第18話 陽光の魔王と夜の勇者
遥か昔、その世界は永遠の冬によって覆われていた。
一日の内に、陽が差し込む時間はほとんど存在せず、食べられる植物も僅か。そもそも、極寒の世界で生きていられる生物が限られていた。 「過食可能」(食べ過ぎることができる)はあきらかにおかしいです。
従って、その世界に住んでいる人間たちは、原住民ではなかったらしい。
故郷である世界を追放され、数多の世界を流浪しながら、ようやく誰も手を付けていないような世界に辿り着いたのだ。
しかし、誰も手を付けていない世界ということはつまり、『誰も手を付けるに値しない世界』ということでもある。
「このままでは、我々は全滅してしまう」
嘆きの声は決して誇張ではなく、現実的な問題である。
元々持ち込んでいた食料が底を突き、体力の少ない人間から死んでいった。
滋養を付けようにも、極寒の世界にはほとんど生物が存在しない。ならば、必然とまた流浪の日々に戻らなければいけないのだが、食料が尽きた今となってはそれも難しい。
そんな時だった。人間たちの中で、魔術に秀でた若者が一つの提案をした。
「陽光の乙女を召喚しよう」
流浪の罪人たち。
彼らが故郷を追放されたのは、決して手を出してはならない禁忌に触れてしまったから。そして、その禁忌こそが、超越存在――陽光の乙女の召喚術である。
正確に言えば、召喚するのは無数に存在する化身の一つであるが、人間たちにとっては、本体も化身も計り知れない力を持っていることには変わりない。
何せ、機嫌一つで国どころか世界を消し飛ばすのだから、まず、関わろうとすること自体を罪とした世界があるのも無理はないだろう。
ただ、罪を知りつつもそれに手を伸ばす人間も存在していた。
罪人と呼ばれようとも、抗えない知的好奇心に突き動かされてしまった者たちが。
「そうだ、どうせ死ぬのならば」
「ああ、我らが叡智を証明してから」
「忌々しい冬も消し去ってくれよう」
かくして、罪人たちは陽光の乙女の化身を召喚した。
『やぁやぁ、君たちかね? アタシを呼んだ、愛しくも愚かな人間たちは』
その化身は、顔が松明で、体が鴉の異形だったが、罪人たちはあまり驚くことは無かった。むしろ、『この程度か?』と肩透かしすらあったという。
故郷の世界では、見るだけで眼球が焼かれ、正気を失うと語り継がれていたというのに、ただ、異形であるだけの怪物だったのかと。
その化身が、召喚者たちの精神を潰さないように配慮していたことも知らずに。
『何がお望みかな? 対価は貰うが、きちんと仕事はするよ? アタシは他の化身と違って、君たち人間に誠実だからね』
揺らめく松明から聞こえてくる声に、罪人たちは答えた。
なんでも対価を支払うから、この世界から冬を退けて欲しいと。
『よろしい。では、そのようにしようか』
すると、化身は瞬く間に世界中の雪を溶かし、蒸発させ、灰色の雲を焼き払った。
久しく見ていなかった青空に、罪人たちの多くは涙を流して喜んだという。
『サービスだ。君たちの腹が膨れるように、多くの命を撒こう』
続いて、化身は焼き払った後に、多くの生命が誕生するように力を使った。
枯れた大地は瞬く間に、肥沃な物に。肥沃な大地からは、青々とした植物たちが次々に生えていく。
植物の次は、動物。
動物の次は、昆虫たち。
罪人たちが涙を流している内に、その世界は生命の楽園と化していた。
『これで、君たちが飢えずに済むね?』
化身から与えられた慈愛に、罪人たちは地に頭を付けて感謝を叫んだ。
駄目で元々。せめてこの冬に一矢報いてから死のうと思っていた者たちに、溢れんばかりの祝福を与えたのだから、こうなるのは必然だっただろう。
『では、対価の話だが……なんでもしてくれると言ったけれど、とりあえずは一人。アタシの力と意志を受け取る依り代となって欲しい。ああ、もちろん、依り代になってもその子の自由意志はそれなりに保障しよう』
