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第15話 小さな約束

 ――――オルゴールの音が聞こえる。


 今まで、大翔は無責任に行動していたわけではない。現実だと認めていなかったわけでもない。覚悟を決めていなかったわけでもない。

 ただ、どこか現実感が麻痺していたのも事実だった。

 二体の超越存在による世界の終焉。

 しゃべるラジオとの遭遇。突然の勇者任命。世界を救うという使命。

 まるで、漫画の中の出来事のようだと思いながらも、あえてその現実感の無さに身を委ねたまま、大翔はここまでやって来た。

 それは、ふわふわと地面から浮いているような歩みだっただろう。地に足がついておらず、馬鹿みたいなことを真面目に語る奴に見えただろう。

 だが、それらは全て必要なことだったのだ。

 大翔が足を止めないためには。


 ――――明るいメロディーが聞こえる。


 一般人にとって、たった一人の命を背負うことも重圧だ。医者が手術台に立つ時の緊張など、大翔には想像もできない。だというのに、大翔は数十億の命――否、世界全ての命を背負わなければならない。

 そのほとんどが赤の他人であるが、だからと言って死んでいいというわけではない。目の届かない場所で勝手に死ぬのはともかく、自分に責任がある形で死なれるのは耐えられない。

 そして、自分の大切な者たちが死ぬのはもっと耐えられない。


 ――――誰かを励ますために作られた音楽が聞こえる。


 だから、大翔は怖かった。その重みを理解してしまうのが。地に足を付けて、最悪の現実と向き合ってしまうのが。足を止めてしまうことが。

 馬鹿で良かったのだ。世界を救う責任など実感しないまま、最後まで駆け抜けることができれば、それで良かったのだ。

 けれども、大翔は今、理解してしまっている。

 現実から目を逸らしたままでは、世界を救えないのだと。馬鹿のままではいつか、取り返しのつかない失敗が待っているのだと。

 そう、大翔が真なる意味で勇者となる時が、やって来たのだ。


 ――――滅んだ世界に残っていたオルゴール。誰かを癒すためのメロディー。その音色を聞きながら、けれども大翔は立ち上がれずにいた。



●●●



『《大翔、そろそろ休憩の時間は終わりですが……その、大丈夫ですか?』


 廃墟の家屋から見つかったオルゴール。

 その音色に耳を澄ませていた大翔は、シラノの言葉によって正気を取り戻した。


「ん? ああ、大丈夫、大丈夫。それじゃあ、行こうか」


 オルゴールの入った木箱の蓋を閉じる。すると、心地よい音色は直ぐに止まった。本当はもう少し聞いていたかったが、これ以上聞いていたら、もう二度と立ち上がれなくなるような気がして怖かったのだ。


「ソルが先行して、神殿入り口の敵を排除してくれているんだったね? 急ごう、あまり仲間を待たせるもんじゃない」


 廃墟の中にある、とある家屋の一室。

 古ぼけた木製の椅子に腰かけていた大翔は、オルゴールをコートの内側――収納空間にしまい込むと、ゆっくりと立ち上がった。

 大丈夫、シラノの声が聞こえるのなら、強がるぐらいはできると自分を騙しながら。


『《――――待ってください》』


 しかし、そんな欺瞞はシラノには通用しない。

 探索途中からずっと、自らの相棒が気落ちしていたことを、シラノはきっちりと理解していた。だからこそ、優先すべき順位を間違えない。

 攻略すべき場所に向かうことよりも、今は大翔の不調を問うことの方が大切だった。


『《一度、座ってください》』

「え、なんで?」

『《いいから、座りなさい》』

「あ、はい」


 シラノに言われるがまま、もう一度椅子に座り直す大翔。

 その顔には戸惑いだけではなく、無理やり張り付けた強がりの笑みがあることを、シラノは確認していた。千里眼による観測は特性上、大翔には通じない。シラノは大翔と同期する際、必要以上に感情を探ろうとしないので、同期による物ではない。

 単純に、ラジオを起点として発動させた観測系の魔術によって、大翔の表情を確認していたのだ。そう、世界を救うために必要なわけでもなく、純粋に、大翔と対等な会話をするためだけに発動させてある魔術を通して。


『《今の貴方は明らかに大丈夫ではありません。その理由を速やかに述べてください》』


 明らかに怒気が含まれたシラノの言葉に、大翔は黙り込む。

 何と答えればいいのか、わからないからだ。叱られている理由はわかる。大翔が強がって無茶をしようとしたから、シラノは怒っているのだ。その怒りの理由が、優しさから来ていることも大翔は理解している。そういう、不器用な心配の仕方をする奴なのだと。

