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第52話 こんな日が来るとは思っていなかった

 大翔が灰色の巨人を弔った頃、都市外の戦いもまた、決着がついていた。

 一つの丘を削り取り、周辺の生物すら死滅させるほどの激闘を経て。


「なるほど、どうりで死なないわけだ」

「く、くひひひひっ」


 戦いの跡地で、軽蔑するように眉を顰めるソル。

 その視線の先には、不定形の泥の如き物体があった。

 銀狼よりも色褪せて。

 灰色の巨人よりも中途半端。

 汚らわしい、という言葉しか見当たらないほどの汚色の泥。それが蠢きながら、人の声を発しているのだ。

 そう、黒幕である少女の声を。


「お、よりにもよって、超越存在の欠片を飲み込んだのか? それも、二体分」

「くひひ、ごめいとぉー!」


 汚泥は蠢きながら、人型を象る。

 おどけるように首を傾げるジェスチャー。

 どこまでもふざけた態度であるが、その余裕ぶりには理由がある。

 黒幕は死なないのだ。

 二体の超越存在が消滅しない限り、死ねないのだ。

 そういう契約を二体の超越存在と交わし、眷属を生成する権能すら与えられたが故に。


「さぁて、どうしますかぁ? 貴方は私よりも遥かに強いですがぁ……貴方では私を殺せません! 『夜の剣』を扱う者が! 夜鯨の一部となった私を殺せるわけがないのです!」


 だからこそ、黒幕は嘲笑する。

 どれだけ強力な戦士だろうとも、世界最強クラスの力だろうとも、自分には通じないとばかりに。


「――はっ」


 だが、ソルはその嘲笑を鼻で笑う。

 みっともない『虚勢』を看破し、『夜の剣』で汚泥の肉体を切り裂く。


「っづ! は、はははっ! こんな、無意味な――」

「超越存在は便利使いできる相手じゃない」


 嘲笑おうとする黒幕を何度も切り裂き、切り刻み、淡々と言葉を紡ぐソル。

 その目はどこまでも冷たい。

 冷たく、理性的に、惑わされることなく真実を見抜く。


「お前がどんな契約を交わそうとも。お前がどれだけ凄い力を持っていたとしても。都合のいい権能なんて手に入らない」

「……っ!」

「本当に超越存在の一端でも掌握しているのなら、僕たち相手に逃げ隠れする必要もないだろうね。でも、実際には僕から逃げていたし、隠れた場所から妨害工作を仕掛けて来た。つまり、お前は不死身であっても無敵ではない」


 ソルの指摘の正しさを証明するように、黒幕は黙り込む。

 黙ったまま、幾つもの立方体――【粗製眷属】を召喚するが、それらはソルの一閃で消し飛ばされた。


「お前は超越存在の権能を扱う際、何らかのリスクを背負っている。そう、例えば――権能を扱えば扱うほど、お前の存在……いや、記憶か? そういうものが削れていく。僕が怪物化すればするほど、人からかけ離れた存在になるのと同じように」


 言葉と共に、ソルは雷の如く『夜の剣』を振るう。

 何度も、何度も。

 試行錯誤を重ね、相手が最も嫌がる攻撃を模索する。

 そして、それはソルの考察通り、無意味な攻撃ではない。何故ならば、ソルは『夜の剣』の適合者。これ以上なく夜鯨と相性の良い存在である。

 かつて、魔王に憑りついた化身すらも削るほどの力を持った勇者である。

 不死身を騙る黒幕へ、痛恨の一撃を食らわせるのも、そう時間はかからないだろう。


「――――ご名答ですよ、くそったれ」


 故に、黒幕が選んだのはリソースのほぼ全てをつぎ込んだ『逃走』だった。

 汚泥の肉体は、黒幕が悪態を吐いた瞬間、シャボンの如く弾けて消える。

 ソルは観測していないが、かつて大翔の故郷を襲った事象と同じように。

 けれども、弾けた後に広がる雪の色は、白銀ではない。汚泥の如き色の雪が広がり、溶けて消えてしまった。


『お見事です、ソルさん。今日は貴方の強さに免じて、ここまでにしておきましょう』


 そして、消え去った後の空間からは、残響の如く負け惜しみが紡がれる。


『認めます。貴方とあの恐るべき異能者――シラノちゃんが居るというのに、侮ったことを認めます。その所為で、もうちょっかいを出すだけの余力がなくなった、己の愚かさを認めます。ですが――』


