第111話 共同生活
大翔は仲間たちと無事に合流を果たすことができた。
イフは亡霊騎士としてではなく、仮初の肉体で受肉した人間として。
聖火による浄化の剣技は使えなくなったが、ニコラスの協力により、聖火を再現した炎を操ることにより、冬の魔物たちには特攻の力を有するようになった。
また、受肉をしたからと言って戦力は特に低下せず、騎士として十全の動きを発揮できる性能だ。
一方、ニコラスは心身ともに変わらず、ほどんと冬の女王による干渉を受けることなく、仮想世界を動き回ることができていた。
クーラのリソース全放出のお陰なのは間違いないが、ニコラスは元々卓越した技術を身に着けた魔術師である。
多少のデバフを受けようとも、脳内にある知識が健在である限りは、すぐさまその弱体化を解除することも可能だったのだ。
ただ、シラノはまだ大翔の下に辿り着けていない。
ラジオによる通信も、精々が一日に数分間繋がるかどうか。
シラノの千里眼の異能は衰えてはいなかったものの、冬の魔物が跋扈している影響で通信魔術の精度が落ちてしまっている。
だからこそ、シラノは自らの合流よりも先に、ニコラスとイフ、二人の護衛を派遣することを選んだ。
ろくに通信もできない環境に飛び込んでしまえば、その分、島国の外側で大活躍を続ける勇者同盟の動きにも支障が出てしまう。
世界各地で大量発生する冬の魔物を駆逐するためには、まだまだシラノの千里眼が必要だ。
絆の異能を持つアレス同様、冬の魔物に対する駆逐を速やかに実行するためには、シラノを大翔の下に行かせるわけにはいかない。
従って、とりあえずは二名。
大翔の安全を確保するため、気心の知れた仲間を派遣することになったのである。
「おいおい、随分と集中的に弱体化を受けたじゃねーか、馬鹿ヒロト。出会った頃を思い出す有様だぜ……まぁ、だからこそ、今度は俺がお前を背負ってやる番だ」
たった二人の仲間が派遣された程度で何かが変わるのか?
大翔とその仲間たちを知らない者は、そのように疑問を抱くかもしれない。だが、その疑問もニコラスが行ったあらゆる仕事を知れば、すぐに解消されることになるだろう。
「まずは、お前が動きやすいように余計な心配事を失くすぞ」
ニコラスは大翔と合流してからすぐに、学校を起点として広大な結界を敷いた。
疑似聖火と同様に、冬の魔物たちに対して特攻の能力を持つ結界だ。
一部の最上級の魔物でなければ、この結界に触れただけですぐさま蒸発してしまう。それほどまでの高度な結界を張った後は、ろくに休憩もせずに出撃。
滅亡級の魔術の発動により、軽々と上空を多く灰色の雲――冬の魔物たちを生み出す元凶を焼き払って周り、安全圏の確保に尽力したのだ。
「マスター、自由に動いて良いわ。どこに行こうとも、必ず私が守るから」
そして、ニコラスが灰色の空を焼き払っている最中、イフは主に大翔と真白の下で護衛を行っていた。
二人が市街地に救助活動に向かう時も。
街の外部から二人の下へと、概念クラスの力を持つ魔物が現れた時も。
イフは平然と脅威を斬り払い、焼き滅ぼしていた。
「そもそも、この程度の相手なら苦戦しないし」
元々強かったイフだが、天涯魔塔の冒険を経て、その強さは格段に磨きがかかっていたのである。
故に、今のイフならば英雄クラスはおろか、魔王クラスと戦うことになっても負けはしない。主である大翔と、重要人物である真白を守り抜くぐらいの実力はあった。
ニコラスとイフ。
この二人のお陰により、冬の魔物の巣窟となった国家の中であっても、何事もなく安全圏を築き上げることができたのだった。
ただし、誰もが目を見張るような活躍をしようとも、ニコラスとイフはあくまでも部外者だ。冬の魔物たちを駆逐し、安全圏を確保してくれた存在であっても、学校や近隣住宅からの不信と畏れは避けられない。
その上、二人はコミュニケーション能力が尖りまくっているタイプの人間なので、あまり大人数の前で演説をかますのは向いていない。
以上の理由により、突然の災害に混乱する生徒たちや近隣住民を纏めるのは、大翔の役割となったのである。
「大丈夫です、皆さん! 我々勇者同盟には、奴らに対抗するだけの実力があります! 奴らが近づけない拠点も作りました! 慌てず騒がず、我々の指示に従って動いてください! 焦らなくても大丈夫です! 物資も空きスペースもまだまだ余裕があります!」
