最終話 夏休みは続く
これにて勇者の物語は幕引きです。
最後まで付き合っていただきありがとうございました。
また、次の物語でお会いしましょう。
大翔の眠りは最適化されている。
浅くもなく、深くもない。
何度も冒険を乗り越えることで、強制的に精神と肉体を休ませる術を会得しているのである。そのため、大翔にとっての睡眠とはほとんど『行動停止』のようなもの。惰眠を貪るような、だらしなく、けれども幸福に満ちた過ごし方は失ってしまったのだ。
そして、大翔は眠っていても警戒を怠らない。
例え、自宅のベッドでぐっすりと眠っている状況だとしても、周囲には幾重にも巡らせた警戒術式。その内側には堅牢な結界。そこを突破できる強者が居たとしても、大翔は見知らぬ気配や害意に敏感であり、何か異変があれば即座に飛び起きるだろう。
「おっはよー! お兄ちゃん!!」
「ごぶぇっ!?」
つまり、大翔に平然とボディプレスを決めている妹は、必然とただ者ではないことになる。
害意は無く、気配は覚えられているとはいえ、大翔の警戒を潜り抜ける手腕は並大抵の者ができる事ではない。
事実、この妹は常人ではなかった。
正確に言うのならば――――つい最近までは人間ですらなかった。
「ごふっ……陽子。朝からの奇襲は止めなさいってあれほど言っただろ?」
「えー、でもぉ! この間視たアニメだと、妹は兄をこうやって起こしていたよ! しかも、私と同じ、血の繋がっていない妹! だったら当然、真似してみるよね!?」
「真似する前に、俺のダメージも考えてくれ……」
「大丈夫! お兄ちゃんは、私を――陽光の乙女を救ってくれた勇者なんだから! この程度、何の痛痒にもならない!」
「いや、普通に痛いわ」
佐藤陽子は小麦色の肌を持つ、黒髪ポニーテイルの少女だ。
外見年齢は十代半ば。設定では大翔よりも一つ年下の十五歳。
天真爛漫を絵に描いたような笑みを浮かべて、細くしなやかな手足を縦横無尽に動かす、如何にもといった健康的な美少女である。
そう、美少女だ。
大翔と同じ苗字を持ち、大翔と似たようなTシャツ短パン姿であっても、まるで姿は似通っていない。
それもそうだろう。
何故ならば、この佐藤陽子は大翔とは血が繋がっておらず――――そもそも、別世界の住人だったのだから。
超越存在、陽光の乙女が救済されて、人間に戻った姿なのだから。
「いいか、陽子。普通の兄妹は朝っぱらからこんなやり取りをしない。むしろ、兄を起こす時は機嫌悪く、『さっさと起きろ、馬鹿兄貴』といって扉を蹴るぐらいなんだ」
「え? 『さっさと起きろ、馬鹿兄貴……んもう、ちゅっ』じゃなくて?」
「駄目だ、この妹。偏った知識しか持ってねぇ」
「むふふふっ! そこら辺はこれから頑張って学んでいくからさ! 『契約』通り、今後ともよろしくね、お兄ちゃん!」
太陽の如き笑みを浮かべる妹の姿を見て、大翔は「うぃっす」と力なく頷いた。
陽光の乙女は人類愛を掲げる超越存在だったが、今の陽子は家族愛を掲げる妹である。
人類という種族を愛する代わりに、陽子を家族として愛すること。
詳しい事情は割愛するが、それが陽光の乙女を救済するために必要な契約だったのだ。
両親には悪いと思いつつ、世界改変によって『陽子は子供の頃に両親が拾って来た』という設定が付け加えられることになったのである。
「はいはい、それじゃあ、着替えるからさっさと出ていけ、妹」
「粗雑な扱いにも愛が感じられる……これが家族ってことなんだね、お兄ちゃん!」
「朝っぱらからマジでうるせぇ、この妹……」
故に、大翔には血の繋がらない妹が増えた。
そして、大翔の日常の変化は、妹が増えるだけに留まらない。
『おい、ヒロト。飯を寄越せ、飯を。黄金の猫缶の奴な』
まず、ペットが増えた。
黒猫のような何かであり、元は夜鯨という超越存在だったクーラが家に住み着いた。
どうやら、ロールプレイングゲームの時から、飼い猫としての怠惰な暮らしが気に入っていたらしい。
「おはよう、マスター。今日はいい天気ね?」
「おはよー、マスター。ねぇねぇ、次は理系のイケメンと合コンをセッティングして?」
次に、ご近所が増えた。
受肉したイフと人間に擬態したノワールが、『近所のマンションでルームシェアしている女子大学生二人』という設定で護衛しているためである。
