第3話 異世界転移系勇者になるための準備
誰しも一度は夢に見るだろう。
世界を救う、という壮大な物語の主人公になることを。
選ばれし存在として、特別な力を発揮して。あるいは、凡庸でありながら努力と錬磨を重ねて、誰よりも強くなって。頼りになる仲間や、油断できないライバルたちと切磋琢磨しながら、世界の危機を防ぐ。
ついでに、好みの異性との関係が、物語が進むにつれて発展していけば尚更いい。世界を救った後には、甘い日常のエピローグを演出するのもいいだろう。
もちろん、夢は夢だ。
世界を救う主人公になんてなれないし、ならない方がいいのは今時、子供だってよくわかっている。壮大な冒険を夢想するのは、フィクションの中に限る。世界を救うことだって、ゲームの中でなければ、困難過ぎて願い下げだろう。
『《クーラーボックスは必要ありません。冬の女王から影響を受けた氷菓子は、温度で溶けることはないので。むしろ、貴方以外が触れると良くないことが起こるので、取り扱いには十分に気を付けてください》』
「了解。じゃあ、このままリュックサックにぶち込んでいいのね?」
『《ええ。念のために、硬度の高い物を選びましょう……そこの、下手をしなくても武器になりそうなアイスキャンディーがお勧めですね》』
「普通に齧ると前歯が欠けるんじゃないかと思うよね、これ」
そのことをよく理解している大翔は現在、何の因果か、世界を救うために火事場泥棒のような真似をしていた。
身に纏う旅装は全て、近隣から拝借した上等な代物。
カーキ色のコートに、汚れにくく洗いやすいシャツ。下は作業着のような黒のズボン。足元には安全靴。それと吸水性の良い下着。どれも実用性に秀でた代物であり、まともに購入すれば合計で十万円は超える高級品たちだ。
そして、同じく高級品のミリタリーモデルのリュックサック。その中へ大翔は指示通りに、コンビニのアイスをぶち込んでいた。
「なんだか、この行為に罪悪感を覚えるんだけど」
『《ご安心ください。世界が救われた後に、しかるべき組織が損失を補填するでしょう。もっとも…………いえ、何でもありません》』
「俺たちに、世界が救われた後の心配をする余裕はないって? 大丈夫、わかっているよ」
『《あえて言わなかったことを口に出さないでください。士気が下がります》』
「あ、はい。ごめんなさい」
腰のホルダーに収まったラジオから、大翔を叱咤する声が響く。
鈍色ボディのラジオ。ハンディタイプで、片手で持てる程度の大きさしかない物体。それを通して聞こえる声こそが、大翔にとって唯一、『信頼すべき相手』だ。
性別も年齢も分からない正体不明の存在ではあるが、素直に忠告を聞いておいた方がいいことは明白である。
『《この世界に於いて、価値のある物は既に限られています。冬と夜の影響を受けた所為で、もはや食物はまともな人間が口にすべき物ではなくなりました。科学製品は便利ですが、この世界以外では故障の恐れがあります。故に、選ぶべきは氷菓子なのです。超越存在の影響を受けた氷菓子は、魔術の触媒とするならば一級品。現地で換金するにはうってつけの代物でしょう》』
「…………なる、ほど?」
とはいえ、大翔は何の専門知識もない高校生だ。
冬と夜の影響やら、魔術の触媒と言われてもピンとこない。勝手にフィクションの知識を参照して解釈してもいいが、下手な思い込みは危険だろう。
「ごめん、もっとわかりやすく」
『《異世界に香辛料を沢山持ち込んで、貿易チートしようぜ! を氷菓子に置き換えてください。大体それであっています》』
「ありがとう、完全に理解した」
従って、わからないことは素直にわからないと告げて、説明を求めることにしていた。
これに関しては、ラジオ側からも文句は言われない。むしろ、わからない部分を伝えることは推奨されている。わからないことをそのままにしておくことは、今後の行動で致命的なミスを呼び込む可能性があるからだ。
