第122話 冬を越えて、夜が明ける
世界は救われた。
冬の女王。
夜鯨。
二体の超越存在を救済することで、文句なしに大翔の故郷は救われたのである。
もっとも、その対価として陽光の乙女の救済に向かうことになり、かなりの無茶ぶりを受けることになったのだが、それは割愛させてもらおう。
肝心なのは、大翔は仲間たちと共に陽光の乙女の救済も乗り越えたということ。
無論、少なくない代償を抱えることにはなったものの、誰一人欠ける事のなく、おまけと呼ぶには過酷すぎるクエストをクリアすることができたのである。
そして当然、旅の目的を果たしたのならば――――仲間たちとは別れるものだ。
冒険の果てに、大翔の仲間たちはそれぞれの日常に戻って行く。
◆◆◆
冒険が終わった後、ソルは黒剣の勇者という称号を返上した。
正確に言えば、勇者である資格も、勇者である必要もなくなったのである。
夜鯨が救済されたことにより、黒剣が持つ権能は失われた。
陽光の乙女が救済されたことにより、ソルの世界に再び魔王が誕生することは無い。
故に、ソルはただの剣士に戻ることにしたのである。
たった一人、愛おしい者を守り抜くための剣士に。
「ソル様、ソル様っ! ここが私たちの新しい愛の巣なのですね!?」
日当たりのいいリビングの中、メイド服姿の少女――アンナは嬉しそうにはしゃぐ。
落ち着きのない駄犬の如く、きょろきょろと一階、二階と様々な部屋を巡り歩き、にんまりと微笑んでいる。
「ふふふっ! 大切に使われた家の気配がします! ソル様、実に良い物件を購入できましたね!?」
「そこら辺の交渉は得意な奴に任せたらね。いやぁ、傍から見ているこっちが気の毒になるほど、容赦のない交渉だったよ」
スカートの裾を翻すほどはしゃぐアンナの姿に、ソルは穏やかな笑みを浮かべた。
冒険が終わった後、自らの世界が救われた後、ソルの判断は早かった。
大翔の交渉により、失われた命は全て元に戻ったとはいえ、アンナが魔王として暴走してしまったのは事実。例え、超越存在の影響下にあったとしても、快く思わない人間は大勢居るだろう。
そのまま故郷の世界に住めば、面倒事が起こるのは誰でも予想できることだ。
従って、ソルは即座に別の世界への移住を決意。アンナを説得し、持てる限りのコネクションを使って、封印都市の一等地に住まいを構えることになったのである。
そして現在、ソルとアンナの二人で引っ越し作業中というわけだ。
「では、その方にいつかお礼をしなければいけませんね? お金はこれからたくさん使うと思いますし!」
「え? そんなに使う予定ってあったかな? ええと、何か欲しい宝石でもあるの? 一応、街の警備員として働くつもりだけど、アンナが何か欲しいのなら、ちょっと竜の一頭や二頭ぐらい、今すぐ狩ってきて――」
「んもう! ソル様の鈍感! 野暮っ!」
アンナはソルの背中を叩きながら、言葉を続ける。
「これからたくさん、子供を作るんですから! その分のお金ですよぅ!」
「ごふっ!?」
「わわっ、すみません! 強く叩き過ぎましたか!?」
「いや、そうじゃなくて…………ああもう、それでいいや」
「うん?」
ソルはアンナが小首を傾げる様子を見て、小さく苦笑する。
アンナ自身に、魔王として暴走していた時の記憶はほとんど無い。事実として、大勢の人間を殺めてしまったと知っているだけだ。無論、その事実を告げた後に、『でも、全員きっちりと生き返らせたから!』とフォローしたおかげもあるだろうが、今は笑っている。
例え、ソルの見えないところで思い悩む気配があったとしても、未来を思い描き、笑みを浮かべることができる。
きっとその内、魔王としての過去なんて忘れるだろう。
たった一人の守護者として、ソルがアンナの心を守り抜くだろう。
故に、これは黒剣の勇者――否、ソルと言う人間にとっての紛れもないハッピーエンドで。
