表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/123

第41話 冬を越えたら

 書斎に響く、控えめなノックの音。

 数回、繰り返されるリズムに揺さぶられて、ロスティアの意識は微睡みから引き上げられる。

 どうやら、ベッドで横になっている内に眠ってしまっていたらしい。


「…………弟子か」


 ノックの音から書斎の扉を叩く人物を割り出すと、ロスティアはベッドから体を起こし、立ち上がる。

 そして、魔術で手早く身だしなみを整えると、ドアの外へと聞こえるように声をかけた。


「入れ」

「はい。失礼します、師匠」


 鍵はかかっていないし、かける必要も無い。

 そのことを理解している弟子――大翔は、すんなりとドアを開けると書斎へと足を踏み入れる。従者用の服ではなく、学園の制服を着ているところから、これから生真面目に講義を受けに行く予定なのだろう。

 ロスティアが与えた課題であったが、大翔は文句を言いながらも順調にこなしていた。

 恐らくは作戦を決行するよりも前に、その課題は達成されることになる。少なくとも、ロスティアの予想はそのようなものだった。


「ミシェル・ケルビンの扱いに関して、ご相談に来ました」


 ただ、予想外だったのは、大翔がわざわざ弟子希望の学生――ミシェルの世話をしてやっているということだ。

 もちろん、短い付き合いではあるが、ロスティアは大翔の善性を十分に理解している。困っている人間が目の前に居たのならば、何か不都合が無い限り、大翔は助けようと行動するだろう。

 けれども、今は銀狼に挑む前の重要な期間だ。

 ロスティアの都合で弟子として行動させているとはいえ、無暗に他者の事情を背負い込める状況ではない。


「…………あの子か。給料の相談は最低限、一か月の働きを見てからだぞ?」

「いえいえ、賃上げ交渉ではなく。もっと、根底の待遇に関するお話です」

「…………」


 その前提でなお、大翔がミシェルに肩入れするのならば、何かの事情……もしくは、利益があるのだろうとロスティアは推測していた。

 作戦決行前のこの期間、ロスティアの機嫌を損ねる危険性を加味した上で、交渉に及ぶだけの利益が。


「言っておくが、私の弟子はお前だけだ」


 しかし、ロスティアにとっては、そんなことは知ったことではない。

 駄目なものは駄目。嫌な物は嫌。

 例え、一番弟子である大翔の頼みだったとしても、この考えを覆すつもりはなかった。


「ああ、やはり師匠はミシェルを弟子にはしたくないのですか?」

「そうだ」

「それは、何故?」

「…………あんな下手くそなんて、私の弟子には要らん」


 だからこそ、ロスティアは毅然と拒絶の言葉を言い放ったのだが、大翔にはまるで堪えた様子がない。

 にへら、と気の抜けた笑み――姉であるリーンに、どこか似た面影がある表情で、言葉を続けていく。


「それは、前に師匠が言っていた才能と性質の話ですか? 冷めていて、乾いていなければ、貴方の弟子は務まらないという」

「ふん。つまらんことをいつまでも覚えているな、お前は」

「尊敬すべき師匠のお言葉ですから」

「だったら、世辞は嫌いだと言ったことも覚えていろ」

「いえ、単なる事実ですので……うん、割とマジでロスティア師匠のことは尊敬している。弟子を放置することに対する文句をめちゃくちゃ言いたいけど、貴方が作ったアーティファクトは凄い。半死半生、いや、死にかけの子供を一瞬で蘇生させたエピソードとかは、正直、見直したし」

「…………むぅ、私も最近までは忘れていたようなことを」


 ロスティアは弟子である大翔のことを、妙に気に入ってしまっていることを自覚していた。

 性格も性別も、容姿もまるで違うのに、大翔は姉であるリーンに少し似ているのだ。具体的にどこが? と問われたら困るが、強いて言うなら雰囲気――後は、言葉の紡ぎ方。


「だから、弟子を取る基準、取らない理由があるのなら、俺はちゃんと聞いておきたい。納得したいんだよ、貴方の一番弟子として……それでは、駄目ですか?」

「…………はぁ」


 踏み込んでくるのに、嫌ではない。

 こちらを傷つけることを恐れず、けれども、寄り添うように紡がれる言葉は、ロスティアの癪に障らない。ついつい、答えたくなってしまう。ましてや、一番弟子として認めてしまったのは自分自身なのだから、言い訳を考えることすら面倒になってしまった。


