第14話 不明廃墟
『《ゲートの設置完了。世界番号【D:244】番。座標指定……不明廃墟》』
ラジオからシラノの詠唱が響き、異世界へと通じる門が形成される。
とある宿場町に存在する、古ぼけた祠。
かつて、何かの神を祀っていたらしき祠を基準点として、そのすぐ隣の空間を歪ませる。異世界への距離を測り、人間が通行可能な領域を形成し、通路とするのだ。
『《大翔、ソル。これから向かう世界では、諸事情により、私の【攻略本】は効果範囲が狭まります。転移直後、油断せずに周囲のクリアリングに努めてください……と言っても、ソルに対しては釈迦に説法でしょうが。ああ、辺獄市場で言うところの『物乞いの商談』という言葉が近いですね》』
「ご心配なく。翻訳してもらわなくても、そろそろ君たちの言語には慣れたよ。もう少ししたら、君たちの言語で会話できると思う」
『《ふむ。なるほど、それは賞賛すべき適応速度ですね。まるで……いえ、これはお互いのために言わないでおきましょう》』
「ははは、別に気を遣わなくても、概ねシラノの予想通りだよ」
シラノとソルが会話を交わしている中、大翔は静かに呼吸を整えていた。
適度な緊張と、適度な集中。常に頭の中では、魔法道具のストックを意識しており、なおかつ、死角となる場所に対しては、視覚以外の感覚を尖らせている。
地獄の修行を経て、大翔は間違いなく一皮むけた存在へと成長を遂げていた。
そう、今の大翔であれば――――辺獄市場に出現した赤竜相手でも、余裕をもって逃げ切れるだろう。
「よし、行こうか二人とも。本格的に、冒険の始まりだ」
『《はい。ナビゲーションは任せてください》』
「傭兵として、子供たちに恥じない仕事をしよう」
自信溢れる大翔の号令に二人が応じ、異世界へと続く門をくぐった。
ここから先が本番。
命の危険が伴う冒険が、幕を開けたのだった。
●●●
その世界には、陽が欠けていた。
地上を照らすのは、真っ暗な夜から降り注ぐ月光のみ。
だが、その月光を生み出す光源は歪だった。満月でもなく、三日月でもなく、そもそも天文学に沿った形ではない。
何故ならば、それは『抜け殻』だからだ。
太陽の光を反射する衛星などではなく、超越存在――夜鯨が残した『抜け殻』に過ぎないのだから。
従って、その月は鯨に似た形をしていた。
太陽の光を反射して輝くのではなく、発光し、世界を照らしていた。
光を求める生命体など、既に存在していないというのに。
『《大丈夫ですか? 大翔》』
「ああ、問題ない。ちょっと……そうだね、故郷の世界を思い出しただけさ」
その世界に転移した直後、大翔が感じたのは『郷愁を伴う絶望』だった。
何一つ希望を見いだせないような夜空に、息が詰まりそうな静寂。生命の音がまるでしないという絶望に、終了寸前の故郷を思い出したのだ。
けれども、大翔は感じた絶望を呼吸と共に吐き出し、ゆっくりと視野を広げる。
「でも、あの時とは違う。今は三人だ」
『《ええ、そうですね》』
この世界は似ているが、違う。かつて、二人だけで途方に暮れていた場所ではない。
終わりに抗うため、新たな仲間と共に踏み出した冒険の舞台だ。
『《この世界はかつて、夜鯨という超越存在によって滅ぼされた場所です》』
「夜鯨っていうと……俺たちの世界に来訪した内の一体?」
『《ええ、その通りです。夜鯨はどの世界に移動しても、やることは決まっています。その世界の『陽』という概念を飲み込み、世界を夜に閉ざす。科学や創世神話、数多の天文学などまるで無意味な張りぼてのように、その世界の法則を浸食するのです。夜鯨が来訪した世界では、どんな生命体も夜によって命を溶かされ、形を失い、闇の中に消えていく……ただ、この世界も黙って滅ぼされたわけではありませんでした》』
月光に照らし出され、大翔の視界に映るのは、廃墟の街だ。
元々は活気あふれる街並みだったことを連想させるような、広大な道路。その脇にずらりと並ぶ、レンガ造りの建物がある。廃墟ではあるものの、建物の劣化はほとんど見られず、また、道路や路地にゴミの類は見当たらない。
まるで、映画のセットのように、美しくも完成された滅びの跡だった。
『《超越存在に抗うためには、同じく超越存在の力を借りるしかありません。夜に沈む世界を救うため、この国の聖女が生贄となりました。もっとも、清らかで賢く、慈悲深いとされていた少女が。この世界にどのような超越存在が召喚されたのかは記録にありませんが、結果として、聖女は『何か』を捧げ、その対価として夜を退ける権能――聖火を得たのです》』
けれども、静謐なる滅びに抗う灯が一つ。
街の中央に高々とそびえ立つ塔。
灯台にも似たその塔――正式には神殿とされる施設は、最上階から暖色系の灯りが放たれている。ゆらゆらと、炎が揺らめくような不安定な灯りが。
