第26話 制服の協力者
「協力者……というと、ずっとこの世界に留まっていたの? 俺みたいに勇者の資格が無いのに? いや、今まで生存者を放置していた俺が言えた義理じゃないけど」
『《大翔の懸念はごもっともです。勇者の資格、それと同等の加護や防御手段が無ければ、この世界では長く生き延びることはできません。私の協力者はそれを承知の上で、あえてこの世界に残ることを選びました。勇者である大翔と合流せず、この世界で『為すべきこと』を遂げるために》』
「…………その『為すべきこと』って奴は、まだ俺が知らない方がいいこと?」
『《はい。申し訳ありませんが、教えることはできません》』
「教えない方が俺にとっての最善になるから、ってことだね。わかった、そこは信頼しよう。こうして協力者の情報を教えてくれたってことは、少しは情報を開示してもいいって認めてもらったってことだろうし」
『《勇者の道先案内人を名乗っている癖に、情報を制限して申し訳ありません》』
「いいさ。シラノが俺のために、そうしてくれるってことはわかっている」
シラノが隠していた手札、協力者の情報に関して、大翔が何も思わなかったと言えば嘘になる。だが、仮に協力者の存在を最初から知っていたとして、果たして大翔は、その状態でも勇者として活動できたのだろうか?
シラノとその協力者が『その道のプロ』であるのならば、素人の男子高校生が頑張る必要はない。勇者の資格なんて知らないから、そっちで何とかして欲しいと現実逃避をしてしまったのではないだろうか?
少なくとも、大翔自身はそう思っているからこそ納得できる。
「多分、俺はシラノと二人だけの状況だったから、勇者として覚悟を決めることができたんだ。そして、覚悟を決めてなかったらきっと、こんな風に誰かを救いに戻って来る、なんてことは一生できなかったと思う」
シラノに対して、不満や不信が無いわけではない。
一切の疵が無く、信頼を向けているわけではない。
ただ、そうだったとしても。情報を制限し、大翔の知らないところで暗躍していることがあろうとも、シラノは大翔を絶対に裏切らない。
たった一つ、それだけは絶対に信じられるからこそ、大翔はシラノを相棒として認めているのだ。
「だから、今後も俺が上手く勇者として活躍できるように……【攻略本】を期待しているよ、シラノ」
『《ありがとうございます、大翔……では、今から少し無茶ぶりしてもよろしいですね?》』
「えっ?」
もっとも、それはそれとして、シラノが大翔に対して甘いというわけでもなく。
勇者として必要なことならば、平然と無茶ぶりもしてくることも、大翔はその身をもって思い知っているのだが。
●●●
モンスターハウスでフリーハグ状態。
大翔の現状を簡単に説明するのであれば、このような感じになる。
『寒い……寒い……』
『きゃひゃひゃ! 私溶けてる! 溶けてる!』
『月に叢雲花に風』
大翔の前に、列を為して並んでいるのは、いずれも人の形を留めていない怪物ばかり。ほとんど正気も残っていない。
そんな怪物たちが、合計で十六体。ごく普通の小学校の体育館で、きちんと整列している姿というのは滑稽に見えるかもしれない。
だが、その怪物――生存者たちからすれば。それは神聖な儀式だった。
「もう大丈夫だ、安心してくれ」
大翔は、眼前までやって来た怪物を優しく抱きしめる。
慌てず、焦らず、嫌悪など微塵も抱かない表情で。
人狼と化していた童女にやって見せたように。ごく普通の、当たり前の少年としての笑顔で迎え入れる。
そして、大翔が抱きしめると共に、聖火が怪物たちの肉体を浄化し、元の人間へと戻していくのだ。
時代が時代ならば――否、科学文明が溢れる現代だったとしても、この終末世界に於いて、大翔はまさしく救世主の如き存在だった。
「……ああ、俺の、俺の体だ!」
「私、溶けてない……溶けてないわ……」
「まったく、この年にもなって若者に涙を見せることになるとは」
怪物化から解き放たれた生存者たちは、皆一様に感動と安堵を見せると、意識を落として倒れていく。
超越存在二体の影響を受けても、未だに存在を保てる生存者たちは、老若男女問わず、その全てが超一流の実力者たちだ。本来であれば、このように精神を乱すことなどはあり得ない。
つまり、それほどまでに超越存在二体の影響は凄まじく、悍ましいものなのだ。