 ただ、そんなシラノに対して、何と答えていいのかわからない。


「それ、は……」


 何か適当な言い訳で誤魔化そうとして、けれども、大翔は言葉を紡ぐことはできなかった。

 今更、相棒に下手くそな嘘を言うわけにはいかないのだ。しかし、それと同じぐらい、大翔は弱音を言いたくなかった。シラノに失望されたくなかったのである。


『《……まったく、痩せ我慢は男の美徳と言いますが、時と場合を考えてください。言わないのであれば、私が勝手に推測して語りますから。何か間違いがあったら訂正してください》』


 従って、大翔が言葉を紡がない代わりに、シラノが語り始めた。

 ラジオの向こう側から、相棒の心境を代弁するかのように。


『《大翔、貴方は怖くなったんじゃないですか? 滅んだ世界の残骸を目の前にして、『自分が失敗したら世界はこうなってしまうのか』と》』


 語り出したシラノの指摘は、間違いなく大翔の本音と同じものだった。


『《今までは何とか勢いに任せて進んで来られた。けれど、超越存在によって滅んだ世界を目のあたりにして、貴方は立ち止まってしまった。立ち止まって、目を逸らしていたことを考え始めてしまったのでしょう。自分たちが失敗すれば、世界が終わる。その当たり前の意味を》』


 まるで、大翔自身が心情を吐露するが如く、ラジオからシラノの声が響く。


『《世界を救う、という言葉は現実をオブラートに包み込める、使い勝手が良い大義名分です。けれども、その大義名分を噛み砕けば、苦い現実が出てきます。世界の中には日常があって、その日常の中には、家族や友達、知人や当たり前の毎日があって――それを取り戻せるのは自分たちだけ。失敗したら、待っているのはこんな廃墟。そんな、動き出すのも嫌になるような現実が》』


 世界を救う勇者になった、という言葉は残酷であるが、ある種の浪漫も含まれている。英雄的で、幻想的な大義名分は、現実逃避であっても大翔を進ませる助けにもなっていた。

 だが、冷静になって現状を把握してしまえば、現実逃避を止めてしまえば、絶望に追いつかれてしまう。大勢の命を救わなければならないという、絶望的なまでの重責に。


「…………ああ、そうだよ、その通りだ。シラノ。俺はね、今まで夢の中に居たんだ。馬鹿だから、きちんと理解も覚悟もしないまま、ここまで来たんだ。でも、この廃墟を見て、救われなかった世界の残骸を見て、俺は夢から覚めてしまった」


 内心を言い当てられた大翔に、もはや沈黙は意味を為さない。

 失望されることを覚悟で、情けない本音を吐き出していく。


「この世界の人々の嘆きや苦しみ、絶望に抗う記録を見て、怖くなったんだよ。こんなに大勢の人が抗えなかった絶望に、俺がどうやって抗えばいいんだ? ってね。でも、諦めることはできない。諦めたら世界が終了する……いや、大切な人たちが死ぬんだ。皆、皆、本当に死んでしまうんだ。だから、止められないし、止めるわけにはいかない。先に進むしかないってわかっているのに、俺は……」


 佐藤大翔は普通の男子高校生だ。

 世界中の命なんて、重責は背負えない。

 それどころか、大切な人一人の命も背負えない。そもそも、自分以外の命なんて、重苦しくて背負えたものではないのだ。

 背負って進める者が特別であり、大翔は普通だった。


「笑ってくれ、シラノ。俺は今更になって、世界を救うことに怖気づいたんだ」


 普通の人間が無理をして誤魔化していた現実が、ここに来て帳尻を合わせられる。普通の男子高生には、世界を救うことなんてできるわけがないのだと、当たり前の現実が大翔を叩き伏せていた。


『《笑いませんよ、大翔。だって、私も同じですから》』


 ――――ならば、その声は奇跡だろう。


「……え?」

『《正直、やってられませんよね、世界を救うって。なんで他の人たちが即死休眠みたいな状態に陥っている中で、私たちだけ苦労しなければならないんでしょうかね? ほんと、心底反吐が出る想いですよ。ぶっちゃけ、本気で無理そうだったら、大翔と一緒に勇者の責務を放棄するつもりでしたし》』

「えぇぇえええっ!? シラノ!? シラノさぁん!? ぶっちゃけ過ぎじゃない!?」


 軽い口調で愚痴るシラノに対して、大翔は思わずツッコミを入れざるを得ない。

 そりゃあ、常々胸の中にはそういう不満もあったけれど、ぶっちゃけ過ぎるだろうと。


『《いえいえ、勘違いしてはいけませんよ、大翔。私たちはしかたなぁーく、世界を救ってあげているのです。そりゃあ、友達や家族が死ぬのは悲しいことですけど、だからって無謀な挑戦という名の自殺をしたいわけではありませんし。ここだけの話、大翔が弱音を吐いて『もう耐えられない』と言った時に備えて、逃走計画も立てているんですよ? もちろん、逃亡後に罪悪感で死にたくならないよう、きちんと腕の良い精神科医のスケジュールも確認しています》』

