応ってことは、マジだったりするの?』
『《なんのことかさっぱりわかりません》』
『あー、これはマジの奴かもしれないね! はぁー! 目の前の唐変木を殺したーい!』
以上、このようなやり取りの後、シラノは携帯端末を通じて盗み聞きすることになった。
もちろん、このやり取りはシラノと志乃の念話であるので、大翔に気づかれることもない。しばらく志乃が仏頂面で黙り込んだ後、了承の言葉を返すまでの僅かな間のやり取りだった。
そして、このやり取りが結果的に、大翔の間違いを正すことになったのだ。
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『《盗み聞きしたことは謝ります。大翔に対する裏切り行為でした》』
「いや、それは俺も悪いから……」
『《そうですね。大翔が素直に最初から私に事情を教えてくれれば、こんなことにはなりませんでしたね?》』
「はい、ごめんなさい」
『《よろしい。ですが、私も反省すべきことがあります。貴方の不安や変調を見逃し、暢気に浮かれていた……だからこそ、貴方は私に話すのを躊躇ったのでしょう。これに関しては、間違いなく私が悪いです》』
「いや、いやいや。シラノが悪いことは何にもないから!」
『《そんなことはありません。私だって間違えます。私だって失敗します……最近は失敗ばかりです。今回も危うく、貴方の苦しみに気づかないところでした》』
「シラノ……」
『《なので、これからはもっと言葉を交わしましょう。信頼という前提に怠けないで、互いに本音を少しずつでいいから話し合っていきましょう》』
「ああ、俺もそうしたい。もっとよく、シラノのことを知りたいし。シラノに俺のことを知ってもらいたいと思うよ」
『《大翔…………では、手始めに貴方の好きな女性のタイプを教えてください》』
「シラノ?」
『《ついでに、今、恋愛的に気になっている女性の名前も教えてください。今までは遠慮していましたが、これからはそういうところもきちんと把握していきたいと思います》』
「シラノは基本真面目だけど、時々、何か結論が飛躍するところがあるよね?」
シラノの説教は一時間にも及んだ。
最初の三十分間はひたすら、荒れ狂う内心をそのまま淡々と口に出しているような有様だったが、大翔が真剣に話を聞いていると、次第に落ち着いてきたらしい。
次第に理性的に言葉を紡ぐようになり、段々と自らの行いを反省し、やがては大翔ときちんと仲直りするまでに至ったのである。
なお、その間、志乃はずっと露骨に機嫌を損ねた顔で二人のやり取りを眺めていた。
どうやら、志乃としてはシラノが誰かと仲良くしている様子を見るのが気に食わないらしい。とはいえ、流石に二人の仲直りを邪魔するほど感情的にはならないようだが。
『《さて、大翔へのお説教も終わったので、ここからは具体的な解決案を話し合いましょう》』
「具体的な解決案? いや、シラノ。今のところ、俺の超越存在化は落ち着いているから、対策を考えるのは世界を救ってからでも――」
『《甘い。甘すぎますよ、大翔》』
そして現在。
シラノはすっかり機嫌を直したのか、いつも通り【攻略本】としての振る舞いを再開し始めていた。ただし、音声を発しているのは志乃の携帯端末からではなく、大翔が持つラジオからだったが。どうやら、音質に妙なこだわりがあるらしい。
『《大翔は先ほど、ご自分の心配を杞憂だと言っていましたが、その判断は甘いです。何故ならば! 今まで! 大翔の冒険は! かなり予想外というか! 空が何度も落ちて来てもおかしくないような大冒険だったので!!》』
「……え、そうだったかな?」
『《そうですよ! 私の立てた攻略チャートなんてほとんど役に立たずに、オリジナルチャートに変更していますからね!? 難易度ベリーハードで縛りプレイを始めたら、今まで知らない新要素が次々と解禁されているような気分ですからね!?》』
「人をそんなRTAの天敵みたいに」
『《予想外の化身ですからね、大翔は! もっと自覚してください! 今後、絶対に! 大翔は超越存在に成り果ててしまう危機が訪れます! 大翔自身が『杞憂だよな』とか言っているのは完全にフラグでしかありません!》』
やけに強い口調で断言するシラノ。
その様子に大翔は戸惑い、そっと志乃へとアイコンタクトを送る。
本当に今までの冒険は、ここまで言われるほど予想外に満ちたものだったのか、と。
「ふふっ――シラノの言う通りだね。第三者である私が客観的に判断すると、世界最強クラスを護衛にして、権能を複数使い分けるようになって、最高峰の魔導技師の弟子になって、銀狼と正面から戦うことになった上、灰色の巨人を弔った君は…………うん。控えめに言っても、 何をやらかすかわからない未知の生命体だね」