精神と肉体が変化し続ける苦痛。いずれは存在が溶けるか、雪に埋もれる結末というのは、まさしく生き地獄という言葉が相応しい。
「皆。遅れてごめん。でも、大丈夫だ。俺は、この場に居る全員を必ず助けるから」
従って、体育館という場所だろうとも。外見が平凡な男子高校生だったとしても。
必ず助ける、と毅然と言い放つ大翔に心を動かされるのも無理はない。
後々、その正体がただの凡人に過ぎないと知ったとしても、いや、だからこそ、生存者たちの精神には、強く大翔への感謝が刻まれただろう。
――――シラノと協力者の思惑通りに。
「ぜぇ、ぜぇっ……地味にきつい」
一方、救世主の如き活躍を果たした大翔は、そんな思惑など知る由もない。
全力で生存者を浄化し、救った後は、それぞれの肉体を運んでマットレスの上に乗せて歩いている。
体育館の床に並べられた十六人分のマットレス。そこにそれぞれ、きっちりと掛布団もセットした上で寝かせる。
「これ、ひょっとして、全員を一気に治すより前に、一人ずつ寝かせてからの方が良かったかな? いやでも、シラノからは『毅然とした態度で』って言われていたし。早く人間に戻せるのなら、そっちの方がいいよな……うん、そう思おう」
聖火で浄化していく時は、どんな醜悪な怪物だろうとも躊躇うことなく抱き留めていた大翔であるが、単純労働はきつかったらしい。
ぶつぶつ文句を言う姿は、年相応の男子高校生そのものだった。
「……ふぅ。全員、運搬終了ぉ!」
大翔は時折、文句を言いながらも無事に作業を終わらせた。
やぁ、疲れた疲れた、と床に座り込んで一休みしていると、その眼前に、白い煙のような物が集まり始める。
ただ、それは煙のように見えて、むせるような臭いは感じられない。煙の発生源となるような火も見つからない。霧や霞が、その場で人型に集まっている、と表現する方が正しくそれを――その怪物を説明できるだろう。
『やぁ、すまなかったね。私がこんな体だったばかりに、勇者様に肉体労働させちゃって』
そして、その怪物は当然のように言葉を発した。
正確に言えば、言葉のような空気の振動を煙の中から放っていた。
「別にいいですよ、これぐらい……ええ、魔獣の群れに追われるよりも、大分マシな運動なので」
『ふふふっ、随分と大冒険をしてきたのだね、勇者様は』
「勇者様は止めてください。背中がむず痒くなりますので」
『そうかい? じゃあ、親しみを込めて大翔君と呼ぼうか。大翔君、後は私だけだけど、体力は持つかな?』
「聖火を扱うこと自体、体力はそんなに使わないんで……どうぞ」
大翔は怪物と幾つか言葉を交わした後、躊躇わず両手を広げる。
やや疲れているものの、きちんと優しく迎え入れる体勢を取る当たり、大翔は真面目だった。
眼前に煙が集まっている時も、「こうかな?」などと抱きしめるポーズを試行錯誤した後、聖火を放った。
暖色の炎が、煙を飲み込んで浄化する。
怪物を、正しき人間の姿へと戻す。
「んー、やっぱり人の体は良いねぇ。こうして触れ合えて、生きている実感が湧いてくる」
浄化を終えた時、大翔がまず感じたのは、重みだった。
人一人分の重み。けれども、揺らぐほどではない重みが体に圧し掛かる。
次に感じたのは、柔らかさ。同年代の女性の柔らかさ――特に、みぞおちあたりに触れる二つの感触は大翔をたじろがせた。
「んんんー、人の温かみぃー」
そして何より、胸元に顔を埋めて声を出されると、色んな意味でくすぐったかった。
「…………はい、治療終わりです」
大翔は赤くなっている頬を誤魔化すように、自らに抱き着く少女を離れさせる。
「ふふふっ、残念。私としては、もう少し君と抱き合っても良かったのだけれどね?」
先ほどまで煙だった怪物は、美しい少女へと姿を変えていた。
本来の姿を取り戻していた。
灰と雪を混ぜたような、銀色の長髪。蒼穹をそのまま瞳に閉じ込めたような、碧眼。目つきは凛々しく、けれども口元は蠱惑的だ。起伏に富んだ肉体は、男女を問わずに惑わせるほどの魅力があるが、首筋から見える純白の肌は神聖さすら感じさせる。
何かの手違いで、天使の仕事をしている悪魔。
そんな印象を他者に抱かせるほど、その少女は美しく、魅了的で――恐ろしい。
「ほどほどにしないとシラノから怒られてしまうから、真面目に自己紹介をしようか」
口元に指先を当てて、にぃと少女は悪魔の笑みを浮かべる。
