第116話 きっとありふれた冴えない答え
頭が痛い。
九郎は戦いながらも、思考の大半は痛みに向けられていた。
「権能の使い方もろくに知らない君は、さっさと退場するといいよ」
九重美冬という魔人の声を聞く度に、九郎の頭痛は酷くなる一方だった。
辛うじて紅蓮の剣を手放さず、がむしゃらに振り回しているものの、それで倒れてくれるのは有象無象の雑魚ばかり。
美冬に剣が届くことは無い。
そればかりか、美冬から向けられる権能で凍えそうになってしまう。
「させない。むかつく相手だけど、知り合いが死ぬのは駄目だと思うから」
今、九郎が即死していないのは、偏に真白の守護によるものだった。
真白が権能を用いて、美冬の権能と拮抗しているのだ。
そのおかげで、九郎の実力でも辛うじて生存している。戦えている。
「…………ぐ、う」
だというのに、九郎の頭痛は酷くなるばかりだった。
「なん、だ?」
九郎は戦いながらも、己へと問いかける。
この頭痛の理由は何か? と。
美冬からの攻撃? 否、攻撃がまともに通る状況になれば九郎は即死する。そもそも、こんなまどろっこしい攻撃をする必要はない。
ならば、この頭痛は良心の呵責か?
音無真白を殺す命令を受けていることによる、良心の呵責で頭が痛むのか? 否、九郎はそこまで善性の性格ではない。退魔機関の任務で、やむを得ない理由で善人を殺したこともある。今更、世界のためにたった一人を殺す程度、我慢できる範疇のはずだ。
頭が痛む理由は無い。
病気や怪我ではない。そんな予兆もなく、そもそもそのような場合に備えて護符を身に付けているのだ。仮に外的要因で頭痛が起こったとしても、すぐさま治療されるはず。
ならば、何故?
「はいはい、油断しすぎ」
「――――っ!」
自問自答の最中、狼の形をした魔物が九郎に噛みつこうとしたところを、大翔が寸前で蹴り飛ばした。
蹴りを受けた狼型の魔物にダメージは無いが、即座に九郎が紅蓮の剣を振るったため、すぐさま消し飛ばされる。
「ほら、三上君! 陽光の乙女の権能はこう使うの!」
「づぅお!?」
そして、紅蓮の剣を振るい終わった九郎の背中に、大翔の張り手が叩き込まれた。
思わぬ方向からの衝撃に、九郎は『まさか俺をここで始末するのか!?』などと勘ぐってしまうが、特に何も攻撃を受けていない。背中に受けた張り手は、衝撃こそ強かったが、そもそもそんなに痛くなかった。
むしろ、そればかりか叩かれた部位を中心として、九郎は妙な活力が沸き上がったのである。さながら、燃え尽きの悪い炭に、たっぷり酸素を含めた風を吹き込んだかのように。
「…………これは」
九郎は活力の赴くまま、縦横無尽に紅蓮の剣を振るう。
すると、紅蓮の軌跡が幾重にも空間に刻まれ、襲いかかろうとしていた魔物たちは周囲から一掃された。
その上、紅蓮の剣を使ったというのに、九郎が受ける反動が少ない。
命そのものを薪にするような苦痛は受けない。
「わかった? んじゃあ、一緒に頑張ろうか! 具体的には君について来た退魔機関の人間がピンチだから助けてあげて」
「――――っ!」
気さくに笑みを向けてくる大翔に対して、九郎はなんと答えていいのかわからなかった。
故に、返事代わりに紅蓮の剣を振るう。魔物に食い殺されようとしていた退魔機関の人間を助けて、後退させようとする。
「三上九郎! 早く元凶を断て!」
助けた内の一人が、焦燥を滲ませて叫ぶ。
そう、そのはずだ。
九郎は真白を殺さなければならないはずだ。
それが退魔機関という組織の命令。一介のエージェントである九郎には逆らう権限がない。権限があったとしても、規則を破ることは無い。
――――何のために?
だが、頭痛と共に頭に浮かぶのは自分への問いかけ。
どうして、規則を守るのか? なんて当たり前の問いかけ。
無論、その答えは決まっている。
より多くの人を救うため。
死ななくていい人を守り抜くため。
――――救えるのか?
