第22話 炎の騎士
バッドエンドの物語を紹介しよう。
主人公は気弱な男の子。
将来の夢は騎士。
国の人々を魔物や悪党たちから守るために、今日も森の中で秘密の特訓だ。
「馬鹿ね。本当の剣はもっと重いのよ? そんなへっぴり腰で、騎士なんかになれるわけないじゃない」
ヒロインは幼馴染の女の子。
美人だけど、主人公の男の子にだけには意地悪。
八方美人でなんでもそつなくこなすのに、好きな男の子には意地悪をしてしまう、ちょっと困った性格の持ち主だ。
「順序! 順序があるの! 木の棒に慣れたら、今度はもっと重い物を振るんだい!」
「最初から妥協している人に、騎士なんてなれるのかしら? どこかの街で商人の下働きから始めた方がいいんじゃない?」
「嫌だよ、僕は皆を守る騎士になるんだ」
「私に喧嘩で負ける癖に」
「素手で魔物を殴り倒す君に勝てたら、多分、その時点で騎士になれると思う」
主人公とヒロインは口喧嘩ばっかり。
時々、ヒロインが笑顔で主人公を殴り飛ばすこともあるけれど、そこはご愛敬。騎士を目指す主人公ならば、幼馴染の癇癪ぐらい受け止めなければ。
ともあれ、幼少期はありきたりな幼馴染同士。
二人は何度も喧嘩を繰り返しながら、少しずつ大人になっていく。
「あら、団長様。私に何か御用でしょうか?」
「その猫かぶりを止めろ。気味が悪くて仕方がない」
大人になっても、二人は相変わらず口喧嘩ばかりだった。
しかし、口喧嘩の際に、周囲を気にしなければならないぐらいの立場は得てしまった。
主人公は騎士団長。世界を守護する騎士団の、若き英雄だ。
前代未聞の若さで団長となった主人公は、けれども地位に見合った実力を兼ね備えている。もう、森で秘密の修行をしていた男の子はいない。
主人公は数多の戦場を潜り抜け、今では世界最強と噂される英雄の一人だった。
「猫かぶり、ですか。生憎、この言葉遣いは癖になってしまったので、今更貴方に何を言われようとも変えるつもりはございません――つまり、貴方が慣れてくださいませ」
清楚に笑うヒロインは、聖女。
世界でもっとも清らかで、美しい乙女。
そんな称号を与えられてしまったきっかけは、勘違いから。戦場で死にかけた幼馴染を治療していたら、いつの間にか周囲に同じように傷ついた者たちが集まってきて。文句を言いながらも、その者たちを治療していたら、敵味方を判別するのも面倒になって。挙句の果てに、治療した者が再び戦場に出向こうとしたので、『手間を増やすな』と殴って気絶させていたら、いつの間にか聖女呼ばわり。
敵味方を構わず、手当たり次第に人々を治療。その御心に心打たれた者が、次々と戦いを止めていったという逸話付きの聖女。
明らかに勘違いも甚だしい称号だが、ヒロインは意外と責任感の強い少女だった。
それが、猫を被り続けることになってしまった、過ちの始まり。
「ふん。ガキの頃、散々俺を殴っていたお前が、今や聖女とは。世も末だな?」
「それを言ったら、弱虫の貴方が世界最強の騎士団長ですもの。まさしく、世も末では?」
主人公とヒロインが口喧嘩をするのは、いつもヒロインにあてがわれた個室の中でのみ。
外では騎士団長と聖女として、笑顔を張り付けながら言葉を交わさなければならない。昔のように口喧嘩できるのは、親しい者たちの前か、こうして二人きりの時ぐらいだった。
「……はぁ。やめよう、不毛だ。俺だって好きで団長なんてなっているわけじゃない。他にやれる人間がいないんだよ。本当は前線で一騎士として働きたいのに、今では戦うことよりも指揮することの方が多いんだから、困ったもんだよ、実際」
「そこは頑張ってくださいな。私も楽団の演奏を聴きに行きたいのに、警備が大変すぎるからって理由で我慢しているのですから。あーもう、宗教音楽以外の曲を聞きたい、奏でたい」
「妹が趣味で作っているオルゴールぐらいは差し入れできるが、どうする?」
「――――ずっとお慕いしていましたわ、騎士団長様」
「やめろやめろ、聖女ボイスで演劇のヒロインみたいな台詞を言うな。鳥肌が立つわ」
地位が変わっても、二人の関係性は変わらない。
相変わらず、幼馴染の二人は口喧嘩をしながら、素直になれない者同士の気持ちを埋めていく。少しずつ、少しずつ、歩くような速さで二人は結ばれていくだろう。
「…………それで、真面目な話なんだがな、聖女殿。賢者の提案を受けるというのは、本当のことか?」
