第16話 亡霊神殿
その神殿は、白亜の石材によって建造されていた。
綺麗に磨かれた壁に、図太い石柱。成人男性が三人手を繋いでようやく一周できるほどの石柱が幾つも並び、高くそびえる神殿の構造を支えているのだ。石柱にはいくつも細かい文字が刻まれており、魔術による補強も施されていることがわかるだろう。
神殿の中央には、聖火を掲げる美しい女性の石像。
そして、その石像を中心とした螺旋階段が、神殿の最上階に向かって伸びている。階段の途中には、神殿に勤める神官たちの部屋や、護衛の者たちが休むための部屋。炊き出しのための調理場。様々な書籍を収める書庫などへと続く通路もあった。
滅びる前は、厳かながらも活気にあふれた場所だっただろう。
『我らは守護の騎士。我らは守護の騎士』
『明けない夜はないんだ! 明けない夜はないんだ!』
『子供は寝る時間よ? 子供は寝る時間よ?』
しかし、今では悍ましき亡霊たちの巣窟となっていた。
神殿上層から差し込まれる月光。それによって照らされた亡霊たちはもはや、人と呼ぶは呼べない形をしていた。
無数の鎧を取り込んだ、赤褐色の不定形。
頭部から伸びた触手で、電灯に似た光を放つ四足獣。
黄銅色の砂粒をまき散らしながら、左右に揺れる木製の十字架。
一体、誰が信じるのだろうか? 同じ言葉を繰り返す異形たちが、かつて、世界の滅びに抗おうとしていた偉人たちであると。
――――夜とは未知であり、恐怖であり、怪物の時間である。
かつて、夜鯨に対抗すべく研究していた神官は、世界を浸食する『夜』という現象に対して、このような言葉を残している。
未知であるが故に、解明は不可能。
恐怖であるが故に、克服は不可能。
そして、人が生存できる領域ではない、と。
聖火の守護によって退けなければ、人は生存できない。勇者の資格といった、世界でたった一つの特別な加護でなければ耐えられない。
しかし、もしも中途半端に夜の影響を受けてしまったら? 夜によって肉体は溶かされてもなお、中途半端に守護されていた所為で、魂だけは耐えてしまったら?
その答えが、この悪夢の如き光景だった。
『我らは守護の騎士。我らは守護の騎士』
彼らは、聖火を守るために結成された騎士団だった。
一人一人が一騎当千の英雄たち。
聖女の下に集い、あらゆる災いから聖女を守らんとする者たち。
――――その成れの果て。
複数の魂が混ざり合い、不定形の液状生命体となった怪物だ。
『明けない夜はないんだ! 明けない夜はないんだ!』
彼は夜に抗う賢者だった。
聖火を得るための超越存在との接触。その取引を成功させた功労者にして大罪人。
己の罪に誓って、夜を晴らそうとした者。
――――その成れの果て。
魂が変質し、偽りの光を周囲にまき散らす怪物だ。
『子供は寝る時間よ? 子供は寝る時間よ?』
彼女は慈愛に満ちた神官だった。
聖火の力を源として、人々を癒す魔術を開発した聖人。
夜に抗う者たちを癒し、子供たちにいつでも希望の物語を語って聞かせた者。
――――その成れの果て。
魂が変質し、眠りの砂をばら撒くだけの怪物だ。
『我らは守護の騎士。我らは守護の騎士』
『明けない夜はないんだ! 明けない夜はないんだ!』
『子供は寝る時間よ? 子供は寝る時間よ?』
彼らは生前の行動を反芻し、繰り返す。
夜の影響を受けた亡霊でありながら、いっそ機械的に。かつての生活をなぞる様に動き、そして、たまに入り込む不埒な侵入者を阻む。
彼らは魂が変質しようが、亡霊となろうが、元は世界有数の英雄、偉人たちだ。
生半可な魔術師、傭兵などでは彼らの力に対抗できず、夜に沈むことになるだろう。
「――――葬送を開始する」
しかし、この場に現れたのは最強の傭兵。
黒衣を纏い、黒剣を振るう、黒の剣士だ。
傭兵はまるで、月光の影から浮かび上がるように出現し、眼前の怪物に向かって黒剣を振るう。
『我らは――』
神殿の入り口付近を徘徊していた、不定形の液状生命体。
騎士たちの集合体は、瞬く間に放たれた七つの剣閃によって、バラバラに切り裂かれる。
無意味だ。
集合体の中に残った、騎士としての残滓が斬撃の有効性を否定。不定形の液状生命体となった騎士たちは、米粒よりも小さな核を破壊しなければ、何度でも再生可能だ。そもそもが別々の生命体であるが故に、バラバラになろうとも問題なく動けるはずだった。
