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第4話 辺獄市場

 ラーウムは辺獄市場に店を構える魔術師だ。

 喧噪が溢れる大通りから少し離れた裏通り。そこに並ぶ店の一つがラーウムの物である。パン屋と本屋に挟まれた、看板の無い古書店。カビの混じらない、純粋な古書の香りのする店内を一番奥まで進むと、ようやくラーウムが居るカウンターまで辿り着ける。

 だが、肝心のラーウムには商売に対するサービス精神などは皆無だ。


 ぼさぼさの灰色髪と、やせ細った肉体を隠すように、頭から足元までをすっぽりと覆うのは暗闇のローブ。闇の精霊によって編まれた、隠蔽の衣。これを身に纏うことによって、ラーウムはその姿のほとんどを立体的な影として、相手に誤認させることができた。


 故郷の世界で『若干二百歳』にして老け込んでいる、などと周囲に揶揄された外見を嫌い、ラーウムは滅多なことで姿を晒すことは無かった。

 本来であれば、店番などもやる気質ではないのだが、店員を雇うことによって生じる諸々の面倒を嫌ってか一人で店に立つことが多い。


「…………ちっ。今日もろくな触媒が入ってこない」


 カウンターの奥に座るラーウムは、異世界の言葉で書かれた新聞に眺めている。

 影の奥からじろりと睨みつけるように読み解き、辺獄市場内の情報を更新しているのだ。本当であれば、このようなことにすら時間を使いたくないラーウムであるが、辺獄市場は情報に疎い者から死んでいく。情報の更新を怠ることはできない。


 数多の異世界の商人が集まる市場にして、交流点。

 子供の玩具から、国家を滅ぼすような戦略兵器。はたまた、伝説の聖剣でも、何だって売っているのが辺獄市場という場所だ。

 様々な思惑が絡み合い、悪党どもがその利権を貪ろうと跳梁跋扈。間抜けから先に死んでいき、その屍を物乞いたちが貪る、地獄の一歩手前。

 ラーウムはそんな悪徳の街でも、一定の地位に居る魔術師である。

 古書店の店主などは、ただの表向きの仕事に過ぎない。

 実際は、悪党どもや悪童どもを取り締まる者たちへ、自らが制作した魔法道具を売る武器商人のような存在だ。

 もっとも、本人としてはその評価は不満極まりない物なのだが。


「最近、調達屋が仕入れたドラゴンの幼体。それも手に入れそこなってしまった……これではまともな研究ができない」


 ラーウムは研究者気質の魔術師だった。

 故郷の世界を飛び出し、辺獄市場で暮らしているのも、多種多様な世界の魔術触媒を手に入れるため。それらを用いて、己の理論が実証されるか試行錯誤を繰り返し、さらなる魔導の極みに到達することこそが、ラーウムの目的である。

 武器商人の真似事をしているのも、魔術触媒を手に入れるための資金稼ぎだ。その過程で、どれだけの人間が己の魔法道具で殺し合おうが知ったことではない。

 ただ、そこまで研究者気質を極まらせていたとしても、ラーウムは己が一流の研究者足り得ないことを自覚していた。


「触媒さえ……一流の触媒さえあれば……」


 研究者はただ、研究だけしていればいいというわけではない。

 研究を行うための施設。施設を動かすための資金。それを融通してくれるコネクション。研究を認めて、社会的に保障してくれる権力者。

 そういう環境が揃って、初めて意義のある研究が行われるのだ。

 少なくとも、魔術研究家であるラーウムはそう思っている。

 事実、故郷に居た魔術師たちを遥かにしのぐほどの魔術を開発できたのも、辺獄市場という環境があってこそ。多種多様の世界から手に入る魔術触媒は、ラーウムのインスピレーションを刺激して、多くの研究結果を生みだしていた。

