第47話 冬を越える
大翔はミシェルと契約を交わしている。
大翔が支払うべき対価は、ミシェルをロスティアの弟子にするため、最大限の努力を行うことだ。
「私が差し出す対価は、この世界に居る間、アンタに与えられた『死』を一度だけこちらで引き受けることだ」
そして、ミシェルが大翔に支払った対価は、『身代わり』である。
「アンタは勇者としてやるべきことがあるから、この世界に来たんだろう? だったら、この契約は『保険』として有効のはずだ。その代わり、アンタは私がロスティア様の弟子になれるように最大限尽力してくれ」
大翔とシラノを納得させるだけの対価。
作戦決行前の、貴重な時間を割くに値するとした対価は、ミシェルが大翔の『保険』となること。
吸血鬼の血を引くミシェルは、本来の吸血鬼よりも不死性は劣るが、それでも一度だけならば致命傷を受けても問題ない。
例え五体がバラバラにされ、胴体から内臓が零れようとも、ミシェルならばなんとかなる。即座に再生しなくとも、回復魔術や高位の魔法道具を使用すれば、誰かの死を引き受けることぐらいは可能なのだ。
そう、過去に工場が吹き飛ぶような事故に巻き込まれていても即死しなかった時のように。
「この契約は、互いが世界を立会人として誓約を交わし合う、最大級の魔術儀式だ。何があっても、この世界に居る間は、絶対に契約は履行される。だから、世界が滅ばない限りは、この契約が破棄されることはない」
そして、ミシェルが契約の際に用いた儀式魔術も、シラノが『問題ない』と保証するほど確実性の高いものだ。
ミシェルの言葉通り、この世界に居る間は、絶対に契約は履行される。
それが、冬の結界内部だったとしても。
死を与えた相手が、権能を振るう銀狼だったとしても。
――――契約は履行される。
「ごぷはぁ!?」
「うわぁああああ!? ミシェルが唐突にスプラッタな有様に!?」
「絶対、ろくでもないことになっているにゃー」
「はいはい、回復魔術。回復魔術」
封印都市の外部。
安全圏に作られたシェルター内部で、ミシェルが大翔の死にざまそのままに、ダメージを全て引き受けることになった。
従って、契約に基づき――――大翔の足掻きは、まだ終わらない。
●●●
千切れ飛んだ大翔の肉体は、地面に落ちるよりも前に修復が果たされた。
さながら時間が逆行したかのように。
銀狼に噛み千切られた肉体は、何一つ傷を受けていない状態まで修復される。
これは、大翔が持つ勇者の資格と同様に、世界が施した修復だ。
契約が履行したが故に、世界自体が大翔の死を拒絶し、魂が肉体から離れてしまう前に復活させたのである。
「――――っづ」
当然、肉体が修復されたからといって精神が無事であるとは限れない。
むしろ、廃人となっていてもおかしくは無かった。何せ、一度死んだのだ。ほんの一瞬とはいえ、大翔は紛れもなく死んでいたのだ。
臨死体験ではなく、確実に生命を絶たれてからの復活である。
普通ならば精神を病んでもおかしくないし、復活直後は錯乱により動けなくなって仕方がないほどの経験なのだ。
「お、あ」
されど、大翔は止まらない。
普通ではなく、勇者であることを選んだが故に止まらない。
空中での蘇生を終えた大翔は、そのまま、地面に落下するより前に空を蹴る。ロスティアの魔法装備ではない。それらは全て、冬の権能によって封印されている。故に、大翔は魔法学園で取得した魔術を発動させ、空中で方向転換したのだ。
『――――』
確実な死からの復活。
それには流石の銀狼も驚いたのだろう。翡翠の瞳を僅かに揺らめかせ、一瞬の隙を作ってしまう。そう、世界最強クラスの戦いならば、決着がついてしまうほどの隙を。脆弱な勇者が相手であるのならば、何の問題もないはずの隙を。
