第41話 冬を越えたら
書斎に響く、控えめなノックの音。
数回、繰り返されるリズムに揺さぶられて、ロスティアの意識は微睡みから引き上げられる。
どうやら、ベッドで横になっている内に眠ってしまっていたらしい。
「…………弟子か」
ノックの音から書斎の扉を叩く人物を割り出すと、ロスティアはベッドから体を起こし、立ち上がる。
そして、魔術で手早く身だしなみを整えると、ドアの外へと聞こえるように声をかけた。
「入れ」
「はい。失礼します、師匠」
鍵はかかっていないし、かける必要も無い。
そのことを理解している弟子――大翔は、すんなりとドアを開けると書斎へと足を踏み入れる。従者用の服ではなく、学園の制服を着ているところから、これから生真面目に講義を受けに行く予定なのだろう。
ロスティアが与えた課題であったが、大翔は文句を言いながらも順調にこなしていた。
恐らくは作戦を決行するよりも前に、その課題は達成されることになる。少なくとも、ロスティアの予想はそのようなものだった。
「ミシェル・ケルビンの扱いに関して、ご相談に来ました」
ただ、予想外だったのは、大翔がわざわざ弟子希望の学生――ミシェルの世話をしてやっているということだ。
もちろん、短い付き合いではあるが、ロスティアは大翔の善性を十分に理解している。困っている人間が目の前に居たのならば、何か不都合が無い限り、大翔は助けようと行動するだろう。
けれども、今は銀狼に挑む前の重要な期間だ。
ロスティアの都合で弟子として行動させているとはいえ、無暗に他者の事情を背負い込める状況ではない。
「…………あの子か。給料の相談は最低限、一か月の働きを見てからだぞ?」
「いえいえ、賃上げ交渉ではなく。もっと、根底の待遇に関するお話です」
「…………」
その前提でなお、大翔がミシェルに肩入れするのならば、何かの事情……もしくは、利益があるのだろうとロスティアは推測していた。
作戦決行前のこの期間、ロスティアの機嫌を損ねる危険性を加味した上で、交渉に及ぶだけの利益が。
「言っておくが、私の弟子はお前だけだ」
しかし、ロスティアにとっては、そんなことは知ったことではない。
駄目なものは駄目。嫌な物は嫌。
例え、一番弟子である大翔の頼みだったとしても、この考えを覆すつもりはなかった。
「ああ、やはり師匠はミシェルを弟子にはしたくないのですか?」
「そうだ」
「それは、何故?」
「…………あんな下手くそなんて、私の弟子には要らん」
だからこそ、ロスティアは毅然と拒絶の言葉を言い放ったのだが、大翔にはまるで堪えた様子がない。
にへら、と気の抜けた笑み――姉であるリーンに、どこか似た面影がある表情で、言葉を続けていく。
「それは、前に師匠が言っていた才能と性質の話ですか? 冷めていて、乾いていなければ、貴方の弟子は務まらないという」
「ふん。つまらんことをいつまでも覚えているな、お前は」
「尊敬すべき師匠のお言葉ですから」
「だったら、世辞は嫌いだと言ったことも覚えていろ」
「いえ、単なる事実ですので……うん、割とマジでロスティア師匠のことは尊敬している。弟子を放置することに対する文句をめちゃくちゃ言いたいけど、貴方が作ったアーティファクトは凄い。半死半生、いや、死にかけの子供を一瞬で蘇生させたエピソードとかは、正直、見直したし」
「…………むぅ、私も最近までは忘れていたようなことを」
ロスティアは弟子である大翔のことを、妙に気に入ってしまっていることを自覚していた。
性格も性別も、容姿もまるで違うのに、大翔は姉であるリーンに少し似ているのだ。具体的にどこが? と問われたら困るが、強いて言うなら雰囲気――後は、言葉の紡ぎ方。
「だから、弟子を取る基準、取らない理由があるのなら、俺はちゃんと聞いておきたい。納得したいんだよ、貴方の一番弟子として……それでは、駄目ですか?」
「…………はぁ」
踏み込んでくるのに、嫌ではない。
こちらを傷つけることを恐れず、けれども、寄り添うように紡がれる言葉は、ロスティアの癪に障らない。ついつい、答えたくなってしまう。ましてや、一番弟子として認めてしまったのは自分自身なのだから、言い訳を考えることすら面倒になってしまった。
