第32話 魔導技師の要求
その書斎は、何の臭いもしない場所だった。
壁に並べられた本棚からも、紙類の臭いが感じられない。まるで、書斎を丸ごと洗浄し、滅菌したような部屋の空気だった。
その癖、本棚の隣には、使い古した木製のベッドがあるのだから、奇妙な違和感があった。生活の痕跡があるのに、その臭いがまるで感じられないのだ。
「安心してくれ。事前に部屋の掃除ぐらいはしている。消毒も済ませてあるから、万が一にも有害性はないはずだ」
大翔が首を傾げていると、書斎の主――ロスティアは無表情のまま、疑問の答えを口にする。
無菌室の如き清潔さを用意したのは、どうやらロスティアなりに歓迎の意思表示らしい。
「ええと、それはどうも?」
とはいえ、大翔はその奇妙な気遣いにさらなる疑問を抱いていた。
いや、そこを気にするぐらいだったら、せめてベッドの上に散乱している衣類をどうにかした方がいいんじゃないかな、と。
『《大翔、そこに下着はありませんよ?》』
「そんなことを期待していたわけじゃないんだけど!?」
「大丈夫だよ、ヒロト。女性の部屋に入った時、脱ぎ散らかされた衣類を視たら、『おいおい、下着とかあったら困るぜ、まったく』と言いながら下心を抱くのは何も間違ってはいない」
「ソルもシラノの悪ノリに乗っからないで!?」
自分の腰元と、背後から聞こえる茶化す声に、大翔は慌てて訂正の言葉は入れる。
こんなことでロスティアの機嫌を損ねたらたまらない、と。
「…………まぁ、お前が使用済みの衣類に興味を持つのであれば、それも報酬に含めるのもやぶさかではないが」
「やぶさかであってくれ! 頼むから!」
「くくくっ、冗談だ。そう、冗談だとも」
しかし、大翔の不安に反して、ロスティアの機嫌は悪くない。
むしろ、冗談を口にするぐらいには上機嫌だ。とても久しぶりの上機嫌だ。ましてや、笑顔を浮かべながら他人と話すことなんて、数十年ぶりぐらいだろう。
「まったくもう。そんなことよりも、契約の話をしましょうよ」
「ああ、もちろん。慣れない冗談もここまでだ」
だが、その笑みはすぐ消え去った。
無味乾燥とした部屋の主に相応しく、能面の如き無表情で告げる。
「改めて自己紹介をしよう。私の名前はロスティア。偉大なる狩人アルケーの子孫であり、封印都市の創始者でもある――――そして、お前が持つ権能を求める者だ」
ここから先が、交渉の始まりであると。
●●●
大翔たちの作戦は成功した。
偏屈な魔導技師であるロスティアとのファーストコンタクトは上々。
レストランでのライブコンサート後、ロスティアは間違いなく大翔へ興味を持った。
シラノは予め、ロスティアが大翔の聖火に反応する『事情』は知っていたのだが、あからさまに取引を持ちかけると、機嫌を損ねる可能性がある。そこで、可能な限り不自然ではない形で、ロスティアが大翔を発見する流れを必要としていたのだ。
かなり迂遠で長々とした遠回りだったが、そのおかげもあってか、ロスティアは大翔たちを自らの屋敷と案内する流れになった。
熟慮の結果ではなく、単純に、聖火を扱う者を見つけた興奮のまま動いているだけかもしれないが、どちらにせよ、大翔の存在をロスティアが必要としているのは事実だろう。
「――というわけで、俺たちは勇者として、故郷の世界を救うために活動しています。この成果も、その活動の一環として手に入れたものの一つです」
「ふむ、勇者か……ソルとか言う護衛の男はともかく、お前が?」
『《大翔は間違いなく勇者ですよ、ロスティア殿。例え、戦闘力皆無のクソ雑魚ナメクジで、いまいちぱっとしない性能の持ち主だったとしても、大翔でなければ聖火を手に入れることはできなかったでしょう》』
「相棒が背中を刺しながら褒めてくる件について」
そして現在、大翔たちは素直に己の素性を明かしていた。
シラノとしては、一部の情報はアドバンテージとして隠しておきたかったのだが、事前に大翔が『俺が隠し通せる気がしない』と弱音交じりの正論を吐いたため、ほとんどの情報を公開することになったのである。