「というか、子供を作るよりも前に、結婚式だと思うんだけど?」
「結婚式! いいですねぇ! ソル様がお世話になった人たちもたくさん呼びましょう!」
ソルとアンナという、新婚夫婦が紡ぐ日常の始まりだった。
◆◆◆
冒険が終わった後、ニコラスは魔法学園に戻った。
既に卓越した魔術を習得しているニコラスであるが、それが戦闘に偏っていることは本人も自覚済み。従って、改めて魔術を基礎から学び直そうというのが戻った理由の半分。
残りの半分は、折角支払った学費がもったいないという、ニコラスらしい貧乏性なものだった。
「ば、馬鹿な……貧民上りが、まさかここまで!?」
「殲滅級……いえ、もっとその先の領域まで!?」
「学園第一位の彼女すら凌駕するほどの力……ふふふっ、どうやら、彼は随分と魔導の深淵を覗いて来たようですね」
なお、そんなニコラスを待ち受けていたのは、周囲からの奇異の視線である。
しかし、それも仕方がないだろう。何せ、数か月も経っていないような時間の間で、ニコラスという魔術師見習いが、魔王すら下すほどの実力者になって帰って来たのだから。
一体、どんな地獄を体験して来たのか? と気になる者が出るのは自然な反応である。
もっとも、実際にはニコラスが。地獄すら生温い超越存在の領域を踏破して来たと知れば、その反応は畏怖と悲鳴に変わるかもしれないが。
「ったく、ぎゃあぎゃあとうるせぇ。俺はアイドルじゃねぇんだっての」
けれども、騒動の中心に居るニコラスは、そんな外野に舌打ちしつつも構うことはしない。
数多の魔王級、果ては超越存在とのやり取りも経験したニコラスにとって、学園の生徒たちなどは雛鳥もいいところだ。わざわざ相手にする時間ももったいない。
ニコラスは真面目に授業を受けながら、自主学習も続けて、魔導の研究に没頭する。
――――何がための魔術師なのか?
忌々しい師匠から告げられた命題に、悔いのない答えを返すため。
魔導の深淵に至るのではなく、その先を越えた『違う光景』に到達するため。
ニコラスは今日も今日とて、出身に似合わず真面目な優等生として暮らしてくのだ。
「う、うわぁあああ!? みんな逃げろぉ! 実験に失敗した所為で、ドラゴンが!?」
「マジかよ!? 校舎が火の海になっているんですけど!?」
「教師を呼べ! 教師を!」
「学園の一桁ナンバーじゃないと対処できねーぞ、これぇ!?」
ただ、どうやらニコラスはどこかの大馬鹿野郎の仲間になった影響か、どうにも学園内でも騒動に巻き込まれる機会が絶えないらしく。
「ああもう、仕方ねぇな」
今日も今日とて、ため息混じりに誰かを救いに行くのだった。
その背中が、自分が大馬鹿野郎と罵倒する仲間の物と似てきたことに気づくのは、もう少し先の出来事になるだろう。
◆◆◆
大翔たちの冒険が終わっても、ロスティアとリーンの仕事は終わらない。
何せ、二人の姉妹は封印都市に於ける、超が付くほどの重大人物なのだ。しかも、大翔たちが三体の超越存在を解放した余波により、封印都市は数多の世界との交流で大忙しだ。
長命種族の頑強な肉体でなければ、過労で倒れていたことは請け合いの忙しさだ。
「…………ふぅー。ねぇ、ロスティア?」
「なんだ? リーンお姉ちゃん」
「私ねぇ、そろそろ狩猟に出かけたい――」
「駄目だ」
「半日だけでも!」
「論外だ」
そして現在、リーンは書類に埋もれた執務室の中で、めそめそと泣き言を吐いている。
戦いの中では、一度に複数の魔王級を相手取ることになっても、泣き言一つ言わずに戦い、勝利するほど強いリーンであっても、書類の山には勝てないらしい。
「えー、もう他の人に任せましょうよぉ。お姉ちゃんはね、そろそろ限界です。インドアではなくてアウトドアタイプなの。後方支援じゃなくて、ばりばりの前線で戦うタイプなの」
