第25話 帰還
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金色の獣は、凍った夜を歩いている。
人の髪にも似た、長く、金色の鬣。獅子や狼に類似した、大きな顎。猫背の肉体は、柔らかな毛並みに覆われている。ただ、四肢の先にある爪は、猛獣のそれに等しい。
――――人狼。
金色の獣を強いて例えるのであれば、そんな怪物の名前が出てくるだろう。
『…………寒い、寒いよぉ』
けれども、その鳴き声――否、『泣き声』は怪物からは程遠い。
全身が怪物と化しているというのに、獣の口から漏れる声は、童女のものだった。
『寒い、暗いよぉ……』
現在は金色の獣となっている彼女であるが、当然、これは本来の肉体ではない。
夜と冬。二体の超越存在の影響を受けた上で、中途半端に生き残ってしまったため、このような形に変貌してしまったのだ。
『どこ? みんな、どこ?』
すすり泣きながら無人の街をさ迷う姿は、怪物の形をしていたとしても、『声相応』の迷子のように見えるだろう。
金色の獣と成り果ててしまった彼女であるが、世界がこうなってしまう前は、優秀な異能者だった。
機関、という名称の異能者を管理する組織。その中でも、一桁の番号付き。七番目に優秀とされている異能者だった。
自由自在に光を操る異能。
それは、幼くとも彼女を一流の異能者にするには十分なスキルだ。
そのため、彼女は今よりもずっと幼い頃から、大人であるように努めて来た。強大な力を持つに相応しい人格を周囲に示すため、子供の背伸びだったとしても、優秀であろうと努力してきた。
事実、彼女は優秀な異能者であり、大人びた子供だったのである。
『寒いよぉ、怖いよぉ』
――――ある日突然、冬と夜の超越存在が、世界を浸食するまでは。
それは不幸だったのか、幸運だったのか。
彼女は大多数の人間と同じように、即死休眠することはなく生存した。
夜の闇に溶けず、冬の雪に埋もれず、適応してしまったのである。
そう、世界中で百人にも満たない生存者――その内の一人が彼女だ。
異変を感じ取った時、夜空から降り注ぐ月光を己の異能によって取り込み、夜の眷属に近い状態になったことで、難を逃れることができたのだ。
突然の出来事に狼狽えず、とっさに最善の行動ができたのは、まさしく優秀以外の何物でもなかっただろう。
『……う、うううっ』
ただ、そこまでが限界だった。
夜と冬の浸食を受けた肉体は、時間が経つごとに彼女の精神を蝕む。
幼くも気高い精神を持っていた彼女は、しかし、何の希望も見えずにさ迷うだけの日々に、限界を感じていた。
これは、彼女が弱かったわけではない。むしろ逆だ。強かったからこそ、人らしい感性が残ったまま、怪物として街をさ迷う羽目になったのだ。
『だれか、だれか……』
変わらぬ夜の中を、溶けぬ冬の中を、彼女は歩く。
自分以外の誰かの痕跡を求めて、歩いていく。
段々とすり減っていく人間性に恐怖しながら、完全に夜に飲み込まれるまで歩くだけ。
彼女が居るのは、そういう地獄だった。
――――どぉんっ!
けれども、そんな地獄の中で、轟音と共に一つの鮮やかな花が咲いた。
『……えっ?』
見間違いかもしれない、と彼女は夜空に見上げる。目を凝らす。そこには、月以外には真っ黒な空があるだけだったはず。
――――どどぉんっ!
だが、確かにあった。
しかも、今度は二回。
二回、轟く音と共に、夜空に花が咲いた。それが花火と呼ばれる物だということを、彼女はきちんと理解していた。
花火は、人工物であるということも。
花火を咲かせるためには、『誰か』が打ち上げなければいけないことも。
『いかなきゃ』
自分以外の生存者が居る。
それを理解した瞬間、彼女は雪に覆われた路面を駆けだした。
『はっ、はうっ、いかなきゃっ!』
歪な二足走行から、不格好な四足走行に変わるには、そんなに時間はかからない。
どんなに馬鹿みたいな姿であっても、彼女は自分以外の誰かを求めていた。
故に、駆ける。
地獄に差し込んだ、唯一の光へと追い縋るように。
『――――あ』
そして、彼女はついに見つける。
無人の街で花火を上げる人影――自分以外の生存者。
カーキ色のコートを纏う、年上の少年を。
自分とは異なり、きちんと人型を保ったままの誰かを。
『う、うううっ』
この時、まず彼女が感じたのは恐れでもなく、羞恥だった。
恥ずかしい。自分だけが地獄の中に居た気分だったのに、こうしてきちんと人のままで居られる人もいるなんて、と。
次に、恐怖が追い付いた。
人型の姿をした年上の少年。彼はひょっとしたら、怪物の姿である自分を拒絶するのではないかと。
何せ、見るからに普通の少年だ。
腰元にラジオを提げて、右手に暖色の炎を灯していても、その評価は変わらない。
こんな普通の相手に、自分は果たして受け入れ足られるのだろうか?
