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第39話 雇用と理由

 大翔の朝は早い。

 ソルの修行が始まってからは、特に早い。何せ、ソルにも役割があるので、大翔の修行に対して割ける時間は限られている。その上、大翔は日中、学園へと向かわないといけないのだ。

 必然と、大翔とソルが顔を合わせられるのは、まだ空が薄暗い早朝に限られた。


「…………ねぇ、ソル」

「なんだい、大翔?」

「意味があることだとは信じているけど、一応訊くね? 毎朝、俺を木刀でボコボコにするのは、何のための修行なの?」

「その説明をするには、武術の基礎について語らないといけなくなるね。少し長くなるから、僕の木刀を避けながら説明を聞いて欲しい」

「わぁい! 痛みによって嫌でも説明を覚えられる奴だぁ! くそが!!」


 屋敷の庭先で行われる修行は、控えめに言っても拷問にしか見えないものだ。大翔は毎朝、従者としての仕事を始める前に、きっちり一時間、ずっとボコボコにされ続けている。

 だが、それでも大翔は修行を辞めるつもりはない。


「――――つまり、戦う才能は無くとも、回避と防御に専念すれば、それなりに見られる程度の体術は身に着けられると思うんだ。僕の攻撃に慣れれば、いざという時に動けるだろうし」

「ごほっ、ごぼっ」

「あ、そろそろ時間だね。回復はその状態からでも、自力でできるように訓練しておくこと。それじゃあ、また明日」

「げぼっ……くそがぁ」


 血反吐と悪態を吐きつつも、大翔はソルの言葉を愚直に信じている。

 苦痛に顔を顰めながら、自らに回復魔術を施す経験さえも、いつかの地獄を潜り抜けるために必要なのだと。



 ソルとの修行を終えると、大翔は屋敷の浴室を借りて身綺麗にする。

 傷跡や血痕などもきちんと処理をして、従者用の綺麗な服装へと着替えるのだ。

 それぐらいの時間になると、いつもの郵便屋がやって来るので、愛想の良い笑顔で迎える。ロスティアが学園に出向くようになって、手紙や郵便物の量は増加傾向にあるが、問題ない。仕分け作業に慣れて来た大翔は、机の上で小山のようになっている郵便物を目にも留まらぬ速さで処理できるようになったのだ。

 従って、大翔はその分、朝の業務に少しだけ時間的な余裕ができていた。


「さて、と。そろそろ起きてくるかな?」


 この時間的な余裕があったからこそ、大翔は新たな部下を迎え入れることを決めたのである。

 これから先、銀狼作戦に向けて行動を始める大翔は、何時急な予定が入るかわからない。その際、やりかけの業務を放置するのは、師であるロスティアが何と言おうとも気分の良いものではないのだ。

 そのため、これはある意味、『ちょうど良かった』とも言えるだろう。


「――――んぎゃぁあああああああああ!!!?」


 大翔が寝床にしていた屋根裏部屋の隣。使用人が泊まることを許された部屋から、けたたましい叫び声が屋敷に響いていた。

 どうやら、新しい部下は自分がセットした目覚まし時計のアラーム――骨伝導で爆音を響かせるのだと自慢していた――に驚いて、悲鳴を上げたらしい。昨夜、自信満々に『こいつが鳴る前に起きてやるぜ!』などと息巻いていた癖に、完全に素の悲鳴を上げていた。


