第2話 明らかに運命に選ばれていない
――――誰か照明でも切ったのかなぁ?
空から太陽が消えた時、大翔はそんな風に間の抜けた感想を抱いていた。室内ではなく、屋外を歩いていたというのに。
それほどまでに、陽の光はあっけなく消え去った。
「は? んだよ、これ?」
「日食?」
「へぇ、珍しいわ」
「いやいや、そんな天気予報なんて…………つか、寒くね?」
ざわめく周囲の声。
突然の天変地異に戸惑う人々だが、不思議と焦燥感は見当たらない。
本来、悲鳴の一つでも上がるような出来事ではあるが、鈍り切った現代の善良な人々はその脅威に気づかない。暢気に空を見上げたり、異常な光景を記録に残そうと興味本位の撮影を行っている者が大多数だ。
「…………何か、ヤバい?」
従って、脅威を正しく恐れていたのは、その場には大翔しかいなかった。
もっとも、周囲が正しく脅威を認識していたとしても、結末には何の変化もなかっただろう。何故ならば、太陽が夜に飲み込まれてしまった時点で、既に手遅れだったのだから。
「なんか、急に寒くなったよな……って、あれ?」
「雪かよ、おい。やべぇな、この異常気象」
「嘘でしょ? こんなことある?」
「いやいや、記録によれば江戸時代にも夏に雪が降ることは…………あ?」
暗黒の空から、白銀の結晶が舞い降りた。
ふわりと優しく。そっと撫でるように。
暗黒の空に浮かぶ白銀の月が、自らの破片をばら撒くように。
雪が、空を見上げる多くの人に降ってきて――――そして、雪に触れられた人々は、音もなく弾けた。
「…………ぁえ?」
悲鳴も、断末魔すらない。
雪と接触した人々は、その瞬間に人としての形を失った。
透明な液体が白に染まるように、人の肉体――衣類すらもまとめて白く変わる。雪へと変わる。サイレント映画のように、音もなく変換される。それらが、内側から弾けてさらに雪を周囲に振りまくものだから、大翔にはまるで『雪が仲間を増やしている』ように見えただろう。
「なん、で?」
呆然と呟く大翔の声に、答える者は居ない。
何故ならば、大翔以外の全ての人間は消失してしまったのだから。
雪に触れて、雪の中に消えてしまったのだから。
「っづあ、ああぁああああ!!?」
ようやく周囲に何が起こったのかを理解した大翔は、慌てて室内へと逃げ込もうとする。
自分の肩や頭に触れてある雪を慌てて振り払って、適当なコンビニへと入り込む。屋内なら、雪が届かないから大丈夫だろうと、なけなしの理性で判断して。
「………………はっ、は、はぁっ! なん、で? はぁ? いや、意味わからない、意味わからないから」
しかし、居ない。
コンビニ内には一人の人間も居なかった。
床に買い物カゴと共に、商品が散乱しているというのに。レジには明らかに会計途中の商品と小銭が置かれているというのに。
――――誰も居ない。
「嘘だろ、おい」
レジを越えて、バックヤードを覗こうとも人影一つ見当たらない。
「…………」
大翔は無言で周囲を見渡した後、ビニール傘を一つ手に取った。レジにはビニール傘の代金を置いて、危険極まりないはずの外へと出ていく。
ビニール傘を差しながら歩けば、雪に触れずに外を歩けると考えたのかもしれない。冷静に考えれば、それがどれだけ危険な行いであるかわかるはずだが、その時の大翔は誰も居ない孤独に耐えられなかったのだろう。自ら進んで、愚行を為してしまう。
「…………あっ」
事実、外に出て数歩歩いたところで、大翔の体は盛大に雪を被ることになった。
突然吹いた寒風にビニール傘は壊れ、風と共にやって来た雪に触れられる。
ただ、変化はない。他の人々と同じように、雪に変換されない。体に違和感すらない。多少は寒さを感じるが、それだけだ。
そもそも、雪に触れたらアウトだというのならば、大翔はコンビニに入る前に素手で雪を払っているのでアウトなのだ。従って、大翔の警戒は何もかも無駄だった。
