第33話 弟子
一番弟子の朝は早い。
師匠であるロスティアよりも早く起床することは当然であるが、様々な雑事をこなすためには、まだ空が薄暗い時刻から活動を始めなければならない。
「ふぁああ……よしっ! 今日も頑張るぞー!」
使用人待遇として、私室として屋根裏部屋を貰った大翔は、主にそこで寝起きしている。
ただ、起きている間は、何かしらロスティアに関わる仕事をしているので、部屋に荷物はほとんど無い。寝て起きるだけの場所という認識だった。
たまに自室で作業することがあったとしても、自分の装備の点検や、かつて活躍したオルゴールを手入れするぐらいだろう。
「おはようございまーす! お疲れさまでーす!」
早朝、大翔が最初に行う仕事は、新聞の受け取りと郵便物の回収だ。
ロスティアは偏屈極まりなく、性格を拗らせた魔導技師であるが、封印都市の創始者である。例え、政治に関わるような第一線から退いていたとしても、その権威は揺るがない。
従って、毎日のように様々な郵便物が届くのだ。
魔導技師としての仕事の依頼から、都市上層部の業務連絡。都市の外からも、王族と思わしい人物からの手紙など、毎日、テーブルの上が小山になるほどの郵便物が届く。
「ええと、こっちは優先度が低い。こっちの優先度は中ぐらい……あ、珍しい。優先度が高い手紙が来てる。んじゃあ、これは直接渡す奴、と」
その郵便物を、それぞれ優先度ごとに割り振るのだ。
ロスティアは面倒臭がり屋であり、基本的に仕事は何もしたくない人間ではあるが、それでも、一応社会人として最低限の自覚はある。
都市に関する緊急性が高い手紙などは、その日のうちに目を通そうとしているのだ。
ただ、本当に緊急性が高い場合は、魔導端末の方へ連絡が来るので、その分、郵便物は仕分けすることなく溜まりがちというのが、大翔が来る前の状況だった。
「仕分けヨシ!」
そのため、大翔の仕事はロスティアだけではなく、その関係者も助かっていた。
郵便物の仕分けを行うことにより、ロスティアとの潤滑な連絡が可能となったのだから。
「ええと、今日の仕事に使う素材は……これと、これと……あっれー?」
その次は、魔導技師の仕事に使う素材を、屋敷の倉庫から取り出しておくこと。
しかし、大翔はこの仕事が割と苦手だった。物を探すのは得意な方ではあるが、素材の種類が多い。その上、たまに整理が途中で放り出されていて、ロスティア個人にしかわからないような保管状態の素材もあるのだ。
「…………まぁ、それっぽい候補を幾つか持って行くか」
明らかに、持ち主の管理不足であるが、大翔がそのことを指摘すると、ロスティアは盛大に拗ねる。というか、拗ねた。そうなると、丸一日は何もせずにベッドで引き籠ろうとするので、倉庫の整理は大翔が個人で地道に進めている。
無論、ロスティアの許可はきちんと取っているので問題ない。倉庫の整理も、危険物などが置かれているゾーンには入らないように言いつけられているので、整理の途中でうっかり命を落とすことはないだろう。
「さて、今日はどのメニューを試そうかな?」
そして、倉庫の整理も終えると、いよいよ大翔は気合を入れる。
今までの仕事も手を抜いていたわけではないが、それでも、これから行う仕事――朝食の準備は、大翔に並々ならぬ気合を抱かせるだけの責任が付随していた。
――――朝食を口にした日は、ロスティアの機嫌が良い。
これは、大翔が弟子として働いていた短い期間の中で、観察によって見抜いたロスティアの習性である。
基本的に、ロスティアは食事を口にしない。
種族的な特性として、栄養補給に食事という行程が必要ないのだ。世界から魔力を吸収することにより、様々な栄養へと変換可能な臓器を持っているため、食事はあくまで娯楽。あるいは、その臓器が傷つくか、よほど衰弱していなければ食事は必要としない。
その結果、ロスティアは自然と『味』やその時の『気まぐれ』という基準でしか、食事を行おうとしないのだ。
食事を不要とは考えてはいないが、それでも、面倒で省いても良い行動だとは思っているのかもしれない。
「昨日の和風朝食は不評だったからな……うん、思い切ってパンケーキにしよう。洋風で、甘めのパンケーキセットだ」
ただ、それはそれとして、ロスティアは美味しいと感じる物を食べると、機嫌が良くなる。
大多数の人間と同じく、美味しい物が好きなのだ。食事を面倒と思う気持ちと、美味しい物を食べたいという気持ちは矛盾しない。
強いて纏めるのであれば、『どうせ食べるのならば美味しい物だけがいい』という我が侭が近いだろう。
その我が侭を越えることができた時、ようやくロスティアの機嫌は良くなるのだ。
「…………うん、悪くない」
大翔はキッチンでパンケーキセットを調理し終えると、綺麗に皿へと盛り付けて、書斎へと運んでいく。二人分の朝食を、一つのトレイに乗せて廊下を歩く。
「おはようございます、師匠。起きていますか?」
書斎のドアに辿り着くと、ノックを数回。