「じゃあ、もう一つ訊いてもいい?」
『《なんでしょうか?》』
「これから俺たちが行く異世界って、どんなところ?」
『《ご安心ください。夜に沈み、冬に埋もれたこの世界に比べたら、楽園のような場所ですよ》』
「わぁい、答えになってない奴だぁ!」
ただ、それはそれとして、ラジオ側が全ての問いかけに答えるとは限らない。
何故ならば、知らない方が上手く行くことも世の中にはあるからだ。
大翔は、それすらも理解した上で、ラジオの指示に従うことを選んだのである。
●●●
大翔はラジオによって、以下の情報を知ることとなった。
――冬の女王。
世界の外側から到来した、冬の具現化。超越存在。
――夜鯨。
世界の外側から到来した、夜の具現化。超越存在。
どちらも、核兵器を億単位でぶち込んだとしても、傷一つ付かない怪物だ。物理無効どころか、そもそも攻撃が成立しない相手なので、戦うだけ無駄。交渉による立ち退きを求めることが、世界を救うための唯一の手段である。
そして、そのために必要なのが勇者の資格と呼ばれるものだ。
「そもそも、勇者の資格って何?」
『《世界が用意した緊急手段です。外敵の脅威に抵抗力が及ばない場合、方舟の如く選ばれし者を移動させるための手段。世界を救う力を持ち、世界を救う覚悟を示した者にだけ与えられるはずの資格でした》』
「ざっくりと簡単に」
『《異世界を快適に移動するための通行チケットみたいな感じのスキルです。本来、厳正な審査と本人の意思確認が世界の防衛システムによって付与されるはずなんですけど、なんかそういうのをさっぱり知らない貴方が持っているのは不思議ですね!》』
「ありがとう。とてもよくわかった」
『《ちなみに、佐藤大翔さんがこの世界の状態で平然としていられるのも、勇者の資格のお陰ですよ。多種多様な異世界の環境に適応できるように、資格を持つ者には万能の耐性が付与されます。わかりやすく言えば、今の貴方は環境ダメージや毒の効果を受けません。溶岩で泳いでも平気ですし、フグを踊り食いしても余裕でノーダメージ》』
「え、チートじゃん、すげぇ!」
『《まぁ、野犬とか熊に遭遇したら、普通に食べられて死んじゃいますけど。本人自体を強化するタイプのチートスキルではないので》』
「え、クソザコじゃん、やべぇ!」
なお、ヤバいのは大翔本人の脆弱性である。
現在の大翔では、異世界の魔物や怪物どころか、刃物を持った一般人にすら負ける可能性があるのだ。もっとも、現代日本に住む一般人に、それ以上の戦闘力を求めること自体が間違いではあるのだが。
『《はい。現状のままだとコンティニュー無しの死にゲーで初見クリアを目指すようなものです。なので、こうして貴方の戦闘能力に左右されない作戦を考えているのです。基本、装備も戦闘力も異世界で調達することにしましょう》』
「うい、了解」
ラジオも大翔も、その脆弱性をよく理解している。
故に現在、戦闘力を財力で補うために、貿易チートの準備をしているのだ。
『《あ、このアイスは良いですね。シャーベット系は人気があるので取っておきましょう》』
「異世界で人気なんだ、シャーベット」
『《厳密に言えば、これから行く異世界の一部で魔術触媒として人気、ですけれどね》』
ラジオの指示に疑問なく従い、手早くアイスをリュックサックに詰めていく大翔。
会話を交わしながらの行動であるが、大翔の要領が良いおかげか、三十分もせずにリュックサックの中は満杯になりつつあった。
「ところで、今更だけど訊いてもいい?」
だからこそ、大翔は訊くならこのタイミングだと思い、ラジオへさりげなく問いかける。
「俺は君のことを何て呼べばいいかな?」
『《…………あー》』
本当に、今更過ぎる疑問を。