仲間たちと合流したことにより、大翔の気力は限界を突破するほどに漲っていた。
肩には仕事を果たしたような面で絡む黒猫を乗せて。
左手で、他の誰かに任せるにはデリケートな事情を抱える真白の手を引いて。
背後には黒服のボディガードよりも迫力がある、甲冑姿のイフを控えさせて。
ありとあらゆる場所を駆け巡り、人々の避難誘導や救助活動を行って見せたのである。
「ひ、大翔の奴……秘密組織の一員だったのか?」
「佐藤、奴は一体……」
「いや、そんな疑問よりも! もっと大切なことがあるだろうが!」
「そ、そうか! 大翔がどれだけ凄い奴だったとしても……一人だけ働かせるわけにはいかないよなぁ!」
「はっはぁ! よくわからない経歴程度で、俺たちの友情は崩れねぇ!」
そして、大翔が動けば周りも動く。
最初は大翔の友達。その少し後にはクラスメイト全員が。やがて、『動かなくては』という感情の波は生徒全体にまで伝播していき、最終的には大翔の指示の下、避難誘導や救助活動を行う組織が立ち上がったのである。
大翔の人望と行動によって生み出された、ささやかで偉大な善意を持った生徒たちの組織。
それが災害対策委員会だった。
故に必然と、その組織のトップは大翔になる。
むしろ、大翔でなければならない。仮に大翔よりも優れた大人や、退魔機関の人間が赴任しようとも、その組織が従うのは大翔の指示だけになるだろう。
何故ならば、災害対策委員会に属する誰もが知っているからだ。
「皆、皆ぁ! ありがとう! 皆の力でこの災害を打ち破ろう!!」
大翔ならば、どんな状況でも何とかしてくれるだろうと。
不思議と、生徒たちの誰もが大翔に対してそんな希望を抱いているからこそ、災害対策委員会は存続しているのだ。
そして、災害対策委員会が立ち上げられた手から数日後の夜。
「…………予想以上に忙し過ぎて、『冬の魔王』について考える暇がない件について」
「このウルトラ馬鹿」
大翔は寝床で横になりながら、静かに現状を反省していた。
やべぇ、調子に乗って頑張り過ぎてしまった、と。
「いやでも! 仮想世界だったとしても人が死ぬのは嫌じゃん!?」
「勝負に負けたら、お前の世界が滅ぶけどな?」
「うぐっ……それはまぁ、はい。優先順位は間違えないようにするよ」
大翔の寝床があるのは、拠点内にある教室の一つだ。
教室の床にマットレスを敷き、横になっているのである。
組織のトップにしては清貧が過ぎる寝床ではあるが、他のベッドやもっとまともな部屋などは病人や怪我人が使うようにしているのだ。
それは大翔もまた例外ではない。
護衛としてニコラスが付く以外は、他の生徒と同じ待遇なのだ。
なお、本来の護衛役のイフは性別の関係で、真白の下に派遣中である。
「優先順位は間違えない、ね」
「なんだい、ニコラス。その含みのあるにやけ笑いは?」
「いいや? 確かに優先順位は間違えていないかもしれねぇな。何せ、お前はもう『冬の魔王』に関して当たりは付けているんだろう?」
「…………」
「ちなみに、俺もお前と同意見だ。つーか、流石にあれは露骨すぎるだろ」
寝床で横になる男子二人。
大翔とニコラスは、防音と覗き見防止用の結界の中で言葉を交わし合う。
近所のコンビニの品ぞろえを語るような口調で、世界の命運について話し合う。
「力の系統が似すぎている。ましてや、要訣を掴んだ結果があれだろ? もうビンゴでいいんじゃねーの?」
「…………かもしれない。だけど、それはそれで単純すぎる」
「ああ、捻りがないって?」
「うん。冬の女王の性格はクーラから聞いているけど、望んでいる答えは明らかに違うと俺は考えているよ」
それは危機に慣れ親しみ過ぎた者たち故の会話。
気軽に、けれども正確に、誠実に。
現状と向き合い、活路を見出すための話し合いだ。
「だから俺は彼女を――――音無真白を殺さない」
そして、話し合いの結果、大翔が出した結論にニコラスは文句も反論も言わない。
ただ、にやりと魔術師らしく不敵に笑って見せた。
いつも通り、リーダーである大翔の馬鹿を『仕方ない』と受け入れる時と同じように。
◆◆◆
真白の眼前には、巨大な熊が居る。
