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第17話 試練は軽く

 ピピピピ、と繰り返される電子音が大翔の意識を呼び起こす。

 背中に感じる感触は、使い慣れたベッドの寝心地。「くあ」と間抜けなあくびと共に吸い込む空気も、記憶の中にある自宅の物だ。


「…………んあ?」


 大翔は半身を起こすと、下着姿の自分を見下ろした。

 いつも通りの自分だ。何も変なことはない。


「………………ん?」


 寝ぼけ眼をこすって、周囲を見渡す。

 いつも通りの自室だ。漫画だらけの本棚。バドミントンのラケットケース。ノートが入りっぱなしのスクールバック。パソコンデスクと、その上に乗っかったノートパソコン。

 何も不思議ではないはずの光景が、何故か、酷く懐かしい。


「ヒロぉー! 朝だからさっさと降りてきなぁ!」


 一階のダイニングから響く母親の声に、ほろりと右目から涙を零す大翔。

 その不可解な現象に首を傾げながらも、二度目の呼びかけが無い内に応える。


「わかったー! 今行くー!」


 零れた涙を拭い、大翔はベッドから降りる。

 ふと視線を向けた窓の外には、雲一つない夏空が広がっていた。



 夏休みが終わり、二学期が始まってからの一週間は特に辛いものだ。

 消え去ったはずの夏の幻影に気が取られている内に、あっという間に時間は過ぎて、何事にも身が入らない。勉強も、部活も、そろそろ気を張らなければいけない時期だというのに、どうにも身が入らない――――そんな一週間を過ごしていた記憶が、大翔の中にはあった。


「ふぅむ」


 ただし、違和感がある。

 まるで明晰夢の中に居るような感覚。

 午睡の中で、『早く目覚めなければ』と焦りながらも、何度も夢の中に沈んでいくようなもどかしさ。そんな違和感が、大翔の胸の中にあった。

 実際、その違和感は時間が経つほど存在感を増していき、大翔の脳裏に何かの映像が過るのだ。そう、それはまるで、荒唐無稽なファンタジーの始まりのような映像。夢でなければおかしいはずなのに、現実感を伴う記憶として大翔の中で主張を始めている、それ。

 その記憶をさらに手繰ろうとした時、ふと、大翔の肩が軽やかに叩かれる。


「いよう、大翔。一週間経ってもまだ、夏休みボケか?」

「……弥太郎」


 声の方に視線を向けると、そこには中学時代からの親友が居た。

 梶岡かじおか 弥太郎やたろう

 坊主頭で、濃い眉毛に掘りの彫りの深い顔。その上、190センチメートルほどの長身であり、不良さえもビビるほどの外見の持ち主なのだが、浮かべる笑みは気安い。顔と体だけは屈強な成人男性にも劣らない癖に、言動がとにかく軟派な男。

 それこそが、大翔の親友であり、共にバドミントン部に所属する弥太郎という男子だった。


「気持ちはわかるぜぇー? 俺だって恋しいさぁ、夏休み!」


 朝の教室で、へらへらと弥太郎が雑談を始めた時、大翔は日常を強く実感した。

 ――――そう、朝の教室。

 大翔の記憶では、先ほど自室から外に出たばかりだった気がするのだが、いつの間にか教室内で呆けていた。教室に居る、と意識すると急に、周囲から聞き馴染みのあるクラスメイトたちのざわめきが聞こえてくる。

 何かおかしくないか? と大翔が疑問を抱くと、ゆらりと眼前の光景が揺れたような気がした。まるで、蜃気楼のように。


「やっぱさぁ、彼女欲しかったよなぁ、彼女! いいよなぁ、野球部とかサッカー部の奴らは! 俺たちバドミントン部よりも大会の成績悪い癖に、彼女持ちが多いんだぜ!? 俺たち男子バドミントンは硬派で真面目な所為か、まーったく女気が皆無だってのにさぁ!?」