最初に放たれた七つの剣閃。
それによって、全ての核が破壊されていなければ。
「次だ」
数秒にも満たない間に、英雄たちの亡霊を斬り祓った傭兵。
彼は短く呟くと、次なる標的へ向かって疾走する。
『明けない夜はないんだ!』
それを阻むのは、偽りの光を持つ怪物――賢者の亡霊。
その怪物が放つ光は、雷を伴う。
ばちばちと頭部の触手を発光させ、迫りくる傭兵へと雷撃を放たんとしていた。
「ナイフを一つ」
『あきゃっ』
雷撃が放たれるよりも早く、傭兵の手から漆黒のナイフが放たれた。
黒剣を持った手ではなく、もう片方の手によるスローイング。影から浮かび上がった漆黒のナイフは、傭兵の手によって放たれ、亡霊の肉体を穿つ。
その威力たるや、亡霊の肉体を易々と貫通し、背後の石壁に突き刺さるほど。
「ふっ――」
傭兵の足は止まらない。駆ける速度すら緩まない。
さらなる加速と共に、跳躍。螺旋階段の手すりを足場として、上の階層から砂を振らせようとする十字架へと肉薄する。
『子供は寝る時間よ? 子供は――』
「お前が眠れ」
黒剣の一振り。
眠りの砂を払い、十字架を切り裂く一撃は、さながら突風が吹いたかの如く。
ぱきん、と小気味のいい音と共に、木製の十字架は斜めに両断され、その役目を終えることになった。
事の始まりから終わりまで、一分にも満たない高速戦闘。
疵一つない勝利を実現した傭兵は、ようやく己が倒した者たちの亡骸へと目を向ける。
夜に溶け、沈んでいく姿を見送る。
「そろそろ休むといい。お前たちは十分に働いた」
傭兵――ソルは自己満足の言葉を吐き出すと、神殿の入り口へと戻っていった。
神殿の外で待つ雇い主たちに、悪夢の一部を終わらせたことを報告するために。
●●●
神殿の攻略は、万事滞りなく進んでいる。
事前に市街地の廃墟で探索をしたおかげか、ソルが神殿内を徘徊する亡霊たちに苦戦することはなかった。数体ずつセットで徘徊している亡霊たちを、それぞれ奇襲による高速戦闘で排除。次の亡霊たちが来る前に、再び潜伏してからの奇襲。後は、要注意とされている英雄の亡霊を丁寧に排除して進んでいれば、さほど攻略は難しいものではなかった。
事前の情報さえあれば、ソルという傭兵は、英雄たちの亡霊だろうとも問題なく片付けてみせる。それだけの実力の持ち主だった。
『《警戒していましたが、ほとんどの警備用魔法道具は経年劣化によって機能を停止していますね。半永久的に作動しているのも何個かありましたが、いざという時のライフラインの確保のみ。外敵の排除は英雄たちに一任していたようです》』
パーティメンバーに魔術師や技術者の類が存在しないために、唯一の懸念事項だった魔法道具による警備も、予想よりも遥かに脆弱。千里眼が通じなくとも、シラノの卓越した計算能力があれば、トラップの配置を予想して回避することも簡単だった。
なお、大翔は相変わらず荷物持ちをしながら、安全確保された部屋を探索するという地味な仕事をしていたが、もう自信が失われることはない。
シラノと約束を交わした大翔は、紛れもなく勇者として精神的に成長していた。
かくして、三人それぞれが能力を滞りなく発揮した結果、神殿の最上階一歩手前まで辿り着くことができたのだった。
「えー、市街地も含めた探索の成果を発表します。なんか心地よい音色を奏でるオルゴール。亡霊に特攻となるお札が六枚。同じく、亡霊特攻の長剣が二つ。短剣が一つ。後は、厳重に保管されていた金庫から、陽光の乙女なる超越存在との接触方法が記された魔導書が発掘されました。はい、最後の一つは厄ネタですね……どうする?」
『《私の予測だと、そもそも現在の大翔では接触しても、存在が矮小過ぎて気づかれないと思います》』
「超越存在と接触することは、基本的に何かの罰ゲームみたいなものだから、本当にどうしよも無い時以外は使わない方がいいと思う」
「俺も二人の意見に賛成。ということで、満場一致で厄ネタ魔導書は封印処理だ、おらぁ!」
神殿の最上階、一歩手前の螺旋階段。
既に安全を確保した大翔たちは、さながらRPGのボス戦前の如く、改めて作戦会議を行っていた。
