第50話 何もかも覆される
窮地を覆すヒーローの如く現れた大翔であるが、その実、余裕は皆無だった。
何故ならば、灰色の四本腕を焼き払ったのは意図的なことではなく、割と切実に『減速』を行うための行動、その余波に過ぎなかったのだから。
そう、ぶっちゃけるのならば、仲間の窮地に駆け付けたように見える大翔の雄姿は、完全に偶然の産物なのである。
「うぉおおああぁああ!? な、なんか焼いた!? なんか焼けた!? 聖火なのに!? いや、そっか! 巨人! はいはい、灰色の巨人! 理解したよ、うん!」
冷や汗を流しながら、灰色の巨人の周囲を――空を駆ける大翔。
既に、冬の権能による封印は浄化してあるので、ロスティアの装備の一部は機能を回復させていた。
銀狼によって噛み千切られたコートは流石に使い物にならないが、それでもブーツは健在だ。空を蹴り進み、大翔の身体能力を飛躍的に向上させるためのブーツは。
もっとも、使い切りの魔法道具は全て消費してしまったので、『減速』には、聖火の噴出による反動を利用するしかなかったのだが。
つまり、灰色の巨腕は『おまけ』で焼き払われたのだ。
「目標確認! ダメージ確認! 効果確認! ヨシ! リーンさんの推測通り、聖火ならあの巨人を『正しく弔う』ことができる!」
加えて、今まで損傷を即座に修復させていた灰色の巨人であるが、聖火で焼かれた腕だけは、その速度が遅い。今までは三秒もあれば完全に修復されていた腕が、一分ほど時間をかけなければ復活できない程度には、修復速度が低下している。
即ちそれは、聖火が巨人にとっての『弱点』であることを示していた。
「でも! 場所はどんぴしゃ過ぎて、逆にピンチになっているまであるよ、リーンさん!」
けれども、いくら優位な権能を持っていたとしても、大翔は最弱の勇者だ。肉体的な疲労はともかく、この時点で既に精神的に大分ダメージを負っていた。
何故かといえば、灰色の巨人の前まで現れることができた『移動方法』が原因である。
無事に銀狼を倒し、リーンを冬の呪いから解放したまでは良かったのだ。
だが、意気揚々と仲間たちを助けに向かおうとした大翔たちは、ふと気づいたのである。
そういえば、封印都市まで行くための手段が無い、と。
イフは魔法剣士であるが、戦闘に使う以外の魔術は苦手。
リーンは尋常ならぬ狩人の腕を持つが、魔術はあまり得意ではない。
必然と、魔法学園にて転移魔術を習得していた大翔に期待が向けられたのだが、その精度はシラノに比べたらお粗末そのもの。
灰色の巨人の影響がある所為で、封印都市内部ではろくな魔術は使えない。その発動も阻害されてしまう。従って、転移ゲートを用意することはできず、そこから遠く離れた場所――具体的に言えば三十キロほど離れた森林地帯に転移するのが関の山。
いざという時に持たせた貰った使い捨ての魔法道具も、銀狼との戦いでほとんど損失してしまっている。
明らかに、『即座に駆け付ける』という移動は無理だった。
「じゃあ、投げましょう」
リーンが笑顔で、脳筋移動方法を提案しなければ。
脳筋移動方法。
それは実にシンプルだ。
まず、大翔が転移魔術を使い、できるだけ封印都市に近い場所へ転移する。
その後、リーンが目視で封印都市の場所を確認。方角や風の向きなどを何やら、狩人の技能で観測した後、大翔の体をしっかりと抱える。
そして、リーンが全力で大翔を封印都市に向けて投擲するのだ。
音速を遥かに凌駕する速度に達するほどの力を込めて。
『…………多分、私は移動中の保護と、着地のための減速で一度は消し飛ぶわね』
当然、そんな速度で人が投擲――もとい、射出されれば死ぬ。普通に死ぬ。それはもう、内臓やら血液やらが、ぐしゃあ! となって死ぬ。それを防ぐための都合のいい魔法道具も、今は失われているのだ。
従って、頼りになる護衛が犠牲になることで、その無茶は辛うじて通された。
実際のところ、灰色の巨椀を焼き払った聖火による『減速』も、イフがその体を犠牲にすることで可能となった荒業なのだ。