「まぁ、お前が勇者かどうかはどうでもいい。肝心なことは、その聖火を私に研究させてもらえるかどうか、だ。それ以外のことは些事としよう。例え、この状況がお前たちの掌の上だったとしても構わない」
『《ああ、やはり気づかれましたか》』
その結果、ロスティアがファーストコンタクトのために仕組まれた茶番、その背後に勘付くことになったとしても。
『《弁明しておきますが、貴方を掌の上で躍らせようなどとは考えていませんよ、ロスティア殿。我々は、できる限りの最善を尽くしたまでです》』
「ふん。だから些事だと言っただろう? さっさとそちら側の要求を言え」
シラノの弁明に、ロスティアはつまらなさげに鼻を鳴らした。
普段ならば、盛大に機嫌を損ねることであったとしても、相手が聖火の――目当ての権能の持ち主であるのならば、話は別だった。
むしろ、今は納得すらしている。茶番であったとしても、偏屈な自分がここまで素直に交渉に応じるには、それだけの『第一印象』が必要だったのだと。
停滞を焼き尽くす音を、聞かなければならなかったのだと。
「ロスティアさん。こちら側からの要求はただ一つ。超越存在、冬の女王。奴の力に耐えうるだけの魔法装備を作って欲しいんです。俺が扱える、俺だけの装備を」
だから、お伽噺の如き荒唐無稽な要求を言われても、笑わなかった。
「不可能だ。いくら私でも、素材が無ければ超越存在には対抗できない」
笑わず、魔導技師として、職人として、冷静に判断して返答した。
超越存在に対抗するためには、超越存在の力が必要であると。
「こればかりは、どうしようもない」
ロスティアは二千年以上もそれを思い知らされていたが故に、返答は早かった。
しかし、そんなことは大翔たちも百も承知である。
『《素材はあります》』
シラノの返答は早かった。
まるで、こうなることを予測していたが故に。
『《正確に言うならば、これからロスティア殿と共に素材を獲りに行くことになります。むしろ、ロスティア殿も『そうなること』を望んで、先ほどはあえて不可能だと断言したのでしょう? そう、今は不可能だったとしても、ロスティア殿の目的に協力すれば、不可能ではなくなる。忌まわしくも強力な素材が手に入るのだと、後から補足するために』
「…………なるほど、知っていたか」
『《ええ、この世界の神話ぐらいは勉強しましたので》』
シラノの言葉に、ロスティアは少しだけ黙り込む。
一方、その様子を眺めて首を傾げているのが大翔だった。案の定、大翔は詳しい内情については説明されていない。
だが、大翔の顔には不安の色はなかった。シラノが情報を制限するということはつまり、それが大翔にとっての最善であると信じているのだ。
「一つだけ、お前たち……いいや、シラノとやらに訊く。そちらの要求の達成については、こちらの要求が達成されてからになる。それでもいいか?」
ロスティアはしばしの沈黙の後、確認するように問いかける。
そう、きちんと互いの認識が食い違っていないことを確かめるために。
『《もちろん。そうでなければ、貴方はこちらの力になってくれない。そうでしょう?》』
「ああ、わかっているならいい。私は、私の要求――悲願が達成されるのであれば、後は何をしてやってもいい。そういう条件で良いのなら、私は協力を惜しまない」
『《ありがとうございます、ロスティア殿》』
シラノとロスティアの意思疎通は、すれ違うことなく正しく行われた。背後に控える護衛のソルも、素材に関する偵察のため、事情を察することができていた。
「よくわからないけど、シラノがそう言うのなら交渉は成立ってことで。これからよろしくお願いします、ロスティアさん」
この場で状況を正しく理解していないのは、大翔のみである。
勇者としては情けない限りであるが、大翔自身は既にその情けなさを自覚しているために、今更揺らいだりなどはしない。
むしろ、そんな余裕ある気構えがあったからこそ、この後の展開に大翔のみが付いていくことができたのだろう。
