第110話 日常の喪失
冬の女王が作り上げた仮想世界は、文字通り『一つの世界』を構築し、シミュレーションしている空間だ。
プレイヤーである大翔や、勇者たち以外のNPCは再現体なれども、その精度は高い。
冬の女王が格納している『本物の魂』を通じて、可能な限りその心身を再現している。
故に、NPCといえどもその人格は限りなく本物だ。
それどころか、ゲームの舞台としている仮想世界ですら、架空の歴史と地理、惑星の成り立ちなどを『元となった世界』のデータから正確に再現しているものだ。
大翔が居る街や国家だけではなく、その外側の世界も全て作り込まれているのだ。
だからこそ、冬の魔物の出現によって巻き起こされた――『世界中の混乱』は、限りなく真に迫った絶望となる。
冬の魔物には個体差がある。
下級の魔物ならば、訓練された兵士が銃火器を使えば倒せるかもしれない。
だが、魔物の中には概念クラスの異能者にすら及ぶ、強力な個体も複数存在する。
残滓程度なれども、冬の権能を用いて、あらゆる物を凍えさせる個体も存在する。
そして、それを倒すには明らかに、この世界の人類は強者の数が足りていない。
従って、この世界の人類が瞬く間に壊滅しそうになったのは仕方がないことだろう。
何せ、この世界のゲームマスターである冬の女王が『そうであれ』と定めたのだから。
どのような強者であろうとも、NPCである限りは冬の女王の予意図を超えることはできない。
「我らは勇者同盟!」
「涙を拭う者!」
「震える肩を抱きしめる者!」
「流れる血を止める者!」
「「「勇気ある者たちの同盟である!!!」」」
だからこそ、冬の女王がもたらした絶望を覆すのは、必然と外側の人間になる。
大翔と共に突入した、勇者同盟の者たち。
彼らは皆一様に、『戸籍の存在しない謎の存在』という不利な条件を与えられた上で、仮想世界に突入することになった。
けれども、夜鯨は自分自身に割り振るリソースを極限にまで削ることにより、勇者たちの性能を可能な限り維持したまま、仮想世界に顕現させることに成功していた。
そう、つまりは――――単独でも『世界を救える』と各自の世界から判断された猛者たちが、弱体化されることもなく投入されたのだ。
ならば当然、不利な条件や、ありきたりな絶望などで彼らが止まることは無い。
「儂の後についてこい!」
「……随行希望者募集」
「あはははっ! 私たちの前に立たないでね! 危ないからさっ!」
剛力の勇者とその仲間たちは、魔物に怯える者たちを束ねて。
「僕らが敵を殲滅する。君たちは後からゆっくりと歩いて来ればいい」
黒剣の勇者とその仲間たちは、特に強力な魔物たちを選んで討伐していく。
「さぁ、絆の下に集え! オレたちは一人じゃない! 必ず、どこかで繋がっている!」
絆の勇者の権能は、各地に散らばった勇者たちを瞬く間に集めた。
まさしく獅子奮迅の勢い。
一時は世界を滅ぼさんとしていた冬の魔物たちは、勇者同盟の力によって、次々とその数を減らしていく。
何度か補給を受けたように数を増やす場面もあったが、彼ら勇者同盟の前では粗雑な戦力では相手にならない。
冬の魔物たちはさながら、アクションゲームの雑魚敵の如く蹴散らされる。
絶望の象徴であるはずの存在が、一山いくらの障害として吹き飛ばされる。
これこそ、勇者。
理不尽を砕くための理不尽。
そして、その勇者を多数束ねる、勇者同盟の力だった。
じきに世界は救われるだろう。
勇者同盟の力によって。
冬の魔物は払われて、元の世界を取り戻すだろう。
仮想世界の住人(NPC)たちは、誰もがそう思い、安堵の息を漏らした。
――――冬の魔物の巣窟となった、極東の島国に住まう者たち以外は。
●●●
当たり前だった日常は崩壊した。
空からやって来る『真っ白な怪物』たちによって、全ては奪われたのである。
住むべき場所は破壊されて。
頼るべき隣人は殺されて。
順当に回るはずだった夏も、凍死してしまった。
空は灰色。
地面は白色。
ごうごうと風が吹いて。
どんどんと雪が積もっていく。
雪の中には、数多の人間たちが隠れている。
魔物に殺されるまでもなく、特別に冷たい雪の中に埋もれてしまった人間たちが。
「う、あ」
その少女も、埋もれた人間の一人だった。
特にこれと言った特徴も無い、ただの『NPC』に過ぎない人物。
冬の女王が無作為に再現した中に居た、ただの一般人。中学生の少女。
当たり前の日常を過ごしていて、当たり前に家に帰ろうとしていたところを『冬』に襲われてしまったのだ。
「…………う、うう」
少女の体は動かない。
積み重なる雪は、体温と生命を奪っていく。
瞼はほとんど閉じていて、まつ毛は白く凍り付いている。
まるで、突如として冬山のど真ん中に放り込まれたような状況に、少女は何もできずに埋もれてしまったのだ。
「…………」
死ぬ。
このままでは確実に死ぬ。
だが、起き上がったからといって何ができるのだろう?