頭痛が増す。問いが重ねられた時、九郎の頭痛は頭が軋んでいるのではないかと錯覚するほどの激痛になった。
それでも、自身の問いかけに答えようとして、ふと気づく。
救えない。
規則を守っても、誰も救えない。
その可能性が多大に存在していることに。
「…………まさか」
口では否定しつつも、頭は動く。痛みによって凝り固まった考えが動く。
今までは退魔機関の規則こそが最善だった。
今までは規則を守ることが、最善の結果に繋がった。
だが、今は違う。
何を選んでも世界を滅ぼす可能性がある。そう、退魔機関の命令に従ったとしても。
確実なことなどは何もない。
自分で選ばなければならない時が来たのだ。
退魔機関に従うという、安易な思考停止を乗り越えて。
「ぐ、う、うっ!」
頭痛が増す。
もはや頭が存在しているのかが疑わしくなるような激痛。
それでも、九郎の動きは止まらない。むしろ、先ほどよりも更に紅蓮の剣を軽快に扱い、魔物を次々と屠っていく。
「お、れは」
激しい頭痛の中、九郎の脳裏に様々な映像がフラッシュバックする。
一人ぼっちのクラスメイト。
たった一人を排斥する人々。
終わることのない冬。
首から血を流すクラスメイトを抱きしめたまま、世界を滅ぼす怪物。
紅蓮の剣を手放して、自ら死を選ぶ自分自身。
設定ではなく、魂に刻まれた『過去』が九郎の脳を叩く。
偽りの記憶を叩き割ろうとする。
「そうだ、俺は」
強く、強く、九郎は己の頭部に拳を叩き込んだ。
紅蓮の剣を持つ利き腕の一撃でないにせよ、十分な威力を持った一撃だった。
――――パキャン。
そう、NPCとしての制限を砕くには、十分過ぎるほどの一撃だった。
「俺は今度こそ間違えない……いや、違うな。今度こそ、選ぶんだ。自分自身の意志で」
額から血を流しつつも、九郎の動きは鈍らない。
大翔と真白を守るように、二人の前に立つ。
「納得できる答えを。後悔しない答えを、俺は選ぶ」
既に、頭痛は収まった。
既に、覚悟は定まった。
故に、九郎は――――三上九郎という人間はこの場の全てに宣言する。
「九重美冬。俺は今度こそ守る。全てを守る。音無真白も、この世界の人々も、そうなってしまったお前も! 今度こそ、全てを守るんだ!」
それはありふれた答えだった。
起死回生の策があるわけでもなく、明確な信念に基づいた答えでもなく。
誰にでも言えるような冴えない答えだった。
だが、冴えない答えを本物にしようと足掻く者を、人はこう呼ぶのだ。
――――勇者、と。
「今更だ、今更過ぎるよ、三上君」
美冬は一瞬、目を見開いた後、乾いた笑みを浮かべた。
あまりに遅すぎる勇者の登場に、悲しみと失望を投げつけるように。
「ああ、わかっている。俺がとんでもない恥知らずだとは理解している……それでも!」
そして、遅すぎる勇者は紅蓮の剣を構え、美冬へと挑む。
美冬の中にある、凍てついた絶望を溶かすために。
◆◆◆
「なんだ、やればできるじゃん」
九郎が啖呵を切った姿を見て、大翔は感心したように呟く。
ただ、その間も大翔の動きは止まらない。真白を奪い去ろうとする魔物たちの群れを蹴り飛ばし、次々とガーディアンを召喚して安全圏を確保。
不敵な笑みを浮かべながらも、その実、大翔は一息吐く暇もないほど忙しい。
たった一手間違えれば、その瞬間から戦況は悪化の一路を辿るだろう。
「……佐藤君、ごめん。魔物たちの支配力は、やっぱりあっちの方が上。魔王としての人格に覚醒していない私よりも、魔人――美冬の支配力の方が強い」
加えて、美冬の戦力は無尽蔵だった。
もはやなりふり構っていられなくなったのか、美冬は九郎と戦いつつも、周囲に魔物を召喚し続けている。
世界各地に配置していた魔物たちを、この場に全て集めるかの如き勢いだ。