「やめて! そんながっちりと逃亡計画を立てないで! 逃げたくなるじゃん!!」

『《別に逃げても良いと思いますけれどね? 生まれながらに特別な能力を持ち、重苦しい使命に慣れている私でもきついんですよ? 一般人の大翔だったら、ノットギルティです。多分、裁判とかになっても余裕で無罪を勝ち取れます》』

「冗談だと思っていたけど、本当にガチな説得は止めてくれる!? 現状、ギリギリだから!」


 シラノのぶっちゃけトークに突っ込みを入れ続けていると、不思議と大翔の気持ちが軽くなっていく。

 ある意味、これは先ほどの再現だった。

 大翔の心の中にあった不満を、シラノが代わりに吐き出しているのだ。


『《えー、一緒に傷を舐め合いながら生きていきましょうよー》』


 ただ、先ほどと違うのは、今回吐き出している言葉は紛れもなく、シラノ自身の本音でもあるということ。


「駄目! 駄目でーす! 絶対にろくなことにならないので駄目でーす! というか、やっとソルみたいな信頼できる強い傭兵を雇えたのに、ギブアップなんてあり得ない! ギブアップするにしても、もうちょっと先で本当に無理そうな時にするから!」

『《重傷を負わない内にギブアップして、一緒に異世界漫遊の旅をしましょうよー》』

「駄目です! もうちょっと頑張ります!!」


 ぜぇぜぇ、と息を切らせながら断言する大翔に、シラノは『《ふふっ》』と満足げに笑みを零した。


『《――では、諦めるその時まで、もう少し頑張ってみましょうか、お互いに》』

「そうだね、頑張ろう……はっ! もしかして、シラノは俺を励ますために、わざとこんな風にぶっちゃけトークを!?」

『《いえ、駄目で元々みたいな気分で始めた旅だったので、いつでも止める準備をしていただけですけれど?》』

「シラノって真面目に見えて、意外とノリがヤンチャだよね!?」


 ぎゃあぎゃあと言葉を交わす二人の中には、もう心を押しつぶすような絶望は無い。

 馬鹿みたいなやり取りの後、何か明確な希望が生まれたわけではないのに、『どうにかなるだろ』という無根拠な思い込みが復活していた。

 そう、この相棒と一緒ならば、どんなことがあっても大丈夫なのだと。


『《そもそも、世界を救うのにノー報酬とかあり得ませんよね! 報酬を出しそうな組織が全滅しているから仕方ないんですけど!》』

「ひょっとして、シラノ。随分前から、割と不満が溜まっていた?」

『《好き好んで、世界を救うみたいな罰ゲームをやろうなんて人は居ませんよ! 私だって、私しか適任が居なかったから仕方なくって感じですし! 大翔に至ってはもう、悲惨!》』

「悲惨!?」

『《なので、折角ですから互いのモチベーションアップのために、ちょっとした約束をしません? 世界を救った後、お互いに報酬というか、ご褒美をあげるのは?》』

「ねぇ、俺の境遇って悲惨だったの!?」

『《大分悲惨ですよ、自覚してください。でもまぁ、それは置いといて、ご褒美の話ですよ! ご褒美の話!》』


 大翔はシラノと言葉を交わしながら、椅子から立ち上がる。

 気負うことなど何もなく、何の重さも感じない動作だった。


『《私は遊園地行きたいですね、遊園地! 大翔、世界を救ったら遊園地に連れて行ってください! もちろん、奢りで!》』

「あー、まぁ、良いけど。場所によっては移動費で数万円ぐらい飛びそうだなぁ」

『《やったぁ! それじゃあ、大翔は何が欲しいですか? 私の能力が及ぶ限りで、何でも叶えてあげましょう!》』

「え、あー、彼女が欲しい……かな?」

『《わかりました! では、世界を救った後に美少女を紹介してあげましょう!》』

「マジで!? 駄目元で言ったのに!」


 普通の男子高校生は、世界を救う重圧になんて耐えきれない。

 けれども、大翔は一人じゃない。相棒が居る。

 冬と夜の絶望の中、自分を見つけ出してくれたシラノが居る。

 たったそれだけの奇跡で、一歩踏み出せるのだ。


『《もちろん、私にお任せください! あ、でもこういう会話をしているとあれですよね。なんか死亡フラグとか立ちそうですよね》』

「思っても言わなかったのになぁ!」


 小さな約束を胸に、大翔は歩き出す。

 普通の男子高校生ではなく、勇者として。

 ――――シラノの勇者として、理不尽な現実を砕きに行くのだ。

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