人間に戻ってもなお、その魔性は揺らぐことはない。むしろ、煙の体だった時よりも更に、人を恐れさせるような怪物染みた魅力があった。
そんな非日常的な美貌の美少女に対して、大翔が親近感を持つとすれば、それは一点だけ。
制服。
その美少女は大翔と同じく、学校の制服を着るような年齢であること。
「私の名前は白樺 志乃。ご覧の通りの女子高校生で――君と同じく、シラノと一緒に世界を救おうとする協力者さ」
それ以外は全て、大翔と相反する『特別な女子高校生』だった。
●●●
シラノは朝比奈久遠の退場と佐藤大翔の勇者指名に関して、陰謀論の如き推察を立てていたが、それは間違いではない。
シラノが懸念している通り、『敵』は確かに存在する。
二体の超越存在を世界に招き、朝比奈久遠を無力化した、黒幕とも呼べる存在は居る。
この世界に於ける長い人類史の中でも、醜悪にして残酷。歪にして、純粋。我欲のために、世界を滅ぼすような悪党は、確かに存在しているのだ。
「げぼっ、ごぼっ……うう、久遠さんってば、容赦ないんだから……」
しかし、万全ではない。
それどころか、瀕死の状態であった。
何せ、大翔たちがこの世界に戻って来るまで、ずっと生命維持に集中していた状態だったのだから、無理はないだろう。
そう、これまたシラノの推理の通り、黒幕はかなり弱っていた。
朝比奈久遠は敗北し、退場したものの……それでも、黒幕の力を全盛期と比べて九割九分ほど削ることに成功していたのである。
おかげで、現在の黒幕にできるのは、『とても遠く』から大翔たちの様子を観察することぐらいだ。
「…………あー、はい。なるほど、なるほど? 久遠さんってば、私から勇者の資格を隠すために、あんな人に譲渡したんですね? 確かに、流動の概念を操る久遠さんなら可能だと思いますが……ふふっ、あんな雑魚に渡すなんて、悪足掻きも良い所ですよぉ……ごっほっ。いや、そんな悪足掻きでも大ダメージでしたけど……」
黒幕は全身を『夜』の黒衣で纏い、そのまま芋虫のように転がっている。
隠れ潜んでいる場所は、とある街の高層ビル。その最上階。かつては、羨んだ『お金持ち』の部屋に、黒幕はまんざらでもない気分で寝っ転がっている。
控えめに言って、この黒幕は油断していた。
気分としては、物語のラスボスを倒した気分。後は、退屈な後日談が残っているのみ。コンディションがある程度戻ったのならば、早々に『勇者擬き』を殺して、スタッフロールを流せばいい。
「どうせなら、もっとマシな人に渡せばいいものを。久遠さんは、なんであんな行きずりの男なんかに……確かに予想外だったけど……でも、もうすぐ終わりです。あのくだらない男を殺せば、後は、私の望みが――――っ!?」
だからこそ、安全圏――百キロ以上離れた遠方から、大翔へ殺気を向けるという愚行を犯してしまったのだ。
その程度の距離であれば、余裕で『間合い』の範疇にある護衛が居るとも気づかずに。
「っづ!? 道先案内人!? いや、違う! あの子に私は関知できない! だったら、そうか! あの黒衣の! ああもう! 馬鹿をやった! 感知系の異能が全然働いていないのに、油断してたぁ!」
黒幕が隠れ潜む高層ビルへ、無数に斬撃が着弾する。
だが、恐ろしいのはそこではない。現代の高層建築を、紙細工の如く切断する斬撃よりも、その後にやって来るであろう、斬撃の主。黒衣の傭兵こそが、黒幕にとっては何よりも恐ろしい相手だった。
「え、ひょっとして、私、今から逃走劇の始まり!? こんなコンディションなのに!? 相手はかなり強そうなのに!? ああもう――――あしらうの、面倒だなぁ」
けれども、黒幕は腐っても朝比奈久遠を倒した存在だ。
かつて、世界を三度救った救世主すら勝てなかった存在だ。
油断があったとしても、不意の遭遇だったとしても、まだこの程度では退場しない。奥の手を使って、見事に黒衣の傭兵から逃げおおせるだろう。
「うわぁあああああ!? 怖い、怖いっ! すみませんっ! 強い言葉を使って、すみませんでしたぁ!」
ただ、それはそれとして。
街の破壊を躊躇わない猛攻から逃げるため、行動不能寸前まで力を使い切ることになってしまうのだが。
「ずるい! 世界最強クラスの護衛はずるいってぇ!?」
どうやら、大翔と黒幕が接敵するのは、まだ先の出来事のようだった。




