第46話 銀狼
それは元々、オルゴールに憑りついただけの残留思念だった。
まともに動くことはおろか、アーティファクトとして認識されることも難しいほど、微弱な魔力しか持たない存在。
できることと言えば、大翔のように極端に魔力耐性が低い者の意識を、ほんの少しだけ惹くだけ。それも洗脳からは程遠く、『珍しい石ころを見つけた』程度の効果しか持たない。
ただ、綺麗な音色を流すだけの遺物だった。
けれども、それは大翔に拾われるまでの話だ。
『あ、なんか凄く丁寧に手入れしてくる……しかも、壊れかけた部品も新しく補充してくれているし』
大翔は封印都市で暮らしている最中、僅かなプライベートの時間を使い、よくオルゴールの手入れを行っていた。
ソルやシラノからすれば、『単なる物好き』程度の道楽だが、大翔本人としては割と本気にオルゴールを大切にしていたのである。
何故ならば、大翔にとってこのオルゴールは命の恩人ならぬ恩物。亡霊神殿に於いて、仲間たちの窮地を救う一手となった――と信じている一品である。
魔導技師の知識を手に入れたからは、それはもう、懇切丁寧に整備をしていたのだ。
『うん? なんか最近、思考がやけにはっきりするわね?』
すると、アーティファクトであるオルゴールと大翔の間にあった『縁』が、段々と深まり始めたのである。
オルゴールの中にある残留思念。それが大翔へ向ける感謝の気持ち。
聖火を持つ大翔が、オルゴールに向ける信頼の気持ち。
それらは無意識の内に結び付き、思わぬ『主従契約』として成立していたのだ。
『いや、なんか明らかに炎を形成して疑似的な受肉もできるようになったし……明らかに何かの影響が……』
大翔の役に立ちたい。
その想いに呼応するように、聖火は残留思念の少女を強化し続けて来た。
少しずつ、少しずつ。
シラノやソルばかりか、大翔本人すらも気づかない内に。
大翔の中の聖火と同化し、単なる残留思念から――――大翔の眷属として、存在が革新されていたのである。
『うーん。でも、今から顔を出しても……あの魔剣士がいるのなら、私は足を引っ張るだけでしょうから』
とはいえ、眷属となった少女は出しゃばるつもりは無かった。
ソルやロスティアが居ることで、既に戦力は充実している。今更、『多少、魔法剣が使える程度の腕前』で、仲間面をしたいとは思っていなかったのだろう。
眷属となった少女は、革新を経てもなお、慎ましく大翔を見守るつもりだった。
――――そう、大翔が絶体絶命の危機に陥る、そんな時が来るまでは。
『舞え、炎華っ!』
舞踏の如く真紅の騎士が動き、剣閃が炎の華を描く。
さながら、ファイヤーアートの如く。
真紅の騎士が剣を振るう度、剣に纏わせた聖火が美しく空間を彩っていた。
大翔に群がろうとする、狼たちを切り裂いて。
『巻き取れ、風縄っ!』
更に、真紅の騎士が扱う力は炎だけではない。
旋風。
雪煙で構成された亡霊の狼たち。その肉体を絡めとり、行動を阻害するように、風を自在に操っているのだ。
『いざ、尋常に――聖火に召されなさい!!』
踊るように立ち回り、美しく焼き払う。
旋風と共に周り、剣閃にて切り伏せる。
その実力は、ソルや聖女を守護していた騎士には見劣りするものの、紛れもなく英雄クラス。
『……ふぅ。まぁ、こんなもんね』
つまりは、大翔の代わりに狼たちを全て薙ぎ払うには、十分過ぎるほどの腕前を持っていたのである。
「き、君は、一体……」
真紅の騎士の活躍を呆然と眺めていた大翔は、思わずと言った様子で問いかける。
その表情は、半信半疑。
自分を助けてくれた真紅の騎士への感謝と、こんな都合のいい助っ人が現れてくれるのか? という、自分自身の運命に対する疑問。
そんな大翔の問いかけに対して、真紅の騎士――眷属の少女は、躊躇うことなく断言した。
『私はオルゴールの精霊――つまり、貴方の味方よ!』
「味方っ――いや、オルゴールの精霊!!?」