当然、罪人たちは喜んで依り代となる者を捧げた。
依り代――魔術に秀でた若者自身すら、それを望んでいたという。
そう、問題が起こる、その時までは。
問題が起こり始めたのは、それから十年の月日が流れた後。
「あぎゃっ」
唐突に、罪人たち――既に多くの子孫を作った住人たち、その内の一人が奇声を上げて、焼け死んだのだ。本当に唐突に、何の前触れもなく、蝋燭のように赤い炎に包まれて。
『ああ、その現象ね。アタシが長く一つの世界に留まると、その世界のあらゆるものは燃え始めるんだ。ほら、陽光とはそういう物だろう?』
その異変に関して、化身は何一つ偽らない答えを返した。
依り代の口を介して、今更になってその問題点を住人たちに告げたのである。
この時の住人たちの戸惑い、恐怖は後々まで語り継がれるほどのものだった。だが、それも無理はない。自分たちの味方であるはずの存在が、『ただ存在しているだけで世界を壊す怪物』だと理解してしまったのだから。
『え? 困る? わかった、それじゃあ、君たちを燃えても困らない存在に作り変えてあげよう。なに、気にすることはない、これもサービス――要らないのか、残念だね』
住人たちは、化身が余計なことをしないように何とか宥めると、状況の打開を考え始める。しかし、妙案が出るよりも先に、その事件は起こった。
「安住の地に辿り着いた者たちよ! 今こそ、革新の時だ! 陽光の乙女から新しく肉体を賜り、新人類となろう!」
化身の依り代となった若者の正気が尽きて、化身の願望を叶える存在と成り果てたのだ。
もちろん、依り代が化身の力を全て使えるなんてことはあり得ない。使えたとしても精々、爪の先程度の、化身と比べたら些細な力だ。依り代とはいえ、所詮は人間。化身をその身に宿していたとしても、使える力は限られていた。
問題は、化身にとっての些細な力とは――人間たちの抵抗を焼き払い、無理やりにでも『革新』させていくのには、十分過ぎるほどの力だったということ。
『革新』された人間は、今までの思考を化身に対する忠誠によって塗りつぶされる。だが、代わりにほぼ不死の肉体と、炎を操る力を得るのだ。
『依り代を何とかして欲しい? いや、それは駄目だよ、君たち。だって、あの子はアタシのために随分と働いてくれたからね。そんな子の願いを阻むことなんて、アタシにはできないさ。それに、ほら…………なんでもする、と君たちは言っただろう? だったら、あの子の我が侭ぐらい受け入れてあげようじゃないか』
化身に対して、依り代の蛮行を止めるようにと懇願した住人もいたが、超越存在がどういうものなのかを思い知るだけの結果になってしまった。
頼りにするだけ無駄。そもそも、『なんでもする』なんて空手形を最初に切ったのは、愚かなる住民たちなのだ。住民たちの方から、化身に対して何かを要求することなんて元々できるわけがない。
従って、正気を失った依り代と、『革新』された人間に対してできる住民たちのリアクションは一つだけ。
戦うこと。
住民たちは、『革新』された人間を魔人と呼称し、魔人を増やす依り代を――魔王として、人類の敵対種族として定めることにした。
「陽光の乙女とは異なる、超越存在と接触しよう」
不死の魔人と、人々を次々に『革新』させる魔王。
彼らの進軍に耐えかねた住民たちは、ついに、さらなる禁忌に踏み入れることになった。
既に、陽光の乙女の扱いによって世界が滅びかけているというのに、『このまま正気すら失うのなら』と、新たなる超越存在との契約に臨んだのである。
――――結果として、住民たちは新たなる超越存在との契約を成立させた。
その超越存在は、夜鯨と呼称される個体であり、本来は来訪しただけで世界を滅ぼす、災厄の如き存在である。
しかし、今回は陽光の乙女という、相性が悪く、嫌いな相手が居る世界だ。浸食は早々に諦めて、陽光の乙女に対する嫌がらせをすることに満足して、立ち去ったのだった。
