第12話 黒剣の傭兵
とある世界の極東に、山一つに三回巻き付けるほど巨大な大百足が存在していた。
その牙は、堅牢な城塞だろうとも一噛みで粉砕。
牙から流れる毒は一滴であろうとも、巨大な湖を生物が棲むことができない物へと変えてしまう。
てらてらと黒光りする胴体は、どんな英傑の剣も通さない。
無数の足は、各自が独立して異なる魔法を放つことすら可能だ。
大百足の前では、精強なる軍隊だろうとも、巨大なる一つ目の戦士だろうとも、雷を操る魔術師であっても、等しく無力であった。
何者も倒すことができない、圧倒的な強者であり、意思疎通不可能な怪物。
崇めようと、畏れようと、大百足は等しく本能のままに周囲を蹂躙する。
その大百足はまさしく、災害と呼ぶのが相応しいほどの存在だった。
「ああ、怖かった。僕は苦手なんだよね、百足ってさ。ぶつ切りにしても動くし。下手したら再生して襲いかかって来るし。だからね、こういう奴らは動かなくなるまで刻むのが鉄則。気持ち悪いけど、細やかな後処理が害虫駆除には大切なんだよ、ヒロト」
――――黒剣を振るう傭兵に出会うまでは。
「……いや、ソルさん。そもそも、貴方にしかできませんって、それ」
大翔は引き攣った笑みを浮かべながら、黒剣の傭兵――ソルへと言葉を返す。
勝負は一瞬だった。
少なくとも、大翔からは一瞬に見えた。
暢気に山に巻き付く大百足に対して、一キロ以上離れた場所から黒い刀身のロングソードを一振り。明らかに、刃が届かない場所に居たはずの大百足は、ぴしりという空間に斬撃が奔る音と共に、数百の肉塊へと分割されたのだ。
異常なほどの生命力を持つはずの大百足といえども、そこまでされれば、復活する手段はない。動けなくなった大百足は、ソルによってさらに細かく肉片を刻まれ、完全に生命活動を停止することになった。
『《なるほど。一つの世界で災害と恐れられるほどの怪物ですらも、相手にならないとは……どうやら、ニコラスの見立ては間違ってはいなかったようですね》』
その解体と後処理の様子を、大翔は少し離れた場所から観察していた。
あまりにも早く勝負が決した所為で、大翔からすればソルがどれだけの偉業を成し遂げたのか理解していない。だが、相棒であるシラノは正しくソルの力を理解していた。
国家すらも抵抗することを諦めた、災害級の怪物。
それをたった一振りで討伐したということはつまり、災害級を遥かに上回る怪物であるということに他ならない。
シラノは先ほどの一戦で、ソルのことを世界崩壊級の問題に立ち向かうに足る人材であると認めていた。
「さて、これで依頼料に見合う程度の戦力は見せることができたかな?」
『《ええ、もちろん。試すような真似をして申し訳ありません、ソルさん》』
「いいよ、僕は弱い奴だからね。こうして戦力を誇示しなければ、誰かの役に立つことも証明できないのさ。それと、君たちは僕の依頼主なんだ。気楽にソルって呼んでくれ。敬称なんて必要ない」
完全に百足の沈黙を確認したソルは、和やかにシラノと言葉を交わし始める。
その頬には黒々とした毒液が付着しているが、まったく苦にする様子はない。どうやら、周囲の生物を殺し尽くす、呪詛の如き毒液であってもソルには通じないようだ。
「それじゃあ、二人とも。僕の腕試しも済んだことだし、面倒事が起こる前にさっさと素材を回収して、別の世界に移動しよう。ぼーっとしていると、あっという間に英雄とかに祀り上げられて、戦争の道具として良いように使われるよ?」
「うわぁ、実感の籠った悲しい言葉」
『《実体験込みの忠告でしょうね。金言として胸に刻んでおいてください、大翔》』
その後、大百足の討伐という偉業を成し遂げた者たちは、誰にも報告することなくその世界を去ることになった。
大百足が何者かによって討伐された、という事実をその世界の人間たちが知ることになるのはそれから一週間ほど先のことになる。
時が経っても腐ることのない、蛆すらまとわりつかない死骸。
数千を超える肉片にまで刻まれたそれが、何よりの証拠となって。
「…………あのさ、シラノ。俺、気づいちゃったんだけどさ。このでっかい百足が『腕試し』ってことは、俺とソルさ――ソルって、これ以上の危険に挑むことになるの?」
『《大丈夫です、問題ありません、大翔。私と貴方のコンビネーションならば、この程度の怪物など、必殺『アイス大量投下』によって滅ぼせましたので》』
「俺たちのメインウェポンってあのアイスだったの!?」
「雇われた傭兵としての意見だけど、危ない真似はできる限り自重して欲しい。僕は弱いから、君たちを守り切れるとは限りらないし」
「あ、はい。それはもちろん」
もっとも、誰がどんな理由で大百足を討伐したのかは、それから百年の時が経とうとも知ることはないだろう。あるいは、想像すらできないかもしれない。
恐るべき大百足ですら、彼らにとってはただの『肩慣らし』に過ぎなかったのだと。
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『《大翔。これから貴方にはソルと共に、ちょっとした冒険……いえ、場合によっては死ぬ可能性が多大に存在する大冒険に挑んでも貰うことになります》』
「わぁい、シラノが素直に危険性を教えてくれるぐらいには信頼を得ているぞ、俺!」
『《流石に、大翔がこの期に及んで逃げるような人ではないとは知っていますからね。とはいえ、大翔が貧弱……一般人スペックであることも把握しています》』
