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第40話 神話の姉妹

 ロスティアは、書斎のベッドに倒れ込んでいた。

 ベッドの周囲には、聖火の実験結果に関わる無数の書類が散乱している。

 一見すると、研究の進捗が思わしくなく、自棄になって思考を放棄しているようにも見えるかもしれないが、そうではない。


「…………終わった」


 うつ伏せのまま、枕へと小さく呟いた言葉こそが、ロスティアが自分の研究をやり遂げたことを証明する証だった。

 聖火による銀狼対策――否、銀狼の呪いを焼き払うための魔法理論、それが完成したのである。

 後は、その魔法理論に従って、最適なアーティファクトを制作するのみ。

 つまりは、ロスティアにとって十八番の作業が待っているだけだった。


「本当に、あと少しだ」


 アーティファクトの制作に、気を抜いていい工程なんて存在しない。

 だが、それでも、ロスティアには成功の予感があった。二千年以上も魔導技師として活動している者の直感が告げているのだ。

 今の自分ならば、聖火を――権能を十全に引き出すだけのアーティファクトを制作できると。

 数十年ぶりに、己の最高傑作を超える作品を生み出せると。


「…………長かったな」


 けれども、この予感はロスティアにとって、ある意味では当然のことだった。

 何せ、ロスティアは感情に作品の出来が左右される職人である。

 ならば当然、神話の時代から続く、己の悲願がかかった作品であるのならば、最高傑作は更新されるものだろう。


「もうすぐ会えるよ、リーンお姉ちゃん」


 現在の口調ではなく、遠い過去の口調で呟くロスティア。

 その意識は、程よい達成感が揺り籠となり、遠い過去――――ロスティアが幼く、幸福だった時代を回想する。

 そう、愛しい姉と共に過ごした時代を。



●●●



 封印都市が生まれるよりも遥かに前。

 世界創造が行われた後。

 未だ、生命が世界に誕生していない虚無の時代に、二体の超越存在が滞留していた。


「アタシが先に来ていた場所だろうが、さっさとどこかに行け。寒いんだよ、お前」


 一体は、陽光の乙女と呼ばれる超越存在。

 化身ではなく、本体。

 到来と共に、世界全土を焼き尽くす怪物は、その世界を大いに焦がしていた。


「はぁああああ? 私のお気に入りの場所だったんですけどぉ? というか、貴方が暑苦しいんですよ」


 もう一体は、冬の女王と呼ばれる超越存在。

 こちらも本体。と言うより、化身なんて器用な真似は冬の女王はできない。

 到来と共に、世界全土を凍結させる怪物は、その世界を大いに凍えさせていた。


「根暗女」

「尻軽女」

「非モテ」

「淫乱」

「「…………この女ぁ」」


 二体の超越存在は、相性が悪かった。

 喧嘩という概念が超越存在に当てはまるかはさておき、人間に例えるのであれば、前述したような――とてもくだらない因縁の付け合いで、争いを始めたのである。

 ただ、二体の超越存在はどちらも理解している。

 このまま自分たちが争えば、このお気に入りの世界は、瞬く間に消滅してしまうだろうと。


 超越存在は、人間の尺度から大きく離れた怪物であるが、利害を判断する個体も確認されている。

 陽光の乙女と、冬の女王は比較的、人間に近い考え方をする個体だ。

 お気に入りの世界を手に入れるため、その世界が消滅してしまうような争いをするような考え方はしない。結果的に、うっかりそうなる可能性はあったとしても、最初からそんなことは望んでいない。