「……うちの師匠はこれでも起きないからいいけど。普通のお屋敷だったら、アウトの悲鳴だよなぁ」


 新しい部下の悲鳴に肩を竦めながらも、大翔は手を止めない。

 キッチンで食材を吟味しながら、今日の朝食のメニューを考えている。


「お、おくれ、遅れてっ! わる――悪うございました!」


 すると、下手くそな敬語と共に、階段を慌ただしく降りてくる人影が一つ。

 着慣れないロングスカートのメイド服、その裾をはためかせて。

 目つきはぐるぐると視点が定まらないまま。

 灰色の髪には、ぴょんと可愛らしい寝癖が幾つも残っている。


「今日からよろしくお願いしますだぜ! 兄貴っ!!」


 けれども、新しい部下は威勢だけは良かった。

 声の張りだけは一級品だ。だからこそ、その気合に免じて小言を一つだけで、上司としてのお叱りは留めることにしたのだ。


「おはよう、ミシェル。随分と可愛らしい髪型だね?」

「――――ひょわっ!?」


 大翔の指摘に、新しい部下――ミシェルは、顔を羞恥に染めながら、慌てて頭を抑えるのであった。



●●●



 結論から言えば、ミシェルはロスティアの弟子になれない。

 ただし、『今はまだ』という補足が付くが。

 現在のミシェルの立場は、大翔が管轄する『お手伝い役兼教材』というものである。

 お手伝い役というのは、文字通り、大翔が担当している雑務を手伝う役だ。

 教材というのは、大翔が魔導技師見習いとして修行を行う際、技術を参考にするために雇った人材ということだ。

 何せ、ロスティアの指導は大体が放置である。『これをやっておけ』と告げて、後は何の指導もなし。ならば、こちらも勝手に参考書代わりの人材を用意しても文句は言わないだろう。むしろ言わせない、という理屈でロスティアを説得したのである。


「面倒な真似を……まぁ、好きにするがいい」


 ロスティアは多少顔を顰めるような反応をしたが、説得にはすんなりと応じた。

 それが打算によるものなのか、あるいは大翔に対して多少は情が湧いたからこその融通したのかはわからないが、ミシェルの目的に対して一歩前進したのは事実である。


 何故ならば、大翔は知っているからだ。

 ロスティアは割と感情で動くタイプの人間であることを。

 レストランの時も、アーティファクトの制作も、ロスティアの行動の大半は合理よりも感情によって左右されている。

 ならば、ミシェルが弟子として認められるためには、まず、なし崩しにでも共に生活する時間を増やし、『情を移させよう』というのが大翔の作戦だった。


「ロスティア様のお屋敷で働けるなんて……こ、光栄過ぎる」


 とりあえず段階を踏む、という迂遠な方法ではあるが、大翔の作戦はミシェルに歓迎された。

 それはもう、涙を流しながら大翔に感謝の言葉を告げるほどの歓迎だった。どうやら、これまでまったく目標に対して近づけないでいたのが、一気に傍で働けるまで距離が縮まって感激していたらしい。もはや、完全に情緒が壊れたような喜び方だった。


 大翔としては、『まだ目標が達成していないのに、そんなに喜ばれても』という戸惑いがあったが、わざわざ感動に水を差すような真似はしない。屋敷で働く上での注意点を告げて、きちんと準備をするようにと助言するだけに留めておいた。


「ど、どうだ? ディルグが用意してくれた奴なんだが……その、ロスティア様の目を煩わせないかな?」


 その翌日、メイド服姿でミシェルが現れた時は、『もうちょっと色々言った方が良かったかな?』とは思ったが、大翔は異邦人である。

 この封印都市では、メイド服で従事するのが使用人としてのポピュラーな姿なのかもしれない。あるいは、ロスティアのような立場のある人間に従事するなら、メイド服を着なければならないのかもしれないと考え直した。

 後々、シラノから『《別に悪くはないですけど、普通は職場が作業着を支給しますよ》』と教えられて、少しばかり後悔することになるのだが、ミシェルの気合が十分であることだけは伝わっていた。