『《しかし、いくら超越存在と取引して得た力とはいえ、人間一人が受け取れる程度では、夜を全て払うことはできません。たった一つの都市を照らし、守り抜くのが精一杯。そうして、僅かに残った人類の生き残りたちは、聖火でこの都市が守られている間に、何とか夜鯨を追い払おうとして…………盛大に失敗しました》』
「失敗、というと?」
『《聖火を種火として、大量に聖火紛いを増やし、炎の巨人という最終兵器を形成。空に浮かぶ夜鯨との決戦に挑み、そりゃあもうワンパンで敗北したそうですよ?》』
「ワンパンかー」
『《権能とはいえども、所詮は借り物の力。さらには、その紛い物で作った兵器ですからね。本物には敵いません》』
不安定な灯りは、いつ消えてもおかしくないように見える。
それは、かつて夜に抗おうとした者たちの存在証明であり――未だに、聖火を灯す聖女が消滅していないという証拠でもあった。
『《当然、身の程を弁えない人類は、そのほとんどが夜に飲み込まれてしまいました。完全に影響から逃れることができたのは、たった一人。聖火を灯す聖女だけ。その聖女も、とうの昔に寿命が尽きて、今では魂だけで聖火を灯し続けているという噂です》』
「なるほどね。だから、あの建物だけ明るいわけか」
『《私たちの目標は、その聖女から聖火を譲り受けることですので、覚えておいてくださいね?》』
「そりゃあ、わかったけど…………でもさ、シラノ。結局、夜鯨に通じないんだったら、聖火は何のために手に入れるの?」
『《無論、対話のために。超越存在と対話するにも、相応の力が無ければ存在を認識してくれませんからね。自らに抗う火を持っている存在ならば、多少は興味を引くことが可能でしょう》』
「あー、合コンでモテるために、高級な腕時計を身に着けておく、みたいな?」
『《大体間違いではないから困りますね》』
そして、かつて夜に抗った都市に、勇者が一人。
しゃべるラジオを道先案内人にして、世界の滅びに抗おうとしている。
大翔としては、この廃墟に奇妙な親近感を覚え始めていたが、ここでふと気づく。
「そういえば、シラノ。いつの間にか、ソルの姿が見えないんだけど? え、これってホラー展開だったりする?」
頼りになるもう一人の仲間、傭兵のソルが姿を消していると。
『《いえ、彼は傭兵としての仕事をこなしていますよ。この廃墟――街には中途半端に聖火の加護がありましたからね。命と肉体は失っても、魂だけは亡霊となってそこら辺を漂っているようです。おまけに、夜の影響を受けた所為か、そのほとんどが人の形と記憶を失って、命ある者を見かけると襲い掛かるという有様》』
「うわぁ、アクション系のホラーの舞台みたいだ……というか、その亡霊たちが今、俺を襲っていないってことはつまり?」
『《ええ、ご想像の通りです》』
大翔の予想をシラノが肯定すると、ちょうど街の奥から足音を響かせる傭兵が一人。
ソルは息一つ乱れていない様子で、大翔たちの下へと戻って来た。
「お待たせ。市街地の亡霊はあらかた片付けたから、もう安全だよ」
朗らかな笑みを共に、きっちりと戦果の報告をしながら。
「あ、はい、お疲れさま……あのさ、シラノ。俺が修行した意味って、その?」
『《万が一に備えることも大切ですよ、大翔》』
自然体で亡霊を殲滅したソルを頼もしく思いながらも、どこか釈然としない気持ちがある大翔だった。
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不明廃墟では、シラノの千里眼はその効果範囲を大きく制限される。
夜鯨の残滓と、それに抗う聖火という二つの要素によって、シラノの能力はジャミングを受ける形になっているのだ。
加えて、大翔たちの故郷とは違い、不明廃墟は滅んでから長い時間が経った場所だ。経年劣化により、過去の記憶が薄れてしまっている。
そのため、現在を見通せず、過去を読み解けない。即ち、未来を推測できない。
現在のシラノにできることと言えば、大翔と共に一つ一つ、コツコツと情報を積み重ねることだけ。地味な作業であるが、それこそが攻略のための一番の近道だった。
『《街中に漂っていた亡霊とは違い、あの塔の如き神殿の内部に存在する亡霊は、全て強敵です。街中に居たのはあくまでも非戦闘員が夜によって変質した物でしたが、あちらは生前からして英雄クラス。聖女を守るために集った、選ばれし強者たちです。それらが夜の影響を受けて亡霊化しているとすれば、無策で神殿に突入するのは賢明ではありません》』
攻略目標は、聖火を灯す神殿。
かつて、滅びかけた世界の要だった場所。
当然の如く、その場所の警備は厳重であり、世界が滅んだ後だったとしても、半永久的に機能している防衛システムも存在するだろうとシラノは予想していた。