当然ながら、このタイミングで起きていることは皆無なので、返事は聞こえない。そのまま書斎へと入室する。ドアに鍵がかかっていないのがデフォルトだ。防犯面で不安に見えるかもしれないが、害意のある者は屋敷内に入った時点で、封印魔術の餌食である。五感を全て封印され、何も感じない、何もできない状態で梱包され、都市の警察機関へと転移させられるのだ。
「ああ、やっぱり寝ている。起きようという意志をまるで感じない」
書斎に足を踏み入れた大翔が目にしたのは、床に積まれた無数の本と、その中で埋まっているロスティアの姿だった。
よれよれのシャツとスラックスという、いつもの部屋着のまま、死体の如く本に埋まっている。種族特性故に、呼吸すら必要としていないので、そのまま窒息死することはないだろうが、安眠を得られる体勢ではないのは明らかだ。
どうせ寝るならベッドで寝て欲しいものだと、大翔はため息を吐く。
「起きてください、師匠。おーい、師匠? ロスティアさーん?」
大翔は何度かロスティアに呼びかけるが、案の定、起きない。身じろぎすらしない。
仕方がないとうった様子で、大翔はトレイを書斎のテーブルへと置いた。元々、書斎にあった物ではない。大翔が弟子になってから、『ダイニングに行くのを面倒臭がるのなら、せめて書斎にテーブルを置かせて欲しい』と、ロスティアを説得して設置したものである。
このテーブルの上だけは大翔の領土であるので、本を積むことは許していないのだ。
「はぁ……んんっ、あー、ごほんっ!」
大翔の経験上、ロスティアは声をかけるだけでは絶対に起きない。しかし、だからといって肩を揺らすこともできない。一応、ロスティア自身には『起きない時は遠慮なくぶっ叩いていい』という許可は貰っているが、眠っている時のロスティアはそれを考慮しない。体に触れようとすると、無意識で反撃してくるのだ。それはもう、書斎から庭へと大翔を吹き飛ばすほどの威力で、無詠唱の魔術を放ってくるのだ。眠っているロスティアにはうかつに近づいてはならない。
ならば、大翔はどうやって、このクソ面倒な生態の長命種族を起こすのか?
「ロスティアぁー。起きなさーい。もう朝よぉー?」
答えは小芝居。
ボイストレーニングによって、高音を安定して出せるようになった大翔は、優しさを込めた女性の声を演じる。
「…………んむぅ? 朝ぁ?」
すると、何故かロスティアは起床するのだ。
どれだけ声をかけても起きない寝坊助だというのに、お粗末にも上手とは言えない小芝居で起き上がって来るのだ。
シラノからの『《年上のお姉さんっぽく声をかければ、ワンチャン起きるかもですね?》』という投げやりのアドバイスから始まった小芝居であるが、効果は抜群だった。
なお、アドバイスした本人であるシラノは、その抜群な効果に『《うわぁ……》』とドン引きしていた。
「朝ですよー? 今日の朝ごはんはねー? パンケーキですよー?」
「むにゃむにゃ……朝から甘いの、食べていいのー?」
「今日は特別ですよー? ほら、顔洗って口をすすいできなさーい」
「はぁい、お姉ちゃん」
目が半分も開いていない状態で、もそもそと言われた通りに動くロスティア。
確実に寝ぼけているが、この状態が一番、朝食を口にする可能性が高いのだ。何やら、精神性が幼児みたいになっているが、このまま食事をすれば、後は時間経過で意識が覚醒するので問題ない。
「もぐもぐ……んー、メープルシロップは?」
「はい、どうぞ」
「野イチゴのジャムも欲しい」
「また今度ね?」
「うん、楽しみにしてるー」
寝ぼけたままパンケーキセットを食べるロスティアは、まるで子供のように素直だ。
大翔としては、一体、どんな夢を見ていたのか気になるところではあるが、追及はしない。寝ぼけている時の記憶は曖昧だが、そのことを正気の時に追及すれば、確実に機嫌を損ねることは目に見えているからだ。
「もぐもぐもぐ…………ん?」
やがて、ロスティアの目が完全に開かれる。
ぱちくりと何度も目を瞬かせると、ごくりと咀嚼したパンケーキを飲み込んだ。
「おはよう、弟子」
「おはようございます、師匠」
真顔のまま、挨拶を交わす師弟。
大翔は、先ほどまで小芝居していたことなどは匂わせず、粛々と眠気覚ましのコーヒーを淹れている。
ロスティアは、自分の状況に少しだけ混乱していたが、すぐに納得したように頷いた。
「ふむ、無意識で朝の準備をこなしていたとは。流石私だ、二千年経っても成長し続けている。最近は寝起きの気分も悪くないし」
「かもしれませんね。あ、砂糖は幾つ淹れますか?」
「ふっ、馬鹿にするな、弟子。成長を続ける私に、もはや角砂糖は必要ない」
「はい、それじゃあ、ミルクだけ入れておきますね?」
「うむ。それはたっぷり入れろ」
朝のロスティアは発言が胡乱な事が多い。
だが、それにいちいちツッコミを入れてもきりがないことは、既に大翔は学習していた。故に、コーヒーに口を付けたロスティアが、「にがっ」と小さく呟き、角砂糖を投入する動作にも素知らぬ振りをする。
