第49話 灰を撒く巨人
そもそもの話、その巨人は戦いが大嫌いだった。
巨人と狼の戦争。
松明と氷牙の相克。
陽光と冬の縄張り争い。
そういうものを全部嫌い、可能な限り、何者とも争わない場所でひっそりと生きていこうとしたのである。
どうせ、松明であるこの身が燃え尽きるまでの命。
進んで争うのも馬鹿馬鹿しいと。
「古き兄弟よ。貴様は主命に誇りを持たないのか?」
古参の同胞から非難されようとも、その生き方は変わらない。
松明の巨人は、言葉の代わりに火を移すことで意思疎通を図る生物なので、それはもう、たくさんの古参から炎を移されたものだが、それでも、その巨人の意志は変わらなかった。
何故ならば、馬鹿馬鹿しいと感じていたからだ。
巨人と狼。
どちらの眷属が勝とうとも、大して結果に変わりはないことを巨人は知っていたのだ。
そう、知っていたのだ。眷属の主たちはとっくの昔に、眷属のことはおろか、互いに奪い合おうとしていた世界のことすら忘れていることを。
超越存在とは、そういう輩であることを発生した直後に見抜いていたのだ。
「そんなことはない。主命を果たせば、我々は報われるのだ」
古参の巨人たちは、その巨人の言葉(火)を全く受け入れようとはしなかったけれども。
ともあれ、その巨人にとっては真実がどうであれ、穏やかに、平穏に過ごすことが第一優先事項だ。
愚かしくも一途な同胞がどうなろうとも関係ない。
襲い掛かる狼たちを適当に振り払いつつ、その巨人は世界の僻地で燃え尽きる日を待つことにしていた。
ただし、氷牙の銀狼たちはそれを許しはしなかった。
孤立した巨人。
しかも、『頭の足りない』他の個体に比べて、極めて高い知性を持つ者。数百頭がかりで襲っても、平然と撃退してくる古強者。
そんな特異個体を、寿命が尽きるまで見逃すという手段は取れなかったのだ。
かくして、銀狼の母体は、多くの同胞を犠牲にしてでも、その巨人を滅ぼすことを決めたのである。
「…………あぁ、まったく。馬鹿馬鹿しい」
長く、壮絶なる戦いの結果、その巨人は千を越える銀狼を焼き殺し、敗北することになった。
あれほど戦いは嫌だと言っていた巨人であるが、皮肉なことにその戦歴は古参の中でも随一。もっとも多くの銀狼を滅ぼした巨人として、同胞の中で認められることになってしまった。
――――それが、その巨人にとっての悲劇だったのだろう。
「古き兄弟は、我々の中で最も猛き者だった」
「彼こそが相応しい」
「復活するのは、彼がいい」
「彼こそが、銀狼を滅ぼす英雄となるのだ」
松明の巨人は全滅寸前の時、とある秘術を発動させた。
それは、陽光の乙女から授かった最終手段。
種族の力を集結させ、全ての火を一体の巨人に託すという、突出した個体を作るためのものだった。
それを、よりにもよって、その巨人の死体へ使ってしまったのである。
本来は、生存している同胞に向けて施すべき秘術だったというのに。
「『【おおお、おおおおおお】』」
結果として、巨人も銀狼も全滅した後。長い月日が流れた、全てが手遅れになった後に、その巨人は復活した。
復活させられてしまった。
もはや、松明の巨人とも呼べない、悍ましき灰色の巨人として。
「『【お、おおおお、おおぉおおおお】』」
灰色の巨人が呻くのは、苦しみと嘆きによって。
陽光の権能。
冬の権能。
二つの権能をその身に受けてしまったことにより、苦痛を伴う変質を強制されてしまっているからこそ、呻くのだ。
そして、この変質の果てが――――自らの創造主である陽光の乙女。その敵対者である冬の女王。あの悍ましき超越存在の同類になることだと自覚しているが故に、嘆いているのだ。
あんなものにはなりたくないのだと。
あんな、『永遠に苦しむことを義務付けられた怪物』になんてなりたくないと。
だからこそ、灰色の巨人はリーンの封印を受け入れた。
例え、永遠の封印になろうとも。