真っ白な毛皮の熊であり、後ろ足で立ちあがると三メートル以上の威容が見える。
周囲は雪に埋もれた住宅街の路地。
急いで逃げ出すには足場が悪すぎる。そもそも、人間は速度で熊には勝てない。
まさしく、絶体絶命の危機を具現化したような光景だ。
「……ふっ」
けれども、今の真白にとってはそんな熊――冬の魔物などは恐怖に値しなかった。
その理由は二つある。
『脅威を確認。護衛モードに移行します』
まず一つ目は、大翔が真白に与えた『ガーディアン』という機械人形だ。
外装はSF映画に出てくるような、重装甲のボディーアーマーを纏う人型。両手には、真白一人がすっぽりと入るような長方形の盾。
全体的には黒を基調とした色の姿であり、何も知らなければコスプレをした成人男性だと勘違いするかもしれない。
だが、その中身のほとんどは機械。
大翔がニコラスから受け取った資材で組み上げ、『とりあえず動けばいいな』とばかりに完成させたら、思ったよりも性能が良かったアーティファクトの一つである。
攻撃能力には欠けるが、この『ガーディアン』は概念クラスの異能を無効化し、殲滅級の魔術までなら護衛対象をきっちり守るほどの護衛性能を誇っている。
まさしく、重要人物である真白を守るにはうってつけのアーティファクトと言えるだろう。
「大丈夫、ガーディアン。私に任せて」
そして、二つ目の理由は、今から真白が証明する。
「【――――崩れろ】」
真白はガーディアンの背後から、静かに白熊へと滅びの言葉を告げる。
『ゴ、ア』
すると、冬の魔物である白熊は、小さく呻くように一鳴きすると、その肉体をぼろぼろと崩し始めた。まるで、雪だるまが砕けたかのように。白熊の肉体は真っ白な破片になって散らばり、最後には雪すら残ることなく、光の粒子となって消え去る。
「ふふん……と、いけない。残敵確認。残心を忘れず」
真白はその様子を得意げに眺めていたが、しばらくして大翔からの忠告を思い出したのか、慌てて周囲へと視線を向け始めた。
その様子を眺めていた者たち――――救護班の生徒たちは、真白の戦果に歓喜の声を上げていく。
「さっすが、副委員長!」
「あの恐ろしい魔物を一発だなんて!」
「そうか、大翔と音無さんはこの時のために!」
「クラスメイトが実は凄い奴だった、っていう展開は燃えるよね!」
先ほどまで、冬の魔物の襲撃に怯え切っていた生徒たちは、安堵したように真白に向けて賞賛の言葉を向けていた。
無論、言葉を向けられている真白としては、その半分ぐらいはお世辞が含まれているのは理解している。もう半分は、素直な感謝の気持ちだということも。
「皆、捜索を早めよう。変だと思ったらすぐに私の後ろに」
「「「了解っ! 副委員長!!」」」
真白は毅然とした気持ちで顔を引き締めて、素っ気なく周囲の生徒たちに命じる。
人に命令する立場に慣れることはない。
いつだって真白は、こういう時、『文句を言われたらどうしよう』と怯えている。
しかし、真白の臆病な予想とは異なり、生徒たちは元気よく返事をした。誰も、真白の命令をきっちりと受け取り、尊敬と共に活動を始めている。
素早く周囲を探索し、住宅街の生き残りを探し始めている。
「…………ふぃー」
その様子に、真白は小さく安堵の息を吐いた。
災害が起こってから、初めて大翔と離れてからの救護活動だったが、真白は初心者なりに上手く、副委員長として行動していた。
「…………」
死角から向けられる、退魔機関の人間――三上九郎からの視線にも気づかずに。
真白はニコラスとイフの指導を受けることにより、完全に才能を開花させた。
もはや、異能の制御に難儀していた真白は居ない。
単純な凍結能力だけではなく、凍り付いてしまった物を解凍する能力。
同系統の権能の産物である冬の魔物に対する、絶対的な破壊権限。
更には、冬の魔物を一時的に支配し、思うがままに動かすことすら可能となっていた。
冬の魔物との戦闘に於いてはもはや、イフやニコラスを凌駕するほどの相性の良さである。
当然、異能の暴走もあり得ない。
魔導の深淵に辿り着きつつあるニコラスと、実際に権能を扱っていたイフの指導により、真白は異能の完全制御に成功したのである。
漏れ出る冷気で誰かを凍えさせることもない。