「こちらこそ、よろしく頼む…………だが、すまない。魔導技師として、お前たちの要求に応えるために、更に要求を重ねることになるのだが、いいだろうか?」
『《その分、何かで補填してもらうことになりますが、とりあえず言ってみてください》』
「わかった」
ロスティアは無表情のまま、躊躇うことなく、真っ直ぐに要求を告げた。
「実は私、オーダーメイドは気に入った相手にしか作れないんだ」
『《はっ?》』
「んっ?」
真っ直ぐな要求に、疑問の声――否、正気を疑う声を出したのは、シラノとソルだった。
だが、ロスティアは真剣だった。冗談でも、我が侭でもなく、単なる事実として己の欠点を告げる。
「私は感情にとても左右される類の人間だ。そして、それは作る魔法道具や魔法装備の出来に影響を及ぼす。つまり、素材があったとしても、超越存在に対抗するぐらいの代物を制作するとなると――――かなり好感を持った相手を対象とするしかない」
大翔たちの方へと向き直り、嘘偽ることなく、背筋すら伸ばして。
「頼むぞ、お前たち。報酬を支払うために、契約を果たすために……上手く、私の好感度を稼げる提案をしてくれ」
前評判通り、かなり偏屈で拗らせた頼み事をしたのだった。
●●●
ロスティアの言葉は紛れもなく真実である。
二千年以上の時間を過ごした長命種族にして、卓越した魔導技師であるロスティアは、メンタルで作品の出来が大きく左右される。
気に入らない仕事の場合、不機嫌が込められた、それなりの出来の作品に。
気に入った仕事の場合、溢れんばかりの気合が込められた、至宝クラスの作品に。
問題は、ロスティアは仕事をする際、大抵不機嫌であるということ。そのため、ロスティアの作品として流通している魔法道具や魔法装備は、そのほとんどが『それなりの出来の作品』である。ロスティアの最高傑作と謳われている作品でさえも、多少機嫌の良い時に作った『中々良い出来の作品』に過ぎない。
従って、千里眼の効果対象とならないロスティアの本質に、シラノが気づけないのは当然のことだろう。何せ、ロスティアが至宝クラスの仕事をしたことがあるのは、二千年以上の時間の中でも、片手の指の数よりも少ない回数だったのだから。
「いや、多分、恐らく……素材――『冬の毛皮』を共に回収することができれば、私のお前たちに対する印象は良くなるだろう。『恩人』となるのだから、当然だろうが……ただ、それでも、私は私の精神性を信用できない。基本的に私は、人を好きになるよりも嫌いになる方が得意なんだ」
その上、偏屈で拗らせた長命種族だと予測はしていても、まさか、二千年以上の時間の時間を過ごしてきて、こんな思春期真っ盛りの少女みたいな発言をするとは思わなかった。
シラノとしては、頑固で偏屈で、多少は拗らせていたとしても、超一流の職人であるのならば、良くも悪くも成熟した人間性の持ち主であると推測していたのである。
「恋とかも経験したことも無いし、愛は使い勝手のいいマクガフィンだと思っている」
しかし、現実として、真顔で発言するロスティアの言葉は全部本気だった。
二千年以上の生きて来た癖に、思春期から全く精神性が成長していないのだ。恐らくは、精神性が成長する必要もないぐらい、規格外の才能と実力を持っていたが故に。
「だが、契約は履行されなければならない。私は魔導技師として、最高の腕を振るわなければならない。そのためならば、私はなんでもしよう。努力しよう。ただ、それはそれとして、感情の部分はどうしようもないので、そちらで何とかして欲しい」
『《…………精神干渉はオッケーですか?》』
「馬鹿を言うな。権能に届かせる作品を作るためには、明鏡止水が必須だ。外部による精神干渉など、邪魔にしかならない」
『《ああ、うん。でしょうね》』
ロスティアの発言を受けて、シラノは愕然としていた。まさか、ここまで真摯かつ真面目に、とんでもない要求をしてくる人間が居るとは思わなかったのだ。
なお、ソルに至っては、先ほどからロスティアの性格に絶句しているので、この場では役に立たない。
