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第118話 雪解けは涙のように

 大翔には救済の権能がある。

 晴嵐燕という超越存在として君臨した影響であり、その残滓。

 恐らく、多数世界でも唯一と断言していいほどに希少な権能。

 超越存在を本来の生命体へと回帰させる力を持っている。

 ただし、当然ながらそれはノーリスクの力ではない。

 権能を施す対象が抵抗したのならば、失敗する可能性は高くなる。

 基本的に救済とはそれを求めている対象に与えるべき物であり、無理やり押し付けるべきではないという大翔の価値観からの脆弱性だった。

 その代わり、対象が積極的に救済を受け入れるのであれば、超越存在であろうとも十全に効果を発揮させることが可能な力だ。


 では、同意の下に超越存在を救済することはノーリスクなのか?


 ――――そんなわけがない。


 本当にノーリスクだったのならば、ここまで大翔が苦労することは無かっただろう。

 仮に冬の女王を、ゲームを経ずに救済した場合、冬の女王本人である美冬が語っていた通り、音無真白が冬の魔王として顕現する危険性があったのだ。

 夜鯨の本来の姿であったクーラは穏やかな個体だったが、それは幸運に過ぎない。

 超越存在にまで成り果ててしまう生命体は、元の姿に回帰しても危険すぎる力を所有していたり、思わぬ厄ネタを発生させる可能性が高い。

 救済の権能が通ってもなお、そこまでの危険性を持つのが超越存在なのだ。

 関わるだけ損をするという警句は伊達ではない。


『それは、愛するには愚か過ぎるぞ、救済の勇者』


 無論、陽光の乙女も例外ではない。

 救済を行おうとすれば、確実に厄ネタに巻き込まれる。命の危機ならばまだマシ。高い可能性で複数の世界の存亡にかかわる問題が発生してしまう。

 そういう覚悟をするべき相手だ。


『というか、正気か? 明らかに対価が釣り合っていない。こちら側が得をし過ぎる……いいや、そういう問題ですらない。自殺行為を超越して、自ら地獄に突っ込むような愚行だぞ?』


 従って、大翔の提案は化身にすらドン引きされていた。

 それはもう、ペストマスク越しからでもわかるほどのドン引き具合だった。

 どうやら、陽光の乙女の化身といえども、稀代の馬鹿を相手にすると流石に動揺してしまうらしい。


「馬鹿で結構! それでも俺はやると決めた!」

『えぇ……もっとお得なプランがあるぞ? 確かにこの対価は、本体が聞けば今すぐ飛び込んできそうなほど、お前を愛するだろうが……化身であるアタシとしてはこう、お前をそこまでの地獄に突っ込ませるのは躊躇うんだが?』