 だが、揺らめいたのは一瞬だけ。

 弥太郎が軽薄な笑みと共に、馬鹿話を始めると、すぐに揺れは収まった。


「いや、君が知らないだけで、うちの部長も女子バドミントンの副部長と付き合っているらしいよ?」

「マジで!? え、嘘っ……部長、俺たちを裏切ったの!?」

「裏切るも何も、別にうちの部は恋愛禁止とかじゃないだろうが。つーか、あの人たちは生まれた時からの幼馴染で、中学時代からとっくに付き合っていたらしいし」

「いやぁー! 聞きたくないわぁー! そーんな、俺たちから縁遠い青春のお話なんて、全然聞きたくないわぁ!」


 朝の教室で、朝礼前に交わす弥太郎との馬鹿話。

 それは大翔にとって、日常の象徴のような物だった。

 くだらなくて、ありふれていて。全然、大切みたいに思えなくて。けれども、数年後に何度でも思い出すであろう、青春の一ページだった。


「――――それで、大翔。お前は一体、何をやり残して来たんだ?」


 故に、これは当然の結果である。

 大翔の記憶の中――親友の形を取った『蜃気楼』は、その忠実さが仇となり、覚醒を促す言葉を告げることになった。


「…………ああ、そうだ。そうだった。まったく、確かに寝ぼけていたと言われても仕方がない状態だったね、俺は」


 弥太郎から言葉を告げられた瞬間、大翔は全てを思い出す。

 現在、何をするべきなのか? どのような状況に置かれているのか?

 シラノという相棒。

 ソルという仲間。

 ――――果たすべき使命。それを全て思い出した時、既に教室内から弥太郎以外の人影は消え去っていた。


「はぁ、とことん才能が無いな、俺は。こういう時は普通、自分の精神力でまやかしを破るものだろ?」

「そうか? 友情パワーによる復活とか、如何にも主人公の特権って気がしねぇ? とりあえず、俺みたいな偉大なる親友が居たことに感謝するんだな!」

「はいはい、感謝、感謝」

「うっわぁ、適当!」


 弥太郎と言葉を交わしていく内に、いつの間にか大翔の服装は変わって――否、戻っていた。世界を救うため、神殿に突入した時と同じ姿へと。

 勇者の姿へと。


「んじゃあ、そろそろ行くわ」

「おう、精々気張れよ、勇者サマ。あ、この時のお礼は、お前が世界を救ってからでいいからな? 合コンのセッティングとかでいいわ」

「ははっ、むしろ君が俺にお礼をしろよ、馬鹿野郎」


 親友との別れを告げて、一歩踏み出す。

 たったそれだけのことで、周囲の景色は揺らめき、全ての『蜃気楼』が消え去った。

 その後に現れたのは、無人の荒野。ただひたすら、灰色の地面と蒼天が続くだけの世界。

 陽光の乙女が作り上げた、幻想領域。


「さて、目が覚めたし。勇者らしく頑張りますか」


 けれども、今の大翔は眼前の光景に踏み出すことを躊躇わない。

 真っ直ぐに前を見据えて、荒野を歩いて行った。



●●●



 陽光の乙女は、超越存在の中でも人類を愛している個体だ。

 しかし、その愛し方は人のそれとは尺度が異なる。

 親愛。友愛。恋愛。あるいは、食物に対する愛情。娯楽作品を楽しむような愛情。憎しみの混ざった愛情。概ね、人間が表現する愛の全てが込められており、そして、どれでもない。

