第121話 最悪を生きろ
大翔や結衣と同様に、シラノもまた成長している。
それはアレスの絆の異能によって強化されているという意味だけではなく、数多の予想外を攻略して来た経験も含まれている。
千里眼の通じない数多の敵。
絶望的な苦難。
それを打開するための、大翔による逆転劇。
あらゆる予想外を経験してきたからこそ、シラノは千里眼ではなく、自分自身の予測能力が向上したのだ。
故に、シラノは最初からこの事態を予測していたのである。
「黒幕、貴方があそこで終わるわけがないと理解していました。ですが、最初から私が大翔と共に行動をしていれば、貴方は警戒して身を隠していたでしょう。そうなってしまえば、探すのが少し厄介になってしまいます」
ダン、ダン、ダン、と油断なく銃弾を撃ち込みながら、シラノは結衣に語り掛ける。
「なので、私はあえて大翔には一緒に居ることを告げませんでした。隠密に徹することにしました。外側からの侵略を警戒している勇者同盟の仲間たちを囮にして、私は大翔の周囲に姿を隠していたのです。貴方に看破されないかだけが憂慮すべき点でしたが……どうやら、貴方は私の予想よりもよほど大翔との戦いに集中していたようですね。いえ、そうしなければ勝てないと覚悟を決めた点は賞賛すべきでしょうが」
淡々と言葉を紡ぐシラノの表情には、一切の感情が浮かんでいない。
身体強化した右手で拳銃を構え、残弾が尽きるまで射撃を続ける。
「……う、ぐ」
けれども、結衣はまだ死なない。
常人ならばとっくに即死するほどの銃弾を受けたとしても、結衣は常人ではない。
朝比奈久遠という勇者と共に、三度の世界の滅びを覆した実力者だ。
致命傷を受けても無理やり魔術で回復し、シラノが隙を見せる機会を窺っている。
――――例え、その全てが無駄だと理解していても、そうするしかないのだ。
「ところで、私が暢気に無駄話をしている理由はもうご存知ですよね? ああ、よかった。貴方がそこまで愚鈍だとしたら、無駄に話が長くなってしまいますから」
そう、無駄なのだ。
シラノが残弾を撃ち尽くして、拳銃をあっさりと路面に落としても。
直接戦闘型ではないシラノだけが相手ならば、瀕死の状態からでも結衣に勝算があったとしても。
この場で戦おうとすることは無駄なのだ。
それをシラノと結衣はよく理解している。
「あー、死ぬかと思った」
何故ならば、もう既に大翔の回復は終わってしまったのだから。
ボロボロの服装なれども、負傷も疲労も完全に回復した状態の大翔が、曲がり角から姿を現したのだから。
「まったく、大翔はすぐに死にかけますよね?」
大翔が姿を現した瞬間、結衣はその無表情を崩して、微笑みを向ける。
もちろん、油断なく視界の端に結衣を捉えたまま。
「本当にそれ。世界救済の旅を始めてから、ずっと俺は死にかけている気がするよ」
「弱くても強くなっても死にかけますよね?」
「難易度がおかしいのが悪いと思う。権能や強い装備を手に入れても、普通に死にかけることばっかりだったし。いやぁ、本当にしんどかった」
「まぁ、これから陽光の乙女の救済に向かうので、また死にかけると思いますが」
「もはや死にかけの状態がデフォルトまであるよ、俺」
「私たちも手伝いますから、残業頑張りましょうね?」
「そうだね。どうせなら陽光の乙女も救って、何もかも憂いを消し去った上で一息つきたいものだよ――――そう、何もかも。憂いを消し去った上で、ね」
穏やかなに言葉を交わす大翔とシラノであるが、その瞳からは剣呑な光が消え去っていない。
むしろ、かつてないほどに殺意を研ぎ澄ませて、何があろうとも黒幕である結衣を逃がさない構えである。
「……っ!」
千変万化の対応力を持つ大翔。
冷静沈着な理性と。冷徹な殺意を持つシラノ。
この二人が揃った今、結衣の勝率は万が一もない。皆無だった。例え、無限の試行回数があったとしても、勝てない。運命にそう決定付けられているような絶望があった。
そして、勇者ならぬ結衣ではその絶望は覆せない。