「ヒロトに失望されるぞ?」
「さ、されませんんんんっ! ちょっと呆れられるだけですぅ!」
「そうか。私は師匠として尊敬されたいから、面倒な仕事も片付けよう」
「…………うぅうう」
淡々と紡がれるロスティアの正論に、リーンは観念したように椅子に座り直した。
そして、机の上に重ねられた書類の山と向かい合い、渋々と手を動かし始める。
「ねぇ、ロスティア」
「……口よりも手を動かしてくれ、リーンお姉ちゃん」
「口を動かしながらも手を動かせるわ。これぐらいは余裕よぉ?」
「相変わらず、無駄なところで有能な……それで、一体なんだ?」
「今、この仕事を頑張って早く終わらせようとしているのは、ひょっとしてヒロト様を早く迎え入れたいから?」
「…………」
にやにやとした笑みに対して、ロスティアは無言の仏頂面で応える。
そう、冒険は終わったとしても、ロスティアと大翔の師弟関係は終わらない。むしろ、ここからが本番ですらある。
封印都市の内情が落ち着けば、大翔は学業と魔導技師との二足の草鞋を履く予定だった。
昼間は学校へ。
夜間は封印都市へ。
忙しい生活にはなるものの、これは大翔本人の希望である。
自分に才能があるのならば、それを磨きたい。
ロスティアの助手が務まる程度には、マシな腕になっておきたい。
そのようなことを真剣な表情でロスティア本人に告げていたのだ。
従って現在、かつてないほどロスティアが封印都市の重鎮として動き回り、事態の収拾を急いでいるというわけである。
「…………何か悪いか?」
そして、そんな下心を見抜かれたロスティアは、不機嫌そうな仏頂面をリリーに向ける。
何も知らない他人ならば、人を虫けらのように見下す視線に感じるかもしれないが、姉であるリリーには、これが『拗ねている』仕草であることが丸わかりだった。
「ううん、全然、まったく。むしろ、素敵だと思うわ」
「…………ふんっ」
「うふふっ。ヒロト様が来たら、私が美味しい手料理を出してあげるからね?」
「緑王のステーキ」
「うん、わかっているわぁ」
神話の時代から生きる、長命種族の偉大なる二人。
世界最高峰の魔導技師と、世界最強の狩人。
けれども、二人だけで言葉を交わし合っている姿はまるで、どこにでも居るような普通の姉妹のようで。
「じゃあ、ロスティアのために、お姉ちゃん頑張っちゃおうかしらぁ!」
「最初から頑張れ」
これから先も、このような日常を過ごしていくのだろう。
千年間の空白などまるで感じさせずに、当たり前の姉妹として過ごしていくだろう。
もはや、二人を隔てる物など、何もないのだから。
◆◆◆
アレスは冒険が終わった後、間もなく故郷の世界を離れることになった。
理由はもちろん、アレス自身の異能、共存共栄の影響力を抑えるためである。
故郷の世界は未だ復興中ではあるが、勇者同盟の仲間たちがフォローしてくれるので、悪いようにはならないだろう。
かくして、アレスは手早く身支度を整え、シラノとの約束通りに大翔たちが住む世界へと移住することになったのだが、困ったのが当面の住居である。
戸籍などはいくらでも後から用意できるのだが、住居だけはそう簡単にはいかない。
異能や勇者としての経験を除けば、アレスの中身は中学生相応の少女だ。いくら年齢を誤魔化してアパートや住宅を与えても、一人暮らしには不安が残る年齢だろう。
従って、シラノは責任を取る意味でも、アレスに対してこのように提案した。
「もしよければ、うちにホームステイしませんか?」
ホームステイ。
アレスには馴染みのない単語であったが、シラノからの説明によって理解する。
要するに、一緒に住まないか? という提案だった。大抵の人間に対しては、不愛想で容赦ないが、一部の仲のいい相手に対してはとことん優しいシラノだった。
無論、断る理由も無いので、アレスはこの提案を快く受け取った。