「弟子、人の精神は無限だと思うか?」


 故に、ロスティアは仕方なく語ることにした。

 語ってもどうしようもない、無情なる事実を。


「いえ、流石にそれはあり得ないと思います。確かに、尋常ならざる精神力を持つ超人は居ると思いますが、それだって限界があります。無限に続くモチベーションなんてあり得ない」

「ああ、その通りだ、弟子。人間……いいや、種族を問わず、精神性があるのなら必ず直面する問題がモチベーションだ。モチベーションは時に、『熱意』として人間を先に進ませる原動力となる。才能が無くとも、熱意や気合、そういうものがあれば、人間は先に進み続けられるというのが、万民に愛される定説だろうな」


 語りながら、ロスティアはテーブルの上に置かれたワイン瓶を手に取る。

 コルクを外し、その中にある赤い液体を、そのまま瓶に口を付けてごくごくと喉を鳴らして飲み干す。


「……はぁ」


 そして、酒精と倦怠感が混ざった吐息と共に、言葉を吐き出した。


「でも、そんなものは真っ赤な嘘だ」


 長い年月を経て、鉛のように重くなった自虐の言葉を。


「少なくとも、私はそうだったんだよ、弟子。お前のことだ、大方、私と姉……リーンに関する事情も知っているだろう?」

「ええ、一般的な神話の内容と、師匠がお姉さんの呪いを解くため、魔導技師として研鑽を続けていただろうってことぐらいは」

「はっ、大体当たりだ。だけどな、ちょっとだけ違う。事実は合っているが、実態は違う。私はそんなに立派な妹じゃあなかった」


 卑屈の笑みと、荒んだ瞳で語り始める。


「最初の百年は寝る間も惜しんだ。早く、一秒でも早く姉に会いたい一心だった。自分の中にある熱意に押されながら、才能を惜しみなく注ぎ込み、研鑽に励んださ」


 時折、ワインで喉を潤しながら、酒精で言葉を滑りやすくしながら、過去を語っていく。


「次の百年は色んな人物に教えを乞いに行った。その次の百年は、様々な教えを自分流にまとめて、昇華させた。次の百年は実験作を何度も出して…………次の、その次の、次の…………ずっと、研鑽を続けて、千年が過ぎた頃だ」


 けれども、ロスティアは全く酔えない。

 神話の時代に生まれた、もっとも強い長命種族であるロスティアは、酒程度では酔えない。

 だから、わざと酔ったふりをしながら、愚者を気取りながら、言葉を告げるのだ。


「――――私は、飽きた」


 心底、自分自身を軽蔑する言葉を。


「……は? いや、あの、師匠?」

「く、くくくっ、薄情だと思うか? 思うだろう? 私も当時、そう思ったんだよ。でもな? 考えてもみろよ、弟子。千年だぞ? 千年間、ずっとだぞ? 姉を救い出すため、っていう目標があるとはいえ、ずっと魔導技師として研鑽を積んできたんだぞ? 普通に考えて、飽きるとは思わないか?」


 ロスティアが自虐と共に吐き出す言葉に、大翔は何の言葉も返せない。

 ただ、時間の流れの残酷さを思い知らされて、目を見開いているだけだ。


「当時の私は、何度も否定したよ。そんなことはあり得ない。私は姉を大事に思っているし、そのためだったらなんでもできるって思っていた。でも、それでも、心は全然動かないんだ。まるで、脚本に書いてある台詞を言っているような気分になるし、魔法道具を作るのも億劫になっていく……全然、まるで冬の呪いを払う段階まで進めていないのに、だ。まったく、時間の流れって奴は、どこまでも残酷だと思ったよ」


 どれほど辛い思いも、長い時間の流れが癒してくれる。

 そんな格言は、どの世界にも存在する。

 だが、だからこそ、相反するような残酷な格言もあるのだ。

 どれだけ尊い想いだろうとも、時間が経てば風化すると。

 ――――永遠に変わらぬものなど、何もないのだと。


「さて、弟子よ。完全にモチベーションを失くしてしまった私だが、その時、どうしたと思う? 千年の漂白により、冷めて、乾いた私はどうなったと思う?」

「……そういうことですか?」

「そうだ、そういうことだ」


 だからこそ、ロスティアという長命種族は――極致にまで辿り着いた魔導技師は、その残酷さを受け入れたのだ。


「惰性で続けたんだよ、他にやることも無かったら。今更、他の何かをする気も起きなかったから、抜け殻のようなモチベーションで、研鑽を続けたんだ。少しずつ、少しずつ、牛歩の進みでも。飽きていたとしても。気まぐれに湧き出るやる気に縋りながらも。私は今までずっと、止めることなく、退屈な地獄を進み続けた」