大翔としては、もう冒険は終わったのだから二人も好きに生きていいと告げているのだが、イフからは『騎士として生きたい』と答えられ、ノワールからは『イケメンを沢山紹介してくれるって言った』と存在しない過去を押し付けられた。
従って、傍から見ると朝から美人な女子大学生に絡まれているように見えるが、大翔としては部下の管理をきちんとしなければならない、という一切の色気が無い関係なのだ。
もっとも、大翔自身の立場を考えれば、ある意味では当然の護衛だろうが。
その他、勇者同盟の関係者や、真白や美冬など、数多の関係者が大翔の住む町に移住し、街の総合戦闘力がとんでもないことになっているが、そこはあまり重要ではない。
「……髪型……服装……護符……転移……使い魔……よし!」
今の大翔にとって重要な変化は、あと一つ。
夏休みであっても身支度を整えて、万が一にも遅れず、浮き立つような精神を抑え付けながら会いに行かなければならないこと。
「お、おはよう、シラノ! 今日は……いや、今日も、その……か、可愛いな!」
「お、おはよう、大翔……きょ、今日も! その、良い感じに冴えなくて素敵です!」
つまりは、遊園地デートに行けるぐらいの関係の女の子が居ることだ。
◆◆◆
白樺梨乃――シラノは、今日で勝負を決めるつもりだった。
待ちに待った遊園地デート。
新幹線代を節約するため、転移魔術を使って現地集合の遊園地デート。
服装は精一杯洒落っ気を出しつつも、夏に合わせた涼やかなTシャツとスカートの組み合わせを選んだ。靴も遊園地という場所に合わせて、あえてのスニーカー。けれども、シラノが持っている中でも、最も気に入っている一品だ。
準備は万全である。
アレスに志乃の拘束を頼み、妙な横槍が入る心配もない。
千里眼の異能をフル活用し、遊園地デートに入り込むような『急用』などが起こらないよう、予め問題になりそうなものは潰しておいた。
故に、シラノが大翔に告白する準備は万全である。
告白する時の台詞は、既に何度も推敲済み。
『大翔に美少女を紹介する約束ですが、残念ながら諸事情により、お勧めできる者が一人しか残りませんでした。どうかお許しください』
最初は恭しく頭を下げて、けれどもその次は何度も鏡の前で練習した上目遣い。
『…………貴方に紹介する美少女ですが、私一人だけでは駄目ですか?』
後は動揺した大翔の不意を突いて、キス。マウストゥーマウスのキス。
自分で自分を美少女とか言うのは恥ずかしくて仕方がないが、このキスが全て誤魔化してくれるはず。
後は、このままの流れで予約していたホテルに連れ込んで既成事実を作る。
無論、ホテルにはシラノが予め手を回しているので、明らかに未成年なシラノと大翔が共に連れ歩いても文句は言われない。
というか、世界を救ったんだからそれぐらいでごちゃごちゃ言わせない。
――――完璧な計画だった。
少なくとも、シラノの脳内だけでは成功率百パーセントの完全無欠の作戦だった。
「お、おはよう、シラノ! 今日は……いや、今日も、その……か、可愛いな!」
「お、おはよう、大翔……きょ、今日も! その、良い感じに冴えなくて素敵です!」
しかし、実際に遊園地デートが始まってみれば、シラノは早々にやらかしていた。
折角、大翔が気合を入れて準備してきた服装に、満面の笑みで『良い感じに冴えなくて素敵です!』などと褒めているんだか、けなしているんだかわからない発言。
シラノはこの言葉が口から出た後、即座に後悔したが、感想としては紛れもなく本音だった。
ただの美形は見飽きている。
平凡で、冴えなくて、普通にしか見えない馬鹿の癖に、格好良いから素敵なのだ。
そういうことを上手く伝えたかったシラノだが、生憎、失敗を挽回するのに精いっぱいで、上手く口が回らなかったのである。
「大翔、今日は全て私にお任せください。私の成長した千里眼により、最善最高の遊園地巡りをご堪能いただきましょう」
「おお! それなら安心だね!」
シラノは遊園地デート中、全身全霊で頑張った。
宣言した通り、千里眼を用いた最善最速の周回コースを実現。待ち時間はもちろん、大翔とシラノ、二人の肉体的疲労も考慮した上で、ベストなコースを導き出したのだ。