――――夜が、二人の世界を浸食し始めていなければ。
「ええ、当然ですわ。だって、それ以外に世界が助かる方法はなさそうなんだもの」
「相手は人類に友好的とはいえ、超越存在だぞ? この世界を浸食する夜鯨と同類だ。ろくなことにならない」
ヒロインは当たり前のように微笑み、主人公は剣呑な様子で目を細める。
「自殺行為にも満たない愚行だぞ、それは。何せ、陽光の乙女の逸話はどれも醜悪だ。奴と契約した者は、どいつもこいつも『まともに死ぬことすらできない』末路を辿っている」
「ええ、そうでしょうね。私もきっと、ろくなことにならないでしょう」
だが、ヒロインの意志は揺るがない。
精鋭揃いの騎士団ですら、主人公が睨みを利かせれば身震いしてしまう者が多いというのに、声すら震えない。
「だけど、私は聖女だもの。世界を存続させるために、生贄ぐらいにはなってあげますわ」
「…………猫かぶりだろうが」
「猫かぶりでも、聖女には変わりません。それに、私はこの世界が結構好きですから」
先に目を逸らしたのは、主人公の方だった。
いつの間にか成熟したヒロインの価値観。聖女たる信念を眩しく思い、目を逸らしてしまったのだ。目じりから涙が流れ出そうなのは、きっとその眩しさからだろう。
「馬鹿な女だ」
吐き捨てるように捨て台詞を残し、主人公はヒロインの前から立ち去った。
このやり取りが、ヒロインと交わす最後の物になるとも知らずに。
後は、ご存じの通りの予定調和。
聖女の献身によって、見事に陽光の乙女の契約は成立。授かった聖火により、夜を退けるための手段を手に入れることができたのだ。
ただし、契約によって失ったものは、聖女の血肉――その全て。
「…………本当に、馬鹿な女だ。その有様では、オルゴールも聞こえまい」
台座の上に、生贄の如く――あるいは、松明の如く座る聖女は、紅蓮にして純白。
紅蓮の火を纏い、真っ白な貫頭衣を身に着けて、後は全て骨だった。血肉を失った後、残った骨だけの存在。骸骨のお化けのように成り果てたヒロインは、もはや、主人公の悪態に対して文句を言うこともできない。
「お前みたいな馬鹿な女と、最後まで付き合ってやれる物好きは、俺しか居ないだろうさ」
結局、主人公が選んだのは、何もかも手遅れになった後。
世界が滅ぶまで、ヒロインの残骸を守り続けることにしたのだ。
こうして、一つの物語は終焉を迎える。
一体、何を間違えたのか? それとも、ただ運が悪かっただけなのか?
どちらにせよ、英雄だった主人公と、聖女だったヒロインの物語はここまで。
何も為せず、結ばれず、理不尽に蹂躙されるだけのバッドエンド。
どこにでもは無いけれども、探せば見つかる程度の悲劇の一つに過ぎない。
だが、もしも、バッドエンドの後。
後日談として、彼らが僅かでも救われる可能性があるとするのならば、それは――――
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真紅の騎士は、亡霊なれども実力は規格外。
生前は間違いなく、世界最強クラスの英雄だっただろう。
しかし、ソルも実力に関しては負けていない。過去、超越存在の依り代である魔王を幾度も撃破した戦歴を持つ。さらには、数百年間も傭兵として数多の世界を渡り歩いた日々が、膨大な経験値となってソルの強さを支えている。
真っ当に戦えば、ソルの方が強い。
ただ、それでも真紅の騎士は世界最強クラスの英雄。逆境には慣れたものであり、格上との戦いだって何度も経験してきたはずだ。
従って、ソルの方が優勢であるが、確実に真紅の騎士を倒せるとは限らない。そのような前提条件での戦いになっただろう――――真紅の騎士が、生前であれば。
『《あ、ソルが勝ちますね、あれは》』
真紅の騎士とソルの戦いが始まってから、おおよそ一分後。
シラノは冷静に、そのような判断を下した。
「え、マジで!? 俺の目にはもう、残像っていうか、戦いの痕跡しか見えなくなっているんだけど。ソルって優勢なの?」
『《ええ、優勢です。亡霊というのは元々、ろくに思考ができない怪物ですからね。生前がどれだけ強くとも、行動がパターン化してしまうのですよ。ほら、例えるのなら、アクションゲームの敵NPCみたいな感じです》』
「ああ、確かに。どれだけ強い能力を持っていたとしても、そのパターンを見切ってしまえば、うん。ソルなら負けるわけがない、か」
