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第112話 冬の女王

 一人の少女を紹介しよう。

 名前は九重ここのえ 美冬みふゆ。当時は十六歳。高校一年生。

 背丈は平均よりも少し大きい程度。痩せ気味だけれども、胸の大きさは平均を上回っている。

 大きな瞳と凛々しい顔つきに反して、その挙動はどんくさい。何もないところで自分の足に躓いて転ぶのなんて序の口。うっかり他者にぶつかって謝った回数は百よりも先からは数えていない。

 性格を知らなければ、黒髪セミロングの格好良い女子に見えるかもしれないが、美冬は普段から奇行が絶えないドジっ子だったので、その外見に騙される者はほぼ皆無だった。


 さて、そんな美冬であるが、実は特別な力を持っている。

 科学優勢であり、一般人の大半は魔法や異能という非日常的な存在すら認めていない。そんな世界で、美冬は非日常側に属していたのだ。

 そう、異能者という非日常に。

 ただし、美冬が所持している異能は炎を操ったり、肉体を強化するような分かりやすい代物では無かった。


 ――――封印。


 美冬が定めたあらゆる対象を封印する。

 それが美冬の持つ異能の効果である。

 例えば、対象の技能を。

 例えば、対象の敵意を。

 例えば、対象の異能を。

 美冬がそれを認識することさえできれば、まるで幼子を寝かしつけるかのように、あらゆるものを封印することが可能だった。

 紛れもなく、概念クラスの異能だった。

 しかし、美冬はあまりこの異能が気に入っていなかった。


「全然普段使いができないし、なんか相手の足を引くようなことしかできないのはちょっと」


 この異能を気に入るには、美冬という少女はあまりにも善良だったのである。

 従って、美冬は異能を自覚したその時から、あまり封印の力を使おうと思わなかった。

 月に一度使えば頻度は高い方。

 半年の内に一度も使わないことだってあった。

 こんな異能なんて要らない、と拗らせるほどに異能を嫌っているわけではないが、『この力って具体的に何の役に立つの?』と首を傾げることもしばしば。

 美冬という少女は、異能者でありながら自分自身の異能を『無用の長物』として扱っていたのである。

 ――――とある一人の少女と出会うまでは。


 その少女は、強すぎる自身の異能に悩んでいた。

 まるで神の如き絶大なる異能の力。

 何物も凍り付かせて、瞬く間に一つの街を絶対零度の世界に帰すことも可能な異能。

 冬の権能、とすら呼ばれた力を持っていたのだ。

 少女の体には大きすぎるその力は、時折、暴走として周囲を無差別に凍り付かせようとする。少女はそれが嫌で、望んで周囲から孤立することを選んでいた。


「そんなの、寂しすぎる」


 けれども、美冬はそんな少女の在り方が気に食わなかった。

 少女だけではなく、少女を取り巻く環境も嫌いだった。

 だからこそ、生まれて初めて、積極的に封印の異能を行使しようと思ったのだろう。


 結論から言えば、美冬の異能で少女の権能を封印することは可能だった。

 一時的に、という注釈は必要だろうが、そうだとしても美冬が少女の権能を封印したのは事実。

 一人の少女を、やむを得ない孤立から救おうと思ったのも、また事実だ。


「ほら、言った通り。私は凍らないし、凍らせないよ。私が隣に居る限り、貴方には何も殺させないから」


 美冬は少女へと手を差し伸べて、少女はその手を取った。

 自ら孤立を選んだ少女は、救いを受けてなお、その手を拒絶できるほど異常な精神性は持ち合わせていなかった。

 それも当然。

 その少女は所有する異能こそ、神の如きものではあるが、少女自身はただの女子高校生。

 どこにでも居るような、普通の女子高校生だったのだ。

 故に、少女は美冬の手を取ったのである。

 普通に、当たり前に、その手の温もりが恋しかったから。


 美冬は少女と共に過ごすようになった。

 少女と出会ったのは暑苦しい季節だったけれども、美冬は少女と度々手を繋ぐことを好んでいた。

 自分の体温を伝えるために。

 少女に、一人ではないと告げるために。

 このまま何事もなく過ごせれば、どれだけ幸せな物語だっただろうか?




