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第38話 灰色の少女

 ミシェル・ケルビンは、封印都市の外で生まれ育った獣人だ。

 正確に言うのであれば、獣人の父親と吸血鬼の母親の間に生まれたハーフである。

 獣人の血が濃いおかげか、身体能力は普通の獣人にも劣らない。吸血鬼の特性のお陰か、夜になれば、更にその身体能力は向上する。

 ただし、二つの利点と引き換えに、ミシェルは二つのハンデを背負った。


 一つは凶暴性。

 吸血鬼のように血を主食とすることはないが、それでも、『相手に血を流させるのは気分が良い』という性を抱えていた。


 もう一つは、ハーフであること。

 住民の精神性が成熟している封印都市ならばいざ知らず、その外の世界では『異なる種族の間に生まれた子供』は、あまり歓迎されない存在だ。

 否、正しく表現するのであれば、忌み嫌われている。何故ならば、この世界では『異なる種族の者同士は子供が生まれにくい』という法則が存在し、それに抗って生まれた子供は、不吉の象徴とされているのである。


 夜の蜘蛛のように。道を遮る黒猫のように。

 何の根拠もなく、迫害すべき存在として認識されてしまうのだ。

 ――――母親が、生まれた子供を捨ててしまうほどに。



 ミシェルが『親』という概念を知ったのは、五歳の時。

 孤児院の中に、唯一存在する本棚。そこに収められた、ボロボロの絵本の中に出て来た幸せそうな夫婦と子供の姿を見た時、どのような存在なのかを知ったのである。


「ああん、親だぁ? 捨て子のお前に、そんなものが居るわけねぇだろうが! くだらないことを言っている暇があったら、さっさと働け!」


 しかし、いつも不機嫌な院長に訊ねてみても、何の情報も得られなかった。

 それも当然のことだろう。ミシェルはほとんど赤ん坊の時に、孤児院の傍に置き去りにされていた捨て子だったのだから。

 ミシェルが両親のことについて知ったのは、もっとずっと後の話だ。

 この時のミシェルは、自分の親に対して想像を巡らせるほど暇では無かった。


「誰が、お前みたいな『混ざり者』に飯を食わせてやっていると思っている!?」


 五歳の時、既にミシェルは院長から仕事を押し付けられていたのである。

 簡単な内職の仕事ではあったが、孤児院に預けられた子供たちの中で、ミシェルだけが仕事をしなければ食事を貰えなかった。

 また、折角貰った食事も、年長の子供に奪われることも多かった。

 ハーフの子供は、それだけで立場が弱い。

 例え、捨て子同士という共通点があったとしても、ミシェルだけは誰の仲間になることもできなかった。

 だから、生まれ持ったミシェルの凶暴性が開花したのも、仕方がなかったのかもしれない。


 ――――誰かから奪わないと、自分が死ぬ。


 ミシェルが七年間の孤児院生活の中で学んだことは、獣の摂理だった。

 人として助け合うのではなく、獣として奪わなければ死ぬ。

 これが、ミシェルの人格形成に於いて、根幹となった思想だ。

 誰にも間違っているとは言わせない。間違っているなどとほざく奴がいたら、その大層な思想を持つ余裕がないぐらい、奪ってやる。

 ミシェルという子供は、灰色の世界で生きる、悪鬼のような存在だった。


「私は、お前らが嫌いだ」


 七歳の冬、ミシェルは孤児院を出奔する。

 孤児院の金を盗み、院長を殴り倒し、子供たちを蹴り飛ばして。

 真っ白の雪が降りしきる中、街中へと消えていったのである。


「いつか、お前らを食い殺してやる」


 その口元を鮮血で濡らし、呪いの言葉を吐き捨てながら。



 十歳になる頃には既に、ミシェルは立派な悪党になっていた。

 恐喝。詐欺。窃盗。強盗。食い逃げ。

 大体の違法行為は、生きるために行っていた。それをやらなければ死ぬのだから、ミシェルに良心の呵責というものは存在していなかった。

 さながら、獲物を狩る獣が、牙を突き立てることを躊躇わないように。

 ただ、殺しだけはやっていなかった。

 無駄に殺せば報復が面倒だと、そんな保身があったのかもしれない。

 あるいは、ミシェルにも最低限の良心があったのか?