いくら真白が冬の権能を振るっても。
いくら大翔が百戦錬磨の経験を活かしても。
いくら九郎が勇者として覚醒したとしても。
圧倒的な物量の前では、起死回生の一手にはなり得ない。
「謝らなくても大丈夫だよ、音無さん。多分、そろそろだと思うから」
「そろそろって――っと、危ない!」
そして、じりじりと状況の天秤が揺らいだ結果、大翔に向かって魔物たちが殺到する。
ガーディアンの壁をぶち破って、かなり格の高い魔物たちが大翔の命を奪わんと、それぞれの牙と爪を突き立てようとして。
「大丈夫、危なくない」
炎の軌跡が、大翔を襲おうとしていた魔物たちを全て焼き払った。
けれども、それは九郎の技ではない。九郎は今、美冬と戦うだけで精いっぱいだ。
故に、この場に現れたのは当然、別の炎使い――否、魔剣使いの騎士である。
「大丈夫じゃないわ、馬鹿。私が戻って来るのが遅れたらどうするつもりだったの?」
魔剣使いの騎士――イフは、主である大翔を守るために剣を振るう。
その鋭さは九郎よりも遥かに上。疑似聖火による代用であろうとも、冬の権能によって誕生した魔物相手ならば、イフの魔法剣は無類の強さを誇る。
「でも、来てくれたでしょ?」
「馬鹿。超馬鹿」
「あははは、ごめーん! それと、他の皆は大丈夫そうだった?」
「…………ええ、どこかの馬鹿が魔物たちをたくさん引き付けたから、その分の隙で突破することができたわ」
大翔からの信頼に、釈然としない表情を向けつつも、イフは上を指示した。
美冬が君臨する灰色の雲よりも遥かに上空。
蒼穹よりも更に上。
限りなく暗黒に近い大気圏外に待機していた――――黒剣の勇者を。
「吹き飛べ」
その声は宇宙空間であるが故に、誰にも届かない。
けれども、そこから振るわれた一撃は音よりも雷よりも早く、美冬の下へと到来した。
「―――づぅ!?」
とっさに美冬は最大の力を込めてその一撃を拒絶するが、それ以外は間に合わない。
敵対者を打ち払う、黒の一撃。
最強の傭兵にして、勇者同盟の最大戦力の一閃は、灰色の雲ごと魔物たちを一掃していた。
「お待たせしました、大翔」
そして、青空となった空間に、幾つもの転移ゲートが開く。
銀髪碧眼の少女――シラノを先頭として、数多の勇者たちがこの場に姿を現したのだ。
そう、アレスという絆の勇者の権能により、最大限に強化された状態で。
「少々遅れましたが、予定通り『この場以外の魔物の掃討』を終えました。大規模結界を世界規模で張り巡らせたことにより、魔物を再召喚することも不可能でしょう」
シラノが語る言葉は真実だった。
美冬が大翔や真白に注力している間、既に勝敗は決していたのである。
そう、無尽蔵に魔物が出現するのならば、その出現範囲を最初から限定させればいい。そして、最終的にはそこに戦力を集中させ、出現し続ける魔物を殲滅すればいい。権能によって強化された今の勇者同盟ならば、問題なく実行可能だ。
これは真白の問題を知る前から予定されていた計画であり、大翔たちがゲームクリアを目指すために予め用意していたものである。
だが結果として、それがこの場に於いて最大限の保証となった。
「お膳立ては済ませましたよ、相棒?」
「流石だぜ、相棒」
シラノと大翔は慣れた様子で笑みを向け合う。
魔物たちは全て消し飛んだ。
退魔機関は威圧されて動けない。
九郎は動く理由はない。
真白は目を丸めて、大翔とシラノのやり取りを眺めている。
「…………」
そして、冬の女王である美冬は観念したように沈黙した。
従って、この場に於いて発言権があるのはたった一人。
「さぁ、この辛気臭い悲劇をぶち壊そうか!」
仮想世界も、ロールプレイングゲームも関係なく。
美冬が待ち望んだ答えを持つ、大翔だけだ。