『《無論、ソルの強さを疑うわけではありません。ソルならばあるいは、単身であの神殿を攻略することも可能でしょうが……聖火が近いことが原因なのか、神殿上層の情報がまるで入って来ません。万が一も考慮し、万全の態勢で臨みましょう》』
「僕もシラノと同意見だ。僕は多少戦力には自信があるけれど、その上で、誰かを守るということは不向きだという自覚もある。可能な限り、対策はしておくべきだろうね」
そして、シラノの予測は間違いではないとソルも同意している。
数多の戦場を生き抜いた傭兵であるソルは、過剰なほどに謙虚であり、『自分以外の誰かが傷つくこと』を恐れているのだ。この場合は、護衛対象である大翔に脅威が及ぶことがその対象となっているのだろう。
「俺も情報を集めることには賛成だ。もしかしたら、何かこう……凄い魔法道具とか、魔導書とか、そういう物が埋もれているかもしれないし」
一方、肝心の大翔としては未知のダンジョンに挑む恐怖よりも、何か役に立てるかもしれない、という可能性に奮起していた。
何しろ、厳しくも辛い修行を達成したばかりなのである。今までが無力だった分、成長した自分が仲間たちの役に立つという実感が欲しかったのだ。
『《では、六時間を目途に探索。その後、一時間を挟んで、神殿の攻略を始めましょう》』
「「了解」」
奮起した大翔は、シラノの指示に従って探索を開始した。
自分が、仲間たちが足手纏いではないという証明を得るために。
大翔の威勢が良かったのは、最初の一時間だけだった。
だが、探索に飽きたわけでも、成果を上げられなかったわけでもない。
シラノの指示の下に行う探索は、地味だが堅実だ。
街の本屋を漁り、形を保っている書物から情報を抜き取る。大翔の役割は、勇者の資格が持つ適応力を発揮させ、素早く情報を頭に取り込むこと。
大翔が一度でも目にした物は、シラノと共有することができるので、かなり適当な速読でも十分に効果を発揮していた。
『《ふむ、【夜を退ける英雄たち】……神殿に集まった英雄たちの特集ですね。これならば、攻略のための情報も豊富でしょう。見つけてくれてありがとうございます、大翔》』
また、大翔は図書館や大型の本屋に良く通っていたため、背表紙の並びから狙った内容の本を探すのが得意だった。この特技により、シラノの予測よりも格段に探索効率は上がっていた。間違いなく、大翔の力で仲間たちに貢献している。
「へぇ、こんな場所に魔法道具の在庫が隠してあるなんてね。うん、経年劣化で使えなくはなっているけど、僕らがこの世界の魔術レベルについて探るには最適な資料だよ」
更には、大翔は誰かの隠し場所を探すことが得意だった。
過去、友達のエロ本の場所を探し当てるゲームという、クソくだらない男子中学生の馬鹿遊びによって培った感性により、隠し場所に目ざとくなったらしい。
以上の功績は、大翔自身も認める物であり、間違っても役立たずと自戒する余地はない。むしろ、探索に於いては大活躍と呼んでも過言ではない成果だった。
ならば何故、大翔は探索と共に言葉少なくなってしまったのか?
その答えは、ある意味当然のものだった。
【彼らならば、聖火を夜の化物から守り抜くだろう!】
――――英雄たちを紹介する本の一文。
【あかるい聖女さま】
――――聖女の偉大さを子供に教えるための絵本。そのタイトル。
【配給の食材でも、美味しくご飯は食べられます! ひと手間を惜しんではいけません!】
――――食料が制限された中、少しでも前向きに生きようとした者たちの工夫。
【正しい死に方を探そう! 生きるだけが人生ではない!】
――――夜に溶けてしまう前に、自ら死を選ぶ者たちの慟哭。
【聖なる巨人の完成。我々は救われる】
――――決戦前夜、誰かの走り書き。
【しにたくないよ、おかあさん】
――――ちっぽけな日記帳に残っていた、最後のメモ。
大翔は滅びゆく世界の記録を、知ってしまったのだ。
適当な流し読みでも、勇者の資格として適応力が働き、段々とその情報を読み取れるようになったのだろう。
僅かな断片の如き情報であっても、繋ぎ合わせれば理解できてしまった。滅びゆく世界の人々の希望と絶望を。どのようにして夜に抗い、敗北したのかを。
「そうか。俺が失敗すると、こうなるのか」
そして、ずっと目を逸らし続けていた現実と向き合ってしまったのである。
家族。友達。好きな芸能人。善なる人々。悪なる人々。無垢なる赤子。どうでもいい他人。これから生まれてくる命。
大翔が失敗してしまえば、それらは全て死に絶える。
そんな当たり前の現実を、元一般人の男子高校生が背負うには重すぎる責任を、実感してしまったのだ。
現実と向き合ってしまえば、耐え切れないと気づいていたというのに。