 どちらにせよ、ミシェルは幸運だった。

 殺しに手を染めていたのならば、もはや、何をやっても取り返しのつかない罪を背負うことになっていたのだから。

 後々、封印都市に学生として迎え入れられる未来なんて与えられなかっただろう。


 十歳の頃、悪党をやっていたミシェルは、そんな運命の分岐点に居ることなど、まったく知らなかった。

 その頃、ミシェルの頭の中にあったのは、魔法道具を弄ることのみ。

 悪行三昧を尽くしていたミシェルは、最終的に魔法道具の違法改造やら、劣化模倣品を作ることを生業としていた。

 元々、手先が器用だったおかげか、ミシェルが作る違法魔法道具は、他の同業者よりも質が良く、顧客を騙しやすい。手下である不良たちを使って、自分が作った魔法道具を売りつけて金を稼ぐ日々。それは、悪党として生きて来たミシェルの人生の中でも、中々に充実した日々だった。


「………………あー、馬鹿やった」


 そんな日々が終わりを告げたのは、完全なる自業自得によるもの。

 自身が根城にしていた廃工場で、いつもの如く魔法道具を弄っていたところ、うっかり込められていた魔法を暴走させてしまったのである。

 暴走した魔法は、廃工場の半分を消し飛ばす結果となった。

 当然、爆心地に居たミシェルも無事で済むわけがない。


「……く、そ」


 その時、ミシェルの腰から下は存在していなかった。

 上半身も、皮膚の大部分が火傷。左眼球は視力を有していない。右眼球は、辛うじて霞んだ視界を移すのみ。

 今、辛うじて生きているのは偏に、吸血鬼のハーフとしての不死性が働いているからに過ぎない。だが、その不死性は体が丸ごと焼かれてしまえば、効力を失う程度の代物だ。


「あ、あ」


 めらめらと燃え上がる炎に囲まれても、ミシェルは熱さを感じなかった。そんな健全な感覚など、もはや存在していなかった。

 ただ、とても息苦しい。


「これ、で、ようや、く……」


 ろくに呼吸もできない中、ミシェルは最後に何かを呟こうとした。

 その時、具体的に何を言いたかったのかは覚えていない。当時のミシェルは、虚ろな意識のまま、なんとなく悪態を吐いてから人生を終わりしたかったのかもしれない。

 つまらない人生だったのだと。

 自業自得の、悪党にはお似合いの末路だと。



「この下手くそめ」



 けれども、ミシェルの人生は終わらなかった。

 運命の気まぐれか、あるいは理不尽に対する世界からの揺り戻しか。

 藍色の幸運が、ミシェルの下に訪れたのだから。



 ロスティア。

 神話の時代から生きている、伝説の長命種族。

 そんな偉大なる存在の手によって、ミシェルは救われることになった。

 市場に出回っている、どんな治療用魔法道具を使っても間に合わないような、死の瞬間。決まりきった運命を覆すような、理不尽ささえ感じさせる超一流の魔法道具によって治療――否、蘇生させられたのである。