 紛れもなく、負け惜しみ。

 されど、ここまで追い詰めたソル。加えて、勇者の道案内人であるシラノに対しては、敬意が込められているのも事実だった。

 黒幕は間抜けであるが、馬鹿ではない。

 自分の異能が『嵐』によって使えなくなった現在、世界最強クラスの勇者と千里眼の持ち主を侮ったりはしない。


『佐藤大翔の存在だけは認められません』


 唯一、朝比奈久遠から勇者の資格を押し付けられた、大翔を除いて。


『外付けの力で調子に乗って。運が良いだけで粋がって。あの人にたまたま選ばれただけの端役風情を――――私は認めない』


 憎しみすら込めた侮蔑の言葉を吐き捨てて、黒幕は宣戦布告する。


『故に、思い知らせましょう。凍れる月の決戦場にて、私は貴方たちを下し、端役を退場させてみましょう。精々、その時まで無意味な準備を重ねることですね』


 いっそのこと清々しいぐらいに小物染みた言葉を残して、残響は終わる。

 黒幕の気配などはとうになく、明らかに負け惜しみの捨て台詞。

 けれども、二度もソルから逃げおおせたということは紛れもなく事実。

 その精神性に関わらず、黒幕は紛れもなく、勇者たちにとっての敵だった。


「思い知らせる、ね」


 ソルは『夜の剣』を鞘に戻すと、ため息を吐く。

 それは強敵を凌いだため息であり、また、『わかっていない』相手に対する失望のため息である。


「名前も知らない敵対者よ。確かにお前は強敵だ。間違いなく厄介だ。そこは認めよう。だけど生憎、まるで負ける気はしない」


 独り言を呟きながら、ソルは封印都市へと視線を向けた。

 そこにはもう、世界に死をばら撒く灰色の巨人は居ない。あるのは、灰を焼き払い、花弁の如く炎を散らす偉業の残影のみ。

 つまりは、佐藤大翔という勇者が、この世界を救った光景がそこにはあった。


「ヒロトを認めないお前じゃあ、僕たちには勝てないよ」


 だからこそ、ソルは確信を持った言葉で黒幕を否定する。

 佐藤大翔は紛れもなく、勇者であると。



◆◆◆



 ――――こんな日が来るとは思っていなかった。


 空から降り注ぐ紅蓮の花弁が、灰色を塗り替えていく。

 都市に被さった灰すらも焼き払い、弔っていく。

 灰色の巨人。

 人類では到底、対処不可能な怪物。

 そんな存在が、こんな美しく弔われる日が来るとは思っていなかった。

 ロスティアは全てが終わった光景を眺めて、そんな感傷を抱いている。


 ――――こんな日が来るとは思っていなかった。


「んふふー。やっぱり凄いわぁ、勇者様。私が封印するしかなかったあいつを、正しく終わらせるなんて」


 聞き覚えのある声が耳朶を打つ。

 千年以上聞いていない、けれども、忘れることなく何度も反芻した声。

 その声を耳にして、つい確認するように視線を向けてしまう。大翔のことを信じていないわけではないが、こればかりは仕方がない。ずっと願っていて、途中で諦めかけて、惰性で続けて。そうして、ようやく。