その嫌がらせの内容は、住民たちに己の一部――『夜の剣』と呼ばれる魔剣を与えること。
「勇気ある者よ! 己が怪物と成り果てても、魔王を打ち倒さんとする勇者よ! この『夜の剣』を振るい、かつての仲間たちに安寧の夜を!」
『夜の剣』は、夜鯨の力――即ち、夜を自在に操ることが可能な魔剣だ。
闇の黒衣を纏って陽光を防ぐことも、無形の闇から自在に武器を生み出すことも。そして、陽の力によって不死となった者を殺すことも可能だった。
ただし、『夜の剣』を扱う者は、常に代償を支払わなければならない。
力を使えば使うほど、その者は心身が夜に浸食され、怪物となっていく。
「魔王よ! かつての同胞よ! その過酷な任を解く……眠れ、もう夜だ」
それでも、『夜の剣』を扱う初代勇者は、完全に怪物と成り果てる前に、何とか魔王の討伐を達成する。
魔王討伐後、夜の力で陽の力が薄れ、人が突然焼け死ぬという怪現象も無くなっていった。
住民たちは犠牲を悲しみながらも、ようやく訪れた平和な世界に安堵していたという。
『流石、人間たちだ。面白いことを考えるなぁ……よし! それじゃあ、次は百年後に、また依り代を選んで遊ぼうじゃないか!』
化身からの、不吉な予言が住民たちに伝えられなければ。
その世界には、百年に一度、魔王が誕生していた。
全てを愛で焼き尽くさんとする、陽光の魔王。
それに抗うことができるのは、『夜の剣』に選ばれた勇者だけ。
何度も、何度も、百年スパンで繰り返し、続けられる道化芝居。自業自得の茶番。それを続けることでしか存続できないのが、その世界だった。
魔王と勇者の物語は、化身を楽しませる演目として、いつまでも続いていく――――そのはずだった。
十四番目の勇者、ソルが誕生しなければ。
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その世界に於いて、勇者に選ばれる基準はただ一つ、『夜の剣』の適合者であるかどうかだ。
魔王と魔人に対抗する唯一の武器、『夜の剣』。その世界の人類にとっては希望の剣であるが、使い手にとっては常に代償を伴わせる魔剣なのだ。
夜の力を引き出せば引き出すほど、強くなれば強くなるほど、心身が人間から乖離していく。
歴代の勇者たちの死因が、ほぼ自殺なのも、完全なる怪物化を恐れてのことだろう。あるいは、自殺ということにして、周囲の者たちが暗殺したのかもしれないが。
ともあれ、その世界にとって、勇者とは『夜の剣』の付属品。
魔王を倒すまでの消耗品に過ぎなかった。
魔王を倒すまでは、全力で支援し、心の底からの敬愛を捧げながらも、魔王を倒した後はお払い箱。敵意を買わないように労いつつも、怪物化の傾向が出た時は、すぐさま対処できるように監視を怠らない。
人類の願いを背負いながらも、人類には不要な存在。
それこそが、『夜の剣』に選ばれ得た勇者の宿命だった。
「え、怪物化から戻れるのか、だって? そりゃあ、戻れるよ。というか、戻らないと生活が不便だから戻っているんだけど……え? 僕って、何か不味いことをやらかしていたの?」
けれども、十四番目にして、その宿命は覆されることになる。
勇者ソル。
元々、気弱な農民でしかなかった彼は、『夜の剣』に愛された適合者だった。そう、勇者としての初戦闘で完全に怪物化を果たし――――そして、平然と元に戻れた程度には。
「あ、大丈夫……大丈夫なんだ? それじゃあ、ええと……これからも頑張ります?」
初戦闘の後、魔人を斬り捨てたソルを、人類は戸惑いと共に受け入れた。
本来、怪物化の傾向が出た勇者が居たのならば、その時点で新しい者へと替える準備をしなければいけなかったのだが、元に戻れるのならば話は別だ。
監視は付けつつも、人類は今までとは一線を画すソルの力に期待していた。