「松明の巨人よ」

「氷牙の銀狼よ」

「「代理戦争を行いなさい」」


 従って、二体の超越存在は、それぞれ眷属を生み出すことにした。

 陽光の乙女は、松明の巨人。

 劫火を身に纏い、寿命が尽きるまで火を灯し続ける、巨大な人型種族を作り出した。

 冬の女王は、氷牙の銀狼。

 常冬を身に纏い、氷牙にて敵を狩り続ける、獰猛な獣型種族を作り出した。


 互いの眷属同士で戦わせ、勝利した方がこの世界の持ち主となる。

 そのような制約を交わし合い、二体の超越存在はその世界から離れることになった。互いに手と口を出さないように、争いが終わった後に勝敗を確認することにしたのだ。

 もっとも、どちらの超越存在も忘れっぽく、新たにお気に入りの世界を見つけた結果、この争いはすっかり忘れ去られてしまったのだが。


 ともあれ、主に忘れ去られようとも、二種類の眷属は争いを止めない。

 互いに至上命令を達成するため、絶滅を恐れずに殺し合う。

 焼いて、凍らせて、溶かして、流れて。

 二種類の眷属が争い合うと、その後には多くの水が生まれた。

 超越存在の残滓が込められた水は、やがて世界に馴染むと海となり、多くの生命を生み出すための母体となったのである。

 故に、この眷属たちの争いを、歴史は『大海戦争』と名付けていた。


 終わらない戦争などはなく、途絶えない種族も存在しない。

 二種類の眷属の争いは、長い時間続いたが、ようやく決着の時がやって来た。

 勝利した眷属は、氷牙の銀狼。

 松明の巨人よりも質で劣る銀狼は、戦いの最中、繁殖を何度も繰り返し、増えた仲間たちと共に巨人を狩り尽くしたのである。

 もっとも、巨人を狩り尽くす絶滅戦争を経て、銀狼の種族はほとんど全滅してしまったが。

 煌々と燃え続ける劫火を抑え込み、灰へと変えてしまうには、それほどの犠牲が必要だったのだ。

 そして、銀狼という種族が弱った瞬間を、人類は見逃さなかった。


「この世界に、神々は必要ない」


 海より発生した生命は、いつの間にか多種多様な進化を遂げていた。

 その進化の一つには、人類の姿もあった。

 人類は巨人と銀狼という、巨大な力を持つ眷属たちを畏れ、同時に憎んでいたのである。

 人類が脆弱だった時は、眷属たちを神々として祀り上げ、忌避し続ける日々を送っていたが、それも『大海戦争』が終わる時まで。


「創世なる神々よ、我らの糧となるがいい」


 人類は弱り切った銀狼を、数多の手段によって狩った。

 魔術。毒。騙し討ち。あるいは、単純なる物量作戦。

 人類は眷属たちよりも遥かに弱い種族だが、それでも、数が圧倒的に多かった。眷属たちが争っている間に、どんどんと数を増やしていたのである。

 その上、人類は数が揃えば文明を作り出す。眷属たちでは作り出すことのできない文明は、悪意と憎悪によって、人類たちの武器となった。

 そうして、人類は銀狼を全て狩り尽くしたのである。


『呪いあれ! 忌まわしき狩人に、呪いあれ!』


 もちろん、銀狼たちも何の爪痕を残さずに死んだわけではない。

 人類が銀狼を狩ったことによって、手に入れた冬の毛皮。冬の女王の力が強く残る、遺物。それらに呪いをかけたのである。

 【この毛皮を被る者は、我らの同族である】と。

 従って、人類は折角手に入れた毛皮を、何にも活かすことなく焼き捨てることになった。

 何故ならば、その毛皮を被った者は例外なく、銀狼と化して、人々を襲い始めたのだから。