「心配してくれてありがとう! だけど、俺はやり遂げて見せるさ! まぁ、自分の世界を救った後の話になるから、そこは順番待ちしてもらわないとだけど!」

『笑顔で決意が固い……』


 一方、大翔の方は揺るがない。

 化身がドン引きして止めるほどの提案をしているというのに、冷や汗一つ流していない。

 けれども、何も理解していないわけでは無かった。むしろ、提案している大翔自身が何よりも理解している。

 冬の女王の救済ですらここまで大変だったのだから、陽光の乙女もかなり苦労するのだろうと。

 最悪の場合、世界を救った後に余計な火種を持ち込むことになるかもしれないと。

 それを――起こりうる地獄を全て予期していながら、それでもこの提案を下げようとしないからこその大馬鹿野郎なのだ。


『何故、そこまでしようとする? 救済の勇者よ、お前の行動は不可解だ』


 故に、化身は大翔に訊ねる。

 わざわざ重すぎる対価を差し出そうとする理由は何なのかと。

 音無真白を呪いから解き放つことを目的としているにしては、あまりにも不合理すぎる行動だろうと。


「そんなにおかしいことかな?」


 ただ、大翔の態度は変わらない。

 親しい友達と言葉を交わすように、対等な笑みを化身へ向ける。


「助けられる『知り合い』に手を差し伸べるのが、そんなにおかしいことかな?」

『――――は?』


 そして、大翔が笑みと共に告げた答えに、化身は絶句した。

 数多の邪悪、憎悪、悲劇、悍ましい惨劇すらも愛して来た化身が、あまりにも傲慢すぎる答えに絶句してしまったのだ。


「いや、俺は君とは別の化身に聖火の使い方を教えてもらったんだけどね? そのおかげで随分と冒険では助かったんだよ。だからまぁ、何か機会があったらこのお礼をしたいなぁと思っていてさ」