当たり前に、順調に死んでいくだけである。
「…………私は、負けない」
だからこそ、それでも立ち上がった結衣の姿に、大翔とシラノの二人は僅かに目を見開いた。
「私は、負けない。この世界を、滅ぼす。滅ぼして、恨まれて、それでも。それでも……それでもっ! 私はこの世界が許せない!!」
結衣自身しか意味を知らない、血を吐くような決意の言葉。
それを受けて、大翔とシラノは静かに心構えを正した。
結衣は間違いなく悪だ。
醜悪であり、身勝手な悪党だ。
けれども、その根底には誰かに対する愛が存在する。
ならば、例え瀕死であろうとも全力を尽くさなければ『覆される』と覚悟を決めて。
「……ん?」
「あー、うん。そう来るかぁ」
その緊迫した空気を台無しにするように、一つの気配が路地裏に降り立った。
「悪い、無茶を承知で頼む」
そう、結衣とシラノの間に割り込むように降り立ったのは、中性的な美貌の少年だった。
肩まで届く柔らかな茶髪に、神が丹精込めて作り上げたかの如き肉体。だというのに、服装はまるでファッションに無頓着な、長袖のシャツにスラックス。
この容貌の持ち主を、結衣は良く知っていた。
そして、大翔もまた、この容貌を良く覚えていた。
「こいつの……浅井結衣の命乞いをさせて貰えないか?」
朝比奈久遠。
敗北し、退場したはずの勇者が今、幕引き直前の舞台に姿を現していた。
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朝比奈久遠の登場に、一番驚いたのは結衣だった。
「……は? 久遠さん、一体何を……」
目の前の現実が信じられないように、呆然とした呟きを漏らしている。
「さて、どうしますか? 大翔」
「……うーん、まずは話を聞こうか」
大翔とシラノは、久遠の登場をある程度予期していたのか、さほど動揺していない。こうなる可能性は十分にあったとばかりに、久遠に対して最大限の警戒を向けている。
明確に、結衣の味方としての行動を取っているが故に、いつ敵対しても問題ないように。
油断なく戦闘態勢を解かないまま、久遠に説明を促す。
「この馬鹿……浅井結衣がしでかしたことが重罪だということは理解している。世界を滅ぼそうとした大悪党ということも否定しない。こいつの性根は邪悪で、『やむを得ない事情』ではなく、勝手な暴走で世界を滅ぼそうとした大馬鹿女だ」
久遠は警戒されていることを承知で、淡々と言葉を紡ぐ。
万が一にも反抗的な態度とみなされないように、言葉を選び、僅かたりとも魔力を動かさないまま――――僅かでも殺意を向けられれば、それを受け入れる態勢で言葉を尽くしている。
「正直、結衣はこの場で殺されても仕方がない奴だと思う。俺も、こいつに卑劣な不意打ちをされた所為で、今の今まで動くことができなかった。口が裂けても、こいつが善良なんて言うことなんてできない」
「うぐっ」
散々な言われように、ようやく驚愕から現状を理解し始めた結衣は呻いた。
しかし、そこに反論は無い。他の人間からの侮辱ならばともかく、久遠からの言葉ならばそれは結衣にとって受け入れるべき真実であるが故に。
結衣は久遠からの言葉に、何も反論することは無かったのだ。
「だが、それを承知で願う。どうか、こいつの命だけは助けて貰えないだろうか?」
「――――っ!」
久遠が結衣を庇うような発言をするまでは。
「久遠さん、何を――」
「黙っていろ、馬鹿」
血相を変えて久遠を問いただそうとする結衣だったが、途中で沈黙の魔術を受けて言葉を禁じられる。
どれだけ声を張り上げようとしても、喉の奥から漏れるのは呼吸音だけだ。
「世界中の誰もが邪悪と罵るような奴でも、俺にとってはかけがえのない相棒なんだ。裏切られても、世界を滅ぼそうとしても…………見捨てられない。だから、筋違いの頼みをしているのは百も承知だが、どうか頼む」
だから、結衣には何もできない。
久遠が懇願の言葉を紡ぐのも。
久遠が二人の前に土下座し、額を路面に擦り付けるのも。