 しかし、ただ一つだけ、焼き捨てることができない毛皮があった。

 それは原初にして、あらゆる銀狼の母体となった古狼の毛皮。

 どれだけ高い温度の火にくべても、その毛皮は毛先すら焦げない。当時の人類たちでは、毛皮から違う物へと加工することも難しい。

 そのため、最後に残った冬の毛皮は、人類の中でも最も強い狩人に託されることになった。

 悪用を防ぎ、いつか焼き払う時まで守り抜くために。


 狩人の名前は、アルケー。

 銀狼を最も多く狩り殺し、古狼に止めを刺した、偉大なる狩人。

 ――――その子孫が、リーンとロスティア。二人の姉妹なのだった。



●●●



 ロスティアにとって、姉は唯一の家族だった。

 父親は居ない。ロスティアが五歳の時に、巨獣の狩りに失敗して、食われてしまったから。

 母親は居ない。ロスティアを産んだ後、熱を出して死んでしまったから。

 だから、家族は姉のリーンだけ。

 偉大なる狩人アルケーの子孫は、たった二人の姉妹を残すのみとなっていた。


「まぁまぁ、命優先のまったり狩りで生きていきましょう? 森から獣たちを出さなければ、近隣の国も文句を言わないわぁ」


 姉であるリーンは、狩人の一族の中でも随一の腕前を持っていたが、生憎、気性は心底の怠け者だった。

 昼間からだらだらと、牛の乳を飲みながら詩集を読み漁って。

 夜はいつの間にか、すやすやと寝床で横になっている。

 食べて、寝て、遊んで。一体、何時働いているのか? とロスティアは疑問に思ったことも少なくない。

 ただ、昼行燈であったとしても、リーンが働いていないとは思っていなかった。


「ロスティア。これ、今晩のおかずよ? 後、森の境界線を荒らしていた狼の群れを狩って、毛皮にしておいたから。そっちの加工もよろしくね?」


 リーンはいつも、ロスティアの知らない間に狩りを終えている。

 ロスティアが『鹿を食べたいなぁ』と言えば、その翌日には緑王を。

 ロスティアが『あの狼怖いなぁ』と言えば、その翌日には狼の群れを。

 昼行燈の怠け者の癖に、妹の呟きを見逃さず、獲物をさらっと狩ってくるような実力の持ち主なのだ。

 二千年経った現在でも、ロスティアは姉よりも優れた狩人の存在を知らない。

 だから、どれだけ怠け者で、掃除も料理も裁縫も妹に任せる駄目姉だったとしても、リーンのことをロスティアは尊敬していた。

 いつか、リーンのように立派な狩人になりたいと、何度も口にしていたのである。


「え、ロスティアが狩り? 私の可愛い妹が狩りに行くの? うーん、ロスティアにはこんな野蛮な生業は似合わないと思うの……可愛い服とか、小物とか作って、国一番の職人とかになればいいと思うわぁ」


 しかし、ロスティアはいつまで経っても、リーンに狩りを教えようとはしなかった。

 身を護るための魔術や、護身術は厳しく教えるのだが、狩人としての生業は『野蛮』として教えない。せめて、百歳を超えるまでは絶対に教えない、などと何かしらの理由を付けて。

 当時のロスティアは、それを姉からの意地悪だと受け取っていたが、現在は違う。

 姉は心配していたのだ、妹のことを。

 命のやり取りから、できるだけ遠いところに置きたがっていたのだ。

 つまりは、呆れるほど妹に甘い姉だったのである。

 けれども、当時のロスティアにはそんなことを察するだけの機微はなかった。

 何せ、当時はまだたったの十四歳。長命種族でなくとも、幼さを隠せない程度の年齢だ。


 ――――リーンお姉ちゃんは、私を子ども扱いしすぎ!