 かくして、大翔はミシェルの上司として、上手くロスティアに気に入られるように指導する日々が始まったのである。


 全ては契約通りに。

 ミシェルが大翔に差し出した、重い対価。それに見合うだけの結果を与えるために。




『《大翔が絡むと、何が起こるかわかりませんね、まったく》』

「それは良い意味で? 悪い意味で?」


 屋根裏部屋で大翔が着替えている途中、シラノが唐突に言葉を発した。

 従者としての仕事を終え、これから学園に向かおうと制服に着替えている最中のことだった。


『《どちらかと言えば、良い意味です》』

「それならよかった。シラノはミシェルを手伝うことに対して、反対よりの意見だったから」

『《……私が反対意見を出していたのは、奴がろくな対価を支払えない、という予測があったからです。けれど、まさかあそこまでの覚悟があるとは》』


 ラジオから発せられるシラノの声は、やや感心しているような口調だった。

 感心の方向は、大翔であり、覚悟を見せたミシェルに対しても向けられている。


『《あれほどの対価であるのならば、確かに時間を割く価値はあります。もちろん、我々が作戦を実行するまでの間に限られますが》』

「相棒に認めて貰って何よりだよ。もっとも、俺としてはミシェルが支払う対価が重すぎるとは思っているけど」

『《大翔、思うぐらいはいくらでもしていいですが、口に出してはいけませんよ。それは相手の覚悟を愚弄する行いです》』

「ああ、それはもちろん。重すぎると思った分は、俺の行動で返すさ」


 部室棟での交渉の際、ミシェルは契約に足る対価を大翔へ差し出していた。

 その重さは、今まで否定的だったシラノすらも納得させるほど。従って、大翔がミシェルのために動くことを認めるようになっていたのである。

 なお、そのミシェルは大翔よりも一時間前に退勤済みである。特待生である大翔とは異なり、普通に学園での授業に出なければならないのだ。

 本人としては『休学してもいい!』と豪語しているが、上司である大翔の命令で強制登校させていた。そういうのはロスティアにとって逆効果であると、大翔は知っていたのである。


「ただまぁ、俺にできるのは弟子にしてもらうところまで、だけどね。流石に、ロスティアが一人前と認めるぐらいの腕前になるのは、ミシェル次第だし……何より寿命がね?」

『《ロスティア殿も、技術の効率化は図っているでしょうが、それでも権能クラスの魔法道具を制作可能な腕前となると……こればかりは、才能と時間、どちらもかけなければいけませんからね。自分の技術を受け取るだけの時間が無い人間は弟子にしない、そういう考えもロスティア殿にはあったのかもしれません》』

「かもしれないね。一応、その理由に対する反論は用意してあるけど……ところで、シラノ。俺の寿命問題に関して、少しお話が」


 シラノと会話を交わしながらも、大翔の手は止まっていない。

 手早く制服へと着替えると、いつものコートを羽織って屋根部屋から出ていく。


『《そういえば、ロスティア殿からそんなことを言われていましたね。ええと、勇者の資格を与えられた人間は、世界規模での加護を得ていますので、基本的に常に健康状態となり、その上で加齢は遅くなります。とはいっても、種族の限界は越えない程度なのですが……聖火を継承しているとなると、流石に寿命はいつまであるのか予想できませんね》』

「説明して欲しかった……断らないけど、事前説明が欲しかった……」

『《それに関しては本当にごめんなさい。ぶっちゃけますと、そういう悠長な問題に関しては、世界を救い終わってからお話する予定でした》』

「言われてみれば、百年後どころか、半年後に生きているかどうかも危うい状況だったね、俺たち! だって、勇者一行だもん!」


 やけくそで笑いながらも、廊下を歩く足音は静かに。

 しかし、大翔が向かう先は屋敷の玄関ではない。


『《まぁまぁ、自棄にならず。寿命問題に関しては、私もソルも似たようなものですから。家族や友達が死に絶えても、一緒に寂しさを分かち合えますよ》』

「そっかぁ。そうなると、世界を救った後も長い付き合いになりそうだね?」

『《切実にそうであればいいと思います》』

「ねぇ、シラノ。その優しい言葉の裏側には、『でも、こいつすぐに死にそうだなぁ』みたいな悲しい考察が隠されていない?」

『《ご心配なく、大翔。貴方が死ぬ時は、私も一緒ですよ》』

「心配しかないよ、それは。一緒に長生きしよう」


 大翔が辿り着いたのは、ロスティアの書斎だった。


「そのためにも、できることから片付けていこうか」


 書斎のドアにノックする時、大翔の表情は既に、凛々しく引き締まっている。

 先ほどまで弱音を吐いていたというのに、今では不安の影すら見えない。

 何故か? その答えを、共に旅してきたシラノは良く知っていた。


『《ええ、期待していますよ……私の勇者》』


 かつて普通の男子高校生だった大翔が、今ではもう、立派な勇者に成長していることを。

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