「人間扱いすらされていない!?」
アイコンタクトの返事は、志乃の偽りない内心だった。
志乃はシラノの意見だと即座に同調する悪癖があるが、この内心だけは紛れもなく真実である。超然とした態度を装っているが、正直、大翔の功績には感動を通り越してドン引きしていた。何がどうなって、そんなことになってしまったのかと。
「いいかい、大翔君。君は今まで、何度も『あり得ない出来事』に遭遇しているんだ。ならば当然、今後もそうなるかもしれないという前提で準備を行うべきだ。油断と怠慢によって、最悪の事態が引き起こされる前に、可能な限りの対処はしておいた方が良い」
『《ほら、志乃もこう言っているでしょう?》』
「いや、まぁ、そうかもだけど……これに対処方法とかあるの?」
判断が甘いと指摘されている大翔だったが、それは現実逃避の楽観視だけの結論ではなかった。そういう判断をせざるを得なかったから、問題を先送りにしていたのだ。
何せ、問題は超越存在と権能に関わることである。
下手に干渉すれば状況が悪化し、超越存在に成り果てるという最悪が起こりかねない。
従って、安定している内に世界を救おう、という結論に至ったのだ。
現実逃避でもあるが、何よりも現実的な問題の先送りこそが、大翔にとっての最善だったのである。
『《対処方法はあります》』
しかし、そんな大翔の諦観をシラノは飛び越える。
『《これは虚勢でも、不確実なことを適当に告げているわけではありません。前例があるのです。超越存在に成りかけた存在を留め、引き戻したという前例が》』
「――――っ! そんな、都合よく?」
『《ご安心を。誰かに仕組まれた悪意でも、何者かの掌の上にあるご都合主義でもありません。何故ならば、私たちの旅の最終目的は元々、『超越存在に抗うこと』だったのですから。当然、その程度の前例は見つけ出しておくべきでしょう?》』
大翔の疑念を払うように、その言葉は揺らぐことなく伝えられた。
『《ええ、元々『そこ』には行く予定だったのです。聖火を継承し、『銀灰のコート』を手に入れた後、最後の詰めとなる『超越存在との対話』に必要なものを得るために。ならば、多少得なければならないものが増えたとしても問題ないでしょう。少なくとも、今までの冒険に比べれば何一つ無茶なことはありません》』
絶望を払い、希望を照らし出すように。
シラノの言葉は大翔の視界を明るくする。
『《『そこ』は、我々が行くべき場所の名前は、【天涯魔塔】。数多の超越存在の中でも唯一、人間と正しく意思疎通が可能な超越存在――『首無しの王』が作り上げたダンジョンにして、試練の塔です。そこを攻略し、最後まで踏破した者に与えられる褒美。それこそが、我々の希望となります》』
「褒美?」
『《ええ、試練の塔を踏破した者には望む物を与える。それこそが、首無しの王からの褒美です。これに関しては、超越存在特有の『関わるだけ損』という特性は無視しても構いません。首無しの王とは恐らく、そういう『理』の超越存在なのでしょう。猿の手の如き悪辣な解釈ではなく――本当に望む物を褒美として与えるのです》』
大翔の視界を広げ、暗闇の先を照らしていく。
『《例えばそれは、枯渇した世界を潤す宝玉でも。恐るべき病への特効薬でも。世界最強の魔獣すら屠る魔剣でさえも与えることが可能なのです。ただ、もちろん、限度はあります。超越存在二体を退けるような都合の良い物は与えてくれません》』
シラノは一拍置くと、祈るように言葉を紡いだ。
『《しかし、【超越存在と正しく対話する物】や【超越存在化を抑える物】は許容範囲なのです。きちんと前例も確認しました。そう、超越存在と対話するための声を授けたという前例を。超越存在化に苦しむ勇者を、首無しの王が授けた指輪が救ったという前例だって……だから、何一つ諦める必要はありません》』
その言葉は希望だった。
大翔の諦観を打ち砕くには十分は希望だった。
だからこそ、大翔も強く頷き、シラノへ言葉を返したのだ。
「わかったよ、シラノ。問題の先送りなんて俺らしくなかった。ああ、どうせだったら、全部やっつけてしまおう。旅の最終目的も、俺の超越存在化も、全部――最後の冒険で片付けよう!」
『《はい! それでこそ私の勇者です、大翔》』
かくして、勇者たちは再び冒険へと踏み出す。
前途多難を乗り越えて、困難の先にある希望を掴み取るために。
「さて、上手く行けばいいのだけれどね?」
けれども、ただ一人。
はしゃぐ二人を眺める志乃だけは、どこまでも冷たく、起こりうる最悪を見据えていた。