「脳がいくらか残っていて、魂が輪廻に還っていないのなら、私でなくともどうにでもなる」


 もっとも、その魔法道具について褒めたところで、本人は謙遜するでもなく当然のようにこう答えるだろうが。

 権能クラスの力を持つアーティファクトの制作。それを目指すロスティアにとっては、もはや余人にとっての絶望などは、朝飯前で覆せる程度の『面倒なひと手間』に過ぎない。

 ミシェルが助かったのも、そのひと手間を惜しまなかっただけの話だ。

 たまたま、近くを歩いていた時に、『馬鹿な下手くそ』が失敗した。魔道具の違法改造をしている奴なんて死ねばいいが、確認しに行ったら、そいつは子供だった。

 ――――姉ならば、見捨てない。

 その程度の感傷で、悪党だった子供を助けたのだろう。


「…………すげぇ」


 けれども、助けられた側からすれば、それは奇跡であり、運命だった。

 当人が『道端に落ちていたゴミを拾って、ゴミ箱に捨てておいた』程度の気分だったとしても、ミシェルの中では人生観を変えるだけのものだった。

 少なくとも、病院のベッドで目覚めた時、ミシェルが何かの運命を感じたのは事実である。


「私も、あの人みたいな魔法道具が作りたい」


 そう思えた瞬間、ミシェルは獣から人へと変わっていた。

 人間なんて物は、『変わろう』と決意したところで、大抵――九割九分の人間は変われない。

 だが、ミシェルはその行いで変わったのだということを、周囲へと示し続けていた。

 ロスティアに放り込まれた病院内で、顔も知らない父親と会うことになっても。

 腹違いの姉妹と家族になることになっても。

 封印都市と呼ばれる、まるで環境が違う場所へと連行されることになっても、ミシェルの決意は変わらなかった。


「私は、あの人の弟子になるんだ」


 時折、生来の凶暴性で問題を起こしつつも、ミシェルは可能な限りの努力を続ける。

 過去に犯した悪行の数だけ、何かしらの善行を誰かに施して。

 それでも、全然贖罪した気分にならないことにより、己の善性と良心の実在を証明して。

 苦悩を重ねながらも、気の良いリザードマンの友達に応援されて、邁進を続ける。

 リーン魔法学園へと入学したのも、その一環だった。

 もう一度会って、偉大なる師へ弟子入りを願いたい。例え、断られるとしても、自分の想いを伝えたい。感謝の言葉も伝えない。

 そして、ミシェルは学園へと入学してから半年後、ロスティアと再会したのである。


「ろ、ロスティア様っ! わたっ、私っ! あの時ぃ!」

「…………お前、誰だ?」


 もっとも、ロスティアはミシェルのことを、すっかり忘れてしまっていたのだが。



●●●



 ミシェルは何度もロスティアに袖にされながらも、弟子になるのを諦めてはいなかった。

 学生として勉学に打ち込み、正規に魔法道具や魔法装備を作り始めたのも、弟子になるための一環だ。ただ、学園の部活動の一つとして取り組み、『学生としては優秀』レベルの腕前になったものの、まだまだ先は長い。少なくとも、ロスティアの目に留まるような腕にはなっていないという実感はあった。


 諦めてはいないものの、生涯をかけて魔導技師としての腕を磨こうとも、ロスティアの弟子として認められるのは不可能かもしれない。そんな風に思い始めていた頃である。

 佐藤大翔という異邦人が、ロスティアの一番弟子として現れたのは。

 もちろん、強い嫉妬や羨望は覚えたものの、ミシェルが一番に感じたのは『期待』である。絶対不可能だと思っていたことを成し遂げた人物が現れた。

 だからこそ、『自分でも条件次第ではどうにか弟子として認められるんじゃないか?』と、そのような期待を持ち始めていたのだ。



「――――というわけで、俺は師匠から報酬の魔法装備を受け取るため、仕方なく弟子として行動しているわけだよ。別に、俺自身が望んだことじゃない。むしろ、あっちが提案してきたことだから、参考にはならないと思う」



 そして、現在。

 ミシェルは部室棟の床に這いつくばりながら、その期待を粉々に打ち砕かれていた。


「うごごご……」


 目を虚ろにしながら、ぴくぴくとうつ伏せで痙攣を繰り返すミシェル。

 精神的にはともかく、肉体的に這いつくばっている理由は偏に、シラノによる無慈悲なる反撃があったからである。

 如何にも、大翔とミシェルの対決! という空気から、シラノが『《はいはい、お静かに》』と一瞬で無力化したという流れだった。

 千里眼の異能を持ち、高水準の魔法道具を遠隔起動できるシラノにとって、ミシェルは敵にもならない。そもそも、世界最強クラスや一騎当千の英雄相手でもなければ、シラノはこの条件で敗北しようがないのだ。


「ヒロト……アンタ、勇者だったのか?」

「この通りのクソザコでも勇者です」

「いや、ミシェルを一瞬で無力化しただろうが」

「あれは俺の相棒がやっただけで、俺は何もしていないよ。まぁ、逃げることぐらいだったらできたかもしれないけど、それはともあれ」


 大翔はディルグへ説明を終えた後、改めてミシェルの姿を見下ろす。

 絶望に打ちのめされて、気力の欠片も無い姿だった。耳も尻尾も力なくへたれており、先ほどまでの威勢は皆無。シラノに無力化された時は、まだ悪態を吐く元気はあったものの、大翔から弟子入りの真実を知らされてからは、悪態すら出てこない。