「……なるほど、わかりました。ロスティアさんの要求はよくわかりました」
故に必然と、この場に於ける希望は大翔に託されることになった。
「要するに、ロスティアさんと仲良くなればなるほど、良い仕事をしてもらえる。そういう事でよろしいでしょうか?」
「ああ、その通りだ」
「けれども、精神干渉は当然アウト。露骨に機嫌を取るのも気に食わない。かといって、恋愛対象として口説かれるのも苛立つし、何で赤の他人なんかに愛情を向けなきゃいけないのか? そういう思いもあるので、気を付けて欲しいと」
「ふっ、流石勇者を名乗ることだけのことはある。その通りだ」
まるで大物の如く微笑を浮かべるロスティアに、シラノとソルは苛立ちを通り越して、憐みすら覚えている。
ただ、大翔の表情に変化はない。
相対するロスティアの目を真っ直ぐと見つめ、真面目な表情で会話を続けている。
「なるほど。では、こちらは好感度を稼ぐという意識を持たない方がいいですね。あくまでも、共通する目的に対する戦友として、できる限りの協力を重ねていきましょう。その過程で芽生える信頼感で、貴方に仕事をしていただくというのはいかがですか?」
「ふむ……悪くないが足りない。最高の仕事をするには、オーダーメイドの対象への理解度が必要不可欠だ。可能であれば、戦友にプラスして、もう一つ関係性が欲しい」
「つまり、露骨にならない形で、上手く俺を理解できるようにしたいと。流石、超一流の魔導技師です。仕事に対して妥協が無い」
「お世辞は嫌いだと言ったばかりだが?」
「事実に対する感想なので、問題ないのでは?」
「くくっ、そうか、そうか」
ロスティアは『一本取られた』と、愉快そうに含み笑う。
その様子は紛れもなく、上機嫌のそれだ。聖火を持つ相手ということを差し引いても、大翔に対する感情は決して悪いものではない。むしろ、言葉を交わしていく内に、段々と機嫌がよくなっているようでもあった。
戦闘能力は皆無の大翔であるが、この勇者はこういう時、無類の強さを発揮するらしい。
そう、魔獣や聖女などといった、厄介な相手に対する交渉にこそ、大翔は活躍するのである。勇者なのに、交渉担当なのである。
「失礼、話を戻しましょう。ロスティアさんが自然に観察したいのであれば、俺に何かの役職を用意してはいかがですか? ハウスキーパーでも、使い走りでも構いません。ロスティアさんと交流する機会の多い役職に就けば、必然と俺のことを知っていただけることになるかと」
「役職、役職か……むー」
「もちろん、現職の誰かをクビにして、俺に挿げ替えるような真似はお控えください。予め言っておきますが、俺はそういう行為が大嫌いです」
「ふん、安心しろ。そういうのは私も大嫌いだ」
「それを聞いて安心しました」
会話の流れは順調だった。
ロスティアの発言は大分拗らせているが、真面目で真剣だ。従って、同じく真面目で真剣に取り合えば、形は多少おかしくとも、建設的な話し合いになる。
魔獣だろうが、骸骨だろうが、どんな相手とも真剣に向き合い、語り合う。
大翔が勇者として経験してきたことが、今、この場で活かされていた。
「空いている役職……役職……大体埋まっているな……いや、待てよ」
しばらく悩んだ後、ロスティアは『カッ!』と目を見開く。
どうやら、妙案が思い浮かんだらしい。
「そうか、そうだった! 思いついてみれば、これほど簡単なことはない! これなら、自然と観察も可能だし、信頼感を育めるし、互いの距離感も狭められる! そうか、やはり私は天才だったか!」
「あの、ロスティアさん?」
ただ、その妙案が本人以外に対しても妙案であるとも限らない。その証拠に、先ほどまで順調に言葉を交わしていた大翔の中に、嫌な予感が生まれ始めていた。
そう、勇者を始めてからは、各段に的中率が上がった嫌な予感が。
「喜べ、勇者ヒロト! これからお前を、私の一番弟子にしよう!」
そして今、その的中率の精度は、更に向上することになった。