そう、わざわざ顔を覆っていた兜を消して。
きちんと生前の少女としての顔を形成し直して。
それはもう、とびっきりの笑顔で断言したのだった。
●●●
イフ。
オルゴールの精霊を名乗る少女に、大翔はそのような名前を付けることにした。
『名前? ああ、元の名前は――げほんっ! 私は貴方が大事にしてくれたオルゴールの精霊だから、名前なんてないわ。よければ、貴方が付けてくれる?』
「あの、明らかになんか違うよね? オルゴールの精霊というよりは、亡霊神殿に残っていた亡霊の誰かみたいな――」
『私はオルゴールの精霊よ。貴方の世界で言うところの……ツクモガミ? みたいな存在だから』
「いや、音系の魔術とか異能を行使するならともかく、どうしてオルゴールの精霊が、思いっきり剣術や魔術を――」
『私はオルゴールの精霊よ。マスターである貴方の敵を焼き払うのが、唯一無二の存在理由』
「誤魔化すならもっと丁寧に誤魔化してくれる!?」
大翔としては、元々の名前があるのならそちらを名乗って欲しかったところだが、『オルゴールの精霊だから』と強弁していたのである。
『ちなみに、これは主従契約になるから割としっかりと名前を考えて欲しいわ。貴方との縁が強くなればなるほど、私が引き出せる力も強くなるから』
「従者イズ俺?」
『従者イズ私』
しかも、オルゴールの精霊を名乗る少女は、大翔に忠誠を誓っていた。
英雄クラスの力を持ち、大翔よりも聖火を上手く扱える少女が。
非常に助かるどころか、地獄に垂らされた蜘蛛の糸の如き希望だが、どうしてそんな人材が急に生えて来たのか、さっぱり理解できていない。
『さっき、マスターって呼んだでしょう? この馬鹿』
「あ、はい。すみません……でも、何故に?」
『一生を捧げてもいい恩があるから。でも、詳細は後で。今はやるべきことがある……そうでしょう?』
「ああ、確かに。今は銀狼を――」
『その前に名前』
「はい。気合を入れて考えます」
ただ、事情は理解できなくとも、眼前の少女から向けられる恩義は本物だった。
従者というよりも、鈍間な後輩を叱る先輩のような態度であるが、敵意や侮りは欠片も存在しない。
本気で力になろうとしてくれている。
それがわかったからこそ、大翔も銀狼攻略中にも関わらず、三分間ほど必死に頭を悩ませて名前を考えたのだ。
その結果、考え付いた名前が『イフ』である。
『ふんふん、由来は?』
「ええと、イフリータは俺の世界では、炎の精霊の女性バージョンなので」
『安直ね。でも、悪くないわ』
「それと、あー、うん。翻訳の影響で改めて言い直すのがややこしいけど――イフはIFって意味もあるんだ。新しく名前を得る君が、これから『もしも』の人生を歩んでいくという意味も持たせたかった」
『…………オルゴールの精霊って言ったじゃない』
眷属の少女――イフは炎で形成されているため、顔色はわからない。
しかし、どこか拗ねたように呟くその姿は、身に余る嬉しさを噛み殺しているようでもあった。
『ふん。色々言いたいことはあるけれど、そこは従者として我慢してあげるわ。私の名前はイフ。イフリータのイフで、『もしも』の人生を歩むイフ。これからよろしく、マスター』
イフは喜びを抑えながらも、毅然と大翔へと手を差し伸べる。
その姿を見て、大翔は思わず苦笑してしまった。
馬鹿にしたわけではない。
イフは実力もさながら、生前を模した形は、凛々しくも精悍な美貌を持つ少女だ。オレンジ色でセミロングの髪を持ち、火の粉を散らしながら戦う姿は、まさしく幻想的。
こんな美少女が自分の従者になるなんて『浪漫溢れる展開』は、それこそ、旅を始めた頃の大翔は予想していなかっただろう。
旅を始める前の大翔であったのならば、そんな状況に酔い、イフに一目惚れでもしていたかもしれない。
「ああ、頼りにしているよ、イフ」
だが、今は違う。
今の大翔がイフに向ける気持ちは偏に、感謝と信頼だった。