「召喚」
その僅かな隙の間、大翔が行ったことは攻撃ではない。聖火による浄化でもない。
コートの内側にある収納空間。そこから、秘密兵器を取り出すことだ。
無論、収納空間にしまい込んでいようが、冬の権能からは逃れられない。ロスティアが持たせてくれたアーティファクトは全て封印されている。
だからこそ、大翔は『一切魔力の込められていない物体』を、自前の魔術で収納空間から召喚したのだ。
そう、何の変哲もない、一枚のシャツを。
『――――□』
姑息な目隠しのように、銀狼の眼前へと広げられた真っ白なシャツ。
銀狼は当初、それに何の感情も抱かず、姑息な足掻きごと大翔を噛み殺してやろうと思っていた。
そのシャツから、懐かしい匂いが流れて来るまでは。
『□□』
匂いを嗅いでから数秒、銀狼の中に駆け巡ったのは感情の奔流だった。
怪物に成り果てても、まだ消えぬ想い。
何千年経とうとも、魂に刻み付けられた誓い。
どれだけ成長していても、確かに理解できる存在の残滓。
最愛の妹であるロスティアとの記憶が、世界最強クラスの怪物へとあり得ないはずの隙をもたらす。
「つか、まえた」
そして、いくら最弱の勇者であったとしても、それだけの隙があれば十分だった。
「最大、出力――――っ!!!!」
銀狼の胴体にしがみ付いた大翔は、そのまま全力の聖火を放つ。
明らかに、人間が扱える権能の限界を超えた聖火を。
「お、おおおおおおおおおおおおおっ!!」
吠え猛る大翔が放つ聖火は、まさしく火柱。
銀狼の肉体はおろか、冬の結界すら焼き焦がすほどの大出力での火炎は、容赦なく冬の呪いを溶かし始める。
『――――□□ァ□□!!!』
圧倒的な炎の奔流の中、銀狼は抗うように悲鳴を上げる。
声も無く、音も無く、静寂の王者であったはずの銀狼は、なりふり構わずと言った様子で足掻き始める。
「ぐ、ぎががあああぁああああああ!!」
銀狼が放つ、冬の権能。
聖火さえも吹き飛ばした、封印の力を大翔は零距離で浴びせかけられる。
通常の人間ならば、その時点で存在が凍結。勇者であっても精神が止まる。世界最強クラスでようやく対抗できるような封印を前に、けれども大翔は揺るがなかった。
「な、め、ん、なぁああああああああああああああああ!!」
心身を薪にするかのように、更に聖火の出力は上がる。
限界など知るかとばかりに、大翔は権能の扱いを飛躍的に向上させていく。
既に、その聖火の出力は聖女すらも凌いでいた。
「がうぐううううううっ!!」
だが、大翔にはそんな実感はまるでない。
自分が人間としての境界を踏み越えたことなんかよりも、今、銀狼の肉体から離れないことが全てだった。
故に、大翔はしがみ付く。
銀色の毛皮にだって噛みつき、みっともなくとも離れないために全身全霊を尽くす。
『ガ□ァ□□□ァアアアアア!!!』
けれども、みっともなさでは銀狼も負けてはいない。
権能の出力で押されていることを理解した銀狼は、暴れ馬の如く体を動かし始めたのだ。
己の肉体にしがみ付く、忌々しい『天敵』を振り払うために。
「足掻くんじゃねぇ!」
『□□ッ!』
互いに醜く罵り合いながら、大翔と銀狼はもつれ合う。
銀狼の身体能力であるのならば本来、一瞬にして大翔を振り払えるはずなのだが、聖火によって焼かれているため、著しくその性能を落としている。
そして、大翔からすれば性能が落ちた銀狼の動きでも、十分に振り落とされる可能性があるから必死だった。
例え、傍から見ていれば飼い犬とじゃれ合うような滑稽な有様だったとしても、本人たちはとても真剣だった。