「それでソル。なんか亡霊特攻のお札とか、武器が見つかったけどどうする?」
「自前の武器があるから、これで足りると思うよ。でも一応、万が一に備えて、お札の一つぐらいは貰っておこうかな。後の武器はヒロトが管理して欲しい」
「了解……しかし、何でまた亡霊特攻の武器が神殿にあったんだろう? ゲームのダンジョンじゃあるまいし、わざわざ俺たちの有利になる物が?」
『《恐らく、本来は亡霊となった自殺者へ対処するためでしょう。聖火の加護により夜の影響を退けていたとしても、絶望によって命を絶ち、亡霊となることを完全に阻止するのは難しかったと思います》』
「なるほど。奇しくも、同胞を安らかに眠らせるための武器が、今、俺たちの役になっているというわけか」
『《まぁ、亡霊を排除したのはほとんどソルの黒剣による攻撃ですけどね》』
決戦を目の前にしても、三人の調子は崩れない。
歴戦の傭兵であるソルは当然として、実戦経験が少ない大翔とシラノも、過剰に恐れを抱いていなかった。
大翔とシラノの精神が安定している理由、それは神殿突入前に交わした約束のおかげもあるが、やはりソルという強力な味方が居ることが大きい。
黒剣を一振りすれば、どのような怪物であろうとも両断し、細切れにする。
身に纏う黒衣は、あらゆる魔法も通さず、怪物の特異な能力も塵の如く無効化していた。
更には、ソル自身に油断が無い。『僕は弱い』などと事あるごとに呟くソルは、きちんと事前に作戦を立て、周囲と相談して戦いに挑む。軽々と巨大な怪物を葬る力を持っていてなお、自信過剰になることなく、他者の意見を取り入れる柔軟な思考を持つのだ。
いっそ病的なほどに希望的観測をせずに動くソルは、戦場に於いてはこれ以上ないほどに、頼れる傭兵だった。
「そういえば、ソルの剣ってどんな防御でもあっさり切り裂くけど。やっぱり、伝説の武器とか、そういう物だったりするの?」
「…………あー、そうだね。一応、とある超越存在の一部を加工した物らしいよ」
ただ、唯一の懸念があるとすれば、それはソルが自身について語りたがらないことだ。
この時、道具を整理しながら、気軽に向けられた問いかけに対しても、ソルは曖昧に笑って誤魔化すだけ。詳しい詳細などは公開せず、やんわりと『追及は避けて欲しいなぁ』と困ったように笑顔を作っている。
「おお、凄いね、そりゃあ! となると、この武器は本当に使う機会がないわけか……コートの内側に収納して置こうっと。どうせ、俺だとまともに剣を振れないし」
大翔は『傭兵に対して過去の詮索は不味かったかなぁ』と気遣い、さりげなく話題を逸らして、ソルについてこれ以上は訊ねなかった。
傭兵ならば雇い主といえども自分の能力を隠すのは当然。多少、秘密主義だったとしても、ソルの腕前と人格は信頼できる物だ。
大翔とシラノはそのように判断し、これからも踏み込むつもりはないらしい。
「ヒロトがその剣を振るわないように、僕がしっかり護衛するよ」
その信頼をありがたく思いつつも、ソルはどこか罰が悪そうに、視線を逸らした。
ソルの動作を『早く先に進もう』という提案だと解釈した大翔は、無言で頷き、シラノへと声をかける。
「シラノ、ここから先の構造は?」
『《螺旋階段を上り切った場所が最上階です。このまま何もなしとは考えにくいので、気を引き締めて行きましょう》』
作戦会議は終わり、三人は再び攻略を開始した。
一歩一歩、周囲の警戒を怠らず、螺旋階段を上がっていく。
シラノによる周辺警戒。
ソルによる先行探査。
この二つを掻い潜り、大翔へ届かせるような罠や魔術などは皆無だ。少なくとも、人間の範疇にある存在が作った物ならば、通すことは無いだろう。
「――――あ、れ?」
だが、逆に言えば、人間以上の存在ならば。
ソルとシラノすら及ばない存在――――超越存在によって仕掛けられた何かであるのならば、それは不可能ではなくなる。
「――――っ」
くわん、と脳内で鐘が響くような音が一つ。
その音が響くと共に、大翔の視界は段々と歪み始めて……やがて、夢の中に沈むことになった。
聖女と取引した超越存在、陽光の乙女。
数ある超越存在の中でも、最も人間を愛する怪物が、聖女へのサービスとして取り付けた一つの幻想領域。
蜃気楼の試練へ、大翔は取り込まれてしまったのだ。




