第19話 とある結末
ソルは、歴代の中でも温厚な勇者だった。
傲慢に振る舞うことなく、常に他者を気遣い、誰よりも己が傷つく場所で戦うことを選んだ。その在り方はたとえ、怪物化して戦う姿を目にしていたとしても、周囲の尊敬を集めるものだっただろう。
しかし、時を経るごとに、ソルへの敬意は畏怖へと姿を変えた。
ソルは魔王との戦い以外にも、どこかの国で起こった自然災害。凶悪事件。恐るべき疫病などにも立ち向かい、全てに勝利した偉大なる勇者である。
とてもではないが、同じ人間と見ることはできない。
そして、果てしなく強くなっていくソルに、ほとんどの人間たちは近づくことさえ恐れ多いと感じるようになっていったのだ。
「ソル様、ソル様ぁ! 今日は暇なんですよね!? だったら、ちょっと都まで連れて行ってくださいよ! あそこで今日、お気に入りの劇団が新作をやるんですよねぇ!」
従って、ソルの世話役として任じられたメイド。アンナという少女は、控えめに言っても馬鹿で空気が読めないタイプの人間だった。
何せ、ソルの家に住み込みで働くようになってから、たった一週間でこのような気安い発言をするようになったのだから。
「君ね……いや、別にいいけど。仕事が終わったら、連れて行ってもいいよ」
これにはソルも苦笑するしかなかった。
本来、人はソルを畏怖する。ソルが周囲に住んでいるというだけで、人々は物音を立てないように気を付けたりもするものだ。そのため、ソルの家は人里から離れた山一つを買い切り、その奥地に建てられた屋敷となっている。
「今日の仕事は、もう終わりましたけど?」
「まだ昼前なのに!?」
「ええ、私は有能ですので! ご心配なら、一緒に私の仕事を確認しましょう!」
言葉の通り、アンナは有能だった。
前提として、勇者であるソルの下へと無能が派遣されることはない。大抵の場合、有能ではあるが世渡り下手で、貧乏くじを引く者が派遣されるのだが、アンナの場合はそれが特に顕著だった。
「…………まさか、普段の生活スペースじゃなくて、使っていない部屋も掃除するとは」
「ふふん! これでも私、ブラウニーの加護を得た魔術師メイドですので!」
アンナは歴代の世話役よりも、ずっと有能であり、ソルの役に立った。
生活スペースはもちろん、常に屋敷の全てを清掃し、暇があれば家具の一つ一つを手入れする余裕があるほどに仕事が早い。
「というわけで、ソル様! 一緒に、劇を見に行きましょう? 今回の劇はですね! ソル様が魔王退治の途中に出会った女性と恋に落ちるラブロマンスなんですよ!?」
「あれの元ネタは、ラブロマンスでも何でもないといういか、そもそもあの時に出会ったのは木こりのオッサンだったからなぁ」
「歴史上の偉人が、直接的にロマンスをぶち壊してきます!?」
そして、アンナはソルが出会った今までの人間の中でも、有数の馬鹿だった。
基本的に敬意という物が体内に存在せず、出会った人間との距離感は常にインファイト。大抵の相手はアンナの勢いについて行けず、追い散らされるように逃げるのみ。
恐らく、ソルの世話役となったのも、そういう空気の読めない馬鹿な部分が足を引っ張った結果なのだろう。
もちろん、アンナを派遣した側はソルの怒りを買うことなどは考えもしない。何故ならば、ソルは五百年以上の時を生きる、偉大なる勇者だからだ。
小娘の不敬ぐらいで怒りを抱くことはなく、仮に苛立つことがあっても遠回しに世話役の変更を要求する程度だと考えていたのだろう。
「……まぁ、そんな元ネタの劇でいいのなら。一緒に観に行こうか?」
「はい、もちろんです!」
実際、その読み通りに、ソルがアンナに対して怒りを抱くことはなかった。
どれだけ不敬であっても、ソルは元々気弱な農民だ。五百年の時間を過ごそうが、勇者として何度も魔王を倒そうが、偉くなったという実感は皆無。
そのため、アンナのように自分を恐れずに突っ込んでくる相手は新鮮であり、怒りを抱くことなどはなかった。
むしろ、相性が良かったのである。
――――そう、良すぎるほどに。
「ソル様っ! ソル様っ! この世界にも雪が残っている場所ってあるんですよね!? 私、是非とも見に行きたいです!」
アンナはソルに馴れ馴れしく、世話役として逸脱した行動を取るようなメイドだった。
ある日は、主人であるソルにねだって、極北への旅に連れて行ってもらうほどに。
「ソル様、今日がお誕生日ですよね? ふふーん、掃除だけではなく料理もこなせるスーパーメイド、アンナちゃんによるバースデーケーキをプレゼントです! どうぞ、ご賞味くださいませ!」
まるで親しい友達のように接してくる、メイド失格の少女だった。