 当然、気分は荒んだ。

 性格は歪んだ。

 技術が停滞することもあった。

 大切だった記憶が色あせることもあった。

 それでも、ロスティアは前に進み続けたのである。

 例え、冷めていようが、乾いていようが、惰性だろうが、体が動けば前に進めるだろう、とばかりに。


「そして今、私はここに居る。だから、弟子。ここまで言えば、わかるだろう? 私の至上目的は、姉を救い出すことなんだ。その一助となることなら、どれだけ面倒でもやってみせよう。正直、魔導技師の仕事なんて飽き飽きしているが、それでも傑作を生み出してやろう。だがな、弟子? 私の弟子を増やす? お前のように『役に立つ対等な存在』ならともかく、どうして私に及ばない未熟者を育ててやらないといけないんだ?」


 だからこそ、ロスティアは弟子を取らないのだ。

 大翔のような例外を除き、『自らの足を引く』面倒を嫌うのだ。


「それは……まぁ、そうですね」

「そうだろう? 仮に、仮にだ。ミシェルという子供が、鍛え上げれば役に立つ才能を持っていたとする。だが、それを鍛えるのに何年かかる? 最低でも、百年は越えないといけないぞ? 吸血鬼のハーフだから寿命問題は大丈夫かもしれないが……正直、鍛え上げている最中に、ミシェルが飽きないか心配だ。熱意がある者ほど、長い時間には耐えられない。燃え上げるような熱意を持つ者ほど、短く輝いて燃え尽きるものだ。そうなってしまえば、そいつに費やした私の時間や労力はまるで無意味になるんだぞ?」


 二千年に及ぶロスティアの経験則に、大翔は何も言えない。

 実際に二千年を生きていない者には、ロスティアの絶望を理解できない。

 そもそも、ロスティアには理由が無いのだ。ミシェルを弟子にするだけの理由が。大翔のように、求めていた権能を与えてくれるような存在でもないのだから。


「これで、わかっただろう? 私はお前以外の弟子は取らない。私の目的の役に立たないから。私が面倒だから」


 ロスティアの結論を、大翔は覆すことはできない。

 これは紛れもない事実だ。


「はい、わかりました、師匠――――つまり、こういう交渉は『お姉さんを助けてからにしろ』ということですね?」

「えっ?」


 従って、大翔の発言はロスティアの結論を崩さず、けれども、その先を行くものだった。


「だって師匠は、お姉さんを助けることが至上目的で、その役に立たないから弟子を取らないんでしょう?」

「そ、そうだが?」

「だったら、お姉さんを助けた後は『役に立つ』って条件は考慮しなくても良いですよね!」

「それは――」


 明るく、当然のように告げられる大翔の言葉に、ロスティアは思わずたじろぐ。

 果てしなく長い時間、ずっと目的を遂げられなかったからこそ、『目的を果たした後』という想定が及ばず、反論の言葉が紡げない。

 いや、そもそも紡ぐ必要はないのだ。


「となると、残る問題は『面倒臭い』ってことですが……そこはまぁ、お姉さんと一緒に説得させて貰います。ええ、何せ俺はお姉さんの恩人になる予定の男ですから。だから、これから先の交渉は、ミシェルを弟子にするかどうかは、ハッピーエンドの後日談にしましょう!」


 姉が、リーンが戻って来る。

 その悲願さえ果たされるのならば、それだけでロスティアは報われるのだから。


「は、はははっ……ああ、そうか。そうだったな、うん。これは、そういう話だった。私としたことが、寝ぼけていたのかもしれない」


 苦笑するロスティアは、大翔の言葉の意味を完全に理解していた。

 これは、結論を覆すための言葉ではない。

 停滞を焼き払い、冬を越えて、『目的を果たした後』にどうするのかを話し合うための言葉なのだ。


「ああ、きっと……姉なら、お前と一緒に…………は、はははっ、まったく。とことん、お前という奴は、私を笑わせてくれるな」


 現実逃避の妄想ではなく、可能性がある未来として話し合える。

 むしろ、助けることを当然のように言う大翔の姿に、ロスティアは苦笑するのではなく、緩やかに笑った。


「わかった。その時はきっと、面倒臭がらずに話し合おう」


 ようやく、本当の意味で『希望』を実感するように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