この苦痛が止まるのならば、この絶望に至る変質が止まるのならば、喜んで冬に埋もれようと、自ら進んで受け入れていたのである。
「申し訳ありませんけど、貴方にはちょっと囮になってもらいますので」
だというのに、その封印を解く者が現れた。
悪意を持って、灰色の巨人を利用しようという存在が。
「『【おおお、おぉおおおおおおっ!!】』」
故に、今の灰色の巨人は怒りも携えている。
愚かしくも、邪悪なる者を滅ぼすために。
苦しみ、嘆き、怒りながら呻いているのだ。
それが、封印を解いた者の企みであることも理解できずに。
かつて、優れた知性を持っていた巨人はもういない。
灰色の巨人は、死にぞこないの怪物だ。
灰を撒くことも本人が望んだわけではなく、単に変質の過程として生み出されているだけ。
超越存在と同じく、存在するだけで世界を破滅へ導いているだけなのだ。
だからこそ、今、灰色の巨人が望んでいるのはたった一つ。
――――どうか、安らかなる終わりを。
そう、己に終わりをもたらす聖火を、何よりも望んでいるのだ。
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灰色の巨人も、鬱陶しく群がる【粗製眷属】も、それらをけしかけてくる黒幕も、対処が不可能というわけではなかった。
ソルがその気になれば、灰色の巨人は倒すことができる。冬と夜の残滓が混ざり合った、出来損ないの【粗製眷属】は言わずもがな。虎視眈々と何かの機会を狙う黒幕も、ばら撒かれる灰による妨害が無ければ、即座に見つけ出すことぐらいは可能だ。
ただ、見逃せない問題が一つ。
「…………さて、あれに『夜の剣』の影響を与えていいものか」
幾度目かになる灰色の巨人によって振るわれる、両手の腕。
それらを平然と切り払うソルだが、その表情は苦々しい。
「シラノ、解析は?」
『《異能が及ばぬ相手なので、あくまでも私の推測ですが――――三割の確率で、化身級の怪物の誕生。二割の確率で存在の『超越』、残りの五割で無事に倒せるかと》』
「なるほど、全力で戦うのは論外だね」
黒衣の裏に忍ばせた、携帯端末。
そこから響くシラノの音声は、不吉な推測を告げてくる。
しかも、異能が使えずともシラノは高い計算能力と探査魔術を持つ存在だ。導き出された推測は杞憂ではなく、極めて現実的な問題である。
「怪物化した僕なら、間違いなく倒せる。でも、倒した後に『新生』した怪物相手だと、どうにもならない。そうなってしまえば、僕どころかヒロトにだって対処は不可能だ」
灰色の巨人は極めて不安定な状態だ。
常に変質しており、その変化は『超越』の方向へと向いている。
超越存在。
それは人智の及ばぬ怪物であるが、絶対に辿り着けない境地に存在しているわけではない。
魔導を極め、深淵のその先に踏み込めばあるいは。
武術を極め、力の極致すら超える真理を見つければあるいは。
多数の権能の影響を受け、新しく『理』が生まれてしまえばあるいは――――そう、灰色の巨人のように、超越してしまう可能性があるのだ。
万物に定められた、『生命』という法則から。
「藪をつつくような真似はしたくないね」
従って、世界最強クラスであるソルをしても、この状況は膠着していた。
こんな時、どうしようもなくどん詰まりな時に頼りになる大翔といえば、冬の結界へと転移してしまっているので、助けを求めることはできない。
むしろ、銀狼に殺されてしまう前にこちらが助けに行かないと本格的に不味い、というのが仲間たちの判断だった。
『《灰色の巨人の動きを少しでも止めることができれば、私が大翔を召喚できるのですが……うう、大翔。大翔……死なないでぇ……》』
その上、参謀役であるシラノは現在、メンタルに尋常ではないダメージを負っている。
ソルに何かを問われたのならば、何とか答えを用意することはできるが、自発的に打開策を考えることは難しい有様だ。
どうやら、大切な相棒である大翔を離されて、シラノは大分参ってしまっているらしい。