『は?』

「そうしたら、陽光の乙女を召喚する機会があったから、ついでに陽光の乙女も救っておこうかと」

『……ついで? 陽光の乙女の救済が、ついで?』

「そうだよ。優先順位は音無さんや自分の世界の方が優先だけど、やることやったらついでに救いに行くよ。そっちの方が後顧の憂いなく過ごせるからね!」

『は、ははっ』


 大翔のあまりにもな物言いに、化身はもはや乾いた笑みしか出てこない。

 ある程度の理解はしているつもりだった。見透かしていたつもりだった。

 だが、違う。

 佐藤大翔という勇者は、化身の――否、本体である陽光の乙女ですら見通すことができないほどに大馬鹿野郎だったのだ。


『ああ、まったく』


 だからこそ、化身は観念したように肩を竦める。

 超越存在は都合よく利用できない。

 超越存在とは関わるだけ損をする。

 その警句を信じることなく、絶望を噛みしめることになった愚者を、化身は何度も見て来た。その末路を愛して来た。

 だが、大翔は違う。

 こんな大馬鹿野郎は初めてだった。

 超越存在を利用するどころか、単なる『ささやかな善意』で救済しようとしてくる奴は、後にも先にもこいつだけだろう。


『完敗だ、佐藤大翔』


 故に、化身は本体の代わりに敗北を告げた。


『お前みたいな大馬鹿野郎は、流石に愛せない』


 愛するべき弱者ではなく、対等以上の救済者として認めたのだった。



◆◆◆



 音無真白は状況を正しく理解できていない。

 絶え間なく続く頭痛と、時折、火花の如く差し込まれる記憶。この仮想世界では存在しない、けれども魂に刻まれた記憶の想起に、真白の精神力はそろそろ限界だった。

 故に、真白が大翔と化身のやり取りを聞いて理解したのは一つだけ。


『では、アタシたちがまず契約を履行しよう。化身たるアタシを端末として、本体の力をこの場に顕現させてやろう』


 どうやら自分は、とんでもない取引の結果、助かることになったらしい。

 正直、不安やら申し訳なさやらで色々と大翔に事情を聞き出したいところだが、今の真白にはそれも難しかった。


「大丈夫、大丈夫だよ、真白……きっと、もうすぐ良くなるから」


 ぐったりと脱力している真白の肉体を、美冬が優しく抱き支えている。

 魔人として真白を攫おうとしていたはずの相手が、今は真白を必死に励ましている。

 その事実に、真白は『訳が分からないことだらけだ』と呻いていた。

 けれども、一番訳が分からないのは、美冬と接していると安堵を覚えてしまう自分自身だ。

 美冬に抱き支えられていると、何も怖くなくなってしまう。

 そう、明らかに異常な力を持った化身に指先を向けられても、何とか逃げずに受け入れる心構えができる程度には。


『さぁ、悲しき冬の呪いよ――雪解けの時期だ。観念して、春を受け入れるがいい』


 そして、真白は化身が放つ暖色系の光に包まれた。

 紅蓮の如く目を焼くような光ではなく。

 春の木漏れ日の如く、柔らかく雪を解かすような光が、真白の心身――魂すら優しく包んでいく。


「――――あ」


 直後、真白は実感した。

 自らの体の奥の奥。魂と呼べる場所が、凍てついた何かが、柔らかく解けるように温められていくことを。

 さながら、冷たく凍えた手をぬるま湯に付けた時のように。

 じわじわと、当たり前の感覚が魂に戻っていく。

 冬の権能と共に魂に紐づけられていた呪いが解かされ、普通の人間の物として再構成されていく。


「あ、ああ」


 再構成されていく中、真白は正しく記憶を取り戻す。

 この仮想世界に顕現した再現体としての記憶ではなく、遠い昔、現実世界を生きていた音無真白の記憶が蘇る。


 孤独と疎外感。

 世界を滅ぼしてしまいそうな、冷たい絶望。

 そんな絶望の中、唯一温かいと感じることができた居場所。

 九重美冬。

 最愛の親友との記憶を、真白はようやく思い出す。

 情けなくも失敗した、己の最後の記憶と共に。


「う、ううっ」


 陽光に包まれながら、真白は苦悶する。

 羞恥、後悔、喜び、様々な感情がぐるぐると体を駆け巡り、そのもどかしさに体をよじらせてしまう。


「ねぇ、本当に大丈夫!? 音無さんが辛そうなんだけど!?」

『安心しろ。あれは心身に害がある奴ではなく、単なる『思い出し羞恥』という奴だ』

「ああ、そういう。俺もあるよ、どうやったら女子に嫌われずにエロいことができるか四六時中考えていた中学生時代とか、今思い出すと変な声が出ちゃいそうになるもん」

『まー、概ね間違っていないな』


 真白の様子を眺めている大翔と化身が、随分と勝手なことを言ってくるので、真白は苦悶しながらも「一緒にしないでくれる!?」と叫んだ。

 どうやら、怒りのあまり気力を取り戻したらしい。


「ま、真白!? 大丈夫!? ねぇ、大丈夫!?」

「美冬、落ち着いて。私は大丈夫だから」


 なお、真白を抱える美冬は焦燥している。

 頭では大丈夫だと理解していても、感情はついていかないらしく、何度も真白の肩をゆすって安否を確認していた。

 今にも泣きそうな顔で、必死に真白へと呼び掛けていた。


「本当に!? ねぇ、本当に!?」

「本当よ。まったくももう、『相変わらず』心配性ね?」


 そんな美冬を落ち着かせるように、真白はゆっくりと体を起こす。

 体を包んでいた暖色系の光は、もう見えない。


『うん、我ながら完璧な解呪だ。安堵するがいい、冬の呪いを受けていた者よ――もう、冬の魔物がお前を苛むことは無い』


 告げられる化身の言葉は、多数世界でも類を見ないほど正しく安堵できる保証だ。

 超越存在による解呪は、万が一の失敗すら起こらない。

 冬の魔王が遺した呪いは焼き滅ぼされ、冬の権能は解かされた。

 故に、今の真白は何の力も持たない。

 何の災厄も起こさない。

 ただの、どこにでもいるような一人の少女である。


「美冬」


 そう、ただ一人の少女として、真白は美冬と向かい合う。

 体を起こして、一人で立ち上がって、唇を震わせる親友と向かい合う。

 けれども、数秒間だけ真白は悩む。

 今更、何て言葉を紡げばいいのかと悩む。

 謝ればいいのか。

 喜べばいいのか。

 何かもっと相応しい言葉があるんじゃないかと悩んで、しかし、視界の端に映った大翔の姿を見て、小さく苦笑する。

 あんな勇者も居るぐらいなのだから、今更、自分が何を言おうともきっと恥ずかしいことなんてないだろうと笑って。


「久しぶり、元気だった?」


 当たり前の言葉を美冬に告げた。

 ごく普通の高校生同士のように、再会の言葉を告げた。


「…………馬鹿」


 美冬の頬には、雪解けのように涙が流れて――けれども、浮かべた笑みは春の日差しの如く温かい。

 つまりは、二人の少女はようやく、長い長い冬を越えることができたのだった。

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