第23話 勇者たち
炎の剣が、闇を切り裂く。
ソルが振るう『夜の剣』、その副次効果である武器生成。身にまとう黒衣から生成した、無数の武器による投擲すらも、炎の剣は一蹴する。
切り払い、焼き払い、崩れかけた足場を踏み砕きながら、真紅の騎士は、ソルとの距離を肉薄。
ジェット噴射の如く背後から噴き出す炎によって、移動速度も今までとは段違いだ。
『うるぅおおおおおおっ!!』
真紅の騎士は、勢いのまま炎の剣を振り下ろす。
ソルはそれを『夜の剣』で受け止めるが、衝撃を殺しきれない。亡霊の時に受けた一撃よりも、遥かに威力が増したその一撃は、余波としてソルの肉体を軋ませる。
そして、ソルよりもさらに下の足場は崩れ、いよいよ神殿が最上階から崩壊を始めてしまった。もはや、聖女が居る部分だけ、崩壊の後に残ればいいという攻撃である。恐らくは、ソルと真紅の騎士の戦いが決着するよりも先に、神殿が完全に崩壊する方が早い。
「随分と元気になったものだね。でもまぁ、気持ちはわかるさ――――好きな女の前で負けたくない気持ちは、なんとなくわかるよ」
崩壊する足場を器用に跳躍して移動するソル。
その顔には、苦笑が浮かんでいる。
これは不味いな、という冷静な傭兵としての判断と、面白くなって来たな、という勇者としての興味が入り混じった顔だ。
『――――守る』
「でも、僕たちだって負けるわけにはいかないのさ」
崩れ行く神殿の中で、炎と夜が舞い踊る。
紅蓮が暗闇を照らすように、幾重にも炎の斬撃が刻まれていく。
その光景はさながら、夏の夜の花火の如く美しいが――――劣勢だ。
先ほどとの戦いと異なり、ソルがかなりの劣勢を強いられていた。
『《まずいですね。陽光の乙女がもたらした力は、ソルが扱う力よりも優位のようです。いえ、相性以前に、二対一の構図となっているのが問題ですね。聖女が聖火によって、全力で騎士を援護し、騎士はそれに応えている。いくらソルが強くても、同格の相手二人に単独では不利になるのも当然でしょう》』
戦いを見守るシラノは、ソルの劣勢を正しく理解していた。
聖火の力を得てから、明らかに真紅の騎士は動きが違う。亡霊としての戦いではなく、意志ある人間としての戦い方をしている。
シラノとしては、どうして何もかもが終わった後に、そんなやる気を出しているのかと文句を言いたいところだが、生憎、二体とも人間としての意識はほとんど無いだろう。あるのは、『負けてたまるものか』という意地だけ。理性的な会話は期待できない。
しかし、だからといって大翔による援護はもっと困難だ。
『《こちらも援護したいところですが……戦いのレベルが違い過ぎます。大翔でなくとも……一流の達人がここに居たとしても、この戦いには手出しできないでしょう。最低限、同格の、世界最強クラスの戦士でなければ、同じ土俵にも立てない》』
どのような魔法道具を使ったところで、ソルの足を引っ張ることは明白。
シラノの千里眼では、格の違う二人の姿を捉えられない。
それどころか、安全圏を一歩でも出てしまえば、大翔は戦いに巻き込まれて死ぬだろう。それはもう、一秒にも満たない間に死ぬだろう。あるいは、大翔を庇ってソルが死ぬだろう。
どちらも最悪だ。
だが、攻略の足掛かりが見えない。ソルが勝つことを祈る以外、何もできない。
『《くそっ、一体、どうすれば……》』
「大丈夫だ、シラノ」
無力感を噛みしめるシラノへ、大翔は優しく告げる。
「俺が何とかする」
勇者らしく、自信に満ちた言葉と共に、その場から立ち上がる。
当然、この行動にシラノは驚いた。良い意味ではなく、悪い意味で驚いた。
『《ちょっ、何をしているんですか、馬鹿! 危ないですよ!》』
「大丈夫だ……聖女の陰になるようにポジションを取っている」
『《よかった、安全マージンは取った行動だったんですね!? でも、余計な何かはしないでくださいよ!? 本当に、下手をしたら全滅の危機ですので!》』
「それに関しても、大丈夫。ソルの邪魔はしないよ。俺はただ――」
シラノの警告を受けながらも、大翔は屈まない。
両足できちんと石畳の足場に立ち、煌々と燃える聖女を見据える。
「聖女に戦いを止めてもらうよう、説得するだけだ」
『《――――無理です! 私も考えました! でも、無理なんです! 聖女は、この人は既に、魂だけの存在となって、長い時間を生き過ぎました! もはや、まともな思考能力は残っていません! 先ほどのあれは、単なる残響に過ぎなくて……奇跡だったんですよ》』
大翔の提案を、シラノは力強く否定した。
自分も一度は考慮しただけに、もどかしさを感じながらの否定だった。
『《戦いを止めてくれるような……既に、世界が終わっていると理解してくれるような意識なんて、聖女は持っていません》』