 記憶すら擦り切れるような長い時間を経て、ようやく再会できたのだから。


「やっほー。久しぶりねぇ、ロスティア」


 気さくな再会の言葉を紡ぐのは、記憶の中と全く変わっていない姿の持ち主。

 ロスティア自身は千年以上の時間を過ごし、変わり果てているというのに、再会した人物に迷いはない。当然とばかりに、成長したロスティアの姿を見抜いている。


「…………ぁ」


 リーン。

 愛しい姉。昼行燈の面倒臭がり屋。

 のほほんとした顔つきの癖に、誰よりも狩りが上手で。

 セミロングの藍色の髪を、自分に手入れして貰うのが好きだった人。

 ずっとずっと、会いたかった人。

 その悲願の達成に、ロスティアは思わず声を詰まらせた。


「…………あ、あ」


 何かを言おうとして、口を開いては、胸の奥から湧き上がる感情に戸惑い、口を閉じる。

 何度も何度も、呼吸を整えて、言葉を紡ごうとする。

 そんな、感情を抑えきれない子供みたいな行動の自分に、ロスティアはひどく戸惑っていた。

 まさかこんなにも、と。

 そう、擦り切れていたはずだった。

 飽きていたはずだった。

 千年以上の時間で色褪せて、再会の時に何の感情も抱けなくなるんじゃないか? そんな不安を持つ程度の時間は過ぎていたはずだ。

 なのに、こんなのはないじゃないか、とロスティアは頬を伝う熱い雫に戸惑う。


「リーンお姉ちゃん」


 理性は戸惑ったまま、感情は言葉を紡ぐ。

 幼子のような声で、縋るような言葉を。


「会いたかった…………会いたかったんだよっ!」


 気づけば、ロスティアは突進するようにリーンに抱き着いてしまった。

 子供の頃よりも大きくなった体で、子供のように姉の胸に顔を埋めてしまっている。後々、確実に恥じらう行動だとわかっているのに、感情の奔流を止めることができない。


「私は、私は! ずっと! ずっと!! リーンお姉ちゃんと……会いたかったの」

「うん。私も、私も会いたかったわ、ロスティア」

「凄く! 凄く頑張って! でも、私は辛くて! 諦めそうになって!」

「うん……うん。よく頑張ったわねぇ、ロスティア」

「私は! 私は!! それでも続けて……ようやく、ようやく、私を助けてくれる人と会えて。嬉しくて…………凄くね、嬉しくて、嬉しいの」

「よかったわねぇ、ロスティア」


 大きくなった体で、誰もが尊敬する権威を持つロスティアは、自分よりも年下になってしまった姉の胸で泣いていた。

 かつてと同じような口調で。

 離れていた時間を取り戻すかのように。

 ろくに頭で考えることもない言葉を、感情のままにぶつけて。


「リーンお姉ちゃん…………凄く、久しぶり」


 ずっと伝えたかった言葉を告げる。

 何の憂いを抱くこともなく。

 大切な人が何一つ欠けることもなく。

 純粋に再会を喜ぶことができる。

 こんな幸せな日が来るとは思えなかった。

 ロスティアはリーンの腕の中で、そんな感動を噛みしめている。



『《大翔、体は大丈夫ですか?》』

「不思議なことに余裕」

『《それって多分、駄目な類のコンディションでは?》』

「深夜ハイの最悪バージョンかもしれないね、これは」


 そして、リーンの腕の中で幸せを噛みしめている中、ロスティアはふと気づく。

 自分の停滞を焼き払ってくれた勇者が、戦いから帰還していることに。

 相棒であるシラノと言葉を交わしながら、姉妹が再会する光景を微笑ましく見守っていることに。


「……うぐっ!」

「あらら? 弟子の前で恥ずかしくなったのかしら?」

「いや、ちが……ごほん!」


 慌ててリーンから離れて、体液塗れになった顔を魔術で整えるロスティア。

 つい先ほどまでは幼子のような態度だったが、今は精一杯の虚勢をかき集めて、勇者の前に立つ。

 自分が予想していた最高の結末すら凌駕する現在を与えてくれた勇者にして、恩人。

 佐藤大翔の前に立ち、ロスティアは感謝の言葉を紡ごうとする。


「…………そ、その、弟子」

「はい、なんでしょうか? 師匠」


 しかし、上手く言葉が出ない。

 いつもの不遜で乾いた態度はどこへやら。真っ赤な顔のまま、視線をさ迷わせている。

 その様子に、大翔も苦笑交じりに言葉を待っている。

 まるで、幼い子供を相手にする年上の男性のように。


 ――――ええい! 毅然と礼を言うのだ、私ぃ!


 そんな自分の失態に羞恥を覚えながら、ロスティアは必死に自分を律しようとする。

 呼吸を整え。

 顔色を戻して。

 きちんと弟子である大翔を見据えて。


「ありがとう、ヒロト」


 静かなる声で、凛とした言葉で、ロスティアは礼を告げた。

 内心、『そうそう、これが私だ』とばかりに安心しながら。


「…………あの、師匠?」


 けれども、礼を告げる言葉と共に、自分が思いっきり大翔を抱きしめてしまっていることなどまるで気づかずに。


「この恩義には必ず報いよう」

「あ、ありがとうございます。それよりですね、師匠?」

「必ず、冬の毛皮で最高の一品を仕立て上げて見せる」

「そろそろですね、密着具合があまりよろしくないことに……」

「本当に、本当にお前が居てくれてよかった」

「師匠! 正直に言うと、恥ずかしさが限界です、師匠!」


 ロスティアがこの失態に気づくのは、しばらく後。

 顔を真っ赤にする弟子の抗議にようやく気付いて、『《私の勇者に馴れ馴れしくないですか?》』とシラノから文句を言われて。


「うふふっ。やっぱり、そういうことなのね」


 何やら姉からよくわからない誤解を受けた後、「ひゃあああああ!?」などと、実に乙女らしい悲鳴を上げながら慌てて離れるのだ。


 ――――こんな日が来るとは思っていなかった。


 誰かと触れ合い、恋する乙女のように頬を赤らめるロスティアは、今日何度目かになる感想を呟くことになるのだった。

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