それはもう、細かいところまできっちりと、千里眼によるフォローを行い、大翔の行動にも口出ししまくりの全身全霊だった。
「…………んむぅ」
年下の女子が口うるさく、ぐいぐいリードするのってどうなの!? 年上の大翔としてはどうなの!? 『子供の相手』みたいになってない!? と失敗に気づいたのは、予定通りに遊園地から出た後のことだった。
そう、シラノはよりにもよって、告白をする予定の時間に、素に戻ってしまったのである。
「おおう……」
「ん、どうしたの? シラノ、体調悪い?」
「いえ、少しはしゃぎすぎたな、と」
「そう? 遊園地なんだから、あれぐらいでいいと思うけどなぁ」
ただ、幸いなことに大翔は気分を害していない。
むしろ、遊園地から出た後も『あのアトラクション最高だったね』などと、気分良く感想を言ってくれている。
まだ希望はある。
シラノは勇気を振り絞って、予定通りの場所、時間で大翔に告白することにした。
景観はばっちり。
遊園地近くの見晴らしのいい公園。
人張りはばっちり。
こっそりと魔術で大翔と二人だけの空間を演出済み。
天気は問題ない。
涼やかな青空が二人の新たな門出を祝うように広がっている。
今しかない。
「あ、あの――」
「そういえばさ、シラノ。前に頼んだ『美少女を紹介してくれる』っていう約束だけど、あれは無しにしてもらってもいい?」
「…………えっ?」
今しかない、と覚悟を決めたはずの言葉はタイミング悪く遮られた。
先ほどまで胸の中に溢れていた勇気や希望は既に無い。
あるのは絶望。真っ暗闇の絶望。
ああ、何が悪かったんだろう? やはり子供っぽいから? 大翔と同じ年齢だったら嫌われなかったかな? 最悪だ、こんな世界なんて滅べばいい。
そんなネガティブなワードが口から溢れそうになって。
「俺はシラノのことが好きだから、他の美少女を紹介してもらう必要はないんだ」
真正面から紡がれた、大翔の淀みない告白によって、それらは全部吹き飛んだ。
「これから先も、俺と一緒に居てくれないか?」
「…………ぽぇ?」
顔を真っ赤に染めながらも、精一杯の男らしさに溢れた大翔の告白。
それを受けたシラノの思考は、一瞬、真っ白に染まった。それはもう、口からよくわからない鳴き声を出してしまうほどには、メンタルが限界に達していた。
けれども、告白と共に、大翔から差しだされた手は何よりも先に、誰にも譲ってたまるかとばかりに、拘束で握っている。強く、強く、手放さないように握っている。
「……あ、えっと、その、ですね、わ、わた、私は……」
ぎゅうぅうう、と大翔の手を強く握ったシラノは、幾度も視線をさ迷わせた。
千里眼は役に立たない。
何もかもが予定通りではない現実だ。
だが、不思議とシラノの胸の中には、勇気よりももっと溢れそうな想いで満ちていて。
「私も貴方のことが好きですよ、大翔」
少しでもこの想いが伝わればいいと、そっと背伸びをすることにした。
唇から伝え合った熱のことを、きっとシラノは忘れないだろう。
◆◆◆
かくして、佐藤大翔の冒険譚は終わりを告げる。
冬を越えて、夜を明かし、陽光を遮った勇者の物語は終焉を向ける。
けれども、当たり前のように佐藤大翔の人生は続いていく。
日常が変化しても。
好きな女の子と恋人になっても。
佐藤大翔の物語は終わらない。
「ふふふっ、大翔、大翔っ! 恋人ですよね? 私たち、恋人ですよね?」
「うん、恋人だよ、シラノ」
「じゃあ、これからホテルに――」
「それは駄目。きちんと志乃とアレスが待つ家に送って行くね?」
「恋人なのに!?」
さしあたってまずは、夏休みの続きを満喫することだろう。
「恋人でも、だよ。まったく、シラノはませすぎ」
「大人びていると言ってください」
「はいはい、じゃあ大人のレディ? 帰り道をエスコートしても?」
「ご心配なく。むしろ、私が大翔をエスコートしてあげましょう」
頼もしくも可愛らしい恋人と、新しい日常を始めていくだろう。
例え、どんな困難があろうとも。
再び、世界が滅びかけたとしても。
二人の日常はもう、途絶えることはない。
何故ならば。
「だって私は、貴方(勇者)の道先案内人ですから」
世界を救う冒険が終わったとしても、明らかに、佐藤大翔は勇者なのだから。