大翔がロスティアの一番弟子となってから一週間後の現在。
なんだかんだ、大翔はこの生活に慣れ始めていた。
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一番弟子にすれば、必然と関係性が近くなるし、義務感を持って接することができる。戦友という関係だけではなく、面倒を見る相手としてならば、権能クラスに至るオーダーメイドをこなせるかもしれない。
それがロスティアの閃きであり、提案だった。
問題点があるとすれば、大翔たちの封印都市における滞在期間である。
何せ、大翔たちは世界を救う使命を持っている。この世界で目的を果たしたのならば、悠長に滞在している暇などは無い。次なる目的地を目指さなければならない。
その結果、一番弟子にされても、かえって中途半端な時期に離脱して、ロスティアの機嫌を損ねてしまうのではないか? 大翔たちがそう思うのも無理はないだろう。
「んむ? そんなもの、世界を救い終わってから、また弟子として修行を積めばいいだけの話だろう? 私は長命種族だからな。数年……いや、数十年単位で待たされても平気だぞ?」
しかし、大翔たちの心配に対して、ロスティアの返答はとても気長なものだった。
途中で離脱しても、戻ってくれば問題ない。その通りと言えばその通りなのだが、まさか偏屈で有名な職人が、そのような柔軟な答えを返してくるとは思わなかったのだ。
「それに、もしも弟子としての生活が嫌なら、戻って来なければいい。その時には既に、私は機嫌よくオーダーメイドを作り終えているだろう。まぁ、私は自己欺瞞として、あくまでも『戻って来るもの』として扱うがな」
互いに目的を完遂するための欺瞞と、妥協。
ロスティアはそれを提案し、大翔たちは受け入れた。
こうして、冬の毛皮を手に入れるための同盟は結ばれることになったのである。
ソルの役割は、護衛と偵察。
冬の毛皮を手に入れるため、その毛皮を持つ怪物――『銀狼』を探っている。
シラノの役割は、索敵と検索。
大翔たちを害する存在が居ないか、常に警戒を怠らず、残ったリソースで銀狼に対する有効な手段を検索し続けている。
そのため、ソルはほとんど姿を現さず、シラノもラジオを通して声を出すのは一日に少しの時間だけになっていた。
ただ、これは単に大翔を放置したわけではない。理由あっての放置である。
何故ならば、今のところ、ロスティアの機嫌を損ねずに会話できるのは、三人の中では大翔だけなのだから。
「弟子よ。そろそろ、お前にも魔導技師の技術を教えようと思う」
そして、二人の判断は間違いでは無かった。
二千年以上生きた時間の中で、五百年ぐらいは、周囲から『そろそろ弟子と取ってくれない?』やら『頼むから技術を後身に伝授してくれ』と言われても、ずっと拒否し続けていたロスティアが、このような気まぐれを起こす程度には、間違いでは無かった。
五百年ほど、誰にも向けることが無かったロスティアの気まぐれを、一週間で引き出す。それは、共通目的があったとしても、十分過ぎる成果だろう。
「いや、師匠。その前に、俺の聖火を研究した方が建設的なのでは?」
もっとも、そんな気まぐれを向けられた大翔の反応は、実に淡泊だった。
朝食の皿を片付けながら応える姿は、平静にして平常。そもそも、魔導技師に対して、そんなに興味があるわけでもない大翔としては、『技術を教えよう』と言われても、そんなに嬉しくはないのだ。
「聖火の研究は、銀狼に対する重要な役割を持っているんでしょう?」
「ああ、その通りだな、弟子よ。だが、研究というのは手間をかければ、その分だけ進むとは限らない。具体的に言えば、試薬の検査結果が出るまで暇だから、師弟としての絆を深めておきたいんだ」
「…………まぁ、そういうことなら」
従って、ロスティアの指導を受けることになるのも、渋々といった様子だった。
とはいえ、ここまで大翔のテンションが低いことにも理由がある。それは、己の才能への卑屈さによるものだ。
伝説の武器屋での、対面キャンセル。ソルからの『戦う才能が無い』という、断言。今までの冒険の中で、大翔はすっかり自分の才能に対して見切りを付けていたのだ。
外付けの力によって、どれだけ強くなろうとも、あくまでも自分は凡人。物語の中に出て来るような、素晴らしい才能とは無縁なのだと。
「でも、最初に言っておきますけど、俺は才能無いですからね? どれだけ教えても、全然技術を習得できないかもしれませんよ?」
「うん? 何を言っているんだ、お前は」
しかし、大翔は知らない。
才能とは、望む、望まないなどまるで関係なしに、あるところにはあるものなのだと。
「才能がなければ、私が一番弟子にするわけがないだろうが」
「………………えっ?」
そして、それは時に、自分自身の中から見つかることもあるのだと。
これが、師匠であるロスティアからの、最初の教えだった。