「でも、何も聞こえていないわけでも、見えていないわけでもない。あんななりでも、相応に何かの情報は受け取っているんだろう?」
『《……へっ?》』
けれども、大翔はシラノの否定を予測していたように言葉を続ける。
「だったら、言葉で揺さぶれるはずだ。さっきまではともかく、あの聖火は聖女と繋がっているんだから。聖女を言葉で揺さぶれたなら、ソルへの援護になるはずだ。そう、ほんのささやかでもいい――――俺は聖女に嫌がらせで説得をするぜぇ!!」
『《作戦内容がみみっちい!?》』
「魔獣と心を通わせた、俺のトーク術! 今こそ見せてやる!」
『《実績があるから、無駄な行動と否定しづらいですよ!?》』
大翔の作戦は、控えめに言っても馬鹿が立てた作戦だった。
姑息極まりなく、効果はさほど見込めず、上手く行っても嫌がらせ程度。この場で行動を起こすリスクとリターンが合っていない、本当に馬鹿な作戦だった。
『《や、止めましょう!? 余計に状況を悪化させるかもしれませんよ!?》』
「失敗を恐れていては何も始められないぜ、シラノ。それに、俺だって無謀じゃない。ちょっとした秘策ぐらいはあるんだ」
『《ひ、秘策ですか?》』
それでも、シラノは大翔に対して僅かな希望を抱いていた。
大翔は馬鹿ではあるが、勇者だ。絶望的な状況でも、自分と共に世界を救うことを決めてくれた勇気ある人だ。もしかしたら、自分では思いつかないウルトラ素晴らしい秘策を決めてくれるのではないかと。
「ああ、これを見てくれ、シラノ」
そして、期待に応えるように、大翔が収納空間から取り出したのは、一つのオルゴールだ。
神殿攻略以前、精神が乱れていた大翔が、慰めとして使っていた遺物。終わった世界に残された、ほぼ唯一の音楽。
それを得意げに持つと、大翔は自信溢れる笑顔で言った。
「人は、良い感じのBGMが流れていると――意外とごり押しの言葉でも揺さぶれる」
『《はい、ばかぁー! クソ馬鹿ぁー!!》』
根拠がゼロではなく、微妙に効果がありそうなのが、更に大翔の作戦のみみっちい部分を掻き立てる要素だった。
「ふっ、馬鹿でもいい! だけど、俺は勇者なんだ! 今、そこで仲間が戦っているってのに! 何もできずに黙って見ているなんて、できるかよぉ!」
『《そんな熱い台詞は、もっと効果的な作戦を実行してから言ってください!》』
それでも、大翔は意志を変えることなく作戦を実行する。
例え、相棒から散々罵倒されようとも、内心、『いや、これは流石にないだろ』と思いながらも、少しでも聖女を揺さぶれればいい、とがむしゃらに動く。
そして、終わりの音色が奏でられた。
●●●
オルゴールが、約束の曲を奏でる。
それは、騎士と聖女の約束が成就された証。
遠い、遠い昔。聖女がまだ、陽に抱かれる前の話。かつて、騎士が冗談のように告げた言葉が、実のところ、聖女は本当に嬉しかったというだけの話だ。
だが、致命的に手遅れだ。
この曲が奏でられるのが、もっと前ならば。騎士が絶望せず、オルゴールを聖女の下に届ければ、あるいは終わる世界の結末は変わっていたかもしれない。
だから、このオルゴールでは何も変わらない。
妙な因果が絡まって、異邦の勇者が約束のオルゴールを届けたところで、都合よく意識を取り戻したりはしない。そんなご都合主義なんて、この戦いには訪れない。
仮に、何かが起こるとすれば、それは奇跡のような素敵な代物ではないだろう。
もっと、どうしようもなく、何も解決せず、それでも忌々しいぐらいにしつこい心の動き。
――――単なる感傷。
そんなものを思い出させるのだから、本当にこれは嫌がらせに過ぎない作戦だった。
そう、この程度の嫌がらせでは、たった一瞬、感傷に浸らせるぐらいが関の山だ。
●●●
――――その一瞬で、ソルには十分だった。
瞬く程度の合間、聖火の援護が途絶える。それは即ち、連動する真紅の騎士の動きも、一瞬だけ停止することを意味していた。
一瞬の間に振るわれる黒剣。
その刃が向かう先は、真紅の騎士ではない。
ソルは己の片腕を、一切の躊躇なしに切りつけたのだ。
「夜鳥・解放」
そして、逆襲が始まる。
切り付けられた片腕から噴き出すのは、鮮やかな赤ではなく、何処までも深い黒。
闇――否、夜が『キキキキ』という、鳥の鳴き声にも似た空間断裂音と共に、出現する。出現し、繭のように、水流のようにソルを絡めとる。
『――――っ!』
一瞬の隙が終わり、当然の如く真紅の騎士は、ソルへと斬りかかる。
炎の剣による全力の振り下ろし。