「色々と説明して貰ったけど、肝心の君のことはさっぱり教えてくれないからさ。いや、いいんだよ? 俺はこの通りの頼りない一般人だし。下手に情報を与えたら状況が悪化する、という判断だったらそれに従うし。でも、流石に呼び名ぐらいは教えて欲しいな」
大翔は状況の困難さや、これから行うべきことは教えられてはいたが、ラジオから響く音声の主についてはまるで何も教えられていなかったのである。
いつかは教えてくれるだろうと待っていたのだが、このままだと名前も知らないままに異世界に行くことになりそうなので、流石に声をかけることにしたのだ。
『《すみません。どうやら、私は知らず知らずの内に焦燥し、混乱していたようです。本来であれば、真っ先に行うべきことを見落としているとは……不覚です》』
心底己の愚かさを悔いるような声を出すと、ラジオは精神を整えるような呼吸音を一つ。
『申し遅れました。私はシラノ。世界の救済を手助けする、道先案内人です。あらゆる安全性を考慮し、偽名での自己紹介となりました。ご容赦くださいませ』
ラジオ――シラノは努めて冷静な声で、そう告げた。
「シラノ……シラノか、偽名でも良い名前だね。シラノ・ド・ベルジュラックを想起させる」
『《……っ! ご存じなのですか!?》』
「え、いや、まぁ、有名な戯曲だし。そこまで深く知っているわけじゃないけど、一応、劇の映像とか関連書籍は履修済み。最後の最後まで格好良い男の生き様って感じで、俺は好きだったよ、シラノ・ド・ベルジュラック」
『《ほう、ほうほうほう》』
ただ、大翔が偽名の元ネタに関して追及をすると、途端に取り繕った冷静さが剥がれていく。まるで、共通の趣味を見つけた子供のように、意気揚々と声を上げる。
『《わかっている。ええ、わかっている人じゃあないですか、大翔さん! 良い趣味していますね!》』
「急に距離を詰めてくるじゃん」
『《これは別に他意はないのですが、意思疎通の関係で呼びやすくするために、敬称は付けずに大翔とお呼びしてもよろしいですか?》』
「よろしいけれども、君はそんなにちょろくて大丈夫なの?」
『《信頼を得るためには、まず自分自身が信頼を示さないといけませんからね。別に、誰に対しても分け隔てなく胸襟を開くほど社交的ではありませよ、私は》』
大翔のツッコミに対して、さらっともっともらしいことを言うシラノ。
どうやら、勇者の道先案内人は随分と『いい性格』の持ち主らしい。
『《しかし、私の名前以外の情報に関しては、今はまだ明かすことはできませんので、ご容赦を。貴方を疑っているわけではありませんが、何分、貴方はその……情報面の防御が薄いので。心を読み取る異能や、精神干渉の魔術によって情報が漏洩する可能性を考慮せざるを得ません》』
「ああ、うん。そこの判断に関しては素人の俺よりもシラノが正しいと思うから、気にしないでくれ」
『《ありがとうございます。ですが、何も語らないというのも信頼性に欠けますので……そうですね。私のことは【攻略本】だと思ってください》』
「攻略本?」
首を傾げる大翔へ、シラノは補足を入れる。
『《ええ、私はゲームの攻略本のように、これから先の最善を知っています。そういう能力を持っているが故に、勇者の道先案内人となったのです。従って、私の指示は大体正しいものと考えて行動していただければ幸いです》』
要するに、『自分の言うことには従え』との内容であるが、大翔からすればそういう方針の方が助かったりする。何せ、右も左もわからないような一般人なのだ。是非とも、一から十まで指示して欲しいところだった。
「ああ、わかった。もちろん、俺はそのつもり――」
『《ただし! 現時点でこの能力で観測した最善の未来が大幅に外れているので! 大翔が『あ、これは明らかに嫌な予感がするなぁ』という時には、高度に柔軟性を保った判断をしていただきたい!》』
「…………つまり?」
『《ケースバイケースで頑張ってください》』
「うわぁ、一番言われて困る指示ぃ!」