「弟子、人の精神は無限だと思うか?」
故に、ロスティアは仕方なく語ることにした。
語ってもどうしようもない、無情なる事実を。
「いえ、流石にそれはあり得ないと思います。確かに、尋常ならざる精神力を持つ超人は居ると思いますが、それだって限界があります。無限に続くモチベーションなんてあり得ない」
「ああ、その通りだ、弟子。人間……いいや、種族を問わず、精神性があるのなら必ず直面する問題がモチベーションだ。モチベーションは時に、『熱意』として人間を先に進ませる原動力となる。才能が無くとも、熱意や気合、そういうものがあれば、人間は先に進み続けられるというのが、万民に愛される定説だろうな」
語りながら、ロスティアはテーブルの上に置かれたワイン瓶を手に取る。
コルクを外し、その中にある赤い液体を、そのまま瓶に口を付けてごくごくと喉を鳴らして飲み干す。
「……はぁ」
そして、酒精と倦怠感が混ざった吐息と共に、言葉を吐き出した。
「でも、そんなものは真っ赤な嘘だ」
長い年月を経て、鉛のように重くなった自虐の言葉を。
「少なくとも、私はそうだったんだよ、弟子。お前のことだ、大方、私と姉……リーンに関する事情も知っているだろう?」
「ええ、一般的な神話の内容と、師匠がお姉さんの呪いを解くため、魔導技師として研鑽を続けていただろうってことぐらいは」
「はっ、大体当たりだ。だけどな、ちょっとだけ違う。事実は合っているが、実態は違う。私はそんなに立派な妹じゃあなかった」
卑屈の笑みと、荒んだ瞳で語り始める。
「最初の百年は寝る間も惜しんだ。早く、一秒でも早く姉に会いたい一心だった。自分の中にある熱意に押されながら、才能を惜しみなく注ぎ込み、研鑽に励んださ」
時折、ワインで喉を潤しながら、酒精で言葉を滑りやすくしながら、過去を語っていく。
「次の百年は色んな人物に教えを乞いに行った。その次の百年は、様々な教えを自分流にまとめて、昇華させた。次の百年は実験作を何度も出して…………次の、その次の、次の…………ずっと、研鑽を続けて、千年が過ぎた頃だ」
けれども、ロスティアは全く酔えない。
神話の時代に生まれた、もっとも強い長命種族であるロスティアは、酒程度では酔えない。
だから、わざと酔ったふりをしながら、愚者を気取りながら、言葉を告げるのだ。
「――――私は、飽きた」
心底、自分自身を軽蔑する言葉を。
「……は? いや、あの、師匠?」
「く、くくくっ、薄情だと思うか? 思うだろう? 私も当時、そう思ったんだよ。でもな? 考えてもみろよ、弟子。千年だぞ? 千年間、ずっとだぞ? 姉を救い出すため、っていう目標があるとはいえ、ずっと魔導技師として研鑽を積んできたんだぞ? 普通に考えて、飽きるとは思わないか?」
ロスティアが自虐と共に吐き出す言葉に、大翔は何の言葉も返せない。
ただ、時間の流れの残酷さを思い知らされて、目を見開いているだけだ。
「当時の私は、何度も否定したよ。そんなことはあり得ない。私は姉を大事に思っているし、そのためだったらなんでもできるって思っていた。でも、それでも、心は全然動かないんだ。まるで、脚本に書いてある台詞を言っているような気分になるし、魔法道具を作るのも億劫になっていく……全然、まるで冬の呪いを払う段階まで進めていないのに、だ。まったく、時間の流れって奴は、どこまでも残酷だと思ったよ」
どれほど辛い思いも、長い時間の流れが癒してくれる。
そんな格言は、どの世界にも存在する。
だが、だからこそ、相反するような残酷な格言もあるのだ。
どれだけ尊い想いだろうとも、時間が経てば風化すると。
――――永遠に変わらぬものなど、何もないのだと。
「さて、弟子よ。完全にモチベーションを失くしてしまった私だが、その時、どうしたと思う? 千年の漂白により、冷めて、乾いた私はどうなったと思う?」
「……そういうことですか?」
「そうだ、そういうことだ」
だからこそ、ロスティアという長命種族は――極致にまで辿り着いた魔導技師は、その残酷さを受け入れたのだ。
「惰性で続けたんだよ、他にやることも無かったら。今更、他の何かをする気も起きなかったから、抜け殻のようなモチベーションで、研鑽を続けたんだ。少しずつ、少しずつ、牛歩の進みでも。飽きていたとしても。気まぐれに湧き出るやる気に縋りながらも。私は今までずっと、止めることなく、退屈な地獄を進み続けた」