「即死級の異変に対して、実は俺だけが特殊耐性スキルを持っています…………なーんて、は、はははっ! そんな、そんな、ライトノベルや漫画じゃあるまいし」
しかし、大翔の肉体は無駄を許容する程度には、雪を脅威とみなしていないらしい。
どれだけ雪が触れようとも、大翔の肉体はそのままだ。何も変わらない。大翔だけ、何も異常が起こらないのだ。
何もかもが異常だらけの世界で、大翔の肉体だけが平常を保っていた。
「なんなんだよ、これ?」
力なく言葉を吐き捨てた後、大翔は少しの間、無人の世界をさ迷った。
ふらふらと、雪を避けることなく歩き続けて人を探す。
誰も居ない。
デパートの中にも。
大通りにも。駅にも。学校にも。どんな建物の中にも。
誰も、何も居ない。
人間どころか、猫や鳥……虫の一匹すら世界には見当たらなかった。
「誰か」
足が疲労を訴えかけるが、それでもさ迷うことは止められない。
大翔は適当な店から少しでも厚手の服を拝借して、なけなしの全財産をレジに叩きつけた。それでTシャツ短パンの状態からは解放されたが、不思議と震えは収まらない。
「誰でもいい、誰か! 誰かいないのかよ!?」
体を震わせながら、大翔は歩き続けた。
自分以外の誰かを見つけるために。悪夢のような現実と、孤独から逃げるように。
声を張り上げて、必死に叫びながら歩き続ける。
「けひゅっ、か、あ……だれ……か……」
声が掠れて、喉の奥から血の味が込み上げても、大翔は歩みを止めなかった。
この行為を止めた瞬間、絶望的な孤独に精神が砕かれると理解していたから。
例え、無意味な行為だと理性が根を上げていたとしても、感情のままに大翔は当てもなく歩き続けたのだ。
『《ザザザッ――ザッ応答――願いま――ザッ》』
そんな時だった。
大翔の耳に、ラジオノイズの混ざった声が聞こえたのは。
『《応答ザザザッこの声がザザッ――》』
幻聴ではない。
断続的に響く音は、確かに人の声だ。
「…………こ、ここだ! ここに居るぞぉ!」
大翔は音の方向へと駆け出す。
時折、雪に足を取られて無様に転ぶが、それでも諦めない。声が聞こえる方へと足を進める。声を返す。
徒労になっても構わない。
単なる音声データが再生されているだけでも構わない。
悪夢の中から逃げ出すため、ほんの僅かに差し込んだ希望を信じて走っていく。
『《応答願います。勇者よ、応答願います――私の声が届いていますか?》』
だからこそ、大翔は落胆などしなかった。
声の主が不可思議なラジオだったとしても、自分以外の意識を感じられる声が聞こえてくるのなら、それは他者が居るということで、孤独ではないのだから。
「ああ。ちゃんと……ちゃんと俺に届いているよ」
この後、大翔がどのような行動を取ったとしても、結局のところ、その理由の根底にはこの出会いがある。
例え、偶然の出会いだったとしても、悪夢の如き絶望から救われたことを、大翔は決して忘れない。
●●●
大翔がしゃべるラジオと出会ってから数分後。
思わぬ人違いが発覚して、ラジオが沈黙を始めてからおおよそ一分後。
『《状況を整理しましょう》』
ようやく落ち着いたのか、ラジオは再び音声を発し始めた。
『《貴方は朝比奈久遠ではない。これは確実ですか? 何者かに記憶を弄られた経験は?》』
「い、やぁ……そういうのはない、と思うんだけど? 俺は俺が思う限り、ずっと佐藤大翔だったと思うよ?」
『《…………失礼。あまり同期が上手く行っていないもので、貴方の姿を確認できないのです。よろしければ、その端末……ラジオに触れて貰っても?》』
「あ、うん」
音声に従って大翔がラジオに触れると、再度、沈黙の時間が訪れた。
しかし、今度はさほど長くはない。二十秒程度の沈黙の後、重々しい口調でラジオから音声が流れ始める。
『《はい、同期しました。そして、貴方が朝比奈久遠ではないことを理解しました》』
「よ、よかった、の?」
『《同時に、貴方が勇者の資格を持っていることも理解しました》』
「はい?」