シラノの家族と上手く付き合えるかは不満だが、それ以上に、シラノという友達と毎日過ごせることは、アレスにとって胸が躍ることだったのである。
「やぁ、前に一度顔合わせしたね? 私は白樺志乃。梨乃――いや、シラノの姉だよ。これから君と共に暮らすことになる人間さ。なぁに、年上だからといって遠慮は無用だ。何せ、シラノの友達だからね。私にとっても友達みたいなものだよ。ただちょっと、円滑に互いの人間関係を進めるために一つの提案があるんだ。聞いてくれるかい? それはね、シラノにくっ付いている害獣を駆除するために協力を――おっぶ!?」
「私の友達に何を言っているんですか、馬鹿姉」
「ふ、ふふふっ、姉妹間のスキンシップとはいえ、背後からの概念魔弾を撃ち込まれるのはちょっと死にかけてしまうよ?」
「安心してください、殺しません。しばらくの間、封印するだけです――三年間ほど」
「三年間も!? というか、自棄に具体的な数字――――まさか、結婚可能な年齢になるまで、私を封印するつもりなのかい!? だが、無駄だぁ! 例え法律が認めたとしても! この私は! お姉ちゃんは! シラノの結婚なんて認めませんっ!!」
そして現在、アレスは玄関先で巻き起こる銀髪姉妹の喧嘩に巻き込まれていた。
ホームステイ先のシラノの家が思いのほか大きく、日本屋敷といった内装に委縮していたところに、志乃がダル絡みをしてきて、そこからシラノが駆け付けたという流れである。
「『アタシ』の生活が前途多難すぎる……」
少し、ほんの少しだけホームステイすることを後悔しそうになったアレスであるが、それもつかの間のこと。
「アレス! この馬鹿姉を葬るのを手伝ってください!」
「おおっとぉ! 良いのかなぁ!? 私には両親へ告げ口することだってできるんだぞぉ!? あまりにも過干渉の親馬鹿すぎて、この家から追放されたあの二人になぁ!」
「この馬鹿姉、自爆覚悟で私の邪魔をっ!」
シラノから真剣に助けを求める視線を受けて、アレスは思わず笑ってしまった。
勇者としてではなく、ただの少女として。
友達としての期待を受けて、アレスはやはりこの選択が間違いではないことを実感した。
「はぁ、仕方ないなぁ――――フォーメーションBで行くよ、シラノ」
「友情フォーメーションですね! 了解です、アレス!」
「ぐぅ! 二対一だとぉ!? だが、負けぬ! 私は負けるわけにはいかないのだ! 最愛の妹に手を出そうとする、悪しき害獣を滅ぼすまでは!」
「はい、アタシが撮ったシラノとヒロト兄ちゃんのツーショット写真」
「動画もありますので、存分にご覧下さい」
「ぐぁあああああ!? 私の脳が破壊されるぅうううう!!?」
頭を抱えて悶えるシスコン(志乃)を見下ろした後、アレスとシラノは互いに視線を見合わせて小さく笑った。
世界を救う冒険が終わったとしても、二人の少女の友情は終わらない。
これからも途絶えることなく、続いてくことだろう。
◆◆◆
冒険を終えたところで、大翔は元通りの日常には戻れない。
大翔は既に、どこにでも居るような男子高校生ではない。
勇者の資格。
勇者同盟の盟主。
数多の世界を救った、勇者の中の勇者。
超越存在すら救済する権能の保持者。
実力に伴う、様々な肩書が大翔を元の日常へと戻させない。
何より、大翔自身の変化がそれを許さない。
これから先は、ただの男子高校生ではなく、非日常こそが日常となるだろう。
それが大翔の人生にとって、幸か不幸かはまだ判別できない。
けれども、大翔は自分自身も含めて、あらゆる変化を受け入れなければならないのだ。
「おっはよー! お兄ちゃん!!」
「ごぶぇっ!?」
そう、何の因果か――――家族が一人、朝早く大翔のベッドにボディプレスを決める系の妹が増えたことも、受け入れなければならなかった。