 子供らしい背伸びをして、姉に縋りつく妹へ、リーンは決まってこう言うのだ。


「じゃあ、朝に一人で起きられるようになったらね?」


 しっかり者で、働き者のロスティア。

 けれども、寝坊だけは何年経っても治らない。

 毎朝、リーンに起こされて、朝食もリーンが作ってくれる。

 この弱みはロスティアが唯一、リーンに対して何も言えなくなってしまうものだった。

 恥ずかしいのもそうだが、ロスティアはまだまだリーンに甘えていたかったのである。

 朝、優しく起こしくれるリーンの声を、もっと聞いていたかったのである。

 だからきっと、自分が狩人になれるのは、そういう甘えを隠せるぐらいに大人になってからだとロスティアは思っていたのだ。



 姉妹の平穏な生活が終わりを告げたのは、一粒の灰によって。

 空全てを覆い尽くすような灰色の雲は、水蒸気の産物ではなかった。

 全てが、灰。

 それも、ただの灰ではない。神話の時代、銀狼によって食い殺された松明の巨人。その死骸である灰が、何故か空から降って来たのである。


「…………ロスティアは家から出ないこと。いいわね?」


 空から落ちる灰に、不吉な気配を感じたのか、リーンはいつになく真剣な表情でロスティアに告げた。

 もちろん、ロスティアは姉の言うことならばきちんと守る妹だ。

 リーンによる結界が敷かれた家からは、絶対に出なかった。

 そして、その行動は紛れもなく『正解』だったのだ。


「近隣の国家で、『灰による肺患い』が流行しているわ。このままだと、この世界の住人は全て、あの灰によって殺されるかもしれない」


 三日間の調査の後、リーンは絶望の知らせを持ち帰った。

 空から降る灰に、人類が殺し尽くされる。

 それは、幼いロスティアの心胆を凍えさせるのには、十分過ぎるほどの絶望だった。


「発生源は巨人だったわ。灰色の巨人。恐らく、松明の巨人……その死骸が何らかの原因によって、別の存在として蘇ったのでしょう。しかも、あれは『元々死んでいる存在』だから、殺すこともできない……参ったわね、このままだと私たちも危ないわ」


 いつもは飄然と、何もかもを余裕の表情で見据えているリーン。

 そんな姉が、冷や汗を流しながら思案する姿に、ロスティアは『世界の終わり』を明確に理解した。

 この姉が狩れない怪物なら、何をしても無駄なのだと。


「大丈夫よ、ロスティア。お姉ちゃんが、なんとかしてあげるからねぇ」


 しかし、それでもなお、リーンは微笑んだ。

 怯える妹を優しく抱き寄せて、何度も何度も「大丈夫よ」と告げて。

 やがて、妹が落ち着いて眠りについた後、本当に『大丈夫』にするための戦いを始めたのだった。


 後は、いつも見る悪夢の通り。

 近隣の街に到来した、灰色の巨人。

 それを食い止めるためにリーンは戦いを挑んで、最後の最後、冬の毛皮を身に纏った。

 ロスティアが見ている前で、ロスティアを守るために、銀狼の呪いに身を預けたのである。


 銀色の毛皮を持つ狼となったリーンは、呪いに思考が染まるより前に、権能を振るった。

 銀狼が冬の女王から与えられた権能。

 凍結と停滞を与える、冬の権能を。

 灰色の巨人は、死者であるが故に死なない。それは概念的に決められている法則だ。当時の人類では覆すことはできなかった。

 だからこそ、リーンは冬の権能で封印することを選んだのである。

 巨人が形を失い、深く深く、その身を構成する灰が雪の底に埋もれるように。


 ただ、その対価としてリーンは銀狼の姿から戻ることができなくなった。

 意識も記憶も、段々と失っていき、最終的には誰も傷つかないように、極東の土地へと消えていったのである。

 氷牙で愛おしい妹を食い殺さないために、誰も入り込めない『冬の結界』を敷いて。


 これが、今も語り継がれる『守護者リーン』の神話、その結末だ。

 偉大なる狩人の子孫であるリーンが、その身を犠牲にして、灰色の巨人を封印した。

 リーンの妹であるロスティアは、灰色の巨人が復活しないように、封印の管理者として、その土地に住むことになった。

 いつか灰色の巨人が復活した時、姉の代わりに封印を行うために。

 そういう名目で、ロスティアは魔術の研究を始め、魔導技師として生業を立て始めたのだ。


 本当の理由は、とてもシンプルなものだ。

 封印都市を魔導書が集まる場所として、発展させたのも。

 魔術師たちを育成する、姉の名前を冠した魔法学園を設立したのも。

 権能に及ぶほどのアーティファクトを作り出そうとしていたのも、全ては一つの目的に集約している。


「私は必ず、リーンお姉ちゃんを取り戻す……どれだけ、時間が経ったとしても」


 姉であるリーンを、銀狼の呪いから解き放つこと。

 それだけがロスティアの目的であり、悲願なのだ。


 だからこそ、大翔もシラノも知らない。

 あるいは、ロスティア自身も自覚していないのかもしれない。

 銀狼の呪いを打ち破る、その鍵となる成果。

 それをもたらした大翔へ、どれだけ重い感謝を抱いているのかを。

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