勇者? 資格? とまるで身に覚えのないことで首を傾げる大翔。
大翔が知る限り、生まれてから今までそんな大層な物を持っているような自覚は無かったのだ。そう、つい先ほど雪の中をさ迷い歩くまでは。
『《佐藤大翔さん。落ち着いて、これから私の質問に答えてください。いいですね?》』
「は、はい」
『《貴方は魔術を使えますか?》』
「魔術? 使えないけど……というか、魔術って存在するの?」
『《…………貴方は異能を所持していますか? この場合、異能とは科学では説明できない特殊な能力のことを指します》』
「スルーされた……あ、はい。異能も使えないし、さっぱり知らないよ」
『《機関。委員会。同盟。これらの組織に所属していた経歴は?》』
「ないよ。普通の男子高校生だもの。というか、え? なんか今、さらっと世界の裏側みたいな情報をぶち込まれてない?」
問答を交わすごとに、段々と口調が柔らかくなる大翔。どうやら、意思疎通が可能な他人との交流により、絶望の後遺症から抜け出せたらしい。
一方、ラジオから流れ出る音声は、大翔とは対照的に、段々と声色が固くなっていく。
『《勇者の資格を、誰かから譲り受けたような記憶はありますか?》』
「そもそも、勇者の資格って何? 勇気に溢れていること? つい最近、夏休み中に異性と過ごした思い出を作りたくて、クラスの女子を片っ端から誘って、全員に断られはしたけど。それで勇者の資格って奴が芽生えたりしたの?」
『《なるほど、自覚がない内に与えられた、と》』
「断腸の思いで恥を語ったのに、さらっとスルーされた……」
『《すみません、こちらも割と必死ですので…………佐藤大翔さん。得意な技能とか、自信がある分野はありますか?》』
「え、ああ……カラオケはアベレージ九十五点台をキープできるぐらいには得意かな? それと、菓子作り。特に、クッキーの出来には自信があるよ」
『《…………世界の終わりかぁ》』
「ごめん。なんか君、さらっと、世界の命運を諦めなかったかな? しかも、敬語じゃなくて素の口調だったし。え、そんなレベル? 思わず素に戻るレベルのことを言ったの、俺?」
大翔の言葉に、ラジオは黙して語らない。
沈黙が多いラジオだなぁ、と思いながらも、大翔も薄々この状況を理解し始めていた。何せ、大翔は現代に生きる男子高校生だ。漫画やアニメも有名な作品は一通り履修済み。このような流れには既視感がある。
問題は、何の因果か、その流れの中心が自分であること。
何も特別ではない佐藤大翔が、世界の終わりに直面していることが問題だった。
『《えー、失礼しました。正しく状況を認識しましたので、佐藤大翔さんと情報を共有したいと思うのですが、よろしいでしょうか?》』
「どうぞ」
『《まず前提条件として、私は何も知らない素人さんにも分かりやすく説明をするために、凄く砕けた感じになります。ですが、それは決して貴方を馬鹿にしているわけではないことをご理解ください》』
「はい」
『《ありがとうございます。では――――この世界になんかヤベー奴らが来た所為で、世界がヤバくなりました。その影響で、人類もなんか大体消えました。ただ、消えた人たちは完全に死んだわけではなくて……まぁ、生き返る見込みはあります。そのためには、ヤベー奴らをどうにかして、世界を救わないといけません》』
「…………はい」
『《世界を救えるのは、勇者の資格を持っている貴方だけです。佐藤大翔さん》』
ふっわふわの説明だった。
専門的な固有名詞を抜いて、状況のヤバさを理解して貰うことだけに特化した説明だった。
故に、薄々予感していたこともあって、大翔は正しく現実を理解する。
「つまり、魔術師でもなければ、異能者でもない。カラオケと菓子作りが趣味の俺が、魔王みたいな奴らをどうにかしないと世界終了ってこと?」
『《大体その通りですね。ええ、これからお互い頑張りましょう》』
明らかに運命に選ばれていない性能の持ち主が、世界の命運を託されてしまったことに。