『夜の剣』でさえも、ソルが使い手でなければ両断されかねないほどの威力を秘めた一撃は、しかして当たらなかった。空を斬ったわけではない。振り下ろされた炎の刃は、崩壊途中の神殿に止めを刺し、その威力は遺憾なく発揮されている。
ただ、ソルには当たらなかった。
「戦場を変えようか、真紅の騎士」
真紅の騎士が振り下ろした炎の剣を上げるよりも早く、ソルの反撃が繰り出される。
だが、攻撃方法は剣を用いた斬撃ではない。
真紅の鎧がひび割れるほどの、ミドルキックだ。
どぉん、と砲弾が発射されたが如き轟音が響き、真紅の騎士は神殿の外部へと吹き飛ばされる。それは、その攻撃方法は、今までのソルにはできないはずのものだった。
力が足りず、聖火に対する耐性も足りていないソルには、真紅の騎士を蹴り飛ばすなんて攻撃は、愚策に等しい攻撃だったはず。
それを覆したのは、黒剣の勇者ソルが持つ――第二形態によるものだ。
「ここだと、お互いに力が出しづらいからね」
山羊の角に、獣のかぎ爪。背中には、大鷲の翼。それでいて、四肢は滑らかでしなやか。猫の胴体にも近しい軟体。けれども、胴体は竜の鱗よりも強靱な外皮によって覆われている。
ただ、その肉体には顔が無い。目も、鼻も、口も無い。無貌の仮面を被ったかのように、のっぺりとした姿だ。
――――怪物化。
ソルが勇者としての力を全力で扱うための形態であり、五百年以上のブランクが存在する、諸刃の剣だ。
性能は人間形態とは比べ物にならないほど向上するが、その分、戦闘技術に粗が出る。何より、この形態になるまでにワンアクション、自らが隙を晒さないといけないという条件が、今まで怪物化を使えなかった理由だ。
しかし、幸いなことに、大翔が一瞬でも隙を作ってくれた。
最高のアシストをしてくれたのだ。ならば、応えなければ勇者ではない。
「じゃあ、ちょっと勝ってくるから――」
「ちょっ! ちょっと待って、ソル!」
「えっ?」
勝利の宣言と共に、神殿外部へと飛び出そうとするソルだが、それを大翔が飛び留める。
突然の展開に、先ほどまで目を丸めていた大翔だが、今は違う。まるで、幼い子供のような純粋な眼差しで、ソルへと言葉を告げた。
「その第二形態、すっげぇ格好いいね!」
「――――ははっ」
数百年ぶり。
どこかの馬鹿メイド以来の言葉に、ソルは無貌の下で笑った。
「ああ、知っているよ」
懐かしい賞賛を胸に、怪物と化した勇者が飛翔する。
音よりも早く。
雷に近い速度で。
ジェット機の如く、炎の噴出によって逆襲を狙っていた真紅の騎士へと突撃。そのまま、体が焼けるのにも構わず、戦場を更に上空へと引き上げる。
『ご、ごぉおおおおっ!』
紅蓮の炎が猛り、何度もソルの身を焼き尽くそうとした。
だが、足りない。
聖女から離れ、夜に一番近い上空へと変更された戦場では、怪物と化したソルを焼き尽くすには、炎の量がまるで足りない。
『我、は……俺は、守るっ!!』
それでも足掻き、炎の爆発によって自分ごとソルを弾いたのは英断だっただろう。
真紅の鎧は、何度も打撃された胸部が破損したが、行動不能という程ではない。ここから立て直し、戦場を神殿近く、自分の有利な場所へと戻す。
そのような思考が、あるいは聖女の眷属となった騎士にはあったのかもしれない。
ただ、結果的に、その作戦は意味を為さなくなった。
「君の忠義――いや、愛には賞賛を送ろう。亡霊になった後も、そこまで誰かを守り続けようとする意志は尊いものだ。だけど、それでも」
真紅の騎士が見上げる空には、明確な変化があった。
――――明るいのだ。
月光ではない。
そのような紛い物の光ではない。
遥か昔。ずっとずっと遠い過去に、感じたことのある温かな光。それが空から降り注ぎ始めている。
「僕たちは、君を倒して先に進む」
明るくなる空と引き換えに、一点。怪物と化したソルが携える『夜の剣』へと、暗黒が凝縮されていた。
それは、この世界に残された夜鯨の残滓。
怪物化し、勇者としての真価を発揮したソルだからこそ可能となる――否、それでも、かなりの無茶と無謀を重ねなければ実現できない、御業。
夜を集め、暁へ回すための一撃。
『――――あ』
夜の全てをつぎ込んだ一撃が、真紅の騎士だけではなく、大地すらも深々と切断する。そう、切り裂くではなく、切断だ。
ソルが放った一撃は、紛れもなく、世界の一つを断ち切るに相応しい一撃だった。
当然、聖火を原動力とする真紅の騎士といえども、耐え切ることができずに、受け止めようとした炎の剣ごと両断されたのだ。
『なんだ、もう朝か』
最後の瞬間、両断された真紅の騎士が何を思ったのか、それを知る者は誰も居ない。
ただ、真紅の鎧はどこか満足したように、塵と化して、一陣の風に吹き飛ばされた。
晴れ晴れとした暁の空へと、昇っていくかのように。