「い、嫌だ! 誰かっ! 誰か、助けてくれ!」


 最初は至る場所で悲鳴が響いて。


「…………だ、れ、か」


 次は、真っ白な世界でかすれた音が聞こえて。


「――――」


 最後に何も聞こえなくなった。


 それは、世界を浸食する冬の災厄。

 古代より続く、冬の魔王の呪い。

 灰色の空から降る雪は、人類からあらゆる抵抗を奪い去って。

 灰色の空から降る魔物は、生き残った強者たちを狩り尽くしていく。

 どれだけ抗っても、どれだけ魔物を倒しても、災厄は止まない。

 ――――たった一人の少女を殺さない限りは。


「殺せ! あの魔女を殺せ!」

「冬を呼び込む忌子を殺せ!」

「人類のために!」

「世界のために!」


 美冬にとって最悪だったのは、そのたった一人の少女が、自分の隣に居ること。

 自分の手を握って、震える少女を殺さない限り、人類が滅んでしまうということ。


「大丈夫だよ」


 けれども美冬は、最悪の中で選択した。

 誰も居なくなった校舎の隅。

 真っ白で静寂な世界を眺めながら、美冬は少女に告げたのだ。


「世界が敵に回っても、私が君を守るから」


 誓ったのだ。

 何があっても守り抜くと。

 例え、ありとあらゆる人々を滅ぼしたとしても、少女だけは守るのだと。

 それは美しい誓いだっただろう。

 世界を敵に回しても大切な者を守る。

 言うのは簡単であるが、本気でそれを行える覚悟を決める者は少ない。

 ましてや、戦う力もろくに持っていない美冬が言うのだから、その誓いは確かに美しかっただろう。

 ただし、その美しさは儚い美しさだ。



「ごめんね、美冬。私は、貴方に死んでほしくない」



 誓いを交わした三日後、少女は美冬の腕の中で絶命していた。

 自殺だった。

 自ら喉を氷のナイフで掻っ切り、手遅れになるほど血を流したのである。

 全ては、美冬のために。

 美冬が世界の敵にならなくてもいいように。


「――――あ、あああっ! やだっ! やだよっ! こんな、こんなのっ!」


 美冬が少女を想うように、少女もまた美冬を想っていた。

 自分の命を犠牲にすることを躊躇わないほどに。

 そのことを理解する頃には、少女は美冬の腕の中で冷たくなっていて。


「こんな、こんな――――こんな結末! こんな世界ぃ!」


 美冬は絶望のままに異能を行使した。

 こんな世界、全て止まってしまえばいい、という呪いを込めて。

 当然、そんなことは不可能だ。

 世界全てを封印し、止めることなどできるわけがない。


『――――ははっ! あはははははっ!!!』


 最悪の偶然が重なり合い、美冬が超越存在へと成り果てなければ。

 まだ、最悪の中でもマシな結末だっただろう。

 けれども、過去は変わらない。

 事実は揺るがない。

 これは仮想世界ではなく、現実で起こった出来事であるが故に。

 ずっとずっと昔。

 九重美冬という少女が――――冬の女王に成り果てるまでの物語であるが故に。


 だからこそ、美冬は求めたのだ。

 冬の女王は試すことにしたのだ。

 仮想世界なんて大仰なものを作ってでも。

 一つの世界の滅びを掛け金にしてでも。


「さぁ、教えてよ、勇者。私の世界には居なかった勇者。君みたいな人が居たら、この悲劇の結末は変わるのかな?」


 自分の中にある絶望は、果たして覆せるものだったのだろうか、と。

 たった一人の勇者に問いかけることにしたのだ。



◆◆◆



 ――――ぎぎぎぎぎぎぃっ!!!