走馬灯が巡っても、少女の頭には何のアイディアも浮かばない。そもそも、妙案が浮かんだところで動けない。
ただただ、死にたくないと思うだけ。
ノイズが混じった思考の中で、『もう一度死ぬのは嫌だ』と喚くだけ。
特別な力になんて覚醒しない。
どこまでも普通の一般人の少女は、こうして大きな流れに巻き込まれるように、冷たくなって死んでしまう。
「佐藤君、要救護者を見つけた!」
「いよぉし! ナイスだよ、音無さん!」
――――そんなつまらない末路を許すほど、この世界のプレイヤーは温くない。
「俺が雪を晴らすから、音無さんはそっちの女の子の生命維持を優先で!」
「ん、わかった……大丈夫、できる」
「うん! 期待しているぜ!」
今にも終ろうとしていた少女の下に、男女の声が一つずつ。
空は灰色――けれど、いつの間にか晴れていて。
地面は白色――けれど、いつの間にかアスファルトが見えて。
命を奪おうとする冬の風は、いつの間にか止んでいる。
「私の力は、誰かを救えるってわかったから」
そして、素っ気なくも温かい声が少女の耳に届く頃。
「…………あれ?」
いつの間にか、少女は当たり前に起き上がれる状態まで回復していた。
それは、少女を襲った絶望のように唐突で。
けれども、絶望なんかよりもずっと温かな救済の訪れだった。
◆◆◆
とある極東の島国。
大翔や真白が住む国は、今や冬の魔物たちの巣窟と成り果てていた。
勇者同盟によって順調に魔物が駆逐されている外とは異なり、島国の内部には特に強力な魔物たちが跳梁跋扈している。
また、島国を覆うように吹き荒れる吹雪は、触れるだけで生きとし生ける者の活量を奪い去るような『特別に冷たい雪』を降らせるのだ。
魔物に襲われなくとも、一般人はその雪に触れるだけで衰弱していく。
体の弱い者ならば、数分間、雪に触れただけで命が失われるだろう。
まさしく、氷結地獄が現世に顕現したかの如き有様。
多くの何も知らない一般人は、為す術もなく命を奪われ、冷たい死体が積み上がっていく。
――――そのはずだっただろう。本来の、冬の女王のシナリオでは。
「はいはーい! どいたといたぁ! 要救護者を運んでまーす!」
「……あ、あの、私は大丈夫で……」
「まだ寝ていて。凍結は解除しても、失った活力は戻りにくい」
けれども今、大翔と真白が要救護者である少女を運び込んだのは、冷気ではなく熱気に満ちた場所だった。
本来であれば、単なる学校の一つに過ぎない場所。
特別なことは何もない、高等教育機関の建物。
しかし、そこには結界がある。
魔術師であるニコラスが敷いた、冬の権能を弾く結界が。
故に、その場所は拠点である。
救護した者を受け入れて、保護するための拠点である。
「はい! 第三保健室に到着だぜ! 後は機関から派遣された回復系の異能持ちに任せて、と」
「わ、わわわっ!?」
「大丈夫、落ち着いて。すぐに良くなるから……良くなったら、この後どうすればいいのか、周りの人が教えてくれる」
その拠点の中でも、増設された保健室の一つへ二人は少女を運び込んだ。
教室の一つを臨時で保健室に改造した場所であるが、内容はともかく、設備は悪くない。九郎が所属する退魔機関という組織が、様々な医療器械を支給したためだ。
その上、医療技術を持つ異能者も配備されている。