「大丈夫だよ、ほら」
しかし、その不安は直ぐに払拭される。
普通の少年は、大きく手を広げて、怪物の彼女を歓迎していた。
右手の炎が、全身まで広がっていて――傍目からは罠にしか見えない行動だったが、彼女はそこに悪意も脅威も見出さなかった。
いや、仮に罠だったとしても、彼女は受け入れただろう。
それほどまでに、彼女は温もりを求めていた。
『あ、あう……』
ゆっくりと、恐る恐る、彼女は少年へと近づいて……そして、撫でるように触れた。
押しつぶさないように、優しく抱き着いた。
瞬間、暖色の炎が彼女の体を包み込む。
『――――』
だが、熱くない。
例えるのならば、それはぬるま湯。寒い朝の布団。炬燵の中。
そういう類の温かさを持つ炎だった。
『あ、あ、あああ』
炎は溶かすように、照らすように、彼女の肉体を祝福する。
冬と夜。二つの影響から解き放つため、炎――――聖火は正しく、その役割を果たす。
「わ、私……は?」
やがて、数秒の祝福の後、彼女の体は本来の物へと戻った。
少年が抱擁しているのは、もう怪物ではない。
母親譲りの透きとおるような金髪で、父親が褒めてくれたドレスを纏う、美しき童女。
世界が変わり果ててしまう前。他の大多数とは違うけれども、しかし、彼女が確かに日常を感じていた時の姿まで、寸分たがわず戻っていた。
「な? 大丈夫だっただろ?」
安心させるように、耳元で告げられる少年の言葉を受けて、彼女はようやく微笑を零す。
「あははっ、本当だ」
少年――大翔の腕の中で、彼女が眠りにつくのに、そう時間はかからなかった。
●●●
『《確認しました。聖火の浄化は滞りなく、その効果を発揮しています。この子は既に、夜と冬の影響を受けません……お見事です、大翔。貴方は正しくその聖火を継承しています》』
大翔の腕の中で眠っている、金髪の童女。その安全をシラノが異能を使って保証する。
超越存在の残滓によって、人狼の如き怪物へと変異していた金髪の童女であるが、今ではすっかり本来の姿を取り戻していた。
すやすやと安らかに眠っている様子から、変異によってすり減った精神さえも回復へと向かっていることが窺えるだろう。
本来、不可逆であるはずの残滓の影響を焼き払い、元の肉体へと戻す。
これこそが、大翔が継承した聖火による浄化である。
「ふぅ、よかった。何度か他の世界で、聖火を扱うための練習はしてきたけど……やっぱり、超越存在二体分の影響となると不安だったからさ」
シラノのお墨付きを貰った大翔は、気の抜けた笑みを見せた。
その顔は、先ほど金髪の童女に見せた表情とは違い、弱音がにじみ出ている。けれども、シラノはそんな大翔のことを情けないとは思わない。
むしろ、逆だ。
「でも、これでようやく……故郷の生存者を救うことができる」
誰かを救うという行為に優越感を覚えるよりも先に、恐れを抱く慎重さ。その上で、必要ならば、そこから一歩踏み出せる勇気があることを、シラノは尊敬していた。
『《ええ、もう残りの生存者数は五十を切っていますが、それでも彼らを救い出すことは決して無意味にはならないでしょう》』
聖火を継承し、終わりゆく世界から脱出してから数日後。
大翔たちは一旦、故郷の世界へと帰還していた。
理由としては、先ほど大翔がやって見せたように、生存者の救出のため。
『《これも、大翔が聖火をたった数日で使いこなしたおかげです》』
シラノの予想では、少なくとも二週間。長ければ一か月の練習期間が必要のはずだった。
聖火。陽光の乙女が聖女に与えた、祝福の火。
それは超越存在の影響ですら焼き払い、祝福と守護を与える力だ。聖女から正しく継承できたとはいえ、本来、大翔のような普通の男子高校生では持て余すような代物である。
癒しの力であるが故に、無暗に周囲を焼いて被害を与えるようなことは無いだろうが、それでも、取り扱いは困難。使用の度に、使用者の寿命を消費するという代償があってもおかしくない、というのがシラノの予想だった。