 真白は木材を力任せにねじ切るような轟音に、思わず耳を塞いだ。


「なに、が……」


 放送のアラームすら掻き消すほどの音の正体を探ろうと、真白の視線は窓の外へと向かう。

 廊下の窓の外。校庭にはちょうど、何か巨大な質量が『どぉん!』という着弾音と共に、土煙をまき散らしているところだった。

 次いで、空から――結界が張ってあるはずの空から無数の魔物が落下を始める。


「――――っ!」

「下がれ、音無真白!」


 予想外の光景に真白は身を竦めて。

 その盾になるように、九郎は真白の前に立つ。


『グルルルル』


 銀狼。

 熊よりも更に二回りほど大きな銀狼が、喉を鳴らして校舎を――その中に居る、真白を見つめていた。


「あ、う」


 ただの視線。

 けれども、巨大な獣からの視線は、常人にとっては心臓を貫く衝撃にも等しい。

 無論、それは真白も同じだ。いくら冬の魔物を支配できる権能を持っていようが、それを行使するだけの余裕がなければ意味はない。


「――――我が身に宿る紅蓮よ、古き契約に従え」


 故に、九郎が覚悟を決めたのは必然の流れだった。


「来い、カグツチ!」


 吠えるように九郎が命じると、自身の右手から紅蓮の炎が生じる。

 それは栓を開けられたように一気に噴き出た後、九郎の右手に収束。一本の剣を象った。

 紅蓮の剣、カグツチ。

 これこそが、九郎が隠し持っていた奥の手――真白すら殺せる可能性を秘めた、『陽光の権能』、その一端である。


「悪いが、校舎に気を遣っている余裕は無い」


 九郎はカグツチを握ると、そのまま校舎の外の銀狼に向かって振るう。

 ――――再度の轟音。

 校舎を撒き添えにした一撃。

 廊下から校庭へと向けたその一撃は、確かに届いた。

 廊下や窓、その他障害物すら巻き込んだカグツチの剣閃は、銀狼を縦に両断していたのである。悲鳴すら上げる余地すら与えず、ほんの一瞬の間に。

 そして、両断された銀狼の肉体は、カグツチの効果なのか、紅蓮の炎に巻かれて煌々と燃え始めている。

 あれではたとえ不死の怪物であろうとも、復活することはできないだろう。


「――――っだぁ、はっ、はっ!」


 ただ、その代償は安くない。

 たった一撃。

 けれども、その一撃を放った九郎は全身から滝のように汗を吹き出し、顔色は死人のように青白くなってしまっている。

 どうやら、カグツチという権能は本来、九郎の身に余る力らしい。


「み、三上君!」

「駄目だ!」


 その有様に悲鳴を上げて近寄ろうとする真白だが、九郎がそれを制した。


「は、早く……ガーディアンと一緒に、佐藤大翔の下へ……恐らく、あれで終わりじゃ――」


 戦士としての直感が『まだ終わりではない』と告げている。

 故に、九郎は何よりも先に真白の避難を優先させようとして。



「へぇ、意外。君がこの子を守るためにその力を使うなんて」



 突如として現れた黒髪の少女によって、その心身を凍結させられた。


「こういうこともあるんだね」


 九郎は動かない。動けない。思考することもできない。

 時でも止められたかのように、凍結してしまっているが故に。


『脅威を確認しました。護衛モードに移行します』

「あはは、ごめん。邪魔かなぁ」


 黒髪の少女の前では、ガーディアンすら意味を為さない。

 無造作に振るった右腕が触れると、ガーディアンは氷細工のように砕けて散ってしまった。


「う、あ」

「あははは、大丈夫だよ。怖くない、怖くない、私は君の味方――ううん、忠実なる従僕なんだからね」


 そして、障害が無くなった黒髪の少女は、怯える真白の前まで歩いていき……そして、跪いた。さながら、忠誠を誓う騎士の如く。


「『初めまして』だね、魔王様。私は魔人、九重美冬。冬の魔王である貴方様と共に、世界を滅ぼす者です」


 黒髪の少女――美冬は、この世界に於ける役割を告げた。



◆◆◆



「…………冬の、魔王?」

「おや、忘れてしまったのかな? 記憶の継承が上手く行っていないのかな? まぁ、そういうこともあるかもしれないね」


 美冬は語る。

 自らが作り上げた仮想世界の中で、己の役割を演じるための言葉を。


「では、実際に見せてあげようか!」

「うわっ!?」


 美冬は動く。

 真白を、愛おしい少女を抱き上げて。

 慌てふためく様子を楽しみながら、虚空を駆ける。

 紅蓮の一撃で崩れ去った校舎の一角から、空に向かって駆け上がる。


「さぁ、ご覧! これらの魔物は全て君の配下! 忠実なるしもべ! 決して君を裏切ることはない! 決して君を害することはない!」


 そして、校舎の上空で高々と叫んだ。

 魔人の役割に従って、真白の正体を世界中へとばら撒くために。


「何故ならば! 君が全てこれらを生み出したのだから! 冬の魔王たる君が居る限り、この魔物たちは尽きることはないのだから!」

「――――え?」


 美冬の叫びに、真白は目を見開く。

 目を見開いて、美冬が引き起こした災厄を眺める。


 空を覆い隠すほどの魔物の大群。

 眼下では、ガーディアンを引き連れた生徒たちが必死の形相で、落ちて来た魔物たちに抗っている。傷つき、苦しみながらも――――美冬の叫びを聞いてしまっている。


「そ、そんなの――」

「嘘だと? じゃあ訊くけどね、この魔物たちが一度でも君を傷つけようとしたかな? 襲って来たとしても、その攻撃対象は君以外の相手じゃなかった? むしろ、君の命令ならなんでも従ったんじゃない? 例えば、自壊命令でも」