 陽光の乙女の行動は支離滅裂でありながら、全ては何らかの愛に通じている。

 聖女と取引をして、聖火を与えたことも慈悲であり、慈愛。

 夜に抗う人々を憂い、聖女を守るために幻想領域を構築したのも、やはり親愛に類する行動だったのかもしれない。

 だが、この幻想領域――蜃気楼の試練は、醜悪で加虐的な愛に満ちている。


『愛しい人間たちよ。どうか、その傷に触れさせてほしい』


 陽光の乙女が、この幻想領域に込めたのはそういう思念だった。

 さながら、フィクションのキャラクターの悲劇を尊ぶ観客のように。蜃気楼の試練は、幻想領域に入り込んだ人間の足を引くことを目的としている。

 目的を持った人間を堕落させ、あるいは調伏させ、永遠に閉じ込めて、弄ぶために構築された幻想領域だ。

 陽光の乙女は、人間が快楽や痛みに屈して、蜃気楼の中で藻掻く姿を見るのが好きだった。

 そのような醜い情愛が込められたのが、蜃気楼の試練という領域である。

 試練、と名付けておいて、誰も越えられないことを想定している辺りが、陽光の乙女の醜悪なところだろう。

 実際、その幻想領域は聖女を襲おうとする狼藉者や、聖火を求めてやって来た者たちを悉く捉えて、その身が焼き焦げるまで離さなかったのだ。


 ――――佐藤大翔という勇者が、幻想領域に訪れるまでは。


「茶番はもう飽きたよ」


 大翔は幻想領域の中を、荒野を歩んでいた。

 途中、大翔のトラウマを刺激するような『再現』が大翔を捉えたが、直ぐにまやかしを打ち破って先に進んでいく。

 ただ、これは大翔の精神が特別強いわけではない。単に、大翔が普通の男子高校生だった、というだけの話だ。平凡で、普通で、『特に悲劇や取り返しのつかない失敗を経験していない』からこそ、多少のトラウマ程度で済んでいるのだ。そして、多少のトラウマ程度では、大翔の足は止められない。

 ならば、と身の丈に合わない勇者の重圧を意識させる幻想を与えるが、それもすぐに振り払われた。


「あのさ、二番煎じなんだよね、それ」


 大翔は『つまらない物を見た』とばかりに、あっさりと幻想を打ち破る。

 既に、大翔の中にはシラノと共に交わした約束があった。故に、大翔の足を止めることはできない。何かの確信に導かれるようにして進む歩みは、阻まれない。

 これは、陽光の乙女にとっては予想外のことだっただろう。

 本来、神殿の最上階に挑む者は、大抵が強者だ。そして、その強者は大概、強さのために何かを犠牲にしている者ばかりだった。そういう存在はこの幻想領域の餌食である。

 従って、仮に試練を踏破できる者が居るとすれば、それは心身ともに精強な益荒男であると陽光の乙女は考えていた。

 だが、実際に試練を打ち破ろうとしているのは、弱くて平凡な男子高校生だ。


「さぁて、どこまで歩けばいいのやら」


 試練を打ち破るよりも、荒野を歩く体力の心配をしているような馬鹿だ。

 これには陽光の乙女――その化身の一つであり、幻想領域の核たる個体は、笑いを堪え切れなかった。

 ああ、こんな珍妙な人間、見たことがないぞ、と。


「…………お?」


 そして、大翔は辿り着く。

 蜃気楼の試練を踏破し、化身が待つ場所へと。


『佐藤大翔。異邦の勇者よ、アタシはお前を歓迎しよう』


 陽光の乙女の化身は、白いワンピース姿の少女だった。

 健康的な小麦色の肌の持ち主であり、すらりと伸びた手足にはほどよい筋肉がついている。短く切られた茶髪を隠すように、その頭には大きな麦わら帽子が被さっていた。

 ただし、その少女は仮面で顔を隠していた。鴉の口ばしが付いた、いわゆるペストマスクと類似している仮面だった。


『よくぞ、陽光の乙女が仕掛けた試練を突破した。弱い癖に強い、奇妙な勇者よ。その珍妙で愉快な在り方を称えて、アタシが褒美を与えよう』


 そして、その仮面は大翔に対する敬意の現れであり、気遣いである。

 何せ、本体ではなく化身の一つとはいえ、大翔の眼前に居る少女は、超越存在だ。まともに対面すれば、それだけで正気を削られかねない。

 そのため、大翔の精神を保護するために、仮面をセーフティとして装着しているのだ。


『さぁ、何が欲しい? お前のためならば、夜鯨に暁を見せるのも悪くない。一度ぐらいだったら、冬の女王だって抱きしめてやる。それとも、お前自身に力を与えようか? ああ、案ずるな。今のアタシは気分がいい――――大丈夫、上手くお前の願望を叶えてやろう。聖女にやったような慎ましい聖火ではなく、空を焦がすような劫火だって分け与えようじゃないか』