ある日は、主人であるソルの誕生日を祝うため、一週間前からコツコツと準備を重ねるほどに。
「えへへ、ソル様はお優しいです。私、いつも皆に『鬱陶しい』とか『変な奴』って遠ざけられてきたのに。ソル様はお傍に置いてくれますし…………そ、そのっ! 優しさ以外の理由でも、お傍に置いてくれてもいいのですよ!?」
だから、アンナがソルに恋をするのも、仕方ないことだった。
ソルは五百年を生きた勇者にして、守護者である。人の過ちに対する許容範囲は果てしなく、その上、世界中の誰よりも様々な経験をしていた。
優しくて、強くて、会話が面白くて、自分を必要としてくれるソルに、アンナが恋をしない方が不自然だったかもしれない。ただ、それはアンナを派遣した側も、重々承知の上。きちんとソルが断ってくれるだろう、という予想が前提にあったのだ。
従って、問題があったとすれば、一つだけ。そもそもの話、ソルのことを深く知る人物が、既にこの世界には存命ではなかったということ。
「ど、どうですかね!? そ、そのっ! 私、かなり勇気を出したのですがっ!?」
「…………そうだなぁ」
アンナがソルに告白したのは、世話役のメイドとなって二年経ったある日のこと。
何か特別なイベントがあったわけではなく、澄み渡る青空の下、洗濯物を干していたアンナが、唐突に告白したのである。
恐らくは、衝動的な行動だったのだろう。
アンナから少し離れた位置で、のんびりと空を見上げていたソルは、告白を受けてしばらく黙り込んだ。そして、「ふむ」と何かを決意した表情を見せると、意外なほどあっさりとした口調で答える。
「うん。僕もアンナが好きだから、恋人になろうか?」
「はひゃっ!?」
恋人関係を了承する、真っ直ぐな言葉を。
「え、あ、あにょっ!? いいのですか!?」
「いいけど、洗濯物が落ちているよ?」
「また洗いますっ! というか、ソル様は勇者なのに、そのっ! こんなメイドの告白を受けてもいいんですか!?」
「いいんじゃない? だって、誰にも恋人を作ったら駄目とか言われてないし」
真っ赤な顔で焦るアンナと、軽やかな態度のソル。
この意識の違いは、ソルを知る者にとって誰にでもあることだった。
他者から見れば、ソルは偉大なる世界の守護者だが、ソルにとってソル自身はいつも、気弱な農民上がりでしかない。勇者と褒め称えられようとも、できることをやっているだけで、自分が偉大な何かになっているつもりなんてちっともなかったのだ。
「まぁ、仮に誰かに駄目って言われても従わないけどね。何せ、五百年間もモテなかった僕が、ようやく掴んだ恋なんだから。うん、多少無理を言っても君と結ばれたいね。僕のことを好きだと言ってくれた、君と」
無論、ソルとしても自分に恋人ができるということが、政治的に大変面倒な意味を持つことは知っている。
ただ、その面倒くさい事情とも向き合い、アンナと共に過ごしたいと思ったからこその返答だった。
「わ、わたっ、私も……私も、ソル様と結ばれたいです!」
一方、アンナは馬鹿だ。
ソルの恋人になることがどれだけの苦難の道かも、想像できていないだろう。
「恋人として、一生イチャイチャしていたいです!!」
しかし、他者よりも突き抜けた、圧倒的な馬鹿である。
苦難の道を苦も無く走り抜けて、けらけらと笑いながらソルと共に過ごすことは、容易に想像できるような人間だった。
「ああ、そうだね……僕もそう思うよ」
五百年以上も誰とも寄り添わず、孤独に生きた勇者は、ようやく安息を得る。
これから、どれだけの非難があろうとも、ソルはアンナと共に居る限り、それを跳ね除けて、幸福な時間を過ごすことになっただろう。
『おめでとう、ソル。アタシも祝福してあげようじゃないか、盛大にね』
――――化身が、最後の魔王としてアンナを選ばなければ。
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最後の魔王であるアンナは、皮肉なことに、誰よりも化身と適合できる依り代だった。
そのため、化身がその身に宿った瞬間、溢れんばかりの力が暴走し、ソルを含めた周囲全てを――――大陸一つを、焼き払ってしまったのである。
「あ、あれ? ソル様? ソル様? どこですかぁ? ソル様ぁ?」
幸いなことは二つ。
一つは、化身に取り付かれてなお、ソルへの愛は失われていなかったということ。
本来、魔王となった者は意識の全てを、化身への忠誠心へと塗り替えられるのだが、圧倒的なまでのアンナの愛情は、それすら凌駕していた。
もっとも、そのような愛情を持っているが故に、歴代の魔王よりも遥かに深く、化身と適合してしまったのだろうが。
「ソル様を、探さないと……ソル様は、一人だと寂しがりますから……」