かなりのリラックス状態でも、異能の操作を間違えない。誰かを凍らせたりなどもしない。
仮に凍らせたとしても、今の真白ならば問題なく解凍して、後遺症もなく解放させることも可能だろう。
当初、ニコラスやイフに人見知りを発動して、大翔に少なくない負担をかけることになったことだけが、今の真白が気に病むことだ。
それ以外のことに関しては、真白は『生まれてから初めて』と言っても過言ではないほど、ポジティブハイテンションの状態になっていた。
副委員長などという、いかにも面倒な役職を請け負ったのも、その所為である。
自分は傷つけるだけの存在じゃない。
自分は誰かの隣に居ても大丈夫。
そう確信することができたからこそ、真白は今更ながら周囲との交流を始めたのだ。
そして、その結果は上々。
大翔のフォローもあったが、何事にも嫌な顔をせず――ほとんど無表情のため――他者のために行動する真白の姿に感銘を受けたのか、真白はいまや、災害対策委員会の副委員長として立派に人望を築いていた。
「すまない、音無さん。ちょっといいか? 話したいことがあるんだ」
そう、だからこそ、多少なりとも社交的な自信を付けたからこそ、真白は九郎の言葉に乗った。
決していい感情を抱いていなかった退魔機関の人間。
ずっと自分を危険物扱いしていた監視役の言葉にも、一応の寛容を見せようと思ったのだ。
内心、何か攻撃を受けそうになったら凍結させてやる、という覚悟も決めて。
真白は大翔のガーディアンだけを引き連れて、拠点内でも人通りの少ない場所。校舎三階の突き当りの廊下まで、九郎に付いて来たのである。
「まず、最初に言っておくが、今の俺には君や佐藤大翔を害する意思はない。この状況で君たちを排除しようなどと考えるのは、自殺願望の持ち主ぐらいだ」
「…………で?」
「相変わらず、俺に対しては厳しいね? 随分と社交的になったと思ったのに」
「本題、早く」
ただ、それはそれとして、真白は九郎のことが好きではない。嫌いというか、煩わしく思っている。
それは自分を監視する存在だからという理由だけではなく、もっと根本的な嫌悪感があった。
こいつとだけは相容れない。
不俱戴天の仇。
九郎と接しているだけで、真白はそのような感情が湧いて出てくるのだ。
故に、いくら社交的になったとはいえ、真白の九郎に対する態度は改善されることはないだろう。
「まぁ、なんとなくわかる気がするがね」
そんな真白の敵意を、今の九郎は小さな呟きと苦笑で受け入れていた。
まるで、自分は罰されても当然、といった顔つきで。
真白からすれば、その顔つきが余計に気に食わないのだが、ここで言及しても話が長くなるだけなので、渋々九郎の次の言葉を待つ。
「初めに言っておく、仕事の話じゃない」
「だから?」
「退魔機関に関する話じゃない。これは俺個人に関する話だ」
「…………興味ないから帰ってもいい?」
真白は絶対零度の視線を九郎に向けて、大きくため息を吐いた。
真白と九郎は友達ではない。ろくに話すことも無いクラスメイトであり、単なる仕事上の付き合いがあるだけの存在だ。
どんな話題だろうとも、真白が九郎個人の話に付き合う義理などは無い。
「なぁ、俺たち――――何か大切なことを忘れていないか?」
そのはずだったのだ。
九郎が苦悶に満ちた表情で、痛みを感じさせるような言葉を紡がなければ。
「それ、は」
途端に真白は言葉に詰まる。
気づいてはいけない何かに気づきそうになって、頭が痛む。
気づかなければいけない何かに気づきそうになって、痛みの先へと思考を伸ばそうとする。
だが、真白はその痛みの先へと考え至ることはなかった。
忘却させられた何かを、思い出すことはなかった。
何故ならば、この時。
『緊急警報! 緊急警報!』
『アラームレッド! アラームレッド!』
『襲撃です! 敵性存在の大群が拠点に近づいています』
『非戦闘員はマニュアルに従い、シェルターに避難してください』
元放送委員会による生徒たちの警報が響く校舎。
ニコラスの結界によって守られた広域全体。
それよりも更に上空。
雲よりも更に上の高度から、空を覆い隠すほどの魔物の大群が現れたのだから。
まるで、世界が『それに気づくな』と警告しているかのように。