「これで一応、決闘の敗者として義務は果たしたわけだけど……何か質問はある?」

「「…………」」


 大翔からの確認に、ディルグもミシェルも無言だった。

 ロスティアの一番弟子の正体は、異邦の勇者。しかも、世界を救うために異世界を旅する、生粋のサバイバーだ。超越存在の化身と出会い、滅びかけの世界で大冒険を経て、聖火を継承しているあたり、志だけを口にするような紛い物とは違う。

 人との説明の途中、実際に掌から聖火を生み出す大翔を目のあたりにしたからこそ、魔法学園の学生だからこそ、二人はわかってしまったのだ。

 大翔もロスティアも、自分たちとは次元の違うやり取りをしているのだと。

 だから、何も言うことができない。


「ふむ、何もないならこれで終わりだね。だけど、終わりにする前に一つだけ……ええと、ミシェルだっけ? 君に質問しようか」


 無言の答えを受け取った後、大翔は平静の表情のままに問いかける。


「本当にこれでいいの?」


 唇を噛みしめて、何かを我慢しているようなミシェルを見下ろす。

 そして、言葉を待つように黙り込む。

 一秒。二秒。三秒……恐らく、後二秒間、何も言わなければそれで終わりだっただろう。


「いいわけが、あるか」


 しかし、大翔が見限るよりも前に、ミシェルが苦渋の言葉を吐いた。


「やっと、やっと目の前に来たチャンスだったんだ……こんなので諦めきれるかよ! でも、だけどっ! お前はガチじゃねぇか! マジで本物の勇者じゃねぇか! 私の理由なんて消し飛ぶほど、重い理由で動いている奴なんだろ!? だったら……だったら! 諦めきれないけど、お前に私の願いを手伝ってもらう理由がない!」


 それは、ミシェルなりに恥じ入る言葉だった。

 いきなり大翔へと襲い掛かったように、ミシェルは乱暴で、多少の規則は無視して動くような性格の持ち主である。

 しかし、それでも恥じ入る気持ちはあるのだ。

 悪党のままだったならば、自分勝手に動けたかもしれない。獣の摂理ならば、傲慢に相手を脅したり、利用したりと考えたかもしれない。あるいは、相手の強さに怯えて逃げ去っていたかもしれない。

 だが、今のミシェルはロスティアに救われ、人になった存在だ。

 弟子入りを願うのも、人として大切なものを見つけたからこその願望だ。

 ――――本気で頑張っている人間の邪魔はできない。


「なるほど。第一印象は最悪だったけど……うん。君は案外、わかりやすい奴だね、ミシェル」

『《……大翔?》』

「少しぐらいの猶予はあるよね、相棒」

『《猶予はあっても、理由は無いのでは?》』

「そうだね、理由は無い。俺個人として、そこまでする理由が無い。決闘の義務が終わった後、こうしているのも単なる感傷に過ぎないし」


 大翔は、シラノと言葉を交わした後、床に座り込む。

 戸惑いながら自分を見上げるミシェルへ、言葉を告げる。


「だから、俺が動きたくなるような理由を、君が見つけ出せ」


 最後通告にして、最大猶予の言葉だった。

 これでも反応がないのならば、本当に終わりだ、と言わんばかりの視線を受けて、ミシェルの体が震える。

 恐れではなく、反骨と歓喜によって。


「……な、めんなぁっ!」


 全身から活力を失われた無力化の状態から、ミシェルは体を無理やりにでも起こした。

 背伸びでも、無理にでも、大翔という勇者と対等に視線を交わすために。


「そっちから頼み込みたくなるような条件を出してやるわぁ!」

「うん。元気が良くて、大変よろしい」


 ミシェルの啖呵を、大翔は朗らかな笑みを持って受け入れる。

 例え、何の策も浮かばずに、とりあえず声を出しただけと知っていても。

 自分と同じく、無力でも無策でも足掻こうとする者の姿を、大翔は馬鹿にしなかった。

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