「…………う、あ」


 真白が抗弁しようにも、美冬の理論には敵わない。

 何故ならば、それは紛れもない真実だからだ。

 冬の権能を持つ存在。

 冬の魔物に対する絶対的な命令権限を持つ存在。

 世界すら滅ぼす力を持った、無自覚なる絶対者。

 それこそが冬の魔王――――音無真白という存在なのだ。


「う、ううあぁあ」


 そして今、その絶大なる力が暴走し始めている。

 理性と感覚によって制御されていたはずの異能は、美冬の言葉によって乱されてしまっている。もはや、真白だけでこの暴走を止めることは不可能だった。


「…………ごめんね」


 傷つき、苦しむ真白の表情を見て、小さく美冬は呟いた。

 仮想世界が滅び、ゲームオーバーの瞬間が訪れるだろうと予想したからこそ、僅かに漏れた素の言葉。

 演技ではなく、本音で告げた小さな呟き。

 けれども、今の真白にはその呟きを拾えるだけの余裕は無くて。



「謝るぐらいなら、最初からやらない方が良い。当たり前のことだろ?」



 代わりに、終わりを覆す勇者がその呟きを拾った。


「まったく、なんで進んで自分を傷つけるような真似をするかねぇ?」


 そう、美冬の腕の中から真白を奪い、しっかりと抱きかかえた大翔が。


「あ、う、うううっ! 佐藤君っ!」

「遅れてごめんね、音無さん。いやぁ、ニコラスとイフの二人に上空を任せて、ようやくここまで戻ってくることができたよ。奇襲の予想はしていたけど、俺の足止めのためだけに概念クラスの魔物を五体ぐらい寄越すんだもんなぁ。ここまで転移して来るのに大分苦労したさ」

「う、ううううっ!」


 涙を流しながら大翔にしがみ付く真白。

 その光景を目撃したことにより、美冬は密かに脳が壊れるほどの精神的な苦痛を感じていたが、今は演じている役割的に泣き叫ぶことなんてできない。

 苦痛を我慢しながら、悪役らしく意地の悪い言葉を紡ぐ。


「来たね、勇者。でも、残念! 一足遅かった! 『真白』は既に権能を暴走させてしまっている! 今更止めることなんてできない!」


 遠い昔、『こんな悪い奴が居てくれれば』と望んだ、悪役の通りに。

 愛おしい少女の再現を傷つける言葉を紡ぐ。


「世界は滅ぶ! この世界は冬に埋もれる!」

「――――はっ! それはどうかな!?」


 ならば、悪役の言葉を否定するのは勇者の役目。

 大翔は意図せず、美冬が望んだとおりの、絶望を覆す言葉で真白に語り掛ける。


「音無さんを甘く見るなよ! この状況からでも上手いこと音無さんなら、多分きっと! 良い感じに力をコントロールすることができるわぁっ!」

「えっ? あの、佐藤君? それはちょっと、難し――」

「できる!」

「あの」

「できる!」

「…………じゃあ、やるけど」


 ただ、それは美冬が考えていた少女漫画チックな浪漫溢れるような言葉ではなくて。

 明らかにゴリ押し感が溢れる説得だったけれども。


「やるけど、手伝って」

「それはもちろん。全身全霊で君の役に立ってみせるさ!」

「……最近わかったけど、佐藤君は割と勢い任せの馬鹿野郎ね?」

「ありがとう! 相互理解が深まって絆の力が強化されたね!」


 二人で手を重ねて、共に絶望に抗おうとする姿はまさしく、美冬が――冬の女王である美冬が望んだとおりの光景だった。




 かくして、災害対策委員会を襲った未曽有の大襲撃は終わった。

 方向性を定めた力の暴走により、魔物の大群は全て真白によって消し去られて。

 その好機を逃さず、ニコラスが結界を敷き直したことにより、危機は去ったのだ。


「素晴らしいよ、勇者。でも、ここからが本当のロールプレイングゲームだ。是非とも、私の絶望を覆して欲しい」


 最後に、ゲームマスターである美冬が不吉な言葉を残して。

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