 その甲斐もあって、ラーウムは己が一流の一歩手前まで到達した魔術師という自覚がある。


「それさえあれば、理論が試せる。間違ってないと証明できる。私の人生は肯定されるのだ。森に引きこもっていた奴らでは出来ないことを、私は……」


 ただ、魔術師として一流の壁を破ることは難しい。

 一流の魔術師とは、一種の理不尽だ。

 常軌を逸していて、専門分野ならば誰にも負けぬと豪語し、世俗の事情などは鼻歌交じりに蹴散らす異常者だ。

 そうなるためには、当然、常識を超えた魔術を生みだす必要がある。

 例え、一つの大陸を敵に回したとしても、その魔術さえあれば歯牙にもかけない。そんな魔術を生みだせて、初めて魔術師は一流を名乗れるのだ。

 だが、一流の魔術を生み出すには当然、一流の魔術触媒が必要だ。

 そして、一流の魔術触媒は、金やコネクションがあるだけでは手に入らない。宝くじを当てるような運が無ければ、それは手に入らない物だ。


「いっそ、私が直接……いや、駄目だ。駄目だ、はやまるな、馬鹿が。一流の調達者でもなければ、死ぬ。あっけなく死ぬ」


 何故ならば、一流の魔術触媒は大抵、絶死を伴う領域にこそ存在するのだから。

 例えば、獲物の骨すら溶かして栄養にする毒花の茎。

 例えば、千年を生きた竜の鱗。

 例えば、存在するだけで人類を滅ぼす超越存在の残滓。

 そういう物こそ、一流の魔術触媒となる。だが、当然ながらそれらを調達できる者は少ない。安定して調達できる一流などは、辺獄市場にも片手の指にも届かない程度の人数だ。

 流石のラーウムでも、その一流に融通して貰えるだけのコネクションや資金は無かった。


「…………くそ。運さえ、運さえあれば…………ちっ、客か」


 日課となった愚痴を切り上げて、ラーウムは口を閉ざす。

 客に気を遣うようなサービス精神は持ち合わせていないが、愚痴を他人に聞かれることを嫌ったのだ。


「あー、どうも、こんにちは? ……で、いいのかな?」

『《魔術触媒を買い取ってくれ。ここはそういう店だろう?》』


 客人は辺獄市場に似つかわしくない、何の脅威も感じられない少年だった。

 カーキ色のコートを纏った、凡庸な顔つきの少年。腰のホルダーには、ラジオが収まっており、そこから加工された声が発せられている。

 ラーウムは一目で、少年が使い走りであり、ラジオを介して声を伝える存在がボスであると推測を立てた。よくあることだ、奴隷や部下を使い走りにして店に行かせることは。

 何せ、ラーウムは研究者気質なれども、一流手前の魔術師である。そのつもりになれば、研鑽の足りない悪党どもなど瞬きの内に殺せるのだ。そのことを恐れたマフィアのボス辺りが、新人を使い走りの駒にしたのだろう、というのがラーウムの推測だった。


「物はどこだ?」


 しかし、だからといってラーウムの態度に変わりはない。

 使い走りだろうが、ボスだろうが、他の世界の権力者だろうが、取引に余分な感情は挟まない。相応の物を、相応の価値で引き取ってやる、それだけのことだ。


『《おい》』

「あ、うん」


 きょろきょろと店内を見回していた少年は、ラジオの声に促されると、びくりと肩を震わせる。そして、慌てた様子で背負っていたリュックサックを置いた。


『《買い取ってもらいたい物は、この中にある。確認してくれ》』

「…………ふん」


 ラーウムは全く期待せずに、リュックサックを開けた。

 もちろん、警戒は怠らない。古書店の内部であれば、ラーウムは格上が施した魔術ですら一瞬で無効化可能だ。科学という魔力を用いない技術を用いた罠であっても、物理的な干渉を阻害すれば、リュックザックの中身が爆弾だろうとも毒ガスだろうとも関係ない。

 さて、この見るからに素人の使い走りに持たせる魔術触媒は、一体どこの田舎で獲って来た低級品なのだろうと精査の魔術を発動させて。


「――――っ!!?」


 驚愕によって、ラーウムの目は見開かれることになる。

 リュックザックの中には、大量の氷菓子があった。科学文明が高度に発達した際、作られることが多い、大量生産の市販品だった。これはいい。多少珍しいが、それだけだった。

 問題は、その全てに超越存在の残滓が含まれていること。

 しかも、二つ。

 冬と夜。

 世界を滅ぼすことにかけては、数ある超越存在の中でも群を抜く二体の残滓が、氷菓子に込められていた。


 それが示す事実はただ一つ――これは、紛れもなく一級品の魔術触媒であるということ。

 しかも、一級品の中でもさらに上質。人生で一度、お目にかかる機会があれば、魔術師として幸運とも呼ばれるほどの代物だ。

 それが、リュックザックの中にたっぷりと用意されている。


『《事情があって、緊急で資金と物資が欲しい。多少足元を見ても構わないから、それでこちらの言う通りに用意してくれ》』


 ラジオが発する言葉は傲慢に聞こえるかもしれないが、かなりの譲歩であり、謙虚な提案だった。何故ならば、このリュックザック一杯の魔術触媒を換金するには、どう足掻いてもラーウムが持つ資金だけでは足りないからだ。

 つまり、千載一遇のチャンスが到来しているわけだが、ラーウムは悩んでいた。


「…………少し考えさせてくれ」

『《構わないが、早くした方がいい》』


 この取引は間違いなく厄ネタだ。

 物品に不釣り合いな使い走り。姿を見せない取引相手。盗品だったとしても、これだけの数の魔術触媒を盗む腕があるのなら、もっと他にさばける伝手があるはず。

 いや、理由はともかく、相手が困窮した状態にあるのならば交渉次第で有利に立てるのでは? ラジオ越しの取引相手ならばともかく、使い走りぐらいなら精神干渉の魔術を使っても気づかれないだろう。上手く行けば、この魔術触媒を採取することができる、一流の調達者とコネクションを持てるかもしれない。