ただし、その代償は安くない。
銀狼との戦いも合わせて、短時間に二度も体を消し飛ばしたイフは、再度、肉体を形成するには最低でも一時間のインターバルを必要とする。
つまり、今の大翔は限りなく無防備に近い状態なのだ。
「どぅわっと!? し、死ぬぬぅ!? あっぶなぁ! いや、でももう少しで――はい、駄目でしたぁ! はぁー、クソゲー!!」
悪態を吐きながら空を駆ける大翔は、ギリギリの拮抗状態にあった。
聖火を用いて灰色の巨人を弔うためには、かなり接近しなければならない。
可能であれば、頭部に触れることが望ましい。
灰色の巨人は、その肉体のほとんどが灰で構成されている。しかも、権能に及ばぬ力では滅ぼすこともできない不死身の怪物だ。
だが、力の中心である核のような物は存在する。
そこへ大翔の全力で聖火を放つことができれば、連鎖的に肉体を構成する灰も、全て焼き尽くすことが可能だろう。それが、灰色の巨人と戦ったことのあるリーンの推測だった。
だからこそ、大翔は危険を承知で灰色の巨人へ近づかなければならない。
「ああもう、きっつい!」
しかし、それは至難だ。
奇襲のアドバンテージを活かすため、合流よりも先駆けを選んだところまではよかった。巨人の肩ぐらいの高さまでは、何とか空を駆け上がることはできたのである。
ただ、そこから先はまさしく地獄。
巨人の体の表面から、無数の『手』が構成され、大翔を取り込まんと縦横無尽に迫って来るのだ。
これには、回避や逃走の優れる大翔と言えでも、易々と掻い潜ることはできない。
ソルやロスティアからの救援を求めたいところだが、実のところ、これでも既に救援は行われているのだ。
ソルは復活した四本腕を切り払い、封じ続けている。
ロスティアは虎の子の魔法道具を最大展開し、灰色の巨人の変質を最低限に抑えている。
この二つの救援が無ければ、今頃、大翔は灰の物量によって押しつぶされていただろう。
だが、足りない。
まだ、足りない。
最弱の勇者が、ジャイアントキリングを成し遂げるためのピースが足りていない。
『《まったく、大翔は無茶をしなければ気が済まないのですか?》』
故に、それを補うのが相棒であるシラノの役目だ。
「シラノ! 会いたかったぜ、とても!」
腰に携えたハンディラジオから流れる音声に、大翔は思わず歓声を上げる。
この地獄の状況に於いて、シラノの声はまさしく天の助けに等しい。
そして何よりも、大翔は嬉しかったのだ。僅かな間の別れとはいえでも、無事にシラノと再会することができたことが。
『《はいはい、再会の喜びを分かち合うのは、目の前の脅威を何とかしてからです。大翔、何かしらの策はあるのでしょう?》』
「ああ、その通り! 奴は正しく弔われることが無かった怪物で、その本質は亡霊に近い物らしい。だから、俺の聖火は通じる。正しく弔い、葬送することができれば、奴の不死身は突破できるという寸法さ!」
『《その情報提供者は?》』
「師匠のお姉さん」
『《なるほど、最高の情報提供者です》』
大翔と言葉を交わすシラノの声は、明らかに先ほどよりも活力に満ちていた。
ソルとロスティアの補助をマルチタスクで行いながらも、疲労は微塵も感じさせない。
また、シラノと言葉を交わす大翔の動きも、明らかに先ほどよりもキレが増していた。
無数に迫りくる灰色の腕を掻い潜り、縦横無尽に空を駆けまわりながらも、息切れ一つしていない。
共に戦う相棒に、情けない姿なんて見せていられないとばかりに。
『《そうなると、この灰色の巨人を倒せば大体解決ですね?》』
「ああそうだな! この事態を引き起こしたであろう、クソむかつく『敵対者』をぶっ倒したらな!」
『《あー、やはり気づきましたか》』
「そりゃあね!? 明らかに殺しに来ている罠をぶつけられれば、そりゃね!? まぁ、シラノとソルは俺に配慮して、教えずにいてくれたんだと思うけど」
『《もちろん、私は大翔のメンタルは意外と脆いことを知っていますので》』
