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第48話 リーン

 いつか、こんな日が来ると思っていた。

 リーンは冬の毛皮を被る時、そんな覚悟を胸に抱いていた。


 偉大なる狩人、アルケーの子孫。

 冬の毛皮を管理する一族。

 滅びかけた純粋なる長命種族にして、森の境界を敷く裁定者。

 それが、リーンという少女が生まれながらに与えられた責務だった。

 けれども、リーンにとってそれらの責務は羽毛に等しい。

 ――――ロスティアの姉であることに比べれば。


「もう。お姉ちゃんはいつも、ぐうたらしてばっかり。たまにはお掃除を手伝ってよ!」


 リーンは自分の妹が大好きだった。

 自分よりも小さく、自分よりも弱く、けれども、自分よりも優しい妹が大好きだった。

 昼間はほとんど家で寝っ転がり、ぐうたらしているリーンの姿を見てもなお、『仕方がない』と世話をしてくれる妹を愛していた。

 だからこそ、リーンはロスティアに伝えていなかったのである。

 狩りの本領は夜。

 ロスティアが寝静まった後、夜行性の獣たちと命がけの殺し合いをしていたことを。


「わぁ! お姉ちゃんってば、凄い! お姉ちゃんは世界一の狩人だね!」


 従って、リーンがロスティアに見せる狩りの姿は、余裕のある標的が相手の時のみ。

 命がけの殺し合いの様子なんて、間違ってもロスティアには見せない。ロスティアが心配するので、絶対に苦戦する姿なんて見せたくない。

 リーンはロスティアの前だけでは、世界一の狩人で居たかったのだ。

 どんな獣だろうとも余裕綽々で狩り、妹を怖がらせる者は許さない。そんな強い存在でありたかったのだ。

 けれども、そんな虚勢を続けられたのは、灰色の巨人が現れるまでだった。


「近隣の国家で、『灰による肺患い』が流行しているわ。このままだと、この世界の住人は全て、あの灰によって殺されるかもしれない」


 灰色の巨人は、神話の時代から再誕を果たした怪物だった。

 松明の巨人。

 陽光の乙女の眷属であり、氷牙の銀狼と生存戦争を続けていた、創世神話の神々の片割れ。

 ――――その死にぞこない。

 リーンが調べた結果、灰色の巨人は明らかに異常な状態にあった。

 本来、銀狼たちを滅ぼすために与えられた炎を扱わない。否、扱えない状態にある。そればかりか、何故かばら撒く灰には、銀狼たちが扱っている氷牙に類する力――冬の残滓も込められていた。

 つまり、どういうことなのか?


「あれはもはや、ただの眷属じゃない。何か別の恐ろしい者へと変質し続けている」


 妹には決して聞かせられない呟きを、リーンは考察として吐き出していた。

 単なる死にぞこないならば構わない。

 松明の巨人の劣化状態なら構わない。

 だが、灰色の巨人は明らかに違う存在に変質し続けている死体だ。死体を母体として、新しく新生しようとしている何かがある。

 そしてそれは、創世神話に出てくる二体の超越存在――その同類であるかもしれない。


「大丈夫よ、ロスティア。お姉ちゃんが、なんとかしてあげるからねぇ」


 リーンの決断は早かった。

 灰色の巨人は封印しなければならない。

 完全に変質が終わる前に。

 人類が滅びる前に。

 何より、妹であるロスティアへ未来を与えるために。

 リーンは冬の毛皮を被ることを選んだのだ。


「大丈夫、大丈夫だからねぇ……ロスティアは何にも心配しなくていいわ。だって、私は貴方のお姉さんなんだもの。貴方を守るわ。貴方の未来を守るわ。貴方が素敵な女性になって、幸せになれる未来を、私は――――」