「やれやれ、困ったね、これは」
シラノの醜態に眉を下げつつも、ソルはそれを馬鹿にするつもりはなかった。
何せ、今まで数百年単位でメンタルが不安定だった自分からすれば、シラノはまだ落ち着いている方である。それに、大切な者を失いそうになる苦しみは、ソル自身も良く知っている。故に、馬鹿にしないし、責めることもしない。
「ロスティア、封印は?」
「難しい。どこかの馬鹿が、こちらの術式を妨害し続けている。何度か反撃で血反吐を吐かせてやっているが、多分、不死身の類だ。あまり意味は無い」
襲い掛かる【粗製眷属】を切り伏せながらも、ソルは打開策を考えだそうとする。
現状、唯一の希望があるとすれば、封印都市の創始者であるロスティアなのだが、その顔色は悪い。精神的な意味と、肉体的な意味で顔色が悪くなっている。
「恐らく、権能の一端を扱えるのだろう。冬の封印を似たような権能で打ち消している。技術で負けるつもりはないが、力の質では勝てる気がしない」
青ざめた顔色を通り越して、白蝋の如き顔色でロスティアは断言した。
ある種の敗北宣言にも聞こえるかもしれないが、これでもロスティアは絶望的な逆境に抗っているのだ。
灰色の巨人がばら撒く、灰に抗うための魔術。
【粗製眷属】が放つ権能を妨害し、少しでもソルの余裕をための魔術。
灰色の巨人を再封印するための魔術。
その他、黒幕のさらなる妨害に対抗するため、数多のアーティファクトを同時起動させ、超一流の魔術を維持し続けている。
「封印は難しい。今の拮抗も、そう長くはもたない」
従って、冷や汗と共に呟かれたロスティアの言葉は、純然たる事実だった。
ソルが怪物化し、賭けに出なければ順当に敗北するだけ。
「賭けをやるなら、早い方が良い……ただ、これはどうにも仕組まれている気がする」
しかし、ソルはこの状況に違和感を抱いていた。
敵対者。
シラノと大翔の世界を破滅へと導かんとする存在は、ソルも知っている。
そいつはうかつなところもあるが、ソルの追跡から逃げおおせるほどの【何か】を持つ相手だ。そんな相手が奇襲して来たのだから、この状況で賭けに出ても、それすらも予定調和である可能性がある。
「だが、やらなければどの道ろくなことにならない、か」
苦々しく言葉を吐き捨て、『夜の剣』を握る力を強めるソル。
警戒はしていたはずだった。敵対者が居ると理解していたが故に、ソルとシラノは大翔に知らせずとも、何かしらの奇襲に対しての備えはしていたつもりだったのである。
けれども、まさか化身にさえ及ぶほどの怪物をぶつけてくるとは思わなかったのだ。
そんなことをしてしまえば、ほぼ確実に、怪物を利用した敵対者にすら破滅すると考えていたのだから。
だが、どうやら敵対者である黒幕は、己の破滅すら躊躇わないか――――己が破滅しないだけの算段を立たせる【何か】を持っているらしい。
「『【お、お】』」
黒幕に対するソルの思考は、轟く声によって中断される。
ソルが見上げると、たった今、戦っている最中の灰色の巨人が、さらなる変貌を遂げているところだった。
具体的に言えば、今まで二本だった腕が倍増。
手数が足りないのならば、物理的に増やせばいいとばかりに『四本腕』となった灰色の巨人。それは、唸り声を上げながら増えた腕でソルを押し潰そうとしていた。
「くっ! これだから超越存在に連なる奴らは!」
もはや猶予は無い。
変貌と共に、灰色の巨人の力は強くなっている。
ならば、まだ倒せる内に、怪物化して勝負を決めるしかない、とソルは覚悟を決めた。
黒幕の予定調和である気配を感じつつも、この場で死んだら何にもならないと、『夜の剣』で己の腕を切りつけようとして。
「いや、そっか」
ソルはその光景を目にした。
「うちの勇者も大概だったね」
突如として現れた人影が――――緋色のマフラーを靡かせる少年が、巨大なる『四本腕』を焼き払う。
まるで、正統派勇者のように大翔が活躍する、そんな光景を。