「足掻くな! 喚くな! 受け入れろ! 君と! 師匠を! ――ロスティアを! 再会させるのが俺の目的なんだからさぁ!」
だからこそ、大翔はなんだってする。
この期に及んで、会話による銀狼のデバフ効果も狙っている。
銀狼――リーンの意識を少しでも浮上させて、この窮地を押し切ろうとしているのだ。
そこに、戦う者としてのプライドは欠片も無い。あるのは、何が何でも銀狼の呪いを焼き尽くしてやるという決意のみ。
『――――』
苦し紛れと呼んでも良い、大翔の説得。
その言葉による動揺は、確かに銀狼にもあった。
直前に、ロスティアのシャツを嗅いだことによる補正もあったのかもしれない。僅かに抵抗が緩み、何かを受け入れるように権能の出力も低下して。
『マ、モ、ル』
盛大に藪蛇を突く羽目になった。
最愛の妹を思い出したからこそ、銀狼は奮起してしまった。
戦い、守らなければならないという記憶を想起してしまったが故に。
『ガ、ルゥッ!』
「ごっ」
胴体を空中で回転させ、そのまま地面に落とす曲芸。
けれども、通常の人間程度の身体能力しかもたない大翔を振り払うには、十分過ぎるほどの威力が込められていた。
恐らくは、銀狼としての本能ではなく、リーンとしての知略による一撃。
皮肉にも、冬の呪いが解けかけているからこそ、大翔は冷静に振り払われることになったのだ。
「ま、て」
遠ざかろうとする銀狼へ、大翔は聖火を放つが、足りない。
聖火に焼かれながらも、銀狼は冷静に行動している。冬の権能で聖火を中和しながら、距離を取っている。
後方にある木々を引き抜き、それを大翔に叩きつけるという必殺の行動を取るために。
理解しているのだ。
大翔を殺すには、権能よりもありきたりな物理攻撃が有効なのだと。
「まち、やがれ」
息も絶え絶えに聖火を扱い、銀狼に追い縋ろうとする大翔。
しかし、その距離は遠ざかるばかりだ。身体能力で劣る大翔では、銀狼に追いつけない。このまま、物理攻撃による死を待つ未来しか訪れないだろう。
『残念』
そう、大翔がたった一人で戦っていたのならば。
『――――勇者からは、逃げられないわ!』
必死に大翔から距離を取ろうとしていたが故に、銀狼は気づけなかった。
その背後に、復活したイフが炎の大剣を構えていたことを。
『だらっしゃああああああい!!』
『ガキャッ!?』
渾身のフルスイングにより、銀狼の肉体は吹き飛ばされる。
大翔の眼前へと、絶好のタイミングで転がされる。
そう、大翔の右手。その中指に収まった『アマテラス』の封印が焼き払われた瞬間と、ほぼ同時に。
「妹の最高傑作だ。しっかりと味わえ」
大翔は聖火を燃え盛らせない。
ただ一点、『アマテラス』へと聖火を収束させ、己の右手を銀狼の口内へとぶち込んだのだ。
『ガ、ア――――』
「冬はもう終わりにしよう」
そして、聖火は放たれた。
収束し、極点まで絞り込まれた聖火の光は、さながら陽光の如く。
眩く周囲を照らし、余波は一瞬にして冬の結界を焼き払う。
まさしく、御業。
人の領域を遥かに超えた一撃。
「…………は」
世界の法則すらも『超越』してしまった大翔は、目が眩むような光が収まった後、思わず気の抜けた声を漏らした。
「は、ははははっ」
やがて、その声は笑い声へと変わり、周囲へと響き渡る。
ただ、それは空々しいような笑い声ではない。
「人の気も知らないで。まったく、なんて間抜けな寝顔だよ?」
何故ならば、大翔の腕の中には確かに、人の温かみがあったのだから。
そう、赤ん坊のように大翔の右手にかぶり付く、暢気で緩やかな美少女。
師匠であるロスティアと寝顔がそっくりな――――リーンの姿があったのだから。