 だから、リーンに後悔なんてない。

 冬の呪いに精神が蝕まれ、肉体が変貌している最中でも、後悔なんて一欠けらも生まれなかった。

 何故ならば、覚悟はずっと前に終わらせていたから。

 いつかこんな日が来ると。

 ロスティアのため、全ての遺恨を背負って消え去る日が来ると悟っていたのだから。

 まだ赤子だったロスティアを抱いた時、リーンは自分自身に誓っていたのだから。


『□□□□□』


 何があっても、妹を必ず守るのだと。

 だから、銀狼と成り果てようとも、リーンに後悔なんてなかった。



 ………………。

 …………。

 ……。

 長い、長い時間が流れた。

 時間の流れの中で、リーンの意識は銀狼の奥底へと沈んでしまっていた。

 永遠に続く冬の中。

 しんしんと降り続く雪に埋もれるような孤独。

 ただ、そんな孤独な日々の中でも、リーンは僅かながらに夢を視ることができていた。


 それは、幸せな未来の夢。

 主に、ロスティアが自分のことなんて忘れて、幸せに暮らしていく日々の夢だ。

 夢の中のロスティアは、世界一の職人で。弟子もたくさん居て。その内、最高に格好良い男の子を弟子にするのだ。

 そして、ロスティアは弟子の男の子は段々と仲良くなって、恋に落ちて。結婚して。子供を産んで。育てて。幸せに、何時までも幸せに過ごすのだ。

 その夢は、妄想はどこまでも都合が良くて、微睡むリーンの慰めだった。

 ただ、ほんの少しだけ。

 いつも見る夢とは異なる、もっと都合のいい夢を見ることもある。


 それは、乙女としての夢。

 銀狼と成り果てたリーンの呪いを、何処かの国の王子様が解いてくれる。そして、王子様はリーンに都合よく惚れて、なんやかんやで恋仲になるのだ。

 そして、恋仲になった後、結婚式には遠くからロスティアが駆けつけてくれて。たくさんの弟子や、子供たちも一緒に引き連れて、お祝いに来てくれる。

 そんな、そんなどこまでも都合のいい夢を、リーンは見ていたのだ。



「…………あぇ? 王子様?」

「いえ、勇者ですが?」



 だからかもしれない。

 目覚めた時、明らかにボロボロな姿の少年を、とても格好良いと思ってしまったのは。



●●●



「なるほど。貴方はロスティアの弟子で、私を助けに来てくれたのねぇ」


 目を覚ました直後、リーンはしばらく混乱した様子だったが、目の焦点が合ってくる頃には状況を正しく理解し始めていた。

 大翔が勇者であること。

 冬の呪いを焼き払う権能を持っていること。

 そして、大翔がロスティアの弟子であること。

 大翔から受けたこれらの説明を理解すると、リーンはまず表情をすっと引き締めて頭を下げた。


「ありがとうございます。貴方のおかげで、私は永遠の呪いから解き放たれることができました」

「いや! あー、俺もほら、利益があるからやっているというか、君の妹さん――師匠と契約しているからね。その都合で助けただけだから、全然もう、お気になさらず!」


 リーンの殊勝かつ礼儀正しい態度に、大翔は頬を赤らめながら謙遜する。

 勇者となってから人を助けることには慣れて来た大翔だったが、このように改めてきっちりとお礼を言われると照れてしまうらしい。


「いいえ。どのような理由があっても、貴方が私を命がけで助けてくれたことは事実です。この恩義は必ず、偉大なる狩人アルケーの名に誓って報いましょう」


 しかも、頭を上げて大翔を見つめるリーンは、紛れもなく美少女だった。

 ロスティアと同色の藍色の髪は、肩まで伸ばしたセミロング。姉妹らしく似通った顔つきではあるが、リーンの方がロスティアよりも柔らかく、人当たりの良い美貌だ。異国情緒あふれる狩人の衣装をまとう肉体も、細身ではあるが筋肉質。ロスティアのように不健康からの痩身ではなく、健康的で引き締まった肉体の持ち主だった。