そう、相手は美少女だというのに、差し伸ばされた手を取ろうともまるで緊張しない。そんな当たり前は、この窮地に於いて相応しくないから。
「銀狼を倒して、呪いを焼き払う。そのためには、君の力が必要なんだ」
普通の男子高校生だった大翔は、変わり始めていた。
絶望に抗う勇者として、相応しい精神性へと。
――――それが大翔にとって良い影響であるかどうかは、まだ誰にもわからない。
イフという戦闘力を得た大翔は、順調に冬の結界を攻略していた。
元々、攻略の手順は仲間たちとの作戦会議で決まっていたのである。戦闘力が圧倒的に足りていなかった所為で今までは使えなかったが、イフが仲間になったのならば話は別だ。
『舞え、炎華っ!』
「結界作成!」
イフが狼たちを焼き払い、その後に大翔が『聖火の結界』を配置する。
大翔だけならば、結界の準備をしている間に襲撃されてしまうが、その間、守護してくれるイフが居るのであれば問題ない。
かくして、即興のコンビネーションではあるが、二人は油断なく亡霊の狼たちに対処していた。もはや、狼たちがどれだけ数を増やそうとも意味は無い。
『聖火の結界』が発動すれば、その空間は聖火の影響を受ける場となり、狼たちでは立ち入ることはできなくなるのだから。
『……さて、そろそろ本番よ、マスター』
「おうとも。自信のほどは?」
『一撃で消し飛ばされなかったら褒めてちょうだい』
「うわぁ、そんなに?」
そして、二人はいよいよ銀狼本体の領域へと踏み入った。
『一応、私は消し飛ばされても再形成できるけれど、その間にマスターが死ぬわ』
「だろうね」
『死ぬ前に、全力で聖火を叩き込みなさい。そのための隙は私が作るわ』
「了解。生き残るために最善を尽くすよ」
軽口を叩きながら二人が見据える物は、一頭の狼だ。
雪で覆われた丘に佇む、銀色の狼。
大きさはそこまでではない。
大翔の背丈と同等程度。配下の狼よりも一回り大きいが、それだけ。
姿形も、特異なものは何もない。
銀色の毛皮に、翡翠の瞳を持つ獣であるというだけ。
――――ただ、その銀狼は『静寂』を背負っていた。
「――――っ!」
『…………ちっ』
大翔が息を飲み、イフが舌打ちしたくなるほどの威圧感。
真なる強者は騒がす、吠えない。
静謐に、ただ敵対者を噛み殺すのみ。
大翔とイフ。
二人の脳裏に浮かんだのは、それぞれが信頼を寄せる世界最強クラスの存在。
それと同等の気配を纏う銀狼は、紛れもなく次元の違う相手だった。
「『アマテラス』最大発動。我が身を焦がし、燃え盛れ」
『馬鹿兄貴。アンタみたいな力を、私に』
大翔は『踏み越える』覚悟を持って、聖火を限界以上に纏う。
イフは祈りを唱えながら、生前を超える剣閃を放つ。
二人とも、紛れもなく実力以上の力を発揮していた。
最善を越えた、最高の攻撃を銀狼に向けていた。
『――――□□□』
だが、銀狼に対しては無意味である。
音の無い銀狼のひと吠え。それはまず、イフの体を形成していた炎を消し飛ばした。聖火で形成された体を、それ以上の権能で上書きしたのである。
銀狼が扱う冬の権能。
全てを冷たく、零の状態へと戻す封印の力。
それは護衛であるイフを易々と突破し、大翔の聖火すらも消し飛ばした。
さながら、蝋燭の火でも吹き消すように。
「――――あ」
当然、その権能を前にすれば、ロスティアの装備も意味を為さない。
あらゆる防御は無意味化し、氷の牙は無慈悲に大翔の胴体へと突き刺さる。
「かひゅ」
装備を整えようとも。
知略を練ろうとも。
絆で結ばれていようとも。
覚悟を持っていたとしても。
祈りを捧げていたとしても。
あらゆる足掻きを噛み砕き、零にしてしまう存在。
それこそが、銀狼。
世界最強クラスの怪物である。
「ご、ほっ」
つまり、当然の如く大翔の肉体は銀狼によって噛み千切られた。
肉が潰れ、骨が砕け、内臓がばら撒かれ――――間違いなく、絶命したのである。
そして、『契約』が発動した。