 少女の姿をした超越存在は、祝福するように大翔へと語り掛ける。

 その言葉は全て真実にして、猛毒。大翔が望めば、この化身はあらゆることを実現させようとするだろう。そう、それ以外の物を全く考慮せずに。

 超越存在に対して、考えなしに願いを告げてしまえば、待つのは破滅である。

 けれども、その誘惑は間違いなく甘美だ。かつて、滅びに抗う神官たちが、聖女を生贄として陽光の乙女に縋ったように。

 人間とは、思わぬ近道を用意されると、そこへ逃げ込みたくなる生物なのだ。

 それを重々承知の上で、この化身は大翔を誘惑し、祝福しようとしている。


「…………???」


 一方、大翔はあまり現状を把握していなかった。

 意気揚々と荒野を進んではいたものの、具体的な策があったわけではなく、『とりあえず進めば何処かに辿り着くだろ』みたいなポジティブ精神による前進だったのだ。

 なので、正直、化身が荒野に現れた時は心底ほっとしたし、なんとなくこの不思議な空間を脱出できそうな気配がした時は、内心でガッツポーズを取っていた。


 ただし、そこから先は流石にキャパシティーオーバーであり、陽光の乙女の言葉もいまいち理解していない。超越存在っぽい何かと対話している感じだが、正しく意思疎通できているのかよくわからない、というのが大翔の認識だった。


「あー、すみません。その、質問いいっすか?」

『構わないぞ、存分に問うがいい』

「じゃあその、俺以外にこの……試練? を受けている人はいますか?」


 故に、褒美云々は後回し。とりあえず、現状把握に努めたのは、ある意味、当然の行動だっただろう。


『ほう、この場で他者を優先するか……まぁ、いい。アタシが知る限り、シラノとか言うお前の相棒は捉えていない。実体があの場に居なければ、捉えられない。ただし、ソルとかいう傭兵は幻想領域に囚われたままだ。お前とは違い、試練も突破できていないぞ』


 大翔の問いかけに、やや白けたような態度を取る化身だったが、望まれた通りに説明はきちんと行った。大翔の記憶を参照し、感情に寄り添いながらの適切な解釈の下に行われる説明である。

 基本的に、陽光の乙女の化身は、自分が気に入った相手にはどこまでも甘いのだ。


『いいや、突破できないと断言した方がいいか。あれは囚われるタイプだろうしなぁ』

「…………なるほど」


 化身の言葉に頷くと、大翔はほとんど間を置かずに問いかける。


「あの、試練を突破した褒美の件についてなんですけど、ソルを助けに行きたい、ってのは駄目ですか?」


 大翔の質問に、化身は仮面の下で戸惑いの表情を作った。


『ふむ? 駄目ではないが、いいのか? 助けに行こうとも、あちらの幻想領域に踏み込めば、ソルとやらが試練を踏破しない限り、お前も解放されることはないぞ?』

「まぁ、ソルが居ないと、どの道全滅する感じなので、はい」


 確認するような化身の言葉に、妙に世知辛いリアクションで頷く大翔。

 もっと綺麗で大儀にあふれた言葉を使える立場にあるというのに、そういう物を口に出さない大翔に、化身はなんだかくすぐったいような気分になっていた。


「そんなわけで、その、なんとかお願いします」


 つまりは、恥ずかしがっているのだ、大翔は。

 超越存在の試練を踏破した勇者でありながら、思春期の少年らしく『大切な仲間を助けたい』という一言を恥ずかしがっているのだ。


『は、ははっ、ははははっ! 面白いなぁ、佐藤大翔!』


 本来であるのならば、超越存在の前に現れることもないような凡庸な性能。だというのに、前代未聞を成し遂げた功績。

 相反する二つの要素を持つ大翔を、化身は余計に気に入ってしまった。


『いいだろう、その酔狂に付き合おうじゃないか。行くがいい、愚かでありながら、尊い意志を持つ勇者よ。あの真っ黒な臆病者を救えるかどうか、アタシが見定めてやろう』


 化身は大翔の言葉通り、望み通りに願いを叶える。

 超越存在としてはほぼ奇跡的に、大翔の意志に沿う形で、大翔の精神をソルの下へと送り届ける。


「あ、はい。えーっと、頑張ります!!」


 揺らめく陽炎が体を飲み込み、姿が消える直前、大翔は戸惑いながらも笑顔だった。笑顔で礼を言いながら、仲間の下へと転送されていく。


『まったく、毒気が抜かれて困る。手っ取り早く力を望んでいれば、お前を愛せる言い訳にできたのになぁ』


 超越存在と取引を終えた時、何も失っていないことが、どれだけの偉業であるかも知らないままに。

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