もう一つは、ソルが生存していたということ。
突然の奇襲に対しても、反射的に防御したことで命は繋げられていた。例え、半身が炭化していようとも、『夜の剣』の所有者である限り、ソルは三日も経たずに復活する。
即ち、焼け焦げた大地をさ迷うアンナにも、愛する者と再会する可能性はあったということだ。
『ふふふふっ、面白い。やっぱり、勇者と魔王の戦いには悲劇が似合う。これで、最高の殺し愛を見ながら、この世界での勤めを終えられる――――ん?』
そして、最悪なことは一つだけ。
それは、アンナが歴代最強の魔王であることよりも、化身がアンナのために力を全て貸し出すつもりだったことよりも、遥かに最悪だった。
大陸一つ消し飛ばされた人類が、ソルが死んでしまったと誤認したこと。
それに伴って、五百年の間に開発された、無謀とも呼べる『緊急手段』が発動してしまったことが最悪だったのだ。
『…………愚かだよねぇ、人類。そこが愛おしいところでもあるのだけれど』
アンナに憑依していた化身が、最後に見た光景は、空を全て覆うような灰色の雲。
――――冬の女王の到来を告げる、絶望の前触れだった。
ソルを失ったと勘違いした人類は、最終手段として、再び超越存在を召喚することにした。
召喚対象は、冬の女王。
陽光の乙女ほどではないが、『人類に対して友好的とされている』超越存在だ。
故に、かつてと同じように願ってしまったのである。
白紙の契約書を差し出すような『なんでもするから助けて欲しい』などという戯言を。
問題は、その内容ではない。そんな戯言を人類の総意として、冬の女王に告げてしまったことだ。
『いよっし! 私にお任せ!!』
冬の女王は、陽光の乙女ほど人類を理解していないし、人類に寄り添おうともしていない。そのため、実際にこのような発言をしたわけではなく、ニュアンス的にこのようなノリで力を振るっただけである。
そう、『なんか期待されているなぁ』と気分を良くした冬の女王は、特に何も考えずに、張り切って力を使ってしまったのだ。なんとなく嫌な気配があるところを丸ごと凍らせれば、とりあえずはオッケーだろう、と勝手に判断して。
『…………あっれー?』
その結果が――――世界の完全凍結である。
時すら凍り付かせて、全てを白銀の世界へと変えてしまう暴挙だった。
冬の女王という超越存在は、こういうことを度々やらかす個体だ。基本的に誰かの頼み事はよくわからないままに引き受けて、過剰なほどの結果を破滅という形でもたらす怪物。
悪意は皆無であるが、一度関わってしまえば、どこまでも災厄をもたらす超越存在こそが、冬の女王という個体なのだ。
『むぅ』
とはいえ、冬の女王にも思考能力はある。
人類の意向と違う結末になったことは、なんとなく察しているのだ。何せ、『悪い化身』は倒せたが、その余波で世界が凍ってしまっている。時ごと凍らせたので、完全には死んでいないが、このままだと思考することも無く永遠に凍結し続けるので、死んでいることと何も変わらない。
そのため、とりあえず凍結を解除しようと思った冬の女王だが、凍らせるのは得意でも溶かすのは大の苦手。下手に手を出せば、世界が丸ごと砕けて滅んでしまう。
ならば、自分ではなくて、他の存在に溶かす役割を託そうという結論に達したらしい。
「…………あ、が……なに、が」
完全に凍結した世界の中で、唯一難を逃れた人間。
比較的仲の良い『夜』の気配を纏う勇者――ソルを見つけ、冬の女王は精一杯の情報伝達を行うことにした。
「『《【オ前が、マ、王、ころセ。せ界、モトど、オリ】》』」
ただし、まるで人間に寄り添わない超越存在からの情報伝達は、呪詛に等しい。
かろうじて意味は通じているものの、心身を切り刻むような言葉に、ソルはまともな意思表示を返すこともできなかった。
この時、何かしらのリアクションができれば、あるいは『魔王を殺せば世界は解凍される』などという、残酷な条件を変えられた可能性はあっただろう。
だが、そうはならず、ソルは呪詛によってしばらくの間、昏倒してしまったのだ。
『きちんと伝言できたから、これでオッケー! 世界を溶かすための準備は終わったし! 後はあの子が条件を満たせば……うん! 今回は割と大成功!!』
この結末に、冬の女王はそれなりの満足感を得て、世界を去って行った。
自らと関わった世界が滅んでいないだけで、冬の女王としては成功の部類に入るのかもしれない。その上、凍結を解除する条件を託したのだから、これは大成功だとはしゃいですらいたのかもしれない。
「――――なんで、こうなるんだよ?」
たった一人、凍った世界に残されたソルの絶望など、知る由も無しに。