『これは驚いた。まさか、依り代を介してアタシの力を削れる勇者が居たなんてね。よほど夜鯨と君は相性が良いらしい』
そして、ソルが勇者として魔王を倒した時、今までとは違う現象が起こった。
依り代を攻撃しても、平然としていた化身が、この時ばかりはダメージを受けたような素振りをしていたのである。
事実、この時の魔王討伐により、化身は百二十三年もの眠りにつくことになり、魔王誕生はそれからさらに二十年後。ソルが魔王を倒してから、復活まで合計で百四十三年。人類は初めて、百年に一度という魔王誕生のスパンを長くすることができたのだ。
「素晴らしい! まさしく、彼は真なる勇者だ!」
「おお、勇者ソルよ! 我らが過ちを雪ぐ勇者よ!」
「夜に祝福された勇者よ!」
人類はソルの偉業に歓喜し、彼を称える声が絶えなかったが、肝心のソル自体はうんざりとした気分だった。
何せ、この時点で既に、百年以上の時間を過ごしてしまっているのだ。
元々、ソルは魔王討伐後、早々に『夜の剣』を置くつもりだった。しかし、周囲の人々からの『もう少し待って欲しい』と頼み込まれ、渋々と勇者であり続けた結果、いつの間にか二百年の月日が流れてしまったのである。
その上、『夜の剣』の影響を受けている所為か、ソルは二十代の時から老化が起こらない。つまり、寿命で死ぬことができなくなってしまっていた。
「勇者ソルよ! どうか、魔王を生み出す悪しき化身を倒してくださいませ!」
「どうか! 我らの世界に、安寧の夜を!」
「勇者様! 貴方だけが頼りなのです!」
長命種族が存在しない人類では、長い時を生きるソルはそれだけで特別だ。誰もがソルよりも年下であり、懇願してくる弱者であり、救うべき愚者である。
更に、二度目の魔王討伐を終えた頃には、ソルは人類だけではなく世界からも勇者と認定されることになってしまった。
勇者の資格。
世界の防衛力が、外的な侵略者に抗うため、その世界で一番強い『意志ある存在』へと与える守護者の象徴。
そんなものを、ある日ポンと与えられてしまったのである。
ソルとしては、そんなものは全く欲しくなかったのだが、この世界の防衛力は、ソルの意思確認をしなかったらしい。元々、死にかけた世界だった所為か、そこら辺の不備により、ソルは勇者の資格を与えられてしまったのだ。それにより、ソルという勇者はさらに無敵の存在となってしまった。
不老にして、強靱。
あらゆる毒も、環境も、ソルを殺すことはできない。
『夜の剣』に誰よりも適合しているソルを、真正面から倒せる強者など存在するわけもなく、勇者の称号はずっとソルのまま。
『君は憐れで美しいねぇ、ソル』
唯一、ソルを終わらせることができる化身も、自ら戦おうとはしない。
依り代が魔王となり、ソルと戦うことになっても傍観するだけ。例え、それで自らの力が削られる結末になったとしても。
こうして、戦いが嫌いだったはずの農民は、勇者として戦い続けることになってしまった。
陽光の乙女の化身という、訳の分からない存在を削り終えるまで。
「ソル様っ! 今日から世話役を仰せつかりました、アンナです! これから、よろしくお願いします!」
そんな不毛な戦いが終わりを告げることになるのは、ソルが勇者となってから五百六十七年後。もうじき、四度目の魔王誕生を迎える頃だった。
ソルの下に、自らの運命を変える少女――アンナがやって来たのだ。
「…………あー、アンナちゃん? その、ね? 君が今、元気よく頭を下げている彼は、僕の秘書で普通に非戦闘員だよ? 趣味は筋トレだから、めっちゃムキムキだけど」
「あ、あっれー? それじゃあ、その、勇者様は――」
「うん、僕の方だね」
「ご」
「ご?」
「ごごごっ、ごめんなさぁああああいっ!!」
もっとも、そのファーストコンタクトは、ソルが数年ぶりに笑ってしまうぐらいには、愉快で間抜けな有様だったのだが。