当然、気分は荒んだ。
性格は歪んだ。
技術が停滞することもあった。
大切だった記憶が色あせることもあった。
それでも、ロスティアは前に進み続けたのである。
例え、冷めていようが、乾いていようが、惰性だろうが、体が動けば前に進めるだろう、とばかりに。
「そして今、私はここに居る。だから、弟子。ここまで言えば、わかるだろう? 私の至上目的は、姉を救い出すことなんだ。その一助となることなら、どれだけ面倒でもやってみせよう。正直、魔導技師の仕事なんて飽き飽きしているが、それでも傑作を生み出してやろう。だがな、弟子? 私の弟子を増やす? お前のように『役に立つ対等な存在』ならともかく、どうして私に及ばない未熟者を育ててやらないといけないんだ?」
だからこそ、ロスティアは弟子を取らないのだ。
大翔のような例外を除き、『自らの足を引く』面倒を嫌うのだ。
「それは……まぁ、そうですね」
「そうだろう? 仮に、仮にだ。ミシェルという子供が、鍛え上げれば役に立つ才能を持っていたとする。だが、それを鍛えるのに何年かかる? 最低でも、百年は越えないといけないぞ? 吸血鬼のハーフだから寿命問題は大丈夫かもしれないが……正直、鍛え上げている最中に、ミシェルが飽きないか心配だ。熱意がある者ほど、長い時間には耐えられない。燃え上げるような熱意を持つ者ほど、短く輝いて燃え尽きるものだ。そうなってしまえば、そいつに費やした私の時間や労力はまるで無意味になるんだぞ?」
二千年に及ぶロスティアの経験則に、大翔は何も言えない。
実際に二千年を生きていない者には、ロスティアの絶望を理解できない。
そもそも、ロスティアには理由が無いのだ。ミシェルを弟子にするだけの理由が。大翔のように、求めていた権能を与えてくれるような存在でもないのだから。
「これで、わかっただろう? 私はお前以外の弟子は取らない。私の目的の役に立たないから。私が面倒だから」
ロスティアの結論を、大翔は覆すことはできない。
これは紛れもない事実だ。
「はい、わかりました、師匠――――つまり、こういう交渉は『お姉さんを助けてからにしろ』ということですね?」
「えっ?」
従って、大翔の発言はロスティアの結論を崩さず、けれども、その先を行くものだった。
「だって師匠は、お姉さんを助けることが至上目的で、その役に立たないから弟子を取らないんでしょう?」
「そ、そうだが?」
「だったら、お姉さんを助けた後は『役に立つ』って条件は考慮しなくても良いですよね!」
「それは――」
明るく、当然のように告げられる大翔の言葉に、ロスティアは思わずたじろぐ。
果てしなく長い時間、ずっと目的を遂げられなかったからこそ、『目的を果たした後』という想定が及ばず、反論の言葉が紡げない。
いや、そもそも紡ぐ必要はないのだ。
「となると、残る問題は『面倒臭い』ってことですが……そこはまぁ、お姉さんと一緒に説得させて貰います。ええ、何せ俺はお姉さんの恩人になる予定の男ですから。だから、これから先の交渉は、ミシェルを弟子にするかどうかは、ハッピーエンドの後日談にしましょう!」
姉が、リーンが戻って来る。
その悲願さえ果たされるのならば、それだけでロスティアは報われるのだから。
「は、はははっ……ああ、そうか。そうだったな、うん。これは、そういう話だった。私としたことが、寝ぼけていたのかもしれない」
苦笑するロスティアは、大翔の言葉の意味を完全に理解していた。
これは、結論を覆すための言葉ではない。
停滞を焼き払い、冬を越えて、『目的を果たした後』にどうするのかを話し合うための言葉なのだ。
「ああ、きっと……姉なら、お前と一緒に…………は、はははっ、まったく。とことん、お前という奴は、私を笑わせてくれるな」
現実逃避の妄想ではなく、可能性がある未来として話し合える。
むしろ、助けることを当然のように言う大翔の姿に、ロスティアは苦笑するのではなく、緩やかに笑った。
「わかった。その時はきっと、面倒臭がらずに話し合おう」
ようやく、本当の意味で『希望』を実感するように。