従って、このように『いざという時はフリーハンド!』みたいな指示を受けると、露骨に頭を悩ませてしまうのだ。
とはいえ、終わりかけの世界では唯一の希望であるという自覚はあるので、悩ましいからといって思考停止はしない。
「……まぁ、頑張るけどね? というわけで、早速だけどシラノ」
『《何でしょう? 嫌な予感がありましたか?》』
「いや、予感というか――単純な疑問なんだけどさ。本来、シラノは朝比奈久遠って人と合流するはずだったんだよね? だったら、俺が勇者として行動するよりは、その人を探して勇者の資格とやらを譲渡した方がいいんじゃない? まぁ、譲渡できるのなら、だけど」
ある程度、シラノとの距離が縮まった自覚があるからこそ、大翔は踏み込んだ質問をする。
その答えは予測出来ているが、自らの覚悟を固めるために、あえて確認する。
『《もっともな疑問ですね、大翔。ええ、問われたのならば答えなければいけませんね。まず一つ。勇者の資格の譲渡は非常に難しいです。何故ならば、この資格は基本的に誰にも譲れないようにできているものだからです。仮に、資格の譲渡が可能な人間が存在するのならば、概念クラスの強力な異能の持ち主か、権能クラスの魔術師だけですね》』
「つまり、平凡オブ平凡な男子高校生は絶対に、勇者の資格をリリースできなくなったと?」
『《はい。仮に途轍もなく凄い能力を持った規格外の存在が居たとしても、勇者の資格は奪い取れません。例え、両者の同意があっても受け取れません。大翔自身が強力な異能に目覚めるか、魔術を極めるぐらいしなければ》』
そして、返って来た答えは予想通りに無慈悲なものだった。
シラノが告げた言葉通り、世界を救える存在はもはや、大翔しか居ないのだ。
『《そして、朝比奈久遠に関しては探すだけ無駄です。世界がこのような状態になってなお、姿を現さない――現わせないということはつまり、そういうことなのですから》』
何故ならば、本来、世界を救うべき主役は既に、舞台から退場済みなのだから。
●●●
世界は終了寸前。
世界を救うはずの主役は、思わぬアクシデントにより退場。
残されたのは、端役に過ぎない一般人。
そう、『どこかには居るような普通の男子高校生』のみ。
『《ゲートの設置完了。世界番号【A:17】番。座標指定……辺獄市場》』
けれども、身の丈に合わない重責を背負わされた端役は逃げない。
佐藤大翔は、背中に感じる重荷を受け止めながら、異世界へと続く門の前に立つ。
それは、空間が波打つ現象だった。
古ぼけた神社の赤鳥居。境界を示す建造物を媒体として、道先案内人は異世界へと続く門を出現させた。
その門を越えれば、もう、後戻りはできない。
『《大翔、準備はできました。これより、異世界を巡り、超越存在どもを退去させるための旅が始まります……ですが》』
故に、最初に躊躇ったのは道先案内人――シラノの方だった。
『《過酷な旅になります。貴方ならきっと越えられる、なんて気休めでも言えないほどの試練が待ち受けるでしょう。必ず、『こんなことなら最初からやらなければよかった』と思う日がやって来るでしょう。それでも、先に進みますか?》』
「ああ、もちろん」
しかし、大翔の声に躊躇いはない。
そんなものは既に、準備の間に済ませてある。たっぷりと迷って、躊躇って、その上で今、大翔はその場に立っていた。
「俺にも家族や友達がいるからさ。このまま、世界の終わりを受け入れるほど物分かりは良くないんだ。それに」
『《それに?》』
こんこん、と人差し指でラジオのボディをつつき、大翔は言葉を続ける。
「一人じゃないなら、頑張れる」
『《…………なるほど。確かに、その通りですね》』
精一杯の強がりを交わし合って、二人は門をくぐる。
波打つ空間を通り抜けて、異なる世界へと足を踏み入れる。
かくして、二人の旅が始まった。
冬を越え、夜を明かし、世界を救うための旅が。