何一つ止めることはできない。
「代わりに俺の命を使ってくれてもいい。俺を奴隷としてどこかに売り払ってもいい。俺にできる事なら…………可能な限り、やらせてもらう。お前たちを侮辱するつもりはないが、邪悪に手を染めろと言われたとしても、俺は受け入れる。どんな外道な真似もして見せる。だから頼む……どうか、どうか……っ!」
結衣にとって、久遠とは最愛の存在であり、尊敬すべき勇者である。
例え不意を打ち、その自由を奪うような真似をしたとしても、その評価が揺らぐことはない。
故に、だからこそ、そんな久遠に、誰かへ懇願させるような真似をさせている現状は、結衣にとっての生き地獄である。
こんなことをさせてしまうぐらいならば、最初から世界の破滅など願わなければいいと思ってしまうほどに。
「やれやれ、まるでこちらが悪党みたいですね、大翔?」
「まったくだね…………でもまぁ、色々と思うところはあっても、あの朝比奈久遠の懇願だからねぇ」
一方、久遠に懇願されている方も、生き地獄ほどではないが居心地が悪かった。
シラノは千里眼で久遠の勇者としての実績を知っているが故に、無下にしづらい。
大翔は朝比奈久遠を勇者として知る前の――何もかもが終わってしまったような絶望した姿を知っているからこそ、情け無用の判断はしづらい。
そもそも、二人とも性根は善良であるので、無情な判断は下しづらいのだ。
「俺が暢気に日常を過ごせていた過去があるのも、朝比奈久遠――君が世界を三度も救ってくれたからだ。そんな君の懇願が受け入れらない、という結末は流石に胸糞悪いよね?」
ただ、そんな二人であっても殺すべき邪悪と認識しているのが、浅井結衣という黒幕である。
「だけど、それはそれとして…………俺は浅井結衣を許すつもりはないよ。我欲のために、世界を、誰かの大切な日常を踏みにじったこいつを、俺は許すことができない」
優しすぎる、甘すぎるという評価を受ける大翔であっても、忌々しく言葉を吐き捨ててしまうほど、結衣は邪悪である。
故郷の世界を滅ぼそうと策略を巡らせて。
異なる世界では、大翔たちを殺すために一つの世界を犠牲にしようとすらした。
まさしく、万死に値すべき悪党だろう。
故に、大翔が結衣を見下ろす視線は揺るがない。揺るがず、許さない。何か言葉を紡ごうと藻掻く結衣の姿を見ても、冷たい怒りが収まることは無いのだ。
「だから、俺は朝比奈久遠の懇願を聞き入れて――――なおかつ、浅井結衣にとっての最悪を選ぼう」
けれども、佐藤大翔は勇者だ。
絶望を覆す者だ。
悪を断ち切る者だ。
だからこそ、懇願と邪悪。二つを天秤に乗せてなお、釣り合う結末を選ぶ。
「一つ、浅井結衣の異能のはく奪。こいつにはもう、運命を弄することはさせない。二つ、浅井結衣の戦闘能力の封印。こいつはもう、一般人としての力しか許さない。そして三つ目、最後にして最も肝心な契約を君に……朝比奈久遠にしてもらう」
そう、朝比奈久遠にとっては慈悲を。浅井結衣には最悪を与える結末を。
「今後、浅井結衣が誰かを傷つけた場合、朝比奈久遠は浅井結衣に関する記憶を全て失うこと。なお、この『誰かを傷つけた』という判断は朝比奈久遠自身が下すこと。この契約を交わすのならば、この場だけは見逃そう」
優しく、けれども残酷な大翔の裁き。
それを久遠は即座に受け入れた。
「わかった、契約を交わそう…………ありがとう、本当にありがとう……」
「はぁ、言っておくけど、この場だけだからね? 次は無いし、他の人間や組織が浅井結衣を罰しようとすることは止めないから」
声を震わせる久遠からの礼を、大翔はため息混じりに受け入れる。
結衣は『今すぐ私を殺せ』とばかりに、声もなく喚いている様子だが、シラノも大翔も取り合わない。
慈悲は既に示した。
契約は既に交わされた。
この結末は覆らない。
「じゃあな、黒幕。精々、生き残った幸運を噛みしめながら、最悪の中を生きろ」
完膚なきまでに大翔が勝利し、世界が救われたという事実は覆らない。