シラノと大翔が推測する通り、神殿最上階での戦いは、ソルが終始優勢だった。
真紅の騎士は間違いなく強敵であり、ソルとも打ち合えるほどに巧みな剣術の持ち主だ。しかし、その剣術も亡霊となった思考では十全に扱いきれない。
剣を振るうその瞬間は最善だったとしても、二手後、三手後の伏線を仕込むことはできない。幾つもの戦技を一つの流れとして組み合わせ、相手を嵌めるぐらいができなければ、一流の戦士とは呼べないのだ。
『《そして、そもそもの話――――ソルが持つ、漆黒の剣。あれは、この世界の亡霊たちにとって特攻の武器です。直接触れなくとも、近くに居るだけで相手は弱っていくでしょう》』
加えて、相性が最悪だった。
ソルが振るう『夜の剣』は、夜鯨の一部を加工した物だ。
夜に影響を受けた亡霊は全て、この剣の一撃に耐えることはできない。
超越者の影響を受けている者同士ならば、より強い力を保有している者が勝つ。その差が大きければ大きいほど、戦いのアドバンテージも大きくなるだろう。
つまり、真紅の騎士には最初から勝利の可能性など、与えられていなかったのだ。
――――がらんっ。
シラノの言葉の数秒後。
推測を裏付けるように、真紅の騎士が纏う鎧の一部――大剣を持つ腕部分が切断された。
音が鳴ったのは、切断ではなく、落ちた鎧部分が石畳に落ちた時だ。ソルによる切断は、ほぼ無音で行われ、あまりにも鮮やかな切断面が鎧に付けられた。
切断面の内側……鎧の中には、何も存在せず、流れた血は一つもない。
「なるほど。君は、空洞だったんだね……どうりで剣が軽いはずだ」
ソルが指摘した通り、真紅の騎士の正体は――リビングアーマーだった。
中身は無く、亡霊が生前の武具を動かしていただけの、人形劇。
生前であれば、業腹なほどに滑稽な『間に合わせ』の動きに、亡霊は気づかない。気づけない。だからこそ、ソルには勝てなかったのだ。
「君の生前がどれだけ強くても、それじゃあ僕には勝てないよ」
ソルから告げられた言葉に、真紅の騎士は何も反応を返せない。
戦力差への絶望ではない。亡霊には、そんな上等な思考は存在しない。単純に、『夜の剣』による一撃を受けて、存在を維持するための力が限界に達しているのだ。
従って、これからソルが振るう剣の一撃を、真紅の騎士は防げない。
『まけ、ない、で』
――――そう、真紅の騎士には。
『《これはっ!? ええい、やはり駄目元でも何かしておくべきでしたか!》』
「うぉおおおおおっ!? 何じゃ、こりゃああ!?」
混乱するシラノと大翔の前には、炎があった。
煌々と燃え続ける、聖火。聖女が身を焼きながら灯し続けるかがり火。
それが突然、踊るようにして暴れ始めたのだ。
「ちぃっ!」
荒れ狂う火――否、炎が向かうのは、ソルと真紅の騎士の間。
己との相性が悪い攻撃に対して、流石のソルといえでも、舌打ち交じりに距離を取ることしかできない。
聖火は陽光の乙女が授けた、超越存在としての力の一端。
『夜の剣』と同格の物だ。易々とは斬り払えない。
『負けないでよ、馬鹿』
神殿の屋上で、声のような何かが響く。
炎が爆ぜる音に紛れてはいるものの、魂から発せられる思念の伝播は、確かにこの場に居る全員へと届いていた。
『――――うるせぇ、馬鹿女』
やがて、その思念に応えるように、亡霊が僅かの間、生前の思考を取り戻す。
それは到底、理性的な判断ができるようなものでは無かったが、少なくとも、先ほどのような無様を晒すような戦いをしない程度にはマシな代物。
「……まさか」
だが、何よりもソルが慄いたのは、聖女と騎士の間に交わされた奇跡ではない。
聖火が真紅の鎧の中に灯り、『中身』として動き始めたことだ。
『お、おおぉおおおおおっ!!』
夜の力を凌駕し、真紅の騎士は動き出す。
切り落とされた腕の代わりに、炎の腕が形成。その腕の先には、聖火が凝縮されることにより、炎の大剣が生み出された。
真紅の騎士はもはや、亡霊とは呼べない。
聖火によって造られた、炎の眷属として戦いを始める。
恐らくは、『好きな女の前で負けたくない』という、たった一つのちっぽけな意地を通すために。
「まったく、これだから絆って奴は油断ができないんだ」
ソルは苦笑し、炎と共に迫りくる真紅の騎士を迎え撃つ。
――――油断ならないどころか、相性最悪となってしまった強敵を。