「貧弱じゃないんですけどぉ! 運動部だったんですけどぉ!?」
『《運動部所属の男子高校生ぐらいだと、あっさり死んじゃうぐらいの冒険に行く予定なので、はい。貴方が死なないように、専門家であるソルに貴方を鍛えて貰うことにしました》』
「え、修行イベント? 大丈夫? 世界終了までの時間制限とか」
『《とりあえず、貴方が死なない限り、時間制限は考えなくて大丈夫です》』
シラノ曰く、世界終了を避けるために必要な物を取りに行くには、とある異世界を冒険しなければならないらしい。しかも、大翔にとっては死の可能性が多大にある大冒険だ。いくら高品質の魔法道具で武装していたとしても、肝心の使い手が一般人のままならば、容易く命を落としてしまうだろう。
世界を救う使命を帯びた勇者の命は、代えが効かない。元々分が悪い賭けだったとしても、死ぬ可能性は少しでも削った方がいい。
そのような判断の下、大翔の修行が開始されることになったのだ。
「…………で、ソル」
「何かな? ヒロト」
「俺は何で、異世界のスポーツジムでジャージを着ているの?」
そして現在、大翔はジャージ姿だった。
シラノの案内の下、とある異世界――現代日本と同レベルの文明国家――のスポーツジムを貸し切り、同じくジャージ姿のソルと向かい合っている。傍から見れば完全に、スポーツマンの二人だ。命を賭けた大冒険を控えているようには到底見えない。
「そりゃあもちろん、体力測定をするためだよ。護衛するにも、鍛え上げるにも、君自身の性能をきっちりと把握してかないと」
「ソルほどの傭兵だったら、ステータスオープン――もとい、観察眼でわかったりしないの?」
「そりゃあ、相手の能力を読み取る魔法や異能もあるけどね? 僕は弱いから、ただの数字や漠然とした感覚だけで判断したくないんだ。きっちりとヒロトがどこまで動けるのかを把握したい」
「なるほど、それは確かに」
ソルの説明に、大翔は納得したように頷く。
仮に、ゲームのように相手の性能を数字やスキル説明などで読み取れたとしても、実際に相手がどれだけ動けるのかは別の問題だ。無論、実力の彼我を見定める参考にはなるだろうが、共に冒険する仲間が相手ならば、実際に動きを見て判断した方が早いだろう。
「わかった。怪我をしない程度に全力でやろう」
大翔という人間は納得さえしてしまえば、すぐに動き出せる性格の持ち主だ。
ソルの指示の下、順調に体力測定をこなしていく。
元々、運動部に所属していたおかげか、スポーツジムの器具を扱う動きに戸惑いはない。時折、使い方のわからない器具も、ソルに使い方を教えて貰えばすんなりと使いこなした。
どうやら、大翔は一般人という範疇の中ではあるが、十分体を動かせる人間らしい。
「……ふぃー、こんなもんかな」
「ご苦労様、ヒロト。うん、僕が思っていたよりもずっと動けるね、君は。いやはや、これは嬉しい誤算だ」
「まぁ、これでも俺は運動部だったからね。この程度は余裕さ」
一時間後、体力測定は滞りなく終了した。
日頃運動を欠かさない、部活動ガチ勢の範疇に入る大翔の運動性能は、ソルの目からしても悪くないものだった。
特に、反射神経と敏捷性に関しては、ソルが考えていた想定を大きく上回っている。
「これなら、多少の無茶をしても大丈夫そうだ」
「えっ?」
従って、ソルは考えていた修行プランを大幅修正し、更に過酷なものへと更新することにした。もちろん、大翔は頑張った分だけ修行が過酷になることなど聞いてはいない。
「あの、無茶ってどれくらい?」
「大丈夫、死なないから」
「命の保証が最初に来るレベルの修行なの!? え、怖いんですけど!?」
「大丈夫、死なせないから」
「さらに物騒な言葉に変わっている!? 待って! 修行イベントの始まりって、こんなに恐怖を覚えるものだったの!? 今までごめん! ヘタレてないでさっさとやれよ、と思っていた少年漫画の主人公たち!」
朗らかに告げるソルから、じりじりと距離を取り始める大翔。
まるで漫画やアニメの如く、巨大な大百足を一振りで討伐する剣士の修行だ。一般人の大翔からすれば、嫌な予感しかしない。むしろ、死なないと保証されているのに、死の予感しかしなかった。恐らく、肉体的には死ななくても、精神的には何度か死ぬ類の修行が待っていると察しているのだろう。
「う、ぐぐぐ……死なないための修行なのに、精神的に死ぬかもしれないという矛盾……」
せめて、丸一日ほど覚悟を決める時間が欲しかった大翔だが、今更そんなヘタレたことを言うのもどうかなぁ、という自尊心もあった。
『《大翔、私が保証しましょう。貴方ならばきっと……いいえ、絶対に大丈夫です》』
「シラノ……」
しかも、相棒であるシラノから背を押されたのならば、もはや躊躇っている時間などはない。そんなものは必要ない。
「わかった、わかったよ。やるさ、ああ……やってやる! どんなに厳しい修行でも……いやでも、物理的に無理な場合は本当に無理だけど! とりあえず、言われたことは全身全霊でやり遂げてやるさ!」
大翔は情けない本音を混じらせながらも、威勢よく啖呵を切る。
「いいね、勇者らしい。鍛え甲斐があるじゃないか、ヒロト」
その啖呵を受けて、どこか嬉しそうに頬を緩めるソル。
なお、この問答の結果、ソルの期待値と共に、更に修行の過酷さが上がったことを、大翔は知らない。