臨時ではあるものの、間違いなく人を治療し、救うことが可能な場所だった。
「え、えっとぉ……ありがとうございます?」
「「どうしたしまして」」
少女は戸惑いながらも、助けられたことに対して礼を告げる。
すると、大翔と真白は慣れた様子で手を振ると、慌ただしく保健室から駆け出して行った。
「佐藤君、次の予定は?」
「イフと一緒に魔物討伐の遠征。その最中、食料を調達しないといけないから、真白は調達班の護衛を頼むよ」
「ん、わかった……『テイム』は使ってもいいの?」
「俺の『ガーディアン』が動けなくなるか、君も含めた調達班の誰かが怪我をしそうになったら使って。それ以外は基本封印。余計な誤解を増やしたくないからね」
廊下を駆けながら、二人は互いに連絡事項を確認する。
慌ただしいことこの上ないが、この場合は仕方がない。そうせざるを得ないほど、二人は今、忙しく働いているのだから。
「大翔! 避難民の奴らが、外に家族を探しに行きたいとか言うんだけど!?」
「次の捜索班の活動は、三時間後だと伝えて! それでも外に出ようとする場合は、鎮圧用のアーティファクトで意識を奪うように!」
「佐藤君! 怪我で顔に傷を負った女の子が、錯乱して自殺未遂を!」
「三十六番の粉末を頭部にかけて経過観察。一時間経っても心身が不安定な場合は、七番の薬を飲ませて落ち着かせること。大丈夫、順番待ちさえしてくれれば、俺たちの技術なら傷跡も残さないから」
「大翔ォ! 調味料が尽きた所為で、男子の馬鹿どもが暴動を!」
「俺の『ガーディアン』に鎮圧命令を出しておいた。その馬鹿どもには懲罰として校舎全てのトイレ掃除を命じる。調味料の件に関しては、今から俺たちが調達してくるから少し待つように伝えて」
廊下を駆ける大翔の下へ、次々と生徒たちの声が集まる。
誰しも皆、慣れない作業に切羽詰まった表情であるため、大翔はその緊張を吹き飛ばす勢いで的確に――そして、強い口調で指示を出してく。
すると、生徒たちは安堵したように頷き、大翔の指示通りに動き始めた。
動き始めた生徒たちには、皆一様に『災害対策委員会』の腕章が付けられている。
「音無さん! これ、よかったら道中で食べて!」
「ん、ありがとう」
「音無さん! 髪がぼさぼさだよ! ほら、ブラシをかけてあげるから!」
「うい」
「真白ちゃん! いつもありがとうね! 今度、美味しいホットケーキを御馳走するから!」
「ん、楽しみ」
そして、廊下を駆ける真白の下には、主に同性の生徒から励ましの言葉がかけられていた。
ほんの数日前まで誰からも遠ざけられていた真白は今、間違いなく人生で一番、多くの人から笑顔を向けられる立場にあった。
災害対策委員会。
原因不明の異常気象と、魔物という災害に対抗すべく立ち上げられた、高校生たちで構成された臨時の組織。
当初は生徒たちの家族や近隣の住民を助けるだけだった組織は現在、国内では数少ない魔物に対抗可能な戦力として、非常に重要視される立場にあった。
そして、何の因果か、あるいは必然なのか。
「音無さん。俺はね、君だけちやほやされるのはズルいと思うんだ」
「それは佐藤君が頼りになり過ぎるのが悪い」
大翔と真白は、その災害対策委員会のトップツーとして君臨しているのである。