『《やはり、天才では? ソルのように超越存在の力を扱う才能があったのでは?》』
だが、予想に反して、大翔は数日の間に聖火の使い方を習熟した。
聖火を使った、癒しの術。守護の祝福を与える術。その他、聖火を使った便利なあれこれをあっという間に使いこなして見せたのだ。
シラノからすれば、驚愕と尊敬に値する出来事なのだが、大翔本人としては違うらしい。
「これが俺の秘められた才能! とかだったら良かったんだけど。多分、これはあれだよ、絶対に陽光の乙女……その化身の忖度とか、そんな感じだと思う。だって、この聖火を継承してからしばらくの間、脳内でペストマスクの少女の声が聞こえていたもん。カーナビの音声案内ぐらいに存在を主張していたもん」
蜃気楼の試練を突破した所為か、大翔は陽光の乙女――その化身の一体にとても気に入られている。本来、既に役目を終えていた化身が、サービスとして聖火の使い方を懇切丁寧に解説する程度には。
そのおかげか、大翔はスムーズに聖火の使い方をマスターしていた。
あるいは、本当に陽光の乙女と相性が良く、才能もあったのかもしれないが、今となっては定かではない。大翔としては、そのどちらだったとしても、要は問題なく使えればいいのだ。
「でもまぁ、そのおかげで聖火が扱えるようになったのなら、あの化身に、少しぐらいは感謝しても良いのかもしれないね?」
『《そういう風に優しさを見せると、あの手の輩はとことん付け込みますよ?》』
「あははは、わかってる、わかってる。感謝はするけど、頼りにはしないさ。俺が頼りにしているのは、相棒であるシラノと……今さっき、帰って来たソルぐらいだよ、今のところは」
言葉の途中、大翔が視線を向けた先から、黒衣の傭兵――ソルが帰還した。
無人の街。その家屋の屋根を難なく跳躍し、さながらフィクション忍者の如く、無音で大翔の眼前へと着地したのである。
少し前だったのならば、その尋常ならざる能力に驚いていただろうが、共に死線を乗り越えた今ならば、ただの日常動作に過ぎないと理解している。
「ただいま、ヒロト。今のところ、君の花火――聖火による演出に反応したのは、さっきの子供だけだよ。他の生存者は、このあたりに居ないようだ」
「おかえり、ソル。それと報告ありがとう」
平然と動き回っているソルは、既に真紅の騎士との戦いで負った傷を完治させていた。
腰に下げた黒剣――『夜の剣』と強く結びついているが故に、致命傷を負ったとしても、一時間で完治する体質らしい。
今回はその回復力すら上回るほどの無茶を居た所為で、一日ほど休息を強いられていたが、数日経った今では、すっかり調子を取り戻しているようだ。
「んー、となると場所を移して生存者を探すかな? いや、それよりも先に、この子の避難先を探した方がいいと思う?」
「傭兵としての意見は、護衛対象が増えるのはよろしくないね。シラノは?」
『《大翔の相棒としての意見は、そうですね……ふむ》』
大翔の期待と信頼、ソルの意見を受け取ったシラノは思考する。
思考し、推測し、最善の答えを導く。
例え千里眼が通じづらい要素が多かろうとも、相棒としての自負を持って応える。
『《では、拠点を作りましょう。生存者を集めるにも、場所は必要です》』
「拠点か。シラノ、何か候補とかあったりする?」
『《少しお待ちください》』
死線を越え、躊躇わず怪物を抱き留めるほどの胆力を得た大翔。
そんな勇者へ信頼を示すため、シラノは一つの手札を開示する。
『《…………連絡が取れました。現在、私の協力者が近場の学校を避難所として使っているようなので、そこを拠点としましょう》』
あえて滅びかけの世界に残すことにより、危険を込みでも伏せておきたかった手札。
シラノの本体にすら繋がる可能性がある、協力者という存在を。
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