 ロスティアが近寄りがたい険のある美女ならば、リーンは自然と周囲に人が集まって来るような美少女である。


「むぅ」


 そんな美少女から真摯なお礼を言われてしまったのだ。

 未だ、勇者としてお礼を言われ慣れていない大翔としては、どのように言葉を返していいのかわからない。


『マスター、何を悩んでいるの?』


 従って、イフが戸惑う大翔のフォローに入る。

 騎士団長の兄を持つイフは、こういう時、どのように対応すればいいのか理解していたのだ。


『そこはちゃんと「ならば嫁に来い!」と男らしく言ってあげないと。こういう時、女の子に恥をかかせたら駄目よ?』

「イフさん???」


 もっとも、それは世界観によるギャップがあるものだったのだが。

 どうやら、イフがかつて暮らしていた世界観では、このような場面だと助けた男が責任を取って娶るのが主流らしい。


『え? だって、マスターは独身でしょう? だったら、ちょうどいいじゃない。自分の血筋は残せる時に残しておかないと』

「しかも、結婚どころか子供を産んでもらう前提!?」

『うん? そりゃあそうよ? どんなに凄い騎士の家系でも跡継ぎが生まれないと大変だもの。うちの馬鹿兄貴も戦争の前には、部下の家系が途絶えないようにとお見合いのセッティングに大忙しだったのよ?』

「世界観によるギャップ! 世界観によるギャップだよ! というか、こんなことをいきなり言われてもリーンさんが困るでしょうが!」


 イフを諭すように、真っ赤な顔で言葉を尽くす大翔。

 しかし、その大翔の様子に首を傾げたのは、よりにもよって話題の当事者であるリーンだった。


「え? 私は困りませんが?」

「んんん???」

「命を助けられるってそういうことだと思いますし」

「今度はジェネレーションギャップ!」


 リーンはイフの提案に乗り気だった。

 今は恩人の手前、礼儀正しい態度を装っているが、元々リーンは狩人の家系である。しかも、巨獣を易々と狩り、夜には恐るべき獣たちと殺し合うような、生粋の戦士だ。更には、寿命という制限が無い長命種族なのだ。

 神話時代の基準で、リーンは結婚しにくいタイプの人間だったのである。

 結婚する機会があるのなら、しかもそれが『自分を助けに来た勇者』という浪漫あふれるシチュエーションならば、是非ともこの流れに乗りたいと考えていた。


「あ、でも、ロスティアの弟子ということは……うふふっ、やだ! 勇者様ったら、そういうことなのですねぇ?」

「どういうこと!?」

「うふふっ、そういうことならば私は身を引きましょう……でも、ロスティアを、妹を幸せにしなかったら許さないわ!」

「なんで弟子であることがイコールで結婚相手になっているの!?」


 もっとも、それはそれとして、リーンが一番に考えるのは妹の幸せだ。

 リーンの妄想の中では、格好良い男の子――リーンの基準――で、ロスティアの弟子は、ロスティアと恋仲になっている設定らしい。従って、妹の幸せを考えるのならば、結婚する絶好の機会でも身を引くことを躊躇わないのだ。

 妹想いの馬鹿。

 それがリーンという少女だった。


『でも、リーンちゃん。場所によっては一夫多妻という手もあるわ』

「従者様、そのような方法が!?」

「はーい! 会話を切り上げまーす! こういうことを言っている場合ではないので、真面目な話をしまーす!」


 イフとリーン。

 二人の女子による恋愛トークが盛り上がりそうなところで、強制的に大翔は会話を切り上げる。二人から、『えー』という抗議の視線を受けようとも取り合わない。

 何故ならば、まだ戦いは終わっていないのだから。


「灰色の巨人と――それを復活させた敵が居る。俺を排除して、俺の仲間を襲い、師匠も害そうとする奴が居る」


 そして、イフとリーンは女子であると同時に、戦士だった。

 大翔の言葉を聞くと、すぐさま日常から戦いへと精神を切り替える。

 どちらも即座に無駄口を叩くのを止め、勇者の言葉を待つ。


「そいつをぶち殺して、灰色の巨人もぶっ倒す。仲間を救いに行く。何か異論がある人はいるかな?」

『「異議なし!!」』

「ならば、よし!」


 イフとリーンが威勢よく応答する姿を見て、大翔もまた力強く頷いた。

 銀狼との死闘を経ても、なおも尽きない活力に違和感を覚えつつも、今はそれを振り払って前を向く。

 障害を排して、敵を倒して、大切な仲間を助けるために。

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