「お気遣いありがとう――――で、そろそろ妙案を考えついたかい、相棒?」
『《ええ、そちらも『もちろん』ですよ、相棒》』
大翔とシラノは軽口を叩き合いながらも、観察を欠かさない。
無尽に発生する灰色の手。
それと大翔が単独で回避し続けるのは難しい。ましてや、頭部へと接近するのは至難だ。シラノから口頭で指示を受けたとしても、高速で回避を続けている最中ではタイムラグで、その効果は発揮しにくいだろう。
つまりは、手詰まり。
そう考えるだろう――この二人以外ならば。
『《大翔。とっておきの作戦があるので、従ってください》』
「具体的には?」
『《失敗すると、大翔の頭が『ぱぁんっ』となります》』
「物騒なリスクを先に説明しないでくれる?」
シラノは、苦笑する大翔へ言葉を告げる。
『《私を信じて、受け入れてください。それだけで大丈夫ですから》』
具体的には程遠い、とてもやんわりとした作戦内容を。
けれども、今まで告げることができなかった、精一杯の信頼を込めて。
「ふむ」
その言葉に、大翔は一度考えるような素振りを見せた後、得意げに微笑んだ。
「いつもやっている得意技だけど、そんなのでいいの?」
かくして、大翔とシラノの逆転劇が始まる。
先ほどまでの停滞など嘘のように。
二人は灰色の手を潜り抜け、高く高く、駆け上がっていくのだった。
◆◆◆
――――当然ではあるが、黒幕はその隙を見逃さない。
「く、ふふ。照準よぉーし」
封印都市からやや離れた位置にある丘。
そこに、頭からすっぽりと黒衣を纏った少女――黒幕が居た。
寄り添うように体を預けながら、その手で操作している機械は、巨大なる狙撃銃だった。
ここではない世界。
魔法ではなく、科学が高度に発達した『サイエンスフィクション』染みた文明の世界。
そこには、魔力を一切用いずに『魔弾』を放つ狙撃銃が存在していた。
「さてさて、前回の反省を活かしまして。殺気は向けずに、自動操縦に設定して。後は機会を待つのみ、と」
空を弾くような射撃。
放つ弾丸に込められた極小機械――ナノマシンの働きにより、その狙撃は『跳ねる』のだ。魔力も使っていないというのに、魔術のような現象を引き起こす『魔弾』。
そして、それを放つ狙撃銃。
明らかに、魔術を用いた方が安上がりで済むような攻撃方法であるが、これには利点がある。
そう、魔力の起こりを相手に感知させない、という利点が。
「調子に乗った端役を引っかけて、思いっきり転ばしてやる機会をね」
邪悪に笑う黒幕は知っている。
魔力も殺意も発生させなければ、ソルの感知はすり抜けられると。
シラノの千里眼は、格上の能力を持つ自分には通じないと。
通じない範囲は、自分が触れている『持ち物』にも及んでいると。
復活させた灰色の巨人、それがばら撒く灰がある限り、易々と黒幕の居場所は探知できないと。
空を駆け上る大翔はこの後、黒幕の狙撃によって死ぬのだと。
「少しばかりの予定違いはあったけど、大筋は変わらない」
黒幕は知っている。
灰色の巨人を弔うことに、今の大翔は全神経を集中していることを。
この後、聖火を全力で使う時、絶好の隙が生まれることを。
――――大翔の死は、既に確定しているということを。
「運命は変わらないのですよぉ、佐藤大翔」
全ては予定調和であるとばかりに、黒幕は大翔を嘲る。
ぷしゅん、と狙撃銃にしてはかなり静かな発射音と共に放たれた『魔弾』が、空を跳ねるさまを見送る。
――――もう手遅れだ。
感知範囲外からの狙撃。
通常、あり得ない挙動の『魔弾』に、魔力を感じさせない下準備。
それは、シラノが途中で狙撃に気づいたとしても、間に合わないほどの速度で大翔の頭部へ飛び込んでいく。
大翔たちの逆転劇を覆し、悲劇へ塗り替えてしまうために。
◆◆◆
「見えてんだよ、クソ女」
そして、何もかもが覆される。
緋色のマフラーが『魔弾』を弾き落としたことを始まりとして。
全ての予定調和を――――運命を覆す、嵐が来るのだ。