 そのようにラーウムが悪辣な思考を巡らせていると、ふと『しゃくしゃく』という咀嚼音が聞こえて来た。


「なるはやでおなしゃーす……しゃくしゃく」


 顔を上げると、そこには信じがたい光景があった。

 明らかに素人で、使い走りにしか見えない少年が、何を思ったのか氷菓子を食べていたのである。そう、たった今、取引中の品物を。一級の魔術触媒を。


『《おいこら》』

「なに?」

『《なんで食べた?》』

「いや、喉が渇いていたからさ」

『《なぁ、事前に言ったよな? やめろって言ったよな? 頼むから、取引の間だけはまともにしてくれって言ったよな?》』

「いいじゃん、沢山あるんだから一つぐらい」

『《お前の骨も沢山あるから、一本ぐらい折ってもいいよな?》』

「えー、痛いからやめてよぉ」


 ラジオと少年が暢気な会話をしている横で、ラーウムは戦慄していた。

 ――――氷菓子を、食っている!?

 通常、氷菓子は食用だ。食べるのは何も問題ない。だが、リュックザックの中にあるのは、全て一級の魔術触媒。世界を滅ぼす超越存在の残滓が、二体分込められた劇物だ。

 素手で触れれば、一瞬にして存在融解。何かの間違いで口にすれば、千年を生きた竜だろうとも跡形もなく溶けてしまうような代物だ。

 それを平然と食べているということはつまり――――少なく見積もっても、ラーウム程度ならば瞬きの内に殺せる存在。そういうことにならないだろうか?

 あまりにも格が違い過ぎて、相手の脅威をラーウムが正確に認識できなかったと。


「ま、待たせて、すまない」


 ラーウムの立場が逆転する。

 声が震えて、喉が渇く。人生最大の好機と、人生最悪の危機が同時にやって来た緊張感により、体中の震えが止まらない。冷徹であるはずの思考回路がオーバーヒートを起こし、一刻も早くこの状態から抜け出したいと喚き出す。


「取引は、成立だ。そちらの条件は全て飲む。私にできることならば、可能な限り対処させて貰おう」

「え、マジ? あ、でも、一本、俺が食べちゃったしなぁ」

「構わない。ああ、構わない……初回サービスという奴だ、気にしないでくれ、頼む」

「んんんー、どうする?」


 ローブの中で冷や汗をかきながら、懇願のように言葉を重ねるラーウム。

 常識外の存在を目の前にしては、悪徳の街の武器商人も形無しだった。


『《了承した。では、取引成立だ。こちらの条件を話そう……なに、無理難題などは押し付けないから、安心してくれ》』


 故に、ラーウムはそれから奇妙な客人が帰るまでの間、なけなしの誠実さをかき集めて働くことになった。

 この魔術触媒を使って、絶対に一流に到達してみせると、己を鼓舞しながら。



●●●



「はぁああああああっ! 死ぬかと思った! もう駄目かと思った!」

『《ナイス演技でしたよ、大翔》』


 ラーウムの店から出て数分後、少年――大翔は周囲に人気がないことを確認すると、大きく息を吐き出した。


「んもぉおおおっ! めっちゃ怖い! 立体的な影と会話するのって怖い! なんか不機嫌そうだったしぃ! というか、どうして俺がアイスを食べたら態度が変わったの!? ねぇ、アイスを食べて異世界チートできるとは思わなかったんだけど!?」

『《それはですね。あのアイスは大体の生命体が、触れただけで存在が溶けてしまう劇物だからですよ。大翔にわかりやすく言うと、目の前で濃硫酸を一気飲みしたようなものですね》』

「そんな奴がいたら、完全に怪異の類じゃん」

『《ええ、だから彼は恐れてくれたのでしょう。こちらの想定通り、程よく優秀で慎重な方で助かりました》』


 大翔はラジオから聞こえてくる声――シラノと言葉を交わしながら、先ほどのやり取りを思い出して身震いしていた。

 何せ、会話のほとんどが演技であり、ハッタリだけで交渉を乗り切ったばかりなのだから。元一般人の大翔としては、かなり肝が冷える経験だっただろう。


「というか、そんなアイスを俺が食べて大丈夫だったの? 駄目なら吐くけど」

『《勇者の資格を持つ者であれば、あれぐらいどうってことはありません。そもそも、貴方でなければ、あれは咀嚼することも不可能だったでしょうし》』

「ふぅ、それを聞いて安心したぜ! 借り物の力最高! 異世界チートライフが始まったかもしれないね!」

『《ちなみに、大翔の今の戦力だと、この街のチンピラにも負ける可能性があります》』

「すみません、調子に乗りました」

『《よろしい。でも、ご安心を。戦闘になったとしても、最悪の場合、発動するだけで周囲を呪殺する類の魔法道具を使用しますので、貴方だけは安全です》』

「戦闘は可能な限り回避する方針で行きたいと思います、はい」


 大翔とシラノは互いに軽口を叩き合いながらも、今後について相談し合う。


 数多ある異世界の内の一つ。その中でも異世界同士の交流点として有名な街、辺獄市場。

 日常的に死人が出るような治安最悪の街こそ、二人が旅の始まりに訪